35.その人の形跡
うわあぁ、ええっ どういうこと??
ここだけもう、別次元じゃん!
目の前には緑豊かで色に溢れた庭園が広がっていた。
所々に白い小花や紫色のラベンダーみたいな形をした花や、地面には黄色い小さな花が群生している。
可愛らしいベンチがその緑の中に隠れるように配置されていたり、奥の方にはツタとけぶるようなバラが巻き付いたアーチ状のものが佇んでいたりする。
どうして……どうして、ここだけこんなことに??
「ここは僕の母上がお気に入りで、よく手入れしていた庭なんだ」
ただただ目を丸くして唖然としていた私に、彼は語りかけた。
アルフリードの、お母様?
彼のお母様はもう亡くなってしまっていた。
確かお兄様のマニュアル本によれば5年前にご病気でだったはず。
倹約がモットーの公爵家で、何もかもが古くて、美しいとは到底言えないような場所ばかりのこの屋敷で、よくぞここまで自分の世界を確立することができたと、想像だけでも尊敬してしまう。
「とっても綺麗……中に入ってもいい?」
アルフリードは静かに頷いた。
私は夢だか現実だか分からないような幻想的な緑の中へ、そこで舞っている何匹かの蝶に導かれるみたいにして、溶け込んで行った。
周りを見渡しても、どこを見ても切り取って額縁に飾って絵にできてしまいそう。
ずっとこの中にいてもいいくらい。
けど、どうしてだろう。
アルフリードは、庭の中を曲線に描いている青みがかった濃いグレーの敷石でできた小道の上に乗ってはいるものの、庭の中には入って来ようとしない。
ただ、私があっちに行ったり、こっちに行ったりしている様子をズボンのポケットに両手を突っ込んだ格好で眺めているだけだ。
やはりお母様が大事にしていた庭に、無闇に入りたくないのだろうか?
それにしても、他の場所は恐ろしい程に放置しているのに、この空間だけは躊躇ないくらいに整備されているのをみると、おそらく公爵様はものすごくアルフリードのお母様を愛していたんだという事が伝わってくる。
私はひとしきり散策を堪能したあと、アルフリードの方へ戻った。
アルフリードも舞踏室が私との思い出の場所というのなら、披露会の時と同じ状態にしておいてくれればいいのに……もう用済みだとばかりに片付けられている様はすごく悲しかった……
待って、何を考えているの?
私は彼とお別れすることを想定して、動いているんだから、そんな感慨に浸ってたらダメだって!
……もし王子様に何かあって皇女様が独り身になってしまった場合だけど。
「この前のテラスからだと……うちの敷地を一望できるよ」
彼は少し頬を赤らめて、披露宴のダンスタイムの後に進んだルートを、小道に沿って歩き出した。
この庭なら彼の神聖力に頼らなくても大丈夫そうだ。
私は手を握らずに、ただ彼の後ろを付いて行った。
私も頬が熱くなるのを感じたけど、彼に見られずに済んでよかった。
そして、少し高い位置にあるこの中庭から地上が見渡せるテラスに到着したとき、私が見たものは……
背の高いボーボーの草むらに、廃屋みたいな大きな建物がいくつか点在している、見渡す限りのひどい荒れ地だった。
その様はこの世の終わりのような終末感を漂わせており、これからこの公爵邸を大改造させたい私のやる気をことごとく奪っていこうとしているようだった。
慌てて、アルフリードの手を握りしめるとスーッと気分がよくなって、またやる気が復活し始めた。
「いま右手に見えているのが僕たちがいる本館の建物で、あそこに点在しているのは別棟だよ。あっちの並木の奥は騎士団の敷地で、あっちの森の中にコテージがあったり……今日1日で回れるかなぁ」
本当に、想像以上の広大さだ。
目に見えている範囲、全てが公爵家のものだという。
どう考えても、今日1日で全部回るのは無理だし、彼がいつも生活している本館だけを案内してもらうことになった。
