ヘイゼル邸での日常再開
<時期は一旦、ハネムーンを終え……>
「それでは、クロウディア」
「それじゃあ、エミリア」
「「行ってきます」」
ここはヘイゼル邸の大きくて上の方まで高い吹き抜けで出来ている玄関ホール。
そこの重そうで立派なダークブラウンをした扉から、お仕事に向かう主人2人をお見送りするのは、ここの女主人であるクロウディア様、そして新しく仲間入りした私ことエミリア。
「リチャード様」
「アルフリード」
「「行ってらっしゃいませ!」
帝都を巡るハネムーン旅行から無事に帰宅し、今日は久々にアルフリードが皇城への通常勤務に戻る日。
この結婚式が終わってからの3週間、公爵様のお休みの日以外は欠かすことなくお見送りをしていたクロウディア様と、ここに並んで立ってお見送りするのも初めてとなる。
玄関扉を抜けて外で待っているヘイゼル家の黒塗りの馬車に乗り込んでいく大きな2人の男性を見つめながら、こうした初めての時がこれからずっと当たり前になっていくのかな……と、ぼんやりと考えてしまっていた。
さてさて。こんな新しい日常の始まり。
ヘイゼル邸でのエミリアがまず、する事は何かと言うと……
私とクロウディア様はヘイゼル邸の本館から出て、広大なこのお屋敷の敷地に点在している離れのうちの1つを訪れた。
「外観はそれほどひどくはないけど……中はもうボロボロじゃない」
ヘイゼル騎士団の敷地から少し行ったところには、木が密集している小さな森がある。
その中には屋根が赤くて、壁が白い可愛らしいコテージ風の離れがあるのだ。
私とアルフリードが以前、一生懸命に取り組んでいたヘイゼル邸のリフォーム計画。
それはまだ完全遂行がされていなくて、私たちのプライベートにおけるゴタゴタやら、戦争が始まっちゃうかも! という混乱に乗じて、本館部分までが終わった状態で止まってしまっていた。
その他はとりあえず、外から見た時の見栄えだけは良くして置いて、中は手付かずの放置状態になっていた。
この公爵家の次期公爵夫人というポジションになった私が、このお屋敷でできることと言ったら、まずこのリフォーム計画を完遂に向けて再開すること以外に、思いつく事がとりあえずなかったのだ。
聞くところによれば、ここのコテージというのは公爵様が子どもの頃はたまにピクニックするのに使ったりしていたらしいのだけど、皇帝陛下がまだ皇太子様だった時にその側近になってからは、全然使われることは無くなってしまっていたのだという。
クロウディア様と一緒にこぢんまりとした木のドアを開けると、ブワッと煙っぽい埃が舞って、かすかに差し込む窓からの日の光によって、やっぱり埃だらけのソファやら、テーブルやら、底が抜けてしまっているような床板が姿を表した。
「はぁ……この前、アルフリードと外観だけ直しに見にきた時より、ボロッちくなっちゃってる気がするかも。えっと、それじゃあクロウディア様、リフォームのやり方をこれから説明しますね……」
前回、ここに来たのは1年以上前だけど、やっぱりお掃除や管理を少しでも怠るとあっという間にひどい有様になっちゃうよね。
公爵様とアルフリードが皇城に行っている間は、クロウディア様も私と同じで時間を持て余してしまっているご様子なので、一緒にまだ手をつけられていない場所のリフォーム作業を行うことにしたのだ。
「倹約というのも大事だとは思うけれど……家屋といった固定財産の維持とのバランスも考えなくてはなりませんわ。わたくしが以前ここにいた時、正気であったのならエミリアが来る前になんとしても、あの恐ろしいお屋敷を明るく健康的に変える行動を起こしていたでしょうに」
クロウディア様はそう言うと、埃を吸わないようにハンカチで口を覆いつつ、コテージの中を静かに回りながら、私の説明に耳を傾けていた。
初めて公爵様と出会った日から、彼のことを心に秘め続けていたこともあって、公爵様と接している時にはいつでも幸せそうにうっとりとしているようなクロウディア様だったけど……彼のその極端なまでの倹約具合には、相当ビックリされてしまっているようだ。
私たちは画用紙にこのコテージのだいたいの間取りを簡単にスケッチすると、これ以上ここにいると具合が悪くなってしまいそうだったので、また本邸の方に戻り、中庭の横にあるサロンルームで続きの作業をすることになった。
「うわー! クロウディア様、すっごくお上手です!」
リフォーム計画の手順っていうのは、まず、修繕するお部屋の間取りやら現在の状況をチェックして、次にこれからどんな風に綺麗に作り変えていきたいか、イラストでイメージを起こしていくのだ。
その作業は基本的にはアルフリードがやってくれるんだけど、今回はクロウディア様にも加わっていただいているので、説明しがてら彼女にその工程をお試しでやってもらった。
しかしながら、さすがは親子。
