36.皇城での日常再開
ルランシア様もお母様も超マイペースなので、一体いつお茶会があるのか定かでないまま、次の週となり無事に皇女様と王子様は旅行から帰ってきた。
1週間ぶりの皇城は別段、変わったこともなく、抜け道を使って入った執務室に入ると、皇女様はキリッとしたお顔をされて机に積まれた大量の書類を眺めていた。
王子様は、初めてこの執務室を訪れた時にプレゼントの箱の山で溢れさせていたソファに座って、ちょっと気難しい顔をして手帳を見ていた。
あの日あったお茶会というのは、ファンクラブ主催による“エル様お帰りなさい会”というイベントだったらしい。
こないだもらったパンフレットの『最近の活動報告』の欄に少女漫画風の王子様のイラストと共に詳細が載っていた。
「これから忙しくなりそうだな。スケジュールがびっちり入っちゃってる。ゆっくりできたこの1ヶ月とも、おさらばだね」
人気のワークショップのことを言っているみたい。
もし王子様がいなくなってしまったら、悲しむのは皇女様とアルフリードだけじゃない。
ファンクラブの女の子たちに、お母様みたいに入会していない貴族女性たちもきっと悲しむ、というか発狂しだす人も出てきそう。
彼のこともなんとかして守ってあげたいけど、皇女様と違って、いつ、どんな事が起こるか分からないのが、本当にツラい。
「後で時間が取れたら修行の続きをやるから、それまでは帝国関連の勉強をしていなさい」
皇女様はそう言って、難しそうなことが書いてある書類にサインしたりしていた。
ここに来てから婚約披露会までの3週間、ともかく人前に出ても恥ずかしくないレベルになるようにと毎日勉強と時々、騎士の鍛錬の日々だったけど、立派な帝国人になるための知識習得には、まだまだ全然至ってなかった。
お兄様からは、四半期に一度見直している時期がきたとかで最新版の貴族史の問題集をもらったので、またそれも覚え直さないといけない。
皆それぞれやることに集中して、執務室がシーンとなってると、アルフリードは誰かから呼び出しを受けてどこかへ行ってしまった。
ちょっと彼がいると聞きづらい事で確認したいことがあったから、今のうちに聞いてしまおう。
「王子様。今度、お母様と私のお兄様の婚約者と一緒に香水作りのワークショップに参加するので、よろしくお願いします」
王子様は顔をあげて、久々にみる輝くニッコリ笑みをこちらに向けた。
「もちろんだよ。もし作りたいものがあったら、材料の持ち込みもしてもらって構わないからね」
「ええっと、実は作りたいものは決まっているんですけど、何の香りか分からなくて……」
アルフリードの屋敷から借りている部屋着に付いていたのに洗ったら取れてしまった香水のことだ。
「じゃあ、サンプルを持ってくるから、その中から探してごらん」
王子様は皇城内にある自分の部屋に行って、小さい小瓶がぎっしり詰まったバスケットを持ってきてくれた。
やっぱり、その中には同じものはなかったけど、似たような香りのものならいくつかあった。
「これに似ているんですけど、もっと爽やかな感じだったような……」
王子様は私が持ってきた香りを嗅いで、少し眉間にシワを寄せると、皇女様の方へそれを持っていった。
皇女様もその香りを嗅ぐと、2人は顔を見合わせた。
「私たちも生前はあまりお会いしたことはなかったが、おそらくそれはアルフの母上が好んで使っていた香りではないか?」
そうか! お二人は彼と幼馴染だから、彼のお母様にも会ったことがあるんだ。
考えてみれば、アルフリードと公爵様しか住んでいないあのお宅に、女性ものの服があるというのは、そこに住んでいたお母様のものと考えるのが自然よね。
「エミリア嬢も兄上の問題集で知っているとは思うが、アルフの母君は我らが帝国に吸収されたリューセリンヌ王国の姫だった」
ええーっと……なんだか突拍子もない人物背景が飛び出してきたのですが、そう。
アルフリードのお母様、クロウディア・ヘイゼル様はもともと、帝国に隣接するとても歴史ある小国の王族だった。
度重なる天災で財政難に陥り、帝国が援助をしようとしたところ、プライドの高さから逆に軋轢を生んで衝突が起こり、帝国に吸収されてしまったのだ。
王族は解体されて、クロウディア様は保護の名目でアルフリードのお父様と政略結婚したのだと、お兄様の本には書かれていた。
だから、妹のルランシア様も、婚約披露会に訪れていた親類の人たちも、みんなリューセリンヌの元王族の人々だけれど、爵位を与えられて帝国に帰属している。
ちなみに、戦を引き起こしたクロウディア様とルランシア様の父・国王は戦死されている……
この辺のことをルランシア様たちがどう思っているのかは分からないけど、この間お会いした感じだと、こんな重くて暗い背景を背負っている人にはとても思えなかった。
「おそらく、アルフリードの母君がつけていたのは、リューセリンヌが滅ぶ前に作られた品を持ち込んで使っていたんじゃないかな。私も特徴的な香りだったから覚えているけど、同じものとこれまで出会ったことはないよ」
なるほど。もう作られていないから、香水屋さんにも、王子様のサンプルにもなかった訳だ。
「それなら、リューセリンヌ原産の植物で作られているんじゃないか? ヤツの母上は公爵邸で祖国の植物を育ててたと思ったから、もしかしたらその中にあるかもしれないな」
皇女様が鋭いご意見を提供してくれた。
「お前たちのパーティーでは信じられない変貌を遂げていはいたが、何でもない日にわざわざあの屋敷に足を踏み込むのは、いい気はしないが……」
怖いものが何もなさそうな皇女様でさえも、彼の呪いがかかってそうな邸宅に向かうのは躊躇されるのね……
「私このあいだ、彼のお屋敷に行ってその庭も見てきました! だから、また行ってみます」
私がそう言うと、衝撃を受けたように王子様と皇女様は再び顔を見合わせた。
「やっぱり、ソフィの女騎士になりたいと宣言するだけあって、君は只者ではないね。私も君たちの晴れの舞台でなかったら、わざわざあんな所に……」
アルフリードの屋敷のことを好き放題に言い始めた王子様と皇女様を見て、私は1人で抱えていた計画の協力者をもっと集めた方がいいんじゃないかと思い始めた。
気心の知れた皇女様と王子様ですら、遊びに来てくれないなんて悲しすぎる。
私は遂に意を決してお二方に、その計画の全貌を打ち明けたのだった。
もちろん、私が原作を知っていてアルフリードの闇落ちを防ぐためというのは省いたが……
執務室のドアがカチャカチャいって、アルフリードが戻ってきたとき、私たち3人は完全なる同志となっていた。
「やはり私が見込んだだけあって行動力が違うな。その考え気に入った」
「こんな大役、エミリアちゃん1人には担わせないからね……おっと、私は今日のワークショップの準備があるから、もう行くよ」
アルフリードと入れ違いで王子様は香水サンプルのバスケットを持って、執務室から出て行った。
すると、入ってきたアルフリードが突然、激しく咳き込んだ。
「ゴホッ……ゴホッ!! なんなんだよ、この部屋。ひどい匂いだな、空気の入れ替えをした方がいい!」
そう言って彼は、皇女様の後ろにある、大きな窓を開け始めた。
鼻が慣れてしまって気づかなかったけど、香水サンプルの香りで部屋中すごいことになっていた。
私の手元には王子様が貸してくれた、彼のお母様お気に入りの香りに似た香水サンプルの小瓶が残されていた。