18.ソフィアナ先生による鍛錬のレッスン
その日、プライベート庭園には剣が打ち合う激しい音が鳴り響いていた。
白いシャツに黒いスラックスを身につけた皇女様が、手にした剣を左横から勢いよくなぎ払うと、普段通りの格好をしているアルフリードは片手でバク転して軽く身をかわした。
そのまま体を捻りながら地面につかなかった方の手に持っていた剣を振り払うと、待ち構えていた皇女様の剣とぶつかり合い、カキン!! といった一際高い音が鳴った。
今日は初めての皇女様との女騎士になるための鍛錬の日。
渡された訓練用の服に着替えて庭園に入ったところ、またジャンルの違う世界に迷い込んでしまったのかと思うようなバトル風景が繰り広げられていた。
頭上で、アルフリードの剣を自分の剣で押さえていた皇女様の足が少し滑った。
獲物を捕らえるタイミングが来たとばかりに、アルフリードは大きく目を見開くと皇女様に向かって剣を振り下ろした。
ちょっと待って、アルフリード……すごく怖いし、本気で皇女様を殺しにかかってるように見えるのは気のせいですか?
すると、足が滑って地面に腰をついている皇女様が足を伸ばしてアルフリードの脛のあたりを横に蹴りあげた。
彼は体勢を崩して、皇女様の横に倒れ込んだ。
「お2人とも大丈夫ですか!?」
私が慌てて駆け寄ると、2人は剣を支えにして立ち上がりながら、
「久々に手合わせしてみたら、だいぶ体がなまったなソフィアナ?」
「あんたこそ、最後の詰めが甘いんだよ」
長年の戦友のようなセリフを吐いて、片方の口端だけ上げてお互いに笑っていた。
「エミリア嬢、そんな顔をするな。実戦ではいつ何が起こるか分からない。アルフには手合わせの時は、手加減しないで殺すつもりで相手しろと常日頃から言っている」
アルフリードよりもまず皇女様のそばに行って、起きるのを手伝っていた私に向かって皇女様は笑いかけた。
うーん……
こんなに強くて実戦訓練まで積んでいた皇女様が事故で命を落としてしまうなんて。
どれだけ酷い事故だったんだろう。
それにしても手合わせとは言っても、やっぱり殺すつもりでなんて心臓に悪い。
私は思わず、先程の殺気立った様子からいつもの爽やかな彼に戻ったアルフリードの事を睨んでしまった。
「そうそう、これ。忘れ物だ」
皇女様は庭園の端に植わってある木へ向かうと、立てかけてあった物を手にして私に渡した。
ああ! これは! エスニョーラ騎士団の訓練生用の剣だ。
王子様の歓迎会で女騎士にしてください! とポーズを取った時に床に突き立てた後、迎賓館の中に放置していた剣だった。
そういえば、着ていた騎士服はどうなったんだろう?
アルフリードの屋敷で着替えた後、メイドが運んでいるのを見たきりだけど……
「ふぅーん、なかなか基本が出来てるな」
剣を鞘から取り出して右手に持ち、基本の姿勢を取った私を見て皇女様は唸った。
3ヶ月間だけど、基礎だけは身につけたいと思って頑張ってやっていたから、褒められて嬉しい。
教えてくれたイリスにも皇女様から直々のお言葉をもらえたと伝えたら喜ぶだろうな。
イリスは私から目を離したお咎めを少し受けてしまったのだが、今はお母様の女騎士を務めていた。
「剣もまあまあ重さがあるが、重心を捉えてうまく扱えている」
その日は他の型を見たり、自主練メニューを作ってくれたりして皇女様のレッスンの時間は過ぎて行った。
相当ひどい事故だったなら、さっきの皇女様とアルフリードの手合わせくらいのレベルまで行けるようにならないと、皇女様を守ることなんかできないな……
そんな事を考えていると、
「そろそろ休憩するか。アルフ、私はエミリア嬢と2人で話したい事があるんだ。席を外してくれるか?」
レッスンの間、皇女様と私の様子を見守るようにしていたアルフリードは、一瞬ムッとしたような雰囲気になったけれど特に何も言わずに小さく頷くと、庭園を後にしていった。
もしかして皇女様と2人きりで女子トーク?
庭園の席に皇女様と座ると、侯爵家でも休憩の時いつも飲んでいた冷たいレモネードが運ばれてきた。帝国人は疲れたりした時にレモネードを飲むのが大好きなのだ。
「聞いていると思うが、私は近いうちにエルとともにナディクスへ渡ることになる。もしかすればエミリア嬢が女騎士になる前に、離れる事になるかもしれないな」
もし、王子様に何事もなければですが……
「分かっています! でも少しでも皇女様のおそばにいる事ができて幸せです」
皇女様はレモネードを一口飲むと「そうか」と言ってけぶるような黒いまつ毛に縁取られた目を少し細めた。
それは先日、王子様が私の笑顔を見てアルフリードが喜んでいたと話していた時にしていたのと同じ仕草だった。
「私とアルフはほとんど生まれた頃からずっと一緒だった。途中でエルもやってきて、私達3人は兄弟よりも強い結びつきを持っていた」
皇女様は淡々と話し始めた。
「だから、私とエルがナディクスに行ってしまった後、アルフが1人でやっていけるか心残りだった。
しかし、エミリア嬢が現れて、あんなに人に対して夢中になっているヤツを見たのは初めてだった」
皇女さまは、ふんわりとした柔らかい笑みを目元や口元に浮かべて私を見つめた。
「どうか、アルフの事を頼むな」
もし……もし、私がこの世界に来た事そのもので、王子様に何かが起こるっていう未来が無くなり、皇女様と祖国へ旅立ったとしたら。
そんな事、今まで考えたことも無かった。
もしかしたら結局、アルフリードは皇女様の面影を追う日が来るのかもしれないけど……
せめて、婚約者として彼が闇に落ちないように注意してあげる事ならできるかもしれない。
皇太子様が戻るまでに、王子様に何かが起こる未来、起こらない未来、どちらが来るか分からないけど……
私は皇女様を安心させたくて、そのお願いに対して一度だけハッキリと頷いた。