帝国を巡る旅2
フローリアとガンブレッドに私とアルフリードはまたがって、穏やかな日差しが差し込む森の中を進んでいった。
ハイキングできるような細っこい道を進んでいって……
陛下や公爵様のお話だと、道なりにしばらく進んでいけば、可愛い煙突から煙がモクモク漂っているような、小さなお店が現れるってことだったんだけど……
「ア、アルフリード……もうロッジを出てから、どれくらいになるかな?」
行けども行けども、周りは綺麗な緑の中というのは変わらないのだけど、さすがに道にでも迷ったんじゃないかと思って、私は思わず心地よさそうにガンブレッドに揺られて進んでいる彼に向かって尋ねてしまっていた。
「ええっとそうだな……もう3時間くらいになるかな」
アルフリードは懐から懐中時計を取り出して、大して疑問も持たずにそんなふうに答えてくれた。
3時間か……よく分からないけど、病み上がりでここに療養に来ていたはずなのに、山登りしたり普通の人よりも元気の尺度が大幅にズレてる陛下と公爵様からしてみたら、別に大した時間でもないのかもしれない。
若干の不安を抱えながらも、さらに道を進んでいくと……
何やら、こうばしい香りがどこからともなく漂ってきた。
この香りは、こっちの世界に来てからは嗅ぐことがなくなってしまった、前の世界ではよくスタ○とか、ドトー○とかで堪能していたあの香りではないか!
「へぇー、いい香りだなぁ。あ、エミリア! どうやら見えてきたみたいだよ」
アルフリードが鼻をクンクンさせながら、私の方に爽やかな笑みを漏らしてきた。
おおー! 良かった、こっちでちゃんと道合ってたんだ!
私たちの目線の先には、イメージ通りの可愛い石造りの煙突が突き出た、2階建ての小さな木製の小屋だった。
近づいていくと、何やらカツン、カツンという大きな音が響いていて、小屋の前にある大きな切り株のところで、男の人が短く切られた丸太に斧を振りかぶっていた。
どうやら薪を割っているみたいだ。
「す、すみません。この辺りに森カフェがあると聞いてきたんですけれど……こちらで間違いないでしょうか?」
私とアルフリードがフローリア達から降りて、薪割りに集中している男性に声をかけると、彼は驚いたようにこちらを振り返った。
「あ、ああ。ええ、そうですよ。森の中のカフェ・フルドュミエールにようこそ。メロディア、お客様だぞ〜」
そう言って、男性は斧を切り株の端っこのところに突き刺すと、小屋の扉を開いて中へと入っていった。
フルドュ……なんだか、オシャレすぎちゃって一度じゃ覚えられない系の名前のお店に私とアルフリードも男性の後に続いて、お邪魔させていただくことになった。
中は思ったよりもゆとりがあって、まさに丸太を積み重ねて作った木肌が剥き出しになった山小屋といった風情なんだけど、切り出したまんまのテーブルや切り株で作られたイスが所々に置かれていたりする。
「へぇ……こんなに山奥だから人もこなさそうだと思ったけど、結構お客がいるもんなんだな」
アルフリードは肩からお財布とか、飲み水なんかが入っているカバンを下ろしながら、そんな各テーブルに腰を下ろしてまったりしている、おそらくハイキング途中の友人同士やカップルやご夫婦と見られる各グループの人々を見ながら言った。
ほんとに。ここは山の入り口からも結構な距離があるのに、なかなかの人気店みたいだ。
それにどうやらお店の中の席はもう全部埋まっちゃってる感じだから、相席をお願いするか、次の席が空くまで待ってなきゃ行けない感じになりそうだ。
「いらっしゃいませ。申し訳ありません、ただいま中のお席は満席で……テラス席なら空いてますが、そちらでもいいですか?」
さっき外で薪を切っていた男の人は、おそらく陛下の話では木こりさんという事もありガッチリ系の体をしていたけど、声を掛けてきた彼の奥さんと思わしき女性は細っこくて、色白で小柄な感じだった。
だけど良かった、まだ席があるんだ!
