44.そんな未来
婚約披露会に次の舞踏会と、2回も連続して倒れ込んだ私をアルフリードは抱えて、今度こそは馬車でエスニョーラ邸に連れ帰ったらしい。
次の日の朝、目覚めると昨日の出来事は夢なんじゃないかというくらい、気分はいつもと変わらなかった。
皇城へ行く準備をしていると、お母様が現れて、
「エミリア、今日は皇城へは行かなくていいそうよ。昨日、婚約者殿がゆっくりするようにって、おっしゃってたわ」
と言ったので、今日は1日お休みになった。
そして、急に舞踏会が入ったことですっかり忘れていたんだけど、王子様のワークショップで作ったアエモギの花びらの香水。
これをついにヘイゼル邸で借りた部屋着に、借りた時と同じようにこの香りで包み込むようにする作業に取り掛かることにした。
タンスの中から、綺麗にたたんだ薄ピンク色の部屋着を出して、小指の先くらいの透明な小瓶の中身を垂らそうとしたんだけど……
なんだかなぁ、すごくもったいないような気がして、あともう少しで雫が垂れる、という所で傾けてた瓶を元に戻してしまった。
前の世界でも、スプレーで霧状にして使うものって感じだったけど、原液のまま服にかけるって、しなくね?
つけた部分だけ異様に匂いが強くなって、返って臭くなっちゃいそうだし……
そういえば、王子様からワークショップでやった内容をまとめてくれた資料をもらったのを思い出して、それを読んでみた。
あ! 香水の使い方とか、保存方法が載ってる。
その中に溶かしたキャンドルに香水を練り込んで、ちょっと厚めの本のしおりみたいになるように型に入れて固めると、芳香剤として使えるっていう方法があった。
これなら、部屋着と一緒に置いておけば自然な感じで、香りが服に移ってくれそう。
必要な量は数滴でよくて、香りは数ヶ月くらい持つらしい。
1年後にアエモギの花をたくさん育てて収穫する予定だから、それまでには香りは消えてしまうかもだけど、次回こそは他の参加者が作ってたくらいの量は絶対に作ってやるし。
そしてこの日は、芳香剤づくりに勤しんだ。
次の日、前にアルフリードが帝都の観光ツアーに連れて行ってくれた時に買ったカバンに、芳香剤と部屋着を入れた袋をしまって、迎えにきたアルフリードの馬車に乗った。
「おとといは……本当にごめんよ。どうか、舞踏会恐怖症になんて、ならないで」
原作でのミゼット嬢の顛末を知ってるかのごとく、そんなことを言うアルフリードに思わず顔が引きつってしまう。
「もうその話は終わりにして、アルフリード。お友達もできたので、また行きましょう」
とりあえず、そう答えておいた。
アルフリードはホッとした表情を浮かべて、話を続けた。
「この間、リューセリンヌで採ってきた花達なんだけど、どういう配置で植えるか決めないといけないから、今日は早めに引き上げてうちに寄ってもらってもいいかな?」
あ、それならヘイゼル邸に行ったついでに、持ってきた部屋着も渡せば良さそうね。
そして、皇城に到着して午前が過ぎ、お昼が過ぎ、午後のティータイムの時間が始まる頃。
私とアルフリードがヘイゼル邸に到着すると、この日は自宅でお仕事をしていたらしい公爵様が出迎えて下さった。
神聖力に満ちたアルフリードの手を握って、邸宅に入ろうとした時、
「アルフリード様、急ぎの要件が入りました! すぐ皇城へお戻りください!」
馬に乗った使いの人が現れて、アルフリードが詳しく話を聞くと、
「どうやら今やってる仕事でトラブルがあったみたいだ。申し訳ないんだけど、父上に案内してもらってくれるかな」
そう言って、アルフリードは慌ててまた皇城へと戻って行ってしまった。
振り返ってヘイゼル邸を見てみると、どんよりとした曇り空によく合う、色彩を一切失った、おどろおどろしい外観。
「エミリア嬢、息子から話は聞いているよ。庭の方へ行くから一緒に来なさい」
公爵様はそう言って、私が行くのを待って下さってるけど。
このお屋敷へ入る勇気を与えてくれる、アルフリードがいなくなってしまって、完全に私の勇気は萎えていた。
でも、公爵様をお待たせする訳にはいかない……
頑張って一歩一歩を踏みしめて、玄関の前あたりまで足を進めると、ちょっといつもと違っているような感じがした。
お屋敷そのものはいつもと一緒なんだけど、周りの荒れ放題になっていた植え込みや地面が……
すっごく綺麗になってる!!
