96.アルフリードの回想 後編
僕の社交デビューとなった、エルラルゴを彼の祖国へと送り出すパーティーで彼に言われたんだ。
「愛想よくしてた方がアルフリードには似合うよ」
「そうだぞ、アルフ。お前は基本的に感情表現が乏しいし、なんとなく陰があるからな。愛想よくしていた方がいい」
ソフィアナが便乗して、そんなことを言ってきた。
自分ではそんなこと感じたこともなかった。
だけれど、もしかしたらもう貰うことはないかもしれない、エルラルゴからのアドバイスとして意識するようにした。
「2年後、ソフィが16になって、婚姻できるタイミングになったら迎えに来るよ」
そう言って、エルラルゴはソフィアナを帝国に残してナディクスへ帰って行った。
ソフィアナは「分かってるって」そう言って笑顔で答えて見送っていた。
彼が戻って来る2年の間、ジョナスン殿下も帝国に帰還した。
だけど、殿下はエミリアも知っている通り、言葉を発する事ができなくなっていた。
そして、殿下と再会できるのを何よりも楽しみにしていた皇后様は、また部屋に引きこもってしまっていた。
だから陛下は本当ならすぐにでも、殿下に公務に入る準備をすすめていたけど、しばらく殿下には休養を取ってもらうことになったんだ。
ソフィアナがエルラルゴの元へ嫁ぐ2年の間に、また会話もできるようになるだろうと見込んで。
ソフィアナは幼い頃の様子の通り、殿下のことを慕っていたから、そのショックは計り知れなかったはずだ。
それでも、皇后様も部屋から出てこず、同じようにツラい想いをしている陛下や、意気消沈してしまっている皇城を少しでも活気づけようと、ソフィアナは明るく振る舞おうとしていた。
……そんな健気で頑張っているソフィアナを、父上から言われた言葉を思い出して、僕は彼女が大好きなエルラルゴがいない分も支えようとしていたよ。
それでも結局、2年の間に殿下の声は戻ることはなかった。
そんな中、エルラルゴは約束通りソフィアナを迎えに、帝国にやってきた。
彼は3ヶ月ほど滞在してからナディクスへ戻る予定でいて、以前行なっていたワークショップを再開したり、この2年間、気を張っていたソフィアナを労おうと2人でバカンスへ行ったりしていた。
その時のソフィアナは、幸せの絶頂という感じで、ナディクスへ行くのを心待ちにしているのがはたから見ていても分かるくらいだった。
さすがに、その頃にはソフィアナもそば付きのメイドに髪など身だしなみを整えてもらえば、1日その状態を維持できるようになっていたけど、エルラルゴが来てからはずっと彼に手入れを任せていた。
そして、3ヶ月はあっという間に過ぎていき、ソフィアナはナディクスへ持っていく荷物の準備や、向こうでの婚姻式で着る衣装などの手配もほぼ終えて、あとはもう行くだけという状態になった。
そんな中、なぜか予定よりも早く、ナディクスからの使者が到着したんだ。
しかも、その国の王子の花嫁を迎え入れるにしては少なすぎる人数な上、掲げられているのは喪に服すことを意味する弔旗だった。
先日、その生存の可能性がある事が分かったけど……ナディクスの国王で、エルラルゴの祖父の突然の訃報を知らせにきたんだ。
珍しく思い詰めた深刻な表情をしているエルラルゴに向かって、ソフィアナは落ち着いた様子で語りかけた。
「死というのは突然やってくるものだから、仕方ないさ」
エルラルゴは顔を下に向けて、納得いっていないような上目つきでソフィアナをしばらく見つめた後、抱き寄せて言った。
「ソフィ、すぐにまた迎えにくるから。次はもう待たせないから、いいね?」
ソフィアナは口元に笑みを浮かべて頷いていた。
