帝国を巡る旅
ピューピュルルルー
周りには何もない青々とした山の峰。
その山頂には積もった雪が白く凍りついている。
眼下にはキラキラと輝く広い湖に向かって、山間の高い位置から滝が流れ落ちている。
その周りを真っ直ぐに空に向かって伸びている、大きくて枝に葉をたくさんつけた密集した木々。
少しひんやりとした空気と静寂。
その合間に時折、聞いたこともない鳥のさえずりが耳に入ってくる。
……
これが、いわゆる大自然の中で堪能する森林セラピー。
山の中腹にあるロッジのテラスにて、お腹の上で手を組んで、長イスに仰向けになっている私の目の前には、そんないつもの日常とかけ離れた絶景が広がっていた。
「この前こっちに来た時は、こんなに山奥まで入らなかったけど、本当に癒されるなぁ……」
私のすぐ隣りには、やっぱり同じ長イスが並べられていて、暖かそうな飲み物を両手で持ちながら感嘆の声をあげているアルフリードが足を伸ばして座っていた。
今、私たちが訪れている場所。
ここは避暑地としても有名で、さらには体調を崩してしまったりなんかした人たちが静養に訪れるのにも推奨されていたりするリゾート地。
エゲッフェルト山脈である。
以前、皇帝陛下と公爵様が毒を持つ危険な海産物、リルリルを食してしまったがために倒れてしまった後、彼らもまたここに療養に訪れていた事があった。
アルフリードはその時に、彼らを設備の整った療養者向けヴィラに送り届けるために一緒にやってきて一泊した事があった。
そしてこの間行ったアルフリードとの帝都デートでも定番コースとなっている高台にあるレストラン。あそこの特等席から見える窓の向こうにいつも見えていた山の風景。
まさにそれがここなんだが、いつか私も訪れてみたいなぁ……と思っていた場所でもあった。
「やっぱり、ここも候補の1つに入れておいて良かったね。そうだ! あとでガンブレッドとフローリアと散策がてら、陛下たちが入り浸ってたっていう森のカフェにも行ってみたいね」
日頃の皇女様の忙しい側近業務から解放されて、完全にリラックスモードと化している彼に向かって私は意気揚々と声を掛けていた。
ーー数日前
「エミリア、僕たちのハネムーンの行き先についてなんだけど」
盛大なセレモニーであった公爵家での結婚パーティー。
これっていうのは、もちろんめでたいお祝い事ではあるんだけど、それを開催する側にとってはお客様への招待状に、当日の進行スケジュールの調整とか、なんだか次から次へとやらなきゃならない事に追われる忙しい日々だった。
前いた世界でも、お友達から結婚式の準備の話とかを聞いて、本っっ当に大変だな……と思ってたけど、こっちの世界でもそれは同様みたいだ。
そんなこんなで、結婚式が終わるまで私たちはハネムーン旅行についてまで考える時間っていうのは無かったのである。
しかも、アルフリードは帝国を担う皇族の側近っていう重要ポスト。
あんまり長期に渡って留守にする訳にはいかないので、結婚式の準備期間のお休みに合わせて、ハネムーンの期間も限られたものになっていた。
早速ヘイゼル公爵家にお嫁入りすることがどういう事なのかっていう洗礼を受けてしまってるって訳である。
この間デートの途中で寄ったカフェ・シガロでの話し合いでは、普段なかなか行くことができない帝国を巡る旅なんてどうだろう? という話をしたけど、結局、具体的な候補地は決まらなかった。
そのためか、アルフリードは翌日にはどこ行くか決めるためにたくさん、資料を持ってきてくれたんだけど……
「いいかい? このスケジュールでいけば、帝国の全地域を回れる段取りだよ。どこの地域も歴史があるし、建造物とか、自然のスポットとか掘り下げていくと、いくつもいくつも出てくるから。やっぱりエミリアとは、思いつくところ全部見に行きたいんだ」
ヒュッゲな雰囲気の皆んなのお気に入りスポット、公爵家の居間で私もハネムーンについて頭を捻って考えていたところ、アルフリードはお仕事で打ち合わせをしてる時のモードで、何かがビッシリ書かれてる紙を持って来ながら、話しかけてきた。
これは……
当日の朝出発する時間から、ほぼ1分刻みでどこに到着して、何を見て、何を食べて、何時にまた次の目的地に出発して、どこで寝て、お土産買う時間は何分で、また何時に出発して……
まさにいわゆる”弾丸ツアー”ってやつの日程表そのものが書き込まれていた。
それを見て、そのスケジュール通りに任務のごとく遂行している私とアルフリードの姿を想像すると、なんか、なんか考えてたハネムーンと違っているような気がしてならない。
「う、うわぁ……これなら帝国中、全部見つくせちゃうと思うけど……も、もうすこし、ゆったりペースでもいいんじゃないかな? アルフリードも忙しいお仕事がお休みで、結婚式も無事に終了して落ち着いてるのに、今度は旅行で時間を気にして、気を張り詰めて行動するとなると疲れちゃうと思うんだよね……」
すごく真面目に緻密にスケジュールを立ててくれた彼にこの事を伝えるのは気が引けてしまうけど、いや、どう考えてもこれじゃ楽しむというより、いかにこの予定を完全遂行するかっていう別の方に目的が行ってしまいそうだ。
「う、うーん、そうだな……確かに言われてみれば、なんだか仕事しに行くみたいな感じもしてしまうな……」
彼はどうやらスケジュール作成に熱中してしまってたようで、私の意見に目を覚ましてくれたみたいだ。