「はい、外でも構いません!」
私とアルフリードはその女性に案内されるままにゆったりとコーヒーとスイーツを堪能しているお客さん達の間を通って、お店の奥の開け放たれている扉の方へと向かった。
そこは山小屋の裏手に位置するようで、外は外でもお店の前に待たせているフローリア達の姿は見えなかった。
可愛らしい白やピンク色の小花が咲いていて、黄緑色をした草が地面を覆ってそこに森の木々や葉っぱの隙間から差し込む暖かい光がいっぱいに注ぎ込む、その場にいるだけで心が穏やかになるような場所だった。
そこにやっぱり切り出したテーブルと、座るのにちょうどいいサイズの丸太がいくつか置いてある。
そこに私たちが腰掛け始めると、女性はいそいそとお店の中に一瞬戻ると、少し小さめの板を持ってきて、テーブルの上に立てかけた。
いわゆる“黒板”ってやつだ。
「本日の日替わりスイーツになります。自家製コーヒーはブレンドを数種類ご用意していまして、深煎り、中煎り、浅煎りからお選びください」
いやはや……ものすごくいい匂いがしていたとはいえ、なかなかコーヒーにこだわりのあるお店みたいだ。
ええっと、どれにしようかな……
「豆はすべてこちらで焙煎もしているのですか? なかなか帝都ではコーヒーは手に入らないから、こんなに本格的なお店がエゲッフェルト山で頂けるなんて、正直驚きました」
どれにしようか選ぼうとしていると、アルフリードがアゴに手を当てながら黒板をしげしげと眺めて言った。
そうなのだ。こっちの世界に来てから、紅茶は毎日何回も飲ませていただいているけど、カフェ・シガロでも、老舗の高級ホテルのカフェでも、コーヒーを取り扱っているお店っていうのは入ったことがなかった。
それはつまり、私はこっちでは一度もコーヒーを飲んだことが無かった訳で、思い起こせば前の世界で電車に轢かれちゃってからの3年間、あれほどほぼ毎日飲んでたカフェラテなんかは飲んでいなかったという事だ。
それを思うと、若干嬉しさが込み上げてくるようだった。
「まぁ、帝都からいらっしゃったのですね! 私も以前、帝都でパティシエをしていたのですよ。コーヒーは、ええそうなんです。この地域はご覧のように日照も多いですし、山頂付近では寒すぎますが、この場所くらいの高度なら気温も適しているので、コーヒーの木を栽培してこのお店でお出しするくらいの量を作っているんです。焙煎も主人の木こりの仕事と、私のお菓子作りの時間の合間を見て作業してるんですよ」
カフェの女の人はアルフリードの質問に嬉しそうに話し始めた。
うわー、そうだったんだ。帝都でパティシエをしていたのか……リリーナ姫がよく言ってたけど、帝都には一流のお店が集まってるから誰もの憧れの地でもある。
そこで働けるパティシエさんだって、なかなか雇ってもらえないくらい審査が厳しいって聞いたことがある。
まぁ、その最高峰は私の大好きな皇城のパティシエさんなんだけど……はっきり言って、みんなレベルが高すぎて帝都のお店も皇城で出されるお菓子も、どれだって比べられないくらい美味しいことには変わりなかった。
さてさて。そんな訳でアルフリードは中煎りコーヒーをストレートで、私は深煎りコーヒーにたっぷりのミルク入りでお願いし、さらに本日の日替わりケーキというのを注文させていただいた。
暖かな光が注ぐ中、小鳥のさえずりが静かに響いている森の中で再びしばしの森林浴の時間が訪れた。
私とアルフリードはあまり言葉も交わさずに穏やかな気分で、丸い断面の切り株に腰掛けて、時折、顔を見合わせてニッコリと微笑みあって、一応5分に1度の習慣になっているチューを軽くしたりなんかした。
「お待たせいたしましたー、秋のナッツをふんだんに散りばめた、キャラメルクリームブラウニーになります」
頼んだコーヒーたちと共に運ばれてきたのは、素朴なんだけど、どこか洗練されたデコレーションのケーキだった、
甘くて美味しいもの大好き人間の私は、目の前の光景に興奮を隠しきれずに、運んできてくれたお姉さんがお店の中へ戻っていくのも待たずに、それらを口に頬張り出した。
ううっ……うまっ! うまっ!!
