72.皇女様のイライラと姫の犠牲者
フローリアにまたがった私は、エスニョーラ邸の門を飛び出した。
皇城に到着してひとまずフローリアを預けていると、メインの建物の前に、見たことある馬車が止まっていた。
あれは……さっきエスニョーラ邸で見た仕立て屋さんのものかな?
まさか、皇城にもお兄様みたいに、リリーナ姫のドレスを優先されたがために、犠牲を強いられる人がいるのかも。
そんなことを一瞬、考えたものの、私は皇城のメインの建物に入って、皇女様の元へ向かった。
今日はまだ皇太子様が帰還して1日しか経っていない。
多分、皇女様がやっていたお仕事の引き継ぎのために、いつもの執務室にいらっしゃるだろうな、と思って向かってみると……
私は度肝を抜かれたのだった。
皇城の色んな部署の役職についてる人達が、執務室の前に列をなしているのだ。
部屋の前で護衛をしている皇族騎士さんに、皇女様が中にいらっしゃるか私は尋ねた。
「はい、いらっしゃいますよ。しかし、皆さま順番待ちをしていらっしゃるので、列の最後にお並びください」
騎士さんはそう答えたのだけど……
すごい人数だし、1人の人が中に入ってから出てくる時間っていうのも、マチマチなのだ。
リリーナ姫が起きる時間まで、まだ大分ある。
だから並んでれば順番が回ってきて、皇女様とお話はできそうだけど、ヘイゼル邸に行くのも、お風呂に入るのも、仮眠を取るのも難しそうだな……
すると案内の人に連れられた男性が1人、騎士さんの方へ向かって行った。
あの人は、やっぱりさっきいた仕立て屋さんだ!
案内の人だけが執務室に通されると、すぐにまた出てきた。
しかも、その後ろにはゴージャスなあの方が一緒にいらっしゃる。
「いま忙しくて時間がないのだ。用件はここで承る」
ナイスタイミングで現れたのは、ちょっぴりオッカナイ雰囲気を漂わせている皇女様だ!
仕立て屋さんは、さっきお兄様に文句を言われていた時よりも、さらに縮こまってしまっている。
「殿下お忙しい中、大変恐縮です。実は……ご注文を頂いておりました、騎士服なのですが」
はっ……騎士服? 騎士服ってもしかして……
「騎士服? 何のことだ?」
皇女様は私とは違って見当もつかない、といった感じで、ものすごくイライラしながら聞き返している。
「急ぎでご依頼を受けておりました、極小サイズの皇族騎士様用の騎士服のことにございます……」
やっぱり、皇女様が私のために発注してくれたと言っていた、憧れのカッコいい皇族騎士さんの制服だ。
「あ、ああ! エミリアの女騎士用の制服のことか。確かそろそろ仕上がる頃ではないか?」
皇女様の質問に、さらに身を縮めて仕立て屋さんはブルブル震えながら答えた。
「別の急ぎの注文が重なってしまいまして、納期が遅くなりそうなのです……申し訳ございません!!」
はぁ……なんだ、姫の犠牲者って私の事だったんだ……
姫の女騎士にご指名されちゃった時点で、私の全てが犠牲になっちゃってるようなものだけどね。
「おお、そうなのか。エミリアがそれで良ければ、私は構わないが。しかしあやつは今、行方不明になってしまって……ん? そこにいるのはエミリアか?」
皇女様は私に気づいてくれたようで、首を傾げられた。
「皇女様! 急に消えてしまい申し訳ありません!」
私は叫びながら皇女様の方へ駆け寄った。
こうして、本来なら皇女様と王子様の出発式までに頼んでいた騎士服は、その予定も消えて特に急いでないため、仕立て屋さんの手の空いた時に作ってもらうことになった。
そして皇女様にスパリゾートに滞在してるって事と、明日の労働条件の見直し会を絶っっ対に開いてもらえるように、私はお話したのだった。
「ぶはっ……姫を眠らす事ができる仲間がいるとは……エミリアは本当に面白い」
皇女様は吹き出しながら笑って、こう言った。
「明日だがな、姫を皇城まで来させるのは無理そうだから、打ち合わせ場所はスパの姫の部屋にしようではないか」
やった! それなら、なんとか強行的に話し合いができるかも!
