41.初ワークショップ
一軒家のアトリエを思わせるこの離れは、一般市民も申し込みをすれば貸切させてもらうことができて、ホームパーティー的なものや泊まり込みの催しなんかも開くことができるという。
王子様もよくこの離れを使ってワークショップを開催すると言っていた。
お母様とイリスは私のように何を作るか具体的なものはなくて、当日、王子様と相談しながら決めるそうだ。
「さあ、いらっしゃい。あそこの大きい丸いテーブルの好きな席に掛けて」
中に入ると、王子様自らが出迎えてくれた。
いつも垂らしているサラサラの金髪は、作業をするのに邪魔になるからなのか、後ろで一つに結わかれていた。
普通のお宅のようなアットホームな雰囲気の中、12人前後が囲めそうな丸テーブルに3人で腰掛けてると、徐々に他の貴婦人達が集まってきた。
年齢層は高めみたいで、私やイリスと同じ年くらいの人はいない。
それはいいんだけど、私はちょっと焦りを感じ始めていた。
開け放たれたままになっている玄関から、突如ブワッとバラの匂いらしき物凄い香りが部屋中に広がった。
見ると、ピンク色のバラの花びらが詰め込まれた、人がやっと持ち上げられそうな木箱を抱えた使用人を引き連れた貴婦人が入ってきた。
しかもその木箱は1つだけでなく、7、8個くらいはあって、使用人の人が何往復も馬車と離れの間をえっこらせと動いていた。
いや、まさか……そんな大量に作るのかな?
私はけっこう大きめなカゴにいっぱい入るくらいのアエモギの花びらしか持ってきてないんだけど……
しかし、その後から今度はスイセンのすごい香りがしてきて、やっぱり見ると、でっかい樽にいっぱい入った白いスイセンを使用人2人掛かりで運ばせて、それを5個くらい往復して持ち込ませていた。
さらに何人かの他の貴婦人も、すごい量の花びらを引き連れていて……
「王子様……香水作りって、あれくらいの量がないとダメなんですか?」
この前、皇女様の執務室に持ってきてくれたバスケットに入った香水サンプルをテーブルに並べている王子様に、私は思わず尋ねていた。
「あれ、言ってなかったけ? 持ち込みしたい場合は、できる限り沢山持ってきてもらわないと大した量ができないからね」
ええーー! なんで言ってくれなかったの……
教えてもらったのは、材料と煮出す用の鍋とフタを持ってきて、だけだったのに。
他の人達の様子を見ていたら、私が持ってきたのじゃ雀の涙ほども作れないような気しかしないんですけど……
メンバーが集まると、材料持参グループと、これから何作るか決めるグループに分けられた。
「まだ決まってない人は、ここのサンプルから作りたいのを選んでくださーい。材料持参グループの人は、外で作業するので移動してくださーい」
言われた通りに離れの庭に移動してみたものの、そこには整備された芝が広がっているだけで、何もない。
「今日は皆さん花びらを持参してくれているので、まずそれを煮出すところから始めます。釜戸を作って火を起こすので、焚き木と石を集めてきてください」
……はぁ?
すると、これまでにも何回か参加したことがあるっぽい他の貴婦人の方々が、慣れた感じで、その辺に落ちてる石とか、少し離れた所にある林の中へ入って枝を拾って、家から持ってきた作業用の手押し車なんかにポイポイと入れていった。
え、香水作りってそんなに原始的な所から始めるものなの?
「エミリアちゃん、素手で運んでるんじゃ時間が無くなっちゃうから、皇城の備品係の所へ行って手押し車を借りておいで」
思った以上のセルフ方式にさらなる焦りを感じつつ、王子様から言われて離れから20分くらい往復して手押し車を借りて戻ってくると、すでに釜戸を作り出している人がチラホラいた。
みんな、腕まくりをして額に流れる汗を拭いながら、顔を煤だらけにして、吹子で火を起こしている。
バランティア帝国の貴婦人ってこんなにワイルドなん?
ふと、離れの窓の方に目をやると、これから何作るか決めるグループになったお母様とイリスが楽しそうに、何の苦労もなさそうに液体を混ぜ合わせて作業しているのが見えた。
あっちのグループは、こっちに来なくていいんかい?
グループ間での作業内容の格差にモヤモヤしながら、枝を並べて他の人がやってるように石をカチカチぶつけて火を起こそうとするが、火花すら飛び散らない。
「エスニョーラの隠された令嬢じゃ、火を打つ事もしたことないでしょうから、これを使いなさい」
特に自己紹介した訳でもないのに、既に私の事を知ってる奥様方が親切にも自分たちの釜戸で燃え盛ってる火を持ってきて、私の焚き木に移してくれた。
私も顔を煤だらけにして、汗まみれで火を大きくしようとしたけど、結局また他の奥様方に手取り足取りやり方を教えてもらって、安定して火が燃えるようになった。
そして、拾ってきた石で足場を作ってやっと、水を入れた鍋を火にかけて、花びらを入れる段階まで進むことができた。
その頃には、もう作業が落ち着いてる他の奥様方が私の周りを取り囲んで、腕組みして心配そうに私の様子を見ていた。
「初めてにしたら上出来、上出来。分からないことがあったら、ちゃんと周りの人に聞くんだよ」
すごい、他のワークショップはどうなのか分からないけど、香水作りの参加メンバーは貴婦人の上品なイメージを覆す、イタリアのママン的な懐の深さを感じさせる頼りがいのある人々のようだった。
花びらを入れた鍋はフタをして、花びらのエキスが染み込んだ蒸留水がフタの内側の中央から滴り落ちるのを溜めておけるように、鍋の真ん中に縦長のツボを置いておく。
後で、その溜まった蒸留水の上澄みに油が取れるのだけど、それが“香水”になるのだと。
ーーそして、数時間後
「それじゃあ、皆さん。今日できた作品を見せ合いっこしてくださーい」
予想はしてたけどやっぱり……部屋の中に戻った全員が丸テーブルに座っていると、皆、目の前の可愛い小瓶には50mlくらいは香水が入っているのに、私のはもう数滴しか取れなかったから、何も入ってないようにしか見えない小指の先くらいのコルク栓のついた透明の瓶だけが前に置かれていた。
「香水作りって簡単なんですねー、精油とアルコールだけでできちゃうんですね」
「これだったらお家でもすぐ出来るから、新しい趣味にしようかしら」
そんな事を話しているイリスとお母様の前には100mlくらいの小瓶が置かれている。
くっそー、なんか悔しい。
前々から準備してた私は、これっぽちしか出来なかったのに、何にも準備してなかった方がいっぱい出来たなんて……
ちなみにイリスは柑橘系の香りで、お母様はラベンダーとゼラニウムの精油をブレンドしたものを作っていた。
「まあ、珍しい香りね。大切に使わないとね」
「作り方が分かったんだから、またたくさんお花を育てて作ればいいじゃない」
出来たものを、今日のメンバーで回していると、イタリアのママン的な奥方達がお優しい言葉を掛けてくれた。
ルランシア様の話では、アエモギの花が咲くのは1年に1度だけ。
来年はたくさん収穫できるように、アルフリードのお母様の庭でたくさん、たくさん増やさないと。
でも今日できた分でやっと、貸してもらってた部屋着に香りを移して、ようやく返却することもできそう。帰ったら早速やってみよう。