使用人の館にて
本編最終話「153.思い出の花園」とエピローグの間は少し時間が経ってる設定。
最終話の後から始まります。
*********
ふぅ〜〜……
クローディア様お気に入りのサロンルームに移動した私たちは、無事に婚約証の『婚姻する者』って所に、それぞれの名前を書いた。
それでもって、それを公爵様と私のお父様と共に皇城へ行って、皇帝陛下にお届けすることで、晴れて私とアルフリードは夫婦の身になることができたのだった。
あの原稿用紙たちをアルフリードが持って待ってた時は、マジで心臓が止まるかと思ったけど、なんとか一件落着。
「さてさて、やっと君たちも1年ごしで結婚って訳だね。籍は入れたといっても、公爵子息の式は盛大なものにしなくちゃならないからね。今度こそプロデュースの準備にたっぷり時間を使わなくちゃ……」
届出をした足で、そのご報告に皇女様の執務室を訪れると、一緒にいた王子様は早速やる気満々の様相を呈して、私たちの結婚の構想を練るかのようにアゴに手をやってあたりをウロウロし出していた。
「ふむ。何が起こったのか分からぬが……アルフも以前のように戻ったようだな。エミリア、次期公爵の妻ともなれば、屋敷の中のことで手一杯になることだろう。そなたは私の終身名誉騎士の称号を得てはいるが、友人としていつでも好きな時に参上すれば良いぞ」
皇女様は執務机に座って、何かの書類にペンを走らせていたけど、その手を止めて私の方をご覧になられた。
しかし……おそらく、彼女の前のお部屋から王子様があの小説を持ち出したことも気づいてないみたいだし、そのおかげでアルフリードが前みたいにとっても人当たりが良くて、朗らかな様子に戻ってくれたってことも、夢にも思っていないみたいだ。
相変わらずワークショップで忙しい王子様は、式の構想が進んできたら打ち合わせお願いしまーす、と言い残してお部屋を去っていき、同じくお仕事を忙しそうにされている皇女様にご挨拶して私たちは皇城をあとにしたのだった。
そんなこんなで、書類的には夫婦になった私たちだけど、結婚式の準備もあるし、エスニョーラ邸にある私の荷物もまとめてヘイゼル邸に運ばなくちゃいけない、ってことで正式に一緒に暮らすのは結婚式が終わってからってことになった。
アルフリードはそんな準備と並行して、次期女帝となった皇女様の側近として忙しくお仕事に励んでいた。
そんな中、私は改めてヘイゼル邸に赴いたのだが、向かったのはこのお屋敷の使用人さん達の住居兼くつろぎのスペースである“使用人の館”だ。
癒されるような水色の壁紙に、クリーム色をした花柄のソファには数人のメイドちゃん達が座っていて、主人がいる本館では絶対に見せない明るい表情をしてお茶しながら談笑をしていた。
その中央には私の大好物ポテトのチップスが木のボウルに入れられていて、時折みんな指で摘んでウマそうに食べていたり、見たことある騎士服らしきものに針を刺して縫い物をしたりしているようだった。
「み、みんな、お楽しみのところ失礼します。今、少しお話してもいいかな?」
この館には、玄関ってものがなくて外との出入りには隠し扉しかないので、物音ひとつ立てずに中に入ってきた私に皆気づいていなかったものの、声をかけた途端に驚いたようにこちらを振り向いて、持ってたポテチを口に入れる寸前の状態で止まってしまってる子もいた。
「エ、エミリ……いえ、若奥様!! 一体どうなされたのですか?」
みんなは慌てて居住まいを正して立ち上がって私の方に寄ってきた。
その中には、ロージーちゃんの姿も見える。
「あの、実は……皆にお礼が言いたくて。私が破ってしまった婚約証、直してくれたのはあなた達なんだよね? あんなにひどい事をしてしまったのに、本当にありがとう……」
そう言って頭を下げていると、じわじわと瞳に涙が浮かんできたのだった。
「若奥様、お顔を上げてください! 私達、エミリア様にはどうしてもこの公爵家のご主人様になって頂きたかったんです」
メイドちゃん達は俯いている私の肩や腕を支えながら、クリーム色の花柄ソファに私のことを座らせた。
「それに、坊っちゃまが倒れてしまった後も、献身的にお世話をされていたじゃありませんか。あのお姿は嘘偽りのようにはどうしても見えませんでした。きっとエミリア様が坊っちゃまになさった事には何か理由がある……私たちはそうずっと信じてきたのですよ」
ちょっと顔を上げて見ると、皆かすかに笑みをたたえて私を覗き込むみたいに顔を向けていた。
思い起こしてみれば……アルフリードがお酒に溺れて自らに刃を向けて倒れ込んでしまってから、本来だったらその原因となった私の事を他所他所しく扱ったとしてもおかしくないのに、彼らは私のすることのお手伝いをしてくれたり、一緒にサポートしてくれていたのだ。
