聖樹フィアセレス
この作品はいでっち51号さま主催「なろう恋ファンタジーGP」参加作品です。
とある町の辺境に、深く碧い森林があった。
その森林には一体の精霊が住んでいた。
精霊の名前はフィアセレス。
見た目は十代後半ほどの、長い銀の髪が美しい少女である。
彼女は、言うなればこの森林の魂そのもの。
森林が彼女であり、彼女が森林である。
フィアセレスは遥か昔から存在しており、どれだけの時間を生きてきたか、彼女自身も正確なところは忘れてしまった。
彼女は、大の人間嫌いである。
あまり人間と深く関わったことはないが、とにかく野蛮な種族であるというイメージを人間に対して抱いていた。剣や鎧で武装した冒険者と呼ばれる人間たちが、森に住む生き物たちを必要以上に殺害し、好き放題に森を荒らして帰っていく。
彼女にとって人間とはそういう存在であった。
森そのものである彼女にとって、人間が嫌いになるのは当然だった。
ある日のこと。
一人の新人冒険者が、この森の最強の魔物であるフォレストベアーに襲われていた。
フォレストベアーは見上げるほどに大きく屈強な肉体、そして鋭い爪牙を持ち、ベテランの冒険者でも油断はできない相手である。そんな危険な魔物に新人冒険者は運悪く遭遇してしまった。
その様子を、木陰からフィアセレスが見ていた。
別に人間がどうなろうと構わない。
むしろ、森を荒らす人間が一人減って清々する。
そう思い、このまま静観を決め込もうと思っていた……のだが。
「くぅ……! こんなところで死ねるか、家で弟と妹が待ってるんだ。僕が冒険者として成功して、二人を食べさせていかないと!」
冒険者がそうつぶやいた。
そして、そんな事情を無視できるほどフィアセレスは薄情にはなれなかった。
フィアセレスは木陰から姿を現し、杖をひと振り。
すると突風が発生し、フォレストベアーは森の奥へと吹っ飛ばされた。
「グオオッ!?」
「ごめんなさいね熊さん。今日はもう引っ込んでて」
既にもう姿が見えないフォレストベアーに対してフィアセレスはそう告げる。その一方で、この突然事態に対して冒険者の若者は事情が呑み込めず混乱しているようだ。
「あなた、今回みたいな危険な目に遭いたくなかったら、もうこの森には近づかないことね。今度はもう助けてあげないから」
フィアセレスはそう言って、冒険者の前から立ち去ろうとする。
しかし冒険者はだんだんと目を輝かせ、そして叫んだ。
「す……すげぇ! 今のなに、魔法!? 君、すごい魔法使いなんだな! 僕も君みたいな凄腕の魔法使いとパーティーが組めればなー!」
「え、ちょ、は? 何言って……」
「ねぇ君! 名前は!?」
「ふ、フィアセレス……」
「なぁフィアセレス! 僕と一緒に冒険者パーティーを組んでくれないかな!? あ、僕はシス! まだまだ駆け出しだけど、パーティー組んでくれたら絶対に損はさせないよ! しっかり活躍してみせるから!」
「む、無理よ、私は冒険者じゃなくて精霊だし……」
「え、精霊? フィアセレス、人間じゃないの?」
思わずシスの勢いに押されて、自分が精霊であることを明かしてしまったフィアセレス。冒険者にとってほとんどの精霊は魔物の一種に数えられる。これは敵対してしまうか、とフィアセレスも身構えた。
しかしシスは全く気にしていない様子だった。
「フィアセレス、精霊だったのかぁ! 全然気づかなかったよ、綺麗な女の子だなぁって」
「き、綺麗? そう?」
「それじゃあフィアセレス。パーティーを組むのは諦めるけど、代わりに僕に魔法を少し教えてくれないかな? 僕、一流の冒険者になりたいんだ! そのためには魔法も少しくらい使えるようにならなきゃなって思ってて」
「私、人間は嫌いなんだけど……はぁ、まぁいいわ。あなた面白いから特別に教えてあげる」
「本当に!? よっしゃー!」
この日からシスは足繁くこの森に通い、フィアセレスに魔法を教えてもらうことになる。
シスには大して魔法の才能は無かったが、フィアセレスが思った以上に熱心に教えてくれるので、ひととおりの基本魔法は覚えることができた。やがてシスは一端の冒険者として成長。同期の冒険者の中でも「近接戦も魔法もこなせる珍しい前衛」として注目を集める。
シスは、いつも無料でフィアセレスから魔法を教えてもらうのは悪いと思い、彼女が綺麗なものや可愛いものが好きだと知ってからは、そういったアクセサリーを手土産に持ってきた。
「ほら、今日は町で育てた花を使った花冠を持ってきたよ」
「素敵だわ。有難くいただいておくわね」
「喜んでもらえて良かった! 頑張って作った甲斐があったよ!」
「え? これあなたが作ったの?」
「そうだよ。これまでにあげたアクセサリーも全部」
「初耳なんだけど。あなたそんなに器用だったの?」
「流行り病で死んだ両親が小物細工職人でさ、子供のころに仕事の合間に教えてもらったんだ」
「意外だわ。人は見た目に寄らないのね」
「へへ、よく言われる」
「ふふ。あなた本当に面白いわ」
二人が出会って数年。