そのどれもが、彼の神聖パワーに触れていないとすぐさま呪われてしまいそうな、暗く陰気な雰囲気を醸し出していた。
特に家族が入る部屋や客間の廊下には、騎士の甲冑や、山ほどの肖像画が飾られていて、夜には絶っっ対に1人で歩くことなんか不可能な状態になっていた。
それでも、さっきの中庭に通じているお母様のお気に入りだったサロンルームと、お母様が使っていたお部屋だけは、比較的新しくて綺麗な調度品が入っており、隅々まで整備が行き届いていた。
ただやはり、アルフリードはそれらの場所には足を踏み入れずに、手前で佇んでいるだけだった。
サロンルームには少しだけ入らせてもらったのだけど、さすがにお母様のお部屋にはアルフリードが踏み入っていないのに、入るのは憚られて廊下から見るにとどめるだけだった。
こうして、本館の中を一通り見た後、少しだけお茶をさせてもらって帰宅することになった。
来客をおもてなしするのは、最初に連れてこられた時にも通された年季が異常に込んだ家具がセッティングされた応接室と決まっているらしい。
すると、前に部屋着に着替えさせてくれたメイドの子がやってきて、お茶を入れはじめた。
機械仕掛けみたいに一つ一つの動きが機敏で全く人間っぽく見えないのだけど、私は勇気を振り絞って話しかけてみた。
「あ、ありがとう。私のこと覚えてますか?」
彼女はちょっと動きを止めると、私と目線を合わせることはなく、少しだけ顔を下に下げて何も言わずに、またお茶を注ぐ動作を再開した。
うああ……まっったくコミュニケーションが取れる気がしないよ……
何か話題、話題……話が続けられるような話題ないか……
あ! あれなんかどうだ?
「こ、この間はお着替えさせてくれて助かりました! あのあと、私が着ていた騎士服はどうなったかご存知ですか? 私の父も分からないみたいで……」
カチャッ
これまでカップをテーブルに置くにしても、何をするにしても全く音を立てなかったのに、彼女が手で抑えていたポットのフタがカタカタ動いて少し音がした。
「シツレイイタシマシタ。ゴシツモンニツイテハ、ゾンジアゲマセン」
機械音みたいな、抑揚のないものすごい早口で彼女は答えた。
前も業務的な一言だけなら言葉を発していたと思うけど、こんな話し方じゃなかった。
もしかして……動揺してる??
彼女はすぐさま正確な動きでお茶を注ぎ入れると、あっという間にその場を後にしていなくなってしまった。
人形みたいで感情を露わにしないこの屋敷の使用人を変える糸口が見えたような気がしたのだけど……
お屋敷のどこをどう改造するか、アルフリードや公爵様をどう説得するか、戦略を練ってまたヘイゼル邸へ突入する時に、あの怪しい反応をしたメイドちゃんも要チェックだ。
「来週にはソフィアナとエルラルゴは帰ってくる予定だよ。まだ教育期間とはいえ、一応エミリアはソフィアナの女騎士候補だから、特別用事がなければ毎日、皇城に上がるようにって事だから、また迎えにくるよ。じゃ」
アルフリードはうちの玄関まで送ってくれると、去って行った。
王子様、無事に帰ってきてくれるかな。
私の苦労して捏造した話もちゃんと読んでくれてるかな……
それにしても、彼のお母様の綺麗にしてあるお気に入りスポットでの様子は、ちょっと変じゃなかったかしら?
いつもなら朗らかな彼が元気なさそうに見えた。
その日の晩餐での事。
「エミリア、今度ルランシアとお茶することになったのよ。あなたにすごく会いたがってたから、あなたも同席してちょうだいね」
お母様にそう言われた。
ルランシア、ルランシア、誰だっけ……
あ! アルフリードのお母様の妹さんじゃん!
ちょうどいいや、お茶する時にアルフリードのお屋敷での気になる様子のことも聞いてみよう。
でもお母様、お知り合いだったっけ??