日記
その日は生憎雨が降っていた。暗く沈んだベールの下に響く雨音はなにかを弾き飛ばすような軽やかさを持って踊っている。隣に歩くのは母。淡々と足を動かしていた。母の歩き方は遠慮なさと軽やかさと優しさが混ざり合ったような音がする。私は母に、なんとなく登下校中にリュックのチャックがいつも空いている先輩の話をした。
母は言った。指摘してあげなさい、私なら言ってあげる、と。おばちゃんはたくさんの経験をしているから過去の自分と重ねることが多い。だから、お節介なのだと。
ウインクをする様な愛らしい言い方だった。
おばちゃんは若者の感じる心細さと失敗を犯すことの恥ずかしさを知っている。だから暑苦しい。だからずばりと物を言う。飴ちゃんを貰って嬉しいことを知っている。だから飴ちゃんを常備している。そういえば同級生にも飴ちゃん常備してる子いたな。私も古き良き知恵を見習おうではないかと思ったが、先を越されたようだ。最近人を見れてないな。1人の時間が少ないからか?母は黙って前を歩いている。
無言でカードを改札にかざす。淡々と歩く。
くっと回り手前側の階段に降りる。
私は蛇のように付かず離れずついていく。
金魚のフン、とはなんとぴったりな言葉だろう。
黄色い線を踏み荒らし一線を跨ぐ。
ドア付近の隙間にサッと身を滑り込ませる。
…最近自分が怖い。
自分の発する言葉、行動、生み出すものがコントロールできなくなっていることがひしひしと感じられる。頭がきちんと回っていない感じもする。思考は正常に行えているはずなのに。ただし、自分の鬱が悪化したわけではないことははっきりとわかる。ただただ疲れているのか?それともいわゆる五月病に近しいものなのか?多分そうだろう。あの時の感覚ととても似ている。ああ、なんでだろう。もう嫌だ。人がちゃんと見えない。見えてたと思ったら怖くなって、世界には私と親友の二人だけ、そう言い聞かせてまた見えなくなる…その繰り返し。前はもうちょっと上手くできていた、ような感覚があるけどきっとこんなのは幻想で、その時も悩んで悩んで悩み尽くしていたのだろう。人間とはそういうものだ。それが私の人生である。このような問題は考えて考えて考え通しても無駄なことが多い。習うより慣れろというやつだ。無駄な問題は悩むべきではないのである。
扉が鳴き、風が入る。風が頬をぬらりと撫でる。不意に視界に足が割り込んできた。電車とホームの隙間を際立たせるライトが客の足に跳ねられた水滴に当たり、ただ純粋な天使のように、澄んだ笑い声を挙げた。誰かに見られるために作られた芸術品でもなく、癒すような柔らかい光でもない、その無造作な光が私の視界に無邪気な花を咲かせた。その花は萎むわけでもなく唯消えていった。
真っ黒な空の中、ぽつぽつと街灯らしきものが光っていた。びゅうびゅうと風が吹き、音に合わせて電車がふっと浮かぶ感覚がする。風が頬や肩を撫で、優しげに夜に誘う。目を閉じ、想像する。この上に腰掛け、とん、とんと壁に踵を打ちながら風に洗われる。私の髪は荒れ狂い、容赦なく顔に鞭を打ち、私は風に抗い髪を耳に押さえつけ、何かに取り憑かれたように外を見る。この夢が終わらない。
ぷしゅう、とどこか強く可愛げのない音を立ててドアが開いた。母が私を真っ直ぐと見ていた。私は小さく頷き、外に出た。
外に行けば人がごった返し一定方向に向かっていた。電車の中のあのゆとりのある安心感が消え、私は全身が一気に硬くなるのを感じた。ごった返す雑踏の中、私は母の後ろにつき、隠れるように小さくなって駅を抜けた。駅構内は天井が狭く、人でごった返していた。息がつまりそうだった。外に出ると青い視界にハッとするほど赤い自動販売機が立ち塞がっていた。母はその前を素通りし、何も言わずコンビニに入り、水を買った。
