71.彼らはいまだに過保護だった
エスニョーラ邸に到着すると、屋敷の前には見知らぬ馬車とウチの馬車の2台が止まっていた。
そしてウチの馬車から、絵を描く時に使うキャンパス立てを持った、ベレー帽を被った茶色いロングヘアの女性が出てきた。
これは明らかに…… 絵描きさんだろうか?
私はなんだか侵入者みたいに、その人がうちの執事さんに案内されてウチの中に通されるのに付いて行った。
すると、いつも舞踏会がある時にアルフリードが迎えに来て待っている玄関の所で、
「ご注文の品が遅れており申し訳ございません、若旦那様……!」
どこかで見たことある感じの男性が、昨日小さいメモを手渡してきたお兄様にペコペコと謝っている。
「どこのどいつだ? 先客を後回しにさせて仕立て屋を独占するのは」
プリプリしているお兄様の腕にはリカルド坊やが抱きかかえられていて、イリスがそわそわした様子で、2人のやり取りを見ている。
ふわぁ~! リカルド、可愛いなぁ。怒ってるパパにビックリしてるみたいで、まん丸の瞳を大きく見開いている。
そのほっぺたに触って癒されたいけど、そんな雰囲気ではなさそうだ……
「お取込み中失礼します。依頼を受けた絵描きの者ですが」
私の前にいた絵描きさんが、挨拶を始めた。
「あ! 肖像画の画家さんがいらっしゃいましたよ。衣装が間に合わなくなったのはもういいから、ウチにある服でお願いしましょう」
イリスがその場を何とかおさめて、肖像画の画家さんとラドルフ一家は私に気づくこともなく、屋敷の奥へと姿を消していった。
くっ……リカルドのほっぺ、触りたかったな。
しかし肖像画って、ヘイゼル邸にも山程あったあの肖像画のことだよね?
やっぱり大貴族なだけあって、跡取りであるリカルドが生まれたからには、ちゃんと絵に残しておくんだね。
お叱りから開放された仕立て屋さんは、ホッとした表情でお屋敷を後にした。
そしてその頃には、私はあの男性をどこで見たのか思い出していた。
昨日、帝都で姫のショッピングに付き添った時に、彼女が10着以上のドレスを頼んでた高級ブティックの店主さんだ。
おそらく、一国の王女からの仕事を何よりも最優先させてくれているに違いない。
お兄様みたいな被害者がたくさん出てきても不思議はなさそうだ……
これから、どうするかだけど……
ヤエリゼ君がどこにいるのかよく分からないので、私はとりあえず自室へ戻って、替えの下着を取ってくることにした。
今後の女騎士の労働条件によっては、自宅に戻れない日が続く可能性もある。
私はあるだけの下着を持って行くことにした。
前の世界でいう圧縮袋っていう便利なものは無いので、何とかギュウギュウに小さく押し込んでコンパクトサイズにした袋を持って屋敷の下に降りた時だった。
「お嬢様! やっとあの姫の所から抜け出せたんですね」
おっ! 前からやってきたのは、私が着ている騎士服の元の持ち主だけど、もうサイズがあわなくなってデッカくなった、ヤエリゼ君だ。
「門衛にお嬢様が戻ってきたら、知らせるように言っておいたんです。諜報部員たちの秘密基地で話しましょう」
前に行ったエスニョーラ騎士団の地下に向かうと、大きくて長いテーブルの一角でヤエリゼ君は話し出した。
「お嬢様から依頼を受けていた黒い騎士たちの正体についてですが、どうやらあの騎士たち、キャルン国で解雇された貴族家の騎士たちみたいなんですよ」
へぇ? ここでキャルン国の名前が出てくるなんて……
「どうして、キャルン国の騎士が帝国に?」
解雇されたのなら、キャルン国で働き口を探せば良さそうなものだけど……
「お嬢様、ご存じありませんか? キャルン国は数年前に、武力を国境警護や治安維持のため王立騎士団にだけ集中させて、貴族家の騎士団をすべて解散させたのですよ」
そうなの!? それじゃあ、騎士としての就職先は国内だと限られてしまうから、国外にも溢れてきちゃってるんだ……
「ただ、キャルン国は農地をバンバン広げていて、農業従事者の数が足りていませんから、そっちにキャリアチェンジする騎士がほとんどなんです」
そっかぁ、騎士さんなら体力もありそうだし、農業でも力を発揮できるのかもしれない。
だけど……
「騎士に憧れてなったりした人は、簡単にあきらめて農業人になるのは難しそうだよね…… そういう騎士の人達が私とアルフリードが見た黒騎士の正体ってこと?」
「ええ、おそらくは…… お嬢様、話は変わりますけど以前、旦那様が国外のことはうちの諜報部では分からないって仰ってたの、本当だと思いますか?」
ヤエリゼ君は急に渋った顔をし出した。
え? どういう事だろう?
