59.ママ先生による身を護るための授業
春の暖かい日差しが差し込む、エスニョーラ邸。
初めてこのウチで産声を上げてから半年近くになったベイビーちゃんこと、私の甥っ子のリカルドは、クリクリっとした薄茶色の瞳を見開いて、時々、
「キャハー」
なんて楽しそうに叫びながら、揺りかごの中で私の指をニギニギしたりしている。
その横では、彼のママのイリスがすんごい勢いで腹筋運動をしていた。
ここは本館内にある騎士鍛錬のために作られたトレーニングルーム。
私の毎朝のルーティンである筋トレの時間に、最近は産後太り解消のために、イリスママも一緒にトレーニングに励む日々が続いていた。
「うーん、だいぶブヨブヨは気にならなくなって来ましたが、どうもスッキリしないんですよね……」
私からしてみたら、もう十分そうな運動量だと思うんだけど、やっぱり騎士学校でハードな訓練を積んできた者にとっては物足りなさを感じてしまうらしい。
何かいい方法ないかな?
私も一緒に考えてみると……そうだ、以前、彼女に関するとある情報をゲットしてたのを思い出した。
その日の午後のこと。
「うりゃーー!!」
皇城のプライベート庭園にて。
気合いの入った掛け声とともに宙を舞ったのは、アルフリードの体。
ドシャッ という無慈悲な音を立てて、彼の体は地面に叩きつけられた。
「おお! これは見事な背負い投げだ。私にもやり方を教えてくれ」
痛そうに腰を抑えて起き上がりながら、顔を歪ませているアルフリードの事など全く眼中になしといった感じで、皇女様は身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと待て! あんなの何回もやられたら身がもたないから! 練習相手を他にも連れてくるから休憩しててくれ」
起き上がったアルフリードに向かって、皇女様が掴みかかろうとすると、彼は慌ててその場を逃げるように立ち去って行った……
「ふあっ ふあっ キャハ!」
私達よりちょっと離れた所には、女騎士の人達が3名くらいいて、時々、何かを言ってるリカルド坊やを抱いたりあやしたりしている。
そして……アルフリードを投げ飛ばした張本人のイリスは、闘志に燃えたような気迫に満ちた表情をして、構えのポーズを取ったまま静止していた。
1年半くらい本格的な訓練から遠ざかっていたからか、いつもはホワンホワンしてる雰囲気のイリスだが、戦士モードから抜け出せなくなってるようだった。
今朝、私が思い出したのはエスニョーラ騎士団の騎士の人達から以前聞いた、イリスの特技が護身術だってこと。
それを聞いたガーデンウェディングの頃はまだ彼女のお腹にはリカルドがいたので、どう考えても教えてもらうことは出来なかったけど、今だったらいいかな、と思って皇女様の所に連れてきたのだった。
今まで武器を使った訓練はやっていたけど、武器を使わない格闘系のことはやった事がなかった。
という訳で、皇女様もそれはいい! と大賛成で、すぐそこにいたアルフリードを相手に実演が始まったんだけど……
「自分で手加減しなくていいと言っていたというのに……案外ヤツもひ弱なのだな」
皇女様が言うように、アルフリードの方がイリスより背も高いし、前に帝都のスパで目撃してしまった彼の上半身は鍛え抜かれた感じの筋肉で覆われて、全然ヤワじゃなさそうだった。
そんな彼を怯ませるくらいなんだから、イリスも最強の講師陣の仲間入りってことになっちゃうのかも。
そして、そんな人達に囲まれてる私は、なんだか恵まれすぎてしまっていて、いいんだろうか……と思ってしまうけど、皆さんからの教えを無駄にしないように、もっともっと頑張らなくちゃって思った。
ちなみに、リカルドをあやしてくれてるのは、皇城内にある女騎士の派遣事務所にたまたま来てたイリスの友人の女騎士さん達だ。
貴族のご婦人方をお守りする女騎士さんは皆、この事務所を通して各貴族家に派遣される仕組みになってる。
この事務所は、女騎士さんの労働条件の改善のために一昨年くらい前に作られたんだけど、妊娠前はイリスもここで事務関係のお仕事をやったり、もちろん女騎士としても所属してた。
