145.晴れの舞台
「それじゃあ、エミリア。驚かせたいから、目をつぶってもらえるかな?」
アルフリードはその背の高いものに掛けられた黒いカバーの上の方を掴みながら、私に向かって喋りかけた。
言われた通りに、胸の前で手を祈るみたいに組みながら両目をつむった。
私が彼のことを拒絶したあの日から、ちょうど1年ほどが経過していた。
彼を深く傷つけて、数え切れない程の涙を流して後悔してもし切れなくて……
クロウディア様を取り戻した日から、前みたいにお話したり一緒にいられるようになったり、時にはキスをしてくれたりもしたけれど、それ以上踏み込んだ事を彼は今日まで一切しなかった。
以前の大好きだった笑顔が消えてしまったのはツラいし、世の中はとても不穏になってしまったけれど、私は彼がそばにいてくれるだけで救われるような気がしていた。
だけど、これで……私とアルフリードは新しい道を歩むことになるんだ。
私があんなにヒドい事をしたのに、それでも彼は私との関係をもう一歩踏み込んだものにしてくれる……
その意思表明をしてくれるのが目の前のプレゼント。
私のまぶたの裏には、先日リリーナ姫が代わる代わるお着替えして披露していた、色んなデザインのドレスがいくつもいくつも浮かんできていた。
彼は一体どれを選んだんだろう。
姫はお色直しを10回以上やりたいって言ってたから、黄色とかピンクとか紫とか、いろんなカラーバリエーションがあったけど、やっぱり純