落ち葉ひとつなく、植木はきちんと刈り込まれている。
「こ、公爵様。お庭がとてもスッキリした感じがいたしますね」
露骨に汚かったのが綺麗になったなんて言ったら、公爵様がショックを受けてしまうので、控えめに言ってみる。
「ああ、庭まわりについては、陛下が皇城の植木職人たちを派遣されて、先日いっぺんに刈り取って行ってしまったよ」
な、なんと! 陛下さすがすぎます!! 仕事がお早い!!
すごい、綺麗にした所は逆に力をもらえそうなくらい、サンサンと輝いている。
ここだったら、アルフリードのお母様のお庭と同じように、1人でも歩けるかも。
もしかして……
「ここのお庭は、大舞踏室の前のお庭につながっていたりするでしょうか……?」
私は微かな期待を込めて、公爵様に質問をした。
「おお、そういえば。細い道ではあるが、私が小さかった頃はよく探検などといって、ここら辺から中庭へ行っていたから、おそらく行けるであろう」
お! いいね、いいね。
そうして、幼い頃の公爵様の秘密の抜け道を教えてもらって、私は無事に中庭へ辿り着くことができた。
抜け道は、複雑ではなくてほぼ一本道だったし、皇城の植木職人さんの素晴らしい技術で完璧に整えられていたので、薄暗かったり、怖いという感じは全くなかった。
「うちのガーデナーを連れて来るから少し待ってなさい」
中庭で私を待っていた公爵様がそう言って行こうとする所を、私は引き止めて持ってきた袋を手渡した。
「初めてこちらに来た際にお借りしていた物なので、お返しいたします」
公爵様が袋から部屋着を取り出すと、香水で作った芳香剤のふわっとした、いい香りが辺りに漂った。
すると、公爵様は固まったように、しばらくの間動かないでいた。
「これは……クロウディアの香りではないか」
クロウディア様は、アルフリードのお母様、そして公爵様の亡くなってしまった奥様の名前だった。
「はい、先日ルランシア様に原料となるアエモギの花が咲いている場所を教えて頂いて、採ってきた花びらから作りました」
公爵様は、部屋着の上に乗っかっている、本のしおりみたいなキャンドルでできた芳香剤にそっと手を載せた。
「では、あの場所にも行ったという訳だな」
あの場所……というとリューセリンヌがあった土地のことかな?
「私がクロウディアを初めて見たのは、この中庭とそっくりだったあの場所だった」
こことそっくりだったというのは……あの、花がたくさん咲き乱れていて、たくさん花を摘んだ秘密の花園のことに違いない!
あそこは、公爵様と奥様の思い出の場所なの?
公爵様は大切そうに、芳香剤が乗っかったまま部屋着を袋の中へ戻して、私に手渡した。
「私は……その時に彼女に心を奪われてしまったのだよ。しかし、その事をついぞ、本人に伝えることはできなかった」
公爵様は私に手渡した袋を掴んだまま、目に涙を浮かべていた。
「伝えることができないまま、幸せにすることができないままクロウディアは……早くに逝ってしまった」
私の目にも涙が溢れてきた。
「息子には……こんな想いはさせたくない。我々貴族には難しいことだが、本当に愛し合える者と人生を歩んでもらいたいのだ」
公爵様の片頬に一筋の涙が流れた。
「エミリア嬢。これは私の身勝手な願望だが、それが、そなたであったらと思う。アルフリードは心底そなたを好いているからな」
公爵様……
皇女様からもアルフリードを頼む、と言われたことがあったけれど、私が考えていることは、彼らを裏切ることになってしまうんだろうか……
私がアルフリードとの婚約を解消して、皇女様を救えば、彼は彼女の幻影を追うことなく幸せになれる。
原作を知っている私はそれを確信しているのに、心が痛んで、とてつもなくツラい。
ただ、ジョナスン皇太子様が1年半後に帰って来るまでに王子様に何事もなければ、皇女様はバランティア帝国を去って原作とは違う未来が待っているはず。
そうすれば、私がアルフリードと婚約を解消しない未来、公爵様を安心させられる未来、そして……私がアルフリードを愛する未来?
もしかしたら、そんな未来が訪れることがあるのかもしれない……