39.遠乗り
『皆様、大変ご無沙汰しております。キャルン国立大学での楽しい日々も残すところ僅かとなりました』
皇太子様からの手紙は1文字1文字が綺麗で丁寧に書かれていた。
書き出しからは、もうすぐに帰ってくるようなニュアンスがヒシヒシと伝わってくる。
つまり、王子様の身に何かが起こる可能性がある日も近いという事になる。
私は手に汗を握りながら、文面の先に目を走らせた。
『キャルン国は皆様ご存知の通り、自然豊かで農業が盛んな国です。
最近では、私が初めてこの地へ来た時よりも様々な種類の農作物が、帝国へも輸出されるようになりましたね』
へー、キャルン国は農業大国なんだ。
王子様と皇太子様とキャルン国のリリーナ姫は、3国の貿易を活発にするために人質に出された訳だから、それが無になっていないようで良かった。
『実は、私とフィアンセのエリーナも首都から2時間の所に土地を買って、数年前から畑を育てに通っていました。先日収穫できた作物をこの手紙と一緒に送るので、皆様でぜひご賞味ください。しかしながら、それに熱中するあまり大変な事態に陥ってしまいました』
皇太子様はロハスな生活がお好きらしい。イメージ的にすごくのんびりした人そう。
でも大変な事態って……!?
『畑仕事のスケジュールを多めに入れてしまっていたため、卒業に必要な大学の単位数が満たないことが発覚しました。全ての履修を終えるには、あと1年半かかってしまいます』
ん……? この流れはもしかして、まだ帰ってきたくないんじゃ……
『1年半後のこの手紙を出した日付の日に必ず帝国に戻ることをお約束します。
どうか、私の身勝手をお許しください。
ジョナスン・バランティア
帝国暦210年10月6日』
1年半……1年半か。けっこう時間はあるわね。
計算すると……帝国暦212年4月6日が皇太子様の帰還日ということになるみたい。
それだけあれば公爵邸も少しは綺麗にできそうだし、私もだいぶ強くなって皇女様の女騎士に抜擢してもらえるくらいにはなってるかな?
「まったくお兄様は……本当だとしたら抜けすぎてるとしか思えぬが、また1年半したら延期と書いてよこすんじゃなかろうか」
皇女様は手紙を封筒に戻して、自分の執務机の上に置いた。
「陛下はなんと?」
アルフリードは曇った顔をして尋ねた。
「陛下はもともとお兄様には甘いからな。大学卒業は大事だからと、何の文句もないようで、すぐに返事をしたため始めたよ」
王子様はソファに腰を降ろして、人差し指を自分の顎につけて考えているような仕草をしている。
「まあ、何の知らせもないよりは帰ってくる目処が一応は分かって良かったんじゃない? 私もナディクスに予定を送っておくよ」
皇太子様の帰還する予定が分かったところで、あんまり今までと状況は変わらなかったものの、次の日の朝、私は騎士の鍛錬で最近取り入れられた乗馬レッスンで着る格好を身につけて自宅の玄関前をウロウロしていた。
パカラッパカラッ という音がして門の方を見ると、ガンブレッドに跨ったアルフリードがやってきた。
「お待たせ。叔母上を迎えに行ったら、リューセリンヌのあった所へまず行こう」
彼は愛馬のガンブレッドに跨ったまま、私の方に手を差し伸べた。
この日は、香水の原料であるアエモギという花を探しに行くのと、アルフリードが連れて行きたいと言っていた場所へ遠乗りすることになった。
まだ乗馬は始めたばかりで1人で馬を乗りこなすことは出来なかった。
この格好をすることになったのは、アルフリードと一緒に乗るとはいえ、動きやすいし、乗りやすいだろうという彼のアドバイスからだった。
邸宅を出発すると、この前行った帝都のシックな雰囲気のホテルでスカート姿にツバの広い帽子を被り、颯爽と馬に跨っているルランシア様と合流した。
馬の両サイドには大きな旅行鞄が取り付けられていた。
「ルランシア様、ここを離れたらどこへ行くんですか?」
リューセリンヌのあった場所は東の方の国境付近だった。
帝都から少し離れた雄大な草原地帯を駆けながら、ルランシア様へ尋ねてみた。
「今度はキャルン国へ行こうと思ってるのよ」
おお! 昨日の皇太子様からの手紙といい、タイムリー!
そして、3時間ほどして少し山道を通ったりし、リューセリンヌの元土地に到着した。
初めての遠乗りだったけど、お尻もそんなに痛くないし、乗馬服を着てきて良かった。
アルフリードはもちろんだけど、ルランシア様も旅慣れているせいか、全く疲れている様子はなかった。
森の木陰にガンブレッド達を繋いで、ルランシア様を先頭に森の中を少し歩いた。
すると、拓けた所に薄い土色をした石が積み重なって出来た、お城が現れた。
皇城やヘイゼル邸ほど巨大ではないが、エスニョーラ邸の私や家族が住んでいる本館よりは大きそう。
「あれはリューセリンヌの王城だった場所よ。今は、国境警備の拠点として、ここを統治している領主の騎士団が占領しているの」
ルランシア様はここがかつてご自身が育った場所だとは思えないほど、まるで観光ガイドさんのように飄々と説明して下さった。
お城の中央の上の方にある見張り塔には、帝国の国旗と、恐らくこの地の現領主のものと思われる、盾にヘビか龍のようなものが巻き付いた家紋が描かれた旗が掲げられていた。
「さあ、アエモギが生えてるエリアは確かこっちの方よ」
森の木々をかき分けて行くと、一瞬、アルフリードの背中越しにヘイゼル邸の中庭を初めて見た時みたいな感覚に見舞われた。
鬱蒼とした森の中から、明るい日差しが柔く注いだ緑と、様々な色をした花が咲き乱れる秘密の花園みたいな場所が現れた。
「すごいわ〜 昔と変わらないわね」
ルランシア様は躍り出るように中へ小走りした。
私とアルフリードは並んで、歩いてその花園の中へ入って行った。
立ったりしゃがみこんだりして、花のある所を覗いて回っているルランシア様が突然、
「あー! あったわ!!」
オレンジ色のハイビスカスくらいの大きさの花が、地面の草の中から沢山、顔を出している場所で立ち止まって叫んだ。
私も駆け出して、その場所に行ってしゃがみこんでみる。
あ!! この香り……
初めてアルフリードに会った日に、彼の家で着せてもらった服から仄かに漂っていた香り。
それと一緒だ!
「ルランシア様、ありがとうございます!!」
私とアルフリードとルランシア様は3人で、アエモギの花の他にも、そこに生えている花を根から掘り出して袋に摘んでいった。
もしかしたらアエモギの他にも、アルフリードのお母様が育てていたこの地の植物が消えてしまっているかもしれないから、帰ったら植え直すのだ。
「それじゃあ、2人とも。絵はがきを送るから、仲良くね〜」
キャルン国への道のりと、私とアルフリードが行く場所の分岐点である村に着くと、ルランシア様は旅立っていった。
次に会えるのはいつなんだろう。
初めてエスニョーラ邸の外の世界に踏み込んだ時に、皇女様と王子様、そしてアルフリードに引き合わせてくれたお方。
どうぞお元気で……