再び意見交換を始めた私たちだったけど、これが以外と難しいものだった。
ここだけは外せない観光スポットとか、行きたいところだけに絞ろうとするけど、どこにどれくらいの時間を使うか、移動ルートはどうするか、などなど。
旅行に使える日数が限られてるから、複数の場所に行こうってなるとその辺はちゃんと考えなくちゃならないし、もうそれなら1つの地域に妥協して絞ってしまうか、それとも最初のアルフリードの超絶ハードなスケジュールを断行するか……
「やっぱり一生に一度のハネムーンだし、できるだけ残念なものにはしたくないな……そうだ。この前ソフィアナとエルラルゴが行ってきたばかりだから、どうやって決めたのか聞いてみよう」
そうして私たちは皇城にやって来た。
「おお、そこの新婚たち。まだハネムーンには発っていなかったのか?」
皇女様とエルラルゴ王子様がランチをしてるっていう皇城のプライベート庭園の中をアルフリードと歩いていると、声を掛けられたのは皇帝陛下だった。
そのお隣りには公爵様と私のお父様であるエスニョーラ侯爵も一緒にいらっしゃるではないか。
「はい……まだ、どこへ行くか決めているところでして。そういえばエミリア、エゲッフェルト山脈にも行きたいって話してたよね? 陛下、父上、もしよろしければ滞在中に行かれた、おすすめのスポットなどあれば教えていただけるでしょうか」
そうそう。アルフリードがそう言うように、その場所も旅行の候補先となっていた。
しかしながら、他の地域の中でも自然豊かな分、行きづらい所でもあるし、そこ以外に近くに主だった観光名所もなくて、旅行ルートに充てがうのには扱いづらい場所でもあった。
「いやぁ、あそこは良かったぞ。本当にのんびりとできてな。滞在中はハイキングもしたし、最も高い頂まで3日かけて登ったり、滝のぼりなんかもして来たぞ」
陛下は何の躊躇もなく、アルフリードの質問におおらかに答えられていた。
なかなか体格も良くて、めちゃくちゃ重い鉄でできた武器・モーニングスターを扱えるような陛下に、ソードマスターの公爵様ならそれくらいの事ヘッチャラだとは思うけど……あれ? 彼らは病み上がりの療養のために、あそこに行ってたはずだよね?
実はそれを口実に、めちゃくちゃ楽しい日々を満喫してきたらしい疑念がよぎったけど、今こうしてお元気で職務を全うされているのはきっと、そんな日々があったからだ……
と、思い直しエゲッフェルト山脈の大自然に思いを馳せた。
「私も陛下と公爵を迎えに行った際、少し散策させてもらったが、森カフェなんかもあってな。エミリアたちも行けるのなら、行ってくるといい」
へえぇ、森カフェかぁ。
なんかもう、名前からして癒されてしまいそうだよ。ちょっと、お父様がそんな所に行ってたなんて意外だけど、本当の山の森の中にあるカフェ。気になるなぁ。
「若いきこり夫婦が営んでいてな。そこのコーヒーと、森のベリーや木の実なんかを使った日替わりケーキがまた格別でな。私と公爵はほぼ毎日のように立ち寄らせてもらっていたよ」
わぉ。
そんな想像するにメルヘンチックな雰囲気の場所に、イケおじの陛下と公爵様も入り浸ってたんだ。
ハネムーンの候補地を選ぶ上で参考となる情報をいただいた御三方にお礼を言って、私とアルフリードは庭園の丸テーブルで優雅にお昼を取ってる皇女様と王子様の所にやってきた。
「それだったら、コンサルタントに頼んでみたらいいんじゃない?」
王子様は、フォークで何か魚のソテーを頬張りながら、そんな事を言った。
「え……コンサルタントって、皇女様の馬車事故を引き起こそうとしたり、危険な計画を実行に移す手助けをしてた、あの人たちのことですか……!?」
思わず私は顔を青ざめて引きつらせてしまっていた。
「違う違う、それは犯罪コンサルタントだろう? そうじゃなくて、旅行の手助けをしてくれる専門の業者のことだよ」
「三国同盟が不安定になり、いつ戦が起こるか分からない状況となり、皆、旅行などしなくなったのだ。その反動でそうした心配がなくなった今、旅行者の数が増加して、旅の行き先をコーディネートする職が人気なのだ。だから私たちのハネムーンでも彼らの手を貸してもらったぞ」
王子様の話に皇女様が説明を加えてくれた。
なるほど……いわゆる旅行会社の事みたいだ。
「そうだな。彼らなら現地のことを詳しく知っているだろうし、スケジュールを立ててくれたり、こちらの要望を反映した無理のないペースで作ってもらえるはずだ。よし、それじゃあ早速、その旅行コンサルタントの所へ行ってみよう!」
アルフリードは賛同の声を上げると、私の手を引っ張って皇女様と王子様へのご挨拶もそこそこに庭園の出口の方に向かい始めた。
そうだよね。やっぱり、自分達で考えるのにも限界ってものがあるのだから、そうした専門の所にお願いするっていうのも一つの手に違いないよ!
こうして私とアルフリードの帝国を巡る余裕を持ったハネムーン計画はとんとん拍子に決まっていき、今こうしてエゲッフェルト山脈の貸切ロッジに滞在するに至ったのである。
絶景の中での森林セラピーを堪能した後は、散策がてら私とアルフリードは一緒に連れてきたガンブレッドとフローリアにまたがって、噂に聞く森カフェへと向かうことにした。
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他にも書きたいエピソードがあるので、ハネムーン編はシリーズ的な感じで断続的に登場する予定です☆