シスは、思い切ってフィアセレスに告白した。
「フィアセレス。正直、出会った時から君が好きだった! これからも、そしてこれまで以上に、僕は君と一緒にいたい。付き合ってほしい! 結婚を前提に! 僕もこの森に住むから!」
そう言って手製のフラワーリングを差し出すシス。
しかしフィアセレスは複雑な表情。
「あなたの気持ちは嬉しいけど、あなたは人間、私は精霊。元々住む世界が違うし寿命の差もある。私たちは一緒になるべきじゃないわ」
「そっか……」
「シス。私は全ての魔法をあなたに教えた。お互いのためにも、もうあなたはこの森には来ない方がいいと思う。ちゃんとした相手を見つけて幸せになって」
「ん……」
シスは、それから森に来なくなってしまった。
月日は流れ、一年ほど経ったある日のこと。
フィアセレスが住む森を領土に収めるこの国の王城、そこで複数の大臣がなにやら話をしていた。
「あの森、魔物は多いわ、その魔物がどれも手強いわ、おまけに我が国と隣国と行き来するのに避けては通れないわで、邪魔でしかないですな」
「いっそ派手に伐採して、あの一帯を街道にするのはどうでしょう」
「しかしあの森には強力な精霊が住んでおります。手を出すのは危険では?」
「そこは私に考えが」
この国は、フィアセレスの森を伐採することを決定してしまった。
強力な精霊であるフィアセレスを弱らせるために、国は森林を汚し始めた。森の小川には毒を撒き、魔法使いに作らせた瘴気を充満させて森の生命力を奪った。フィアセレスは森そのもの。森が弱れば彼女も弱る。
国の行動は極めて迅速で、フィアセレスが気づいた時には既に森はかつての青々しさを完全に失い、彼女自身も肉体、魔力ともに弱り切ってしまっていた。
「くぅ……! なんで、こんなこと……!」
突然の人間の攻撃行為に、フィアセレスは怒りよりも困惑の方が大きい。そんな彼女にトドメを刺すべく、国が雇った冒険者たちがフィアセレスを包囲している。
「もう弱り切ってるな。楽な仕事だ」
「こりゃ上玉だな! 始末するのはもったいねぇけど依頼だから仕方ねぇか!」
冒険者たちがそれぞれの武器を手に、フィアセレスにジリジリと迫る。フィアセレスは立てないまま後ずさりするしかない。
その時。
人影が一つ飛び込んできて、先頭の冒険者を殴り飛ばした。
「やめろ!!」
「ぐぇ!?」
「おいアイツ! 魔法剣士のシスだぞ! S級冒険者の!」
「何しやがんだシス! 冒険者の癖に魔物を助ける気か!」
「うるさい! お前ら、フィアセレスには指一本触れさせないぞ!」
「この野郎! こっちにもS級冒険者はいるんだぜ! やっちまえ!」
あれからさらに立派な冒険者に成長していたシスにも当然、今回の精霊討伐依頼の話が来ていた。
当然ながらシスは断り、逆に国に対して森林伐採の反対意見を必死に訴え続けた。彼は今でも伴侶は取らずフィアセレスだけを愛していた。
しかし反対意見は聞き入れてもらえず、国はシスに内密に精霊討伐を実行に移した。
だがシスも国の動きに勘付き、急いでここに駆けつけた。
そして、そこから先はシス対冒険者軍団の大乱闘だった。
シスはS級に恥じない凄まじい実力で次々と他の冒険者を蹴散らす。やがて余裕がなくなった冒険者たちも本気でシスの始末にかかり、命を奪うような攻撃も容赦なく仕掛け始めた。
そして一時間後。
ボロボロになった冒険者たちが森から引き揚げていく。
彼らの標的であるフィアセレスには傷一つ付けられなかった。
だがしかし。
その代わりにシスが血まみれになって、その場に座り込んでいた。
フィアセレスは彼に回復魔法をかけてやりたかったが、力が弱っている今の彼女は魔法が使えない。そしてシス自身も、もう魔法を使えるだけの魔力が残っていない。
「シス! しっかりして!」
必死に呼びかけるフィアセレス。
シスはすでに虫の息だ。
しかし、彼は力を振り絞り、わずかに反応してくれた。
「フィアセレス……君は無事か……?」
「ええ、無事よ! あなたのおかげで!」
「そっか、よかっ……」
その言葉を最後に、シスは息を引き取った。
フィアセレスは静かに泣きながら、息絶えたシスを抱きしめていた。
「シス……今さらだけど、あなたの想いを受け入れるわ。もう二度とあなたを離さない。これからはずっと一緒よ……」
この日、森は死んだ。
森の恵みが採れなくなり、人々は自分達が犯した過ちの重大さにようやく気付いた。国王の怒りをも買い、森林伐採を計画した大臣たちは失脚した。
一方、シスとフィアセレスは、一つの大きな苗木になっていた。苗木に変じたフィアセレスがシスの遺体を取り込んでいた。
苗木は年月をかけてゆっくりと成長。
同時に、汚染された森の瘴気や毒素を吸収して浄化。
およそ三百年後、苗木は城よりも高く伸びる巨木になった。
一度は離別した人間と精霊は、一つの樹となることで結ばれた。
復活した森の中心にそびえ立つ巨木。そのひと際高い位置にある枝に、冒険者風の出で立ちの青年と、銀の髪の少女が並んで座っていた。