そして、私ももし皇女様の女騎士になれたら、ここへも登録することになるんだと思う。
「いいですか、お嬢様、体格が小さいからと言って不利になる訳ではないんです。相手の力を利用して受け流したり、反動を使ってダメージを与えたり、相手の動きを瞬時に見極めるんです」
皇女様とともに、イリスから型の作り方や、動作の確認なんかを教えてもらっていると、アルフリードが皇族騎士団の騎士さんを何人か連れて戻ってきた。
「はい! では順番に行きますよ!!」
騎士さん達が前からだったり、後ろからだったり色んなパターンで順番に襲ってくと、イリスはそれに合わせて投げ飛ばしたり、腕を捻ったり、蹴り飛ばしたり、羽交締めにして首を絞めたり、あらゆる護身術を披露し始めた。
「はあー、スッキリした!」
イリスは満足した様子で、両腕を上げて伸びをした。
気迫のある表情は消えていて、戦士モードも抜け出したみたい。
ちょっと動きが早すぎてよく分からないのもあったけど、騎士の中でも選りすぐりのエリートの皇族騎士さん達は1人残らず、その場に倒れ込んでしまっていた……
その様子を目の前で見させてもらって、私と皇女様は惜しみない拍手を送っていたけど、遠巻きに見ていたアルフリードの顔は真っ青になっていた。
けっこう型の数が多いので今日は全部はできなかったけど、主要なものをイリスは私と皇女様、そしてアルフリード、ここに招集された皇族騎士さんも一緒になって教えてもらった。
「イリス殿は頻繁に皇城に上がる事はできないであろうが、エミリアは同居しているから、教えてもらえる事だろう。覚えた技が増えたら、私にも伝授してくれ」
これまでだったら、皇女様に教えて頂くばかりだったのに……まさか、私の方から皇女様へお教えする機会が出来るなんて!
よしっ、皇女様のレベルアップにも、イリスのスッキリ解消にも貢献できるし、護身術マスターという騎士の鍛錬における目標がここに来て新たに追加されたのだった。
リカルド坊やは人見知りしない子みたいで、ご機嫌な様子で女騎士さんの腕に抱かれている所から、イリスの腕の中へと渡された。
さっきまで戦士の顔だったのが嘘みたいにママさんの表情に戻った彼女が、こんな事を言ってきた。
「あ、あのぉ……もしよかったら、お嬢様がどれくらいお強くなったか、訓練の様子を少し見て行っても構わないでしょうか?」
ちょっと離れたところで庭園に置いてある椅子に腰掛けてるイリスと女騎士さん達が見守ってる中で、私と皇女様は剣を打ち合った。
皇女様が突きを繰り出すと、それを私は体をクルリと半転して避けて剣を両手持ちして、下から薙ぎ払う。
その剣の根元から先に向かって、皇女様は持っている剣の刃を勢いよく滑らせた。
私は持っている剣ごと上の方に飛んでしまいそうになったけど、そのまま宙返りをして着地して体勢を整えると、また皇女様に向かって走って剣を振りかぶった。
週に何回も皇女様と手合わせするようになって、お互いに傷つかないギリギリの線が分かるようになっていた。
こうして息が切れたところで、タイミングよく皇城の使用人さんがレモネードを持ってきてくれていて、剣を鞘に収めていると、
「お嬢様、本当にお強くなられました! 剣の持ち方をお教えてしていた頃が懐かしいです。この腕前なら、騎士学校を卒業できるレベルですよ!」
スヤスヤと眠っているリカルドを抱いたイリスがやってきて、嬉しそうにそう言った。
周りにいるカッコいい女騎士さん達も、強くうなづいている。
剣に関してではあるけど、本物の騎士さん達のお墨付きを頂けたって事なんだろうか?
もうジョナスン皇太子様が帰還するまで、ひと月あまりとなっていた。
エルラルゴ王子様に何事もなく、皇女様とナディクスへ帰ったら、あんまり意味は無いかもだけど……
それでも、これまでずっと頑張ってきた鍛錬の成果が認められたら、すっごく嬉しいし、報われた気分。
少しの期間だけでもいいから、皇女様の女騎士。
なれたらいいなぁ。
女騎士の派遣事務所の設立についてはイリスが主人公のサイドストーリーに詳しく載ってます。
※ここの下部(広告の下)に作品リンクを貼ってあります。