85.帝国の危機
アルフリードの内輪だけのお誕生日会の翌日、姫のエステタイムを利用してやってきたのは、再びのヘイゼル邸。
色とりどりの花が咲き乱れている、アルフリードのお母様クロウディア様の中庭だった。
「ええーっとね、確か、この葉っぱじゃなかったかしら……」
ルランシア様は、花と草木が生い茂っているその庭の中にしゃがみ込んで、手で草を分けながら、あるものを探していた。
昨日、公爵様と陛下をリルリルの脅威から救うために、晩餐会がお開きになって帰宅する間際に、アルフリードとルランシア様に、あたっちゃった時の特効薬になるようなものが無いか聞いてみた。
アルフリードは、普段はのんびりしてそうなのに、こういう時だけ、
『気合で治すしかないんじゃない?』
なんて、体育会系のことを言ってきたので当てにならず……
そうしたら、ルランシア様が子供時代に、お腹を壊した時なんかによく使っていた薬草があったのを思い出してくれたのだった。
もしかしたら彼女が育った元リューセリンヌの土地から持ってきた植物がたくさん植わってる、クロウディア様の中庭にあるかもしれない! という事で探してくれている。
ちなみに公爵様とアルフリードは、最近も常に忙しい状態なので、昨日も晩餐会以外の時間は皇城でこもりっきりだったし、今朝も早くからお勤めに行ってしまっていた。
「うん、やっぱりコレだと思うわ。名前は忘れちゃったけど」
私もルランシア様がしゃがみ込んでいる隣りに座って、ハサミで彼女が切り取っている植物を見てみた。
細い茎の上から半分くらいまで、さらに細かい茎が何本も出ていて、パセリのような小さな葉がたくさんついている。
「これは具合が悪くなったら、直接食べるんですか?」
何本かハサミで切ったその薬草を持って、中庭を2人で歩きながら私は聞いてみた。
「そうね、直接食べたり、乾燥させて煎じて飲んだりもしてたわね」
なるほど……もしもの事があっても、これを公爵様に持って行ってもらえれば、病に臥せったり、最悪の事態も回避できるかもしれない。
しかし、今までリルリルであたった事など皆無! との自信を誇っている彼らが、素直にこのお薬を持って行ってくれるだろうか……?
「あ、そういえば……お父様はお薬を飲むのが大嫌いだったから、お姉様が召使いに命じて、大好きなお酒の中に分からないように漬けておいて、飲んでもらったりしてたわね」
ルランシア様は、ポカポカと庭に差し込む青空と太陽の方に顔を斜めに向けながら、記憶を辿るようにお話しされた。
彼女のお父様といえば、リューセリンヌの国王様だ!
帝国との戦で戦死してしまったという、ルランシア様にとっては相当デリケートな人物だと思うんだけど……そんな事は感じられず、普通の思い出話のように語ってらっしゃる。
だけど、お酒に漬ける、という事は、薬膳酒のような飲み方ができるという事だろうか?
それだったら……!
私とルランシア様は、中庭から入れるクロウディア様がお気に入りだったサロンルームへ行って、ナガジャガイモの焼酎瓶の中に摘んできた薬草をできる限り、たくさん押し込めた。
「瓶が黒いから中も見えないし。これだったら、お兄様も分からなくって、リルリルと一緒に飲んでくれるんじゃない、エミリアちゃん」
こうして、もしかしたら皇帝陛下と公爵様をお救いできるかもしれない、仕込み作業はなんとか完了。
薬草入りの焼酎は、必ず公爵様に海岸沿いのお店に行くときにお持ちいただくように、執事のゴリックさんに託して、私とルランシア様はヘイゼル邸を後にした。
そして、1週間ほど経ち……
スパのお部屋で姫が足のネイルケアをしてもらいながらくつろいでいる時だった。
「姫! 女騎士さん! 大変です、陛下がお倒れになったとの連絡が!!」
白騎士のアンバーさんがものすごい勢いで、お部屋に飛び込んできたのだ。
あの薬膳酒を作ってから、どうなる事か内心ものすごくドキドキしながら過ごしていたのに、そんな私の不安もよそに、原作通りの展開が進行してしまったというのだろうか……?
ワガママ姫とはいえ、滞在先の最高権力者でもあり、幼い頃から見知っている帝国の皇帝陛下の一大事に、簡単に身支度をしてもらって皇城へと急いだ。
やはり、今日があの海岸沿いにあるお店に、リルリルを食べに行った日なんだろうか?
そうだとしたら、公爵様は無事なのか?
それに、仕込んでおいた薬膳酒は、飲んでくれたのか?
飲んだとしても、効果がなかったのか?
姫の馬車の斜め前をフローリアにまたがって先導しながら、私の胸はドクンドクンと打ち鳴り続けて、頭の中は目が回るくらいの不安で覆い尽くされた。
通された陛下の居室には、皇女様と皇后様、皇太子様とエリーナさんに、私のお父様や重要な役職に就いている人も何人か集まって、天蓋付きの立派なベッドの方を深刻な顔つきで見ていた。
姫がそのベッドに近づいていくと、そこには大きな体を横たわらせて、皇帝陛下が額や首筋に汗を流して苦しそうにしている。
いつも、あんなにお元気で、陽気だけど落ち着いていて、威厳に満ちている陛下のこのようなお姿に、私は眉根をひそめて口元に自分の手の拳を当てていた。
「陛下は今日、公爵とカナンダラ地方の海鮮屋に行ってな、リルリルを食した後にすぐ吐き気を催されて、そのまま意識を失ってしまったのだそうだよ」
皇女様が私と姫のそばに来て、そう教えて下さった。
やっぱり、倒れられたのは、リルリルが原因で間違いない。
そんな……そんな、このまま原作と一緒でずっと寝たきり状態になってしまうの……?