どうして、どうして、そんなに……
「どうして、そんなに私に親切にしてくれるんですか? 私はあなた達の将来の雇い主である、このお屋敷の子息を亡き者にしようとしたのに……」
私はやるせなくて、再び黙ってうつむいてしまった。
「だって若奥様。あの幽霊屋敷で有名だったこのヘイゼル邸を美しく生まれ変わらせようと実行に移した方は、後にも先にもエミリア様だけなのですよ。このお屋敷をこれからも変え続けることができるのは、エミリア様以外には考えられませんもの」
みんなが口を揃えて言うその言葉に、私は目を見開いた。
そうだ、誰もが入るのをためらうような恐ろしい見た目だったこのお屋敷。
それもアルフリードを救うことにつながるはず! と思って、私はなんとかこの本館を全て(公爵様とアルフリードが元いた部屋以外)リフォームさせることに成功したのだ。
「ここ最近はみんな、精神的な苦痛が和らいだといって、騎士服コレクションの床下部屋にも足を向けずに済んでいるのですよ」
ほぁ……
騎士服コレクション部屋とは懐かしい。あれは、私が紛失してしまったヤエリゼ君のXSサイズの騎士服を探しに行った先の部屋で、初めてロージーちゃんがその本性を現した現場でもある。
その頃はリフォームもまだまだ途中だったから、メイドちゃん達は代々伝わるそのお部屋に癒しを求めて出入りしてたって聞いてたけど……
今ではお役御免になりつつあるということなのかな?
それにしても、私の腰掛けてるソファの横には、さっきメイドちゃんの1人が繕いものをしていたエスニョーラの騎士服らしきものが置いてあるんだけど、これは一体なんだろう?
そんなことを横目で見ながら考えていると、
「だから……だからこそ、若奥様に私たちは期待を抱いているのです!!」
私の事を見つめていた彼女達は、さらにこっちに迫るように近づいてきて、懇願するような目を向けてきたのだ。
「き、期待って、なんの事でしょう……?」
戸惑いながら恐々と声を発すると、彼女達は私の顔ぎりぎりまでさらに迫ってきた。
「公爵夫人しかなし得ないという、使用人経典による呪縛から私たちを解き放ってくださる事に決まってるじゃないですか!!」
うっ……
彼女達のランランと輝いているその瞳の強烈さに、私は思わず目眩を起こしそうになったのだった。
ヘイゼル家における因縁の掟“使用人経典”
2代目の女の人好きの当主から使用人さんを守るために、当時の執事頭と公爵夫人との間で交わされたこの掟を守るという契約は、今に至るまでずっとその効力を発揮していた。
しかしその代償として、使用人さん達はご主人様のいる前や、使用人の館以外のヘイゼル邸の中では死人のように無表情で、余計な言動を一切慎むように制限されているのだ。
それは、見ているこっちも息苦しくてたまらないし、それを実際にやってる使用人さん達は想像を絶するようなツラさを抱えて、お仕事に励んでいることは想像に難くなかった。
……それを変える“砦”となる存在。
それが私、エミリアだったってことなのか……
だからこそ、その稀有なる存在を逃すまいと、彼らはあの婚約証を丁寧に丁寧に修復して、アルフリードと私との間を取り持ったのだと。
そんな下心があったとは……しかしながら、私はハニかんだ笑みを彼らに向けながらも、心の中ですみません……と謝らざるを得なかった。
なぜなら、私は以前この経典の掟は解放しない方がいいっていう結論に達してしまっていたからだ。
もし解き放ってしまった時に、ヘイゼル家の隠された遺伝子である”女の人好き”が発症してしまった人物が現れたとしたら……
ヘイゼル家の名声は地に落ちて、そこら中に私生児が転がってるなんて大失態が起きかねない!
私が公爵家の一員になったからには、絶対にそんなことはさせる訳にはいかないのだ!!
という訳で、永遠に叶えてあげられない期待を一心に背負いながら、私は彼女たちと共にポテトのチップスとお茶を堪能させて頂いたのだった。
「この騎士服ですか? 美術館に常時展示されることになったエミリア様の女騎士コーナーに、私が作ったXSサイズの騎士服のレプリカを寄贈することになったので、代わりになるものを皆で手分けして作っているんですよ」
さっきから私の横に置いてある騎士服について聞いてみたところ、ロージーちゃんはそういう風に教えてくれた。
やっぱりお屋敷が綺麗になって騎士服コレクション部屋があんまり活用されなくなったとはいえ、XSサイズの騎士服っていうのは超レアものらしいので、ちゃんと代替品を用意することになったのか。
とりあえず、破れた婚約証の一件の全容が見えたところで、私は使用人の館をお暇させていただき、フローリア達にご挨拶したのち、エスニョーラ邸にお嫁入りの荷物を整理しに帰宅したのだった。