コンビニを出ると私はぴちゃぴちゃと足元を鳴らしながら歩いた。足元の丸四角の小さいタイルが健気に見え、その上に走る水紋をどかしてやりたくも想ったが、そのうち水紋があることによって愛くるしく見えることに気が付き、せめて綺麗な波紋を描けるように優しく歩くことにした。ふと傘の下から歩道橋を除くと階段を噴水のように水が流れ、ぽってりとした表面をぬらぬらと照らしていた。それはそれは綺麗なものだった。この町には青い雨がよく似合う。この駅に立つその日は晴れを願うが、印象に残るのは雨の日ばかりで、雨の日にどこか愛おしさを感じていることを認めざるをえないのだ。奇怪な街だ。
階段を抜けると広い中庭らしきものがあった。頭上には磨りガラスが白く光り、それを支える黒い鉄骨がくっきりと格子を描いていた。それが一種のステンドグラスのように見え、私はほぅっと息を付き、足を止めてしばらくの間見上げていた。数人が早足でずいと通り過ぎていく。母が不思議そうな顔をしてこちらを覗き込んでいる。私は再び前を向き、歩き出す。
てくてくと軽やかに、弾むように階段を駆け上がる。階段の降り場くるりと一回転し、母を待つ。母は一段一段を踏み締めるように、ゆっくり、しかしいつもとリズムは変えず、着実に上がってくる。2階に着くと、母の持つチケットを覗き込む。母の後ろにピッタリと付きながら、席に着いた。
おばあちゃんが歩行補助を受けながら、ピアノに向かう。とても弱く、転んでしまいそうな足取りだったが、ピアノの前に座るとどこかしゃんとした、力強さを感じた。
演奏が始まる。
体のどこにこんな力があるのだろう。手はもう骨と皮しかないような、力も衰えたその細い腕から想像できないほどエネルギッシュで、軽やかで、楽しそうな音がした。
ただ一つ残念だったのは、CDで聞いたあの音とまるっきり同じ音に聞こえてしまうことだ。いや、持っていたものが全盛期のものであり、衰えてなおこの音が出せるのは本当に尊敬なのだけど。音を録音する技術が上がれば、こんな虚しさも感じるのだな、と思った。
母をちらりと見た。母は寝ていた。
私も前日に色々あったことで疲れていたので、少し寝た。
母が最近寝ているところをよく見る気がする。
リビングで毛布でくるまり、ぱたりと寝る姿は、一瞬死んでしまったのかと思うほど弱々しい。吐く息の音が冷たく、死に際なのではないかと思ってしまう。毛布から除く肌にハリがない。シミが目立つ。つねると皮しかない感触がする。そんな時、母はもう死ぬのだろうかと不安になる。ちらりと私がたくさん心配かけたから、心労が溜まって老けてしまったのだろうかと思う。申し訳ない、と思うけど私にできることなんて何もなくて、どれだけ孝行しても私の気はすまないだろう、という確信めいた推測があって、泣きそうになる。ごめんなさい。
ピアニストの弾く最後の曲になった。
その音は、光り輝いていた。
ただ楽しくて、ただ好き好きで仕方なくて。
そんな音がした。
ふと、電車ので見た水の礫が浮かんだ。
あの礫のような音だ。
私には彼女のような音は出せない。そう思った。
帰り道。、感動と眠気の最中、母は言った。
あなたのお勧めしてくれた本を読んで思ったことがあるの。
誰にでも自分の好きなところと嫌いなところがあるものだから、そんなに悩んでも仕方がない。
自分の好きなところだけ伸ばせばいい。
50年生きてて、そう思った、と。
もしも、
そのことのせいで誰かが死んでしまうとしたら。
もしも、
誰かに迷惑かけてしまうとしたら。
君はそのセリフを言えるかね。
私はその言葉を飲み込んだ。まだ引きずってると思われたくない。
視界を揺らがせて自分の靴を見た。指の先の先の空気まで搾り取るように息を吐いた。
電車の中で、私は眠った。
夢は見なかった。
ただ、怠くて、眠かった。