そして、この間と同じように、急いでナディクスの馬車に乗り込んで行くエルラルゴを見送っていた。
その後、数日は彼女は普段と変わらない様子で過ごしていた。
ジョナスン殿下は、当初の予定通りソフィアナが嫁いだら公務に入る予定でいて、僕も側近としての心構えや知識を、父上から教えてもらったりしていた。
だけど、ソフィアナは帝国に残ることになった。
実は、ジョナスン殿下はキャルン国に滞在していた間、勉学を励まれて農作物の研究が認められ、飛び級で大学に入学していたんだ。
そして、大学は休学して帝国に戻っていた。
それだったら、親しい人もたくさんいるキャルンで伸び伸びと大学生活にまた戻って、卒業したらまた帝国に戻ってくる、そういう条件で殿下は再び、キャルン国へ向かうことになったんだ。
……その間、殿下が入る予定だった公務は、ソフィアナが代わりに行なうことにして。
その時も、ソフィアナはその決定に、凛とした表情をしてこう言っていた。
「分かった。お兄様、私が代わりをしっかり務めておくから、何も心配することはないからな」
そして初めて殿下が使うはずだった執務室で、ソフィアナは慣れない公務に入るようになったんだ。
だけど、ある日の夕暮れ近く、執務室からソフィアナが消えてしまったことがあって、僕は皇城中を探し回った事があった。
その時、やっと見つけたのは、本当ならエルラルゴと一緒に持って行くはずだった、花嫁道具や持参品を一旦、保管しておいていた部屋だった。
彼女はその部屋に入れられた大量のそれらを、呆然と立って眺めていた。
何回か呼びかけても反応しないから、肩を掴んで揺さぶったら、彼女は初めて僕がそこにいることに気づいて、
「アルフ……」
と、か細い声で呼んだと思ったら、体がガクンと崩れ落ちて倒れ込みそうになったんだ。
ちょうど、ユラリス殿下からエルラルゴの事を聞いた時みたいに。
僕はやっぱりあの時みたいに、慌てて彼女の上半身を持って起こそうとしたよ。
ソフィアナは顔を両手で覆っていた。
「私は……私はどうしたらいいんだ? エルは行ってしまったし、私にお兄様の代わりなど……陛下と一緒に帝国民の生活と命を預かることなど、できるのだろうか……」
僕が聞き取れたのはここまでだった。
彼女は、幼い頃にジョナスン殿下が人質に行ってしまうと初めて聞いた時みたいに、声を出して号泣した。
その日、一生分ではないかと思うほどの涙を流したソフィアナが落ち着きを取り戻した頃、僕は話し掛けた。
「ソフィアナ、君ならできるよ。この2年間だって、ジョナスン殿下はもちろんのこと、陛下も皇后様も皇城の誰もが精神的に参っていた中、君だけは負けなかったじゃないか」
ほとんど発作にも近かった号泣の名残りで、ソフィアナの呼吸を整えようとする音が響いていた。
「僕が君の側近になるからには全力でサポートする。コキ使っても、暴言吐いても構わない。次にエルラルゴが帰ってきて、殿下も無事に帰ってくるその時まで。一緒に頑張ろう」
そう僕が言っても、ソフィアナは自信の無さそうな顔をして翳りのある表情を浮かべていた。
だけど、彼女がそんな弱音を吐く姿を見せたのは、それっきりだった。
次の日からは普段と変わらずに公務に臨んでいた。
その後、しばらくしてエルラルゴからソフィアナ宛に手紙が届いた。
そこには前国王の喪が明ける2年後、迎えに行くと記されていた。
この2年間はあっという間に過ぎて行ったよ。ともかく僕もソフィアナも、難しい仕事に取り組んで、一緒に大変な思いをしていたからね。
そうして無事にナディクス国の喪が明けて、エルラルゴがソフィアナに会いに来れるようになった。
……それが、初めて君と出会った、あの迎賓館での彼の歓迎式だったんだ。