アルフリードがいつもササッと書いてくれる未来のお部屋のイメージはヒュッゲ(北の方の言葉で心地いい空間のこと)なテイストをベースとした、シンプルなんだけど一発でどんな雰囲気にしたいのかが伝わってくる、プロのイラストレーターさん顔負けの絵心を発揮していた。
クロウディア様はおそらくアルフリードが私のお父様から伝授されたヒュッゲ思考はよくご存知ないみたいなので、それとはまた違ったテイストなのだけど、どう見たって鉛筆でサッと描かれてるお部屋の遠近感にしろ、イスやらテーブルやら花の挿してある瓶の描き方にしろ、只者ではない感が漂っていた。
どうやら……アルフリードが何でもソツなくこなしてしまうのと同様に、クロウディア様もとっても器用で何でもできちゃう人種という可能性が高そうだ。
そんな感じで、今日から着手したコテージについてはクロウディア様のイラストを元に、私がそれらの家具や壁紙とかの色や模様の具体的なディテールを決めていって、リフォーム業者さんに発注をお願いするっていう、いつもの流れに持っていくことになった。
そうして、ひと仕事終えてティータイムのお時間になったので、ヘイゼル邸の本館南に位置してるガラス張りの素敵なティールームでお茶を始めた時だった。
「エミリア、これからリフォーム以外にはどのようにして過ごすか考えはあるのですか?」
美味しいヘイゼル家の専属パティシエさんの作るレモンケーキを頬張ってると、クロウディア様はそんな質問を私に向けられたのだ。
「う、うーん……そうですね、今度アルフリードがお知り合いの舞踏会に招待されたと言ってたので、その付き添いで参加したり、エルラルゴ王子様のファンクラブのお手伝いで会長のオリビア様のお宅に行ったり、時には皇女様のお話相手として皇城に行ったり。あとは体が鈍らないように筋トレしたり、フローリアと乗馬したり……それくらいでしょうか?」
改めて考えてみると、これまでの生活のうち、皇女様の女騎士として毎日皇城に行ってた以外の日常を続けているようなものなのかも。
けれど……その無くなってしまったお仕事が生活の大部分を占めていた私にとっては、こんな感じの日常はちょっと拍子抜けというか、ぽっかり穴が空いてしまったみたいな感覚がしてしまう。
「わたくしも、リチャード様と最近はたまに舞踏会にお邪魔させていただいたり、先日のエルラルゴ様のワークショップでお友達になったご婦人方とお茶会に出たり……エミリアの方が忙しそうだけど、似たような日々を送っているわ」
クロウディア様は上品にお茶を飲みながら、ちょっとだけ困り気味な感じの表情を浮かべているように見えた。
確かに、リュース邸から急にここに戻ってきた時の茫然とした感じは彼女からはもう消え失せていて、もうヘイゼル邸および帝都での生活にもしっかり馴染んでいらっしゃる。
私と同じように……このままゆったりしたままの生活に物足りなさを感じてしまっているのかな?
「今日のお晩餐でリチャード様に相談してみようと思ってることがあるの。エミリアはよく知らないかもしれないけれど、わたくしは幼い頃からリューセリンヌの次期国王として国を管理するための教育を受けていたの。もうその国は無くなってしまったけれど、この公爵邸はリューセリンヌのお城よりも広大な土地を持っているし、一国に相当するほどの規模と言っても過言ではないわ。もちろん、ここの主はリチャード様だけれど、公爵夫人としてこのお屋敷を管理する一翼を担いたいと思っているの」
クロウディア様は口調は控えめだったけど、その内容についてはハッキリと述べられた。
お屋敷を管理するか……そんなこと、私は今まで一度も考えたことがなかったよ……!
でも確かに、前の世界で読んでた小説にはそういうことをしていた女主人が登場するものもあったし、エスニョーラ邸の私のお母様はお屋敷の中を取り仕切るのはお父様に任せていたけど、他の帝国夫人の中には表立って管理を務めている家門もあったりする。
このヘイゼル邸は確かに使用人さんの数は二百人は超えてるし、覚えなきゃいけない事も山ほどあるだろうけど、一国を担う心構えを生まれながらにして持っていたクロウディア様なら、出来ないことなんて無いはず!
それに……
「わ、私も次期公爵夫人として、一緒にクロウディア様のお仕事を覚えたいです!」
こうして、私とクロウディア様の新しい日常が幕を開けようとしていたのだった。
「お帰りなさいませ!」
この日、朝と同じように一緒に帰宅してきた公爵様とアルフリード。
同じく朝お見送りした玄関ホールにて、クロウディア様と共に2人をお出迎えした。
「ただいま、エミリア」
アルフリードは笑顔を向けている私に向かって、品のいい、いつもの控えめで爽やかな笑みを向けて、チュッと口づけした。
帰宅した主人たちがお部屋着に着替えたのち、食堂にてこの日の夕飯が始まったタイミングにて、早速、私とクロウディア様はさっきの話題を切り出した。
※参考話
48.ヒュッゲとアルフリード
50.はじめての共同作業