これは……イケおじのこの国の皇帝陛下だろうと、公爵様だろうと、お仕事中はポーカーフェイスの私のお父様だろうと、毎日のように足を運んでしまうのも納得だよ!!
そんでもって、コーヒー牛乳の方はどうかな〜。
ゴクゴクッ
うんうん、深い味わいなのにアッサリした後味。
もう……最高!!
まだ帝都を巡るハネムーンは始まったばっかりだけど、もう残りの期間、ここでずっとまったりしちゃっても、いいんじゃないかな?
「うん、この味わい……なんて素晴らしいんだ。あ、そういえば。こちらでは採れたてベリーを使ったデザートも頂けると聞きましたが、今日は売り切れですか?」
アルフリードは湯気の立ったブラックコーヒーに鼻を寄せて目をつむりながら、その芳醇な香りを楽しみつつ思い出したように、まだ私達の脇に立っていたお姉さんに話しかけた。
そうだった。陛下はここに来た時にベリーのお菓子もよく食べてたっておっしゃってたんだよね。
「まぁ、よくご存知ですね。ですが申し訳ありません、今シーズンのベリーはもう無くなってしまって、しばらくはお出しできないんですよ……」
お姉さんは残念そうに答えた。
そっかぁ、季節の食材ならそれも仕方がないよね。そう思ってると、アルフリードはおもむろに、ここに来る時に肩から下げていたカバンに手を突っ込んで何かを出した。
「そのベリーの話をしてくださった方から、こちらをお渡しするように頼まれていたのです。美味しいものを毎日のようにいただいていたのに、十分なお礼ができていなかったからと……」
アルフリードの手の中には、皇族の方々がいつも使っているフチに模様のついた立派な封筒が掴まれていた。
「あのベリーがお気に入りで、毎日のように来られていたお客様と言ったら、あの方達かしら……」
パティシエさんは心あたりがあると言った様子で手渡された封筒を開いて、中の便箋を読み始めた。
そして、しばらくすると封筒の中にもう一度手を入れて、私も皇女様の終身名誉騎士の称号を得た時にももらったのに似ている、勲章らしきものを取り出した。
それを目にした途端、彼女は瞳を大きく開き始めて、ワナワナと便箋とその勲章を持っている手を震わせ始めたのだ。
「あなた……大変!! ちょっとこれを見てーー!!」
お姉さんは慌てふためいて、この癒される雰囲気抜群の森カフェに似つかわしくない大声で、お店の中に向かって旦那さんを呼び始めた。
どうやら、以前毎日のように入り浸っていたお客というのが、この国を束ねる超VIPな人物とその側近だったとは、彼女たちは知るよしもなかったようなのだ。
意図してなのか、別にそんなつもりはなかったのか定かではないけど、陛下達はその身分を明かさずにここまで来ていたらしい。
そんな高貴なお方のお知り合いからお代を頂戴するわけにはいかない、との申し出を丁重にお断りして、私達は料金をきちんとお支払いした。
お店を後にする私たちを見送りながら、森カフェのご亭主たちはレジの後ろの柱のところに、さっき受け取っていた勲章を飾りつけ始めていた。
「あれは皇室が認めた商店だけに贈られる名誉勲章の一つだよ。これまで御用達になっているような所ならいざ知らず、地方のお店で授かる機会というのは、なかなか無いものだよ。でも、それだけの価値は確かにある場所だったよね」
フローリアに乗って上下にパカパカと揺られながら、隣で同じようにガンブレッドに揺られながらアルフリードは教えてくれた。
本当に。ここまで来れなかったら、3年ぶりのコーヒーにもありつけなかったし。
元帝都のパティシエさんの格別なお菓子に、何よりこの素敵な森の中っていうシチュエーションが最高だった。
こうして、エゲッフェルト山脈での数日間のハネムーンは穏やかに過ぎていって、私達はここに来る前に旅行コンサルタントさんがいい感じに組み立ててくれたプランに従って、次の目的地へと進むこととなった。のである。