私が瞳に涙を浮かべていると、皇女様は続けた。
「医者の話では、吐いたおかげで体内に回る前にリルリルの毒素を排出できたから、最悪の事態は避けられたそうだ。ただ、症状が落ち着いて、完全に回復するまでには数ヶ月はかかるらしい……」
原作では、ただ病に臥せっている状況が描かれ続けていたから、それに比べたら回復する見込みが語られている今回は、まだ希望があるのかな……
今の段階では真相は定かでないけど、リューセリンヌの薬草の入った薬膳酒を飲んだから、最悪の症状は免れた、のかもしれない。
あとは、一緒に海鮮屋さんに行ったと思われる、もう1人の人物はどうなったんだろう?
「皇女様、公爵様は陛下とご一緒でしたでしょうか?」
思わず私語厳禁も無視して、私がそう尋ねると、
「ヘイゼル閣下も、陛下と共に倒れられてな……医者に診てもらうのに一旦、皇城に一緒に運ばれたから別室にアルフと共にいるよ」
やっぱり、そうだよね……原作では陛下より先に旅立たれてしまった公爵様。
とすると、症状はさらに重いのかもしれない。
様子を見に行きたいけど、主人である姫を置いて、単独行動を取るのはまずいよね……
そう思って下を向いていると、
「姫、この部屋の隣りには、エミリアの婚約者の父君が伏せられているのだ。会いに行かせてやってくれるか?」
私の考えてる事を察して下さったらしい皇女様が、姫に声を掛けてくれた。
さすがの姫も、この重い空気に口をへの字に曲げて、静かにしている。
皇女様の問いかけに小さく頷いて、私と皇女様と共に、隣りの部屋に移動した。
その部屋には、先ほどみたいに何人もの人はいなくて、ベッドの脇に椅子に腰掛けている黒髪の青年がいた。
私たちが彼の方に近づくと、やはりベッドの上には陛下と同じように、額や首筋に汗をかいて、苦しそうにしている公爵様の姿があった。
そして、その枕側のベッドの横にはサイドテーブルが置いてあって、黒っぽい瓶が置いてある。
「アルフリード、公爵様の容体は……?」
冷静な顔をして、俯き加減で目線だけを公爵様の方に向けているアルフリードに私は話しかけた。
「ああ、エミリア……父上は、陛下と同じ症状のようだよ。やはり、アレを食べてからすぐに吐き気を催して、今は苦しそうにしてるけど、しばらくすれば安定するらしいよ」
彼は落ち着いた声でそう教えてくれたけど、いつもみたいに笑いかける事はせず、相変わらず冷静な、真顔といった表情で公爵様を見続けている。
私はそんな彼に寄り添っていたくなって、肘掛けに置いているその手に自分の手を触れてしまった。
そうしたら、彼は私の指を強く握った。
「それにしても、この酒はすごいな」
皇女様が声を出すと、サイドテーブルにあった瓶を手に取った。
私の横にいた姫は、その瓶のナガジャガイモが描かれているラベルを、目を見開いて凝視している。
「ああ、陛下と父上の近くにいた騎士の話では、リルリルを食べて苦しみ始めたお2人がとっさにその焼酎を口に流し込んだ途端に戻してしまったらしいんだ。浄化作用みたいなのがあるのかもしれないね」
アルフリードも感心したように話している。
やっぱり、ルランシア様との共同作業で作ったこの薬膳酒の力が、だいぶお2人を救うのに貢献してくれたみたいだ!
「……それでは、わたくしはそろそろお暇させていただくわっ」
姫は大嫌いなものを皆して褒めているのが気に食わなくなってしまった様子で、紫がかったいい匂いのする髪の毛を翻して、部屋の出口の方へカツカツと歩いて行ってしまった。
アルフリードが手を握っているので、追いかけようか、どうしようか私が迷っていると、
「エミリアも、心配かけてすまなかったね。父上は、しばらく動かさない方がいいってことで、ここに寝ててもらうから。時々、お見舞いに来てくれ」
そう言って、アルフリードは私の手を離した。
そうして私は、変わらずリリーナ王女様の女騎士生活を続けることになった。
皇帝陛下とその側近が一度に機能不全に陥るという、かつてない帝国の危機が訪れた。
そんな危機を脱するため、陛下の代わりを皇太子様が、その皇太子様の代わりを皇女様が務める、という若かりし権力者による新体制が取られる事となった。
そして、皇太子様の側近はエリーナ姫が、皇女様の側近は再びアルフリードが務めることになった。
本来だったら、代々、皇帝の側近を務めるヘイゼル公爵家の跡取りアルフリードが、皇太子様の側近になるはずだった。
だけど、皇太子様はエリーナさんとしかコミュニケーションが取れないし、皇女様のお仕事も結構ハードなので、職務に慣れてる側近が必要だったからだ。
しかし、ここで1人の悲劇の犠牲者が生じてしまう。