なんで急にそんな話をしたんだろう。
今、話してくれたのは黒騎士がキャルン国から来たんじゃないかって内容。
だけど、お父様の言う通り国外の事が分からないんだったら、キャルン国のことは調べられないはずで矛盾している。
それってつまり……
「本当は…… 国外のことも分かるってこと!?」
気まずそうな顔をしつつも、ヤエリゼ君は一度、顔を縦にうなずいた。
「考えてもみてくださいよ。国外との戦に明け暮れて領土を拡大していった帝国で、100年以上もの間、地位を築いてきたエスニョーラ家の情報網が、国内しかない訳ありませんって。ちゃんとキャルン国にだって……ナディクス国にだって、繋がりは持ってるんです」
な…… なんですって!!
どうして、どうしてお父様は、そんな嘘を…… お兄様も知ってたはずなのに、教えてくれなかったし……
「実は、ナディクスの国王が毒を盛られるかもしれないっていう情報も、前から持ってたんですよ」
さらに、ヤエリゼ君はとんでも発言をしてきた。
じゃあ、もしかして半年前、王子様に何か起こりそうだったら教えて欲しいってお願いした時に、すぐさまお父様が”それは出来ない”って言ってきた時にはもう、毒が盛られそうな情報は把握してたんじゃ……!
「おそらく旦那様は…… ナディクスがそんな状態なので、お嬢様が危険に巻き込まれないようにと、情報から遠ざけようとなさったのだと思います」
そんな…… まだ軟禁していた時の原点である”過保護”スイッチが有効になってたなんて……
エスニョーラ家が独自の情報網を持ってるという秘密を暴露してきたのに、さらにその中でも情報を隠すという……
この世界に来た頃、よく分からない家族だなー、と思っていたけど、その印象がまた色濃くなってしまった。
「だけどヤエリゼ君は、そのことをバラしちゃって大丈夫なの?」
前みたいにウーリス団長だけでなく、お父様たちにも怒られちゃいそう。
「もう僕には着れませんけど、騎士服を見つけて頂いたり、ロージーさんとも会うことができたし、お嬢様には借りがありますので」
以前はふてくされた10代の少年感があった彼だけど、今は爽やか好青年という感じでハニカミながら笑っている。
では、さっそく……
「もしかして、諜報部に王子様が無事に到着してるっていう情報は入ってるかな……?」
恐る恐る、聞いてみる。
「はい、エルラルゴ王子はナディクス国に無事、到着済。現地から報告を受けていますよ」
良かった……良かったよ!! 王子様が無事でいれば、また皇女様を迎えにくるなんて展開があるかもしれないし。
「本当はお嬢様をお呼びしたのは、この情報をお知らせしたかったからなんですよ。黒い騎士の方は引き続き調査を進めます」
そうだったんだ。
皇城で会う機会が多いお兄様に伝言してもらわずに、わざわざ私を直接呼んだのは、そういう訳だったんだ。
「じゃあ、普通だと1ヶ月もかかっちゃうらしいけど、王子様に手紙を届けてもらうなんて事も出来たりするのかな?」
「はい、できますよ。現地スタッフがうまく王子にアクセスできれば、手紙やちょっとした荷物なんかも手配できると思います」
こうして、不可能かと思われた王子様との連絡手段を、私は手に入れることが出来たのだった。
これで、国外にいる彼に何かあれば察知もできるはず。
私はその場で王子様宛のお手紙を書いて、ヤエリゼ君に託したのだった。
「そうそう、お嬢様。今日時間があれば、ヘイゼル邸へ寄ってもらえませんか? ロージーさんが、お屋敷の肖像画が返ってきたので、どこに飾ったりするかお嬢様に確認したいって言ってました」
あ! ヘイゼル邸の主人のプライベートエリアの廊下にあった、祖先の肖像画たちだ。
あまりにも埃まみれで汚かったので修繕に出してたのが、戻ってきたんだ。
玄関先で、部屋から持ってきた下着が入った袋をフローリアの鞍に取り付けていると、
「エミリア! 帰ってたなら、言ってくれれば良かったのに~ これを持っていきなさい」
お屋敷から出てきたのは、お母様だった。
渡された手提げ袋の中を覗いてみると、そこには……
「昨日、皇城からキャルン産のおイモが大量に届いたのよ。旦那様が東の国で親しまれてる”ニクジャガ”ってお料理が野菜もお肉も一緒に取れて健康的だからってシェフに作らせたの。あなたも持って行ってお弁当代わりに食べなさい」
まさか、この世界でもおイモの定番料理を食すことになるとは、思わなかった。
過保護な変な家族だなーと思うけど、さすが本好きな文官一族なだけあって、物知りだ。
よし。次に向かうのは皇城だ。
皇女様にお会いして、帝都のスパリゾートに連行されたって事と、明日の労働条件の見直し会を何としても、強行して欲しいって事をお伝えせねばっ。
その後にはヘイゼル邸に行って、肖像画の配置決めだ。
姫が目覚めるタイムリミットまで、あと4時間半ほどだ。