「派遣事務所のクロリラ殿にも伝えねばならないが、見ての通り、私はここから離れられぬ。エミリア1人で事務所へ行って伝えてきてくれるか?」
皇女様は、忌々しそうに執務室の前にできた行列に視線をやった。
「これは……一体どうしたというのですか?」
聞いてみると、皇女様は少し執務室の扉を開いて見せてくれた。
中には貴族家の人と、皇太子様にエリーナさん、そしてその側にはアルフリードもいる。
覗いていると、貴族家の人が話をするたびに、皇太子様がエリーナさんに何か耳打ちして、エリーナさんが話をするというのが繰り返されている。
「まったく……お兄様はああしないと、話せなくなってしまったらしい。ただでさえ、彼らに分からない点を私やアルフが説明したりもするから、通常の倍以上の時間がかかってしまっている」
うわぁ……これは、大変なことになっちゃってる。
アルフリードは、イラつきを抑えられない皇女様とは違って、いつもの余裕のある、おおらかな感じでお2人のサポートをしている。
だけど、こんな状態がずっと続いたら、彼でも悩んじゃったりしないのかな……?
この状況がまさか、皇太子様との不仲につながる訳じゃないよね?
こんな時に彼の側にいて、話だけでも聞いてあげたいな……
だけど、私には姫が眠りから覚める前に用を済ませるってタイムリミットがあるし……
原作通りな展開になりそうな今、アルフリードとは距離を置かなくちゃって思ってるのだ。
私は一旦、考えるのをやめようと、頭を振った。
すると私の頭の中には、ある事が浮かんできた。
「皇女様は……王子様がナディクスに到着されたかご存じだったりするのでしょうか?」
「ん? うーむ、ナディクスとは連絡を付けるのに時間がかかるからな。まだ私の方には来ていない……」
先ほどまでイラついて、恐いオーラを放っていた皇女様だけど、綺麗な濃紺の瞳の力強さが少し弱まった感じがした。
私はヤエリゼ君から王子様が無事だと聞いたけど……お父様やお兄様は、私はそのことを知らないと思っているのだ。
もし皇女様に話して、私が国外の情報を知ってたとバレたら、また過保護に火がついて、お屋敷から出してもらえないかもしれない。
そうなったら、皇女様の女騎士になったのも全て水の泡だ。
皇女様を安心させたいのに、私は後ろ髪を引かれる思いでその場を離れ、女騎士・派遣事務所へと向かった。
事務所に行くと、こないだ案内されたテーブルの周りには若い女騎士さんが3名ほどいて雑談をしていた。
「すみません、所長さんはいらっしゃいますか?」
「いらっしゃいますよ! クロリラさーん!」
女騎士さんは元気よく叫ぶと、テーブルの上にあった、木製のボウルを私に差し出した。
「あなたもコレ食べる?」
そこには、見るからにパリパリに揚げられていて、薄ーくスライスされた、おイモらしき者たちの姿があった。
こ、こ、これは!
どこからどうみても、ポテトのチップスだ!!
前の世界では、ネット小説と同じくらい、日々の仕事のストレス発散を手助けしてくれた私の大好物。
帝国にイモがはびこる前から、この食材を使った料理は色々食べてたけど、こんなものが登場したのは初めてだったよ……
「じゃ、じゃあ、戴きます……」
だいぶ残り少なくなってるチップスの1枚を手でつまんで、パリッという軽い音をたてながら一口食べた。
うん! ちゃんと塩味がきいていて、想像を裏切らない味だ。
「あらエミリア様、確か試用期間は今日いっぱいではありませんでしたか?」
そこでクロリラさんが現れて、私は明日の見直し会が姫の滞在先になったことをお伝えした。
「分かりました。では、皇女様と一緒に明日の朝、伺いますね」
ふー、これで皇城でやる事は終わったわね。
それじゃあ、次はヘイゼル邸へ行って……
そう考えていた時だった。
グーッ……
「あら? エミリア様、お腹が空いてるみたいですね」
そうだった。もうお昼過ぎだっていうのに、今日は朝ごはんも食べてなかった。
私は持ってきてた、お母様にもらったおイモ料理”ニクジャガ”を木製テーブルに座ってる女騎士さん達に混じって、頂くことにした。
女騎士さん達は、色んな貴族家のご令嬢やご婦人の所に派遣されるから、残り少ないポテトのチップスをむさぼりながら、ありとあらゆる噂話に花を咲かせていた。
そんな『女騎士は見た』みたいな劇が出来てしまいそうな軽ーく聞き流せる話を小耳にはさみつつ、お袋の味を平らげた私は今度こそ、ヘイゼル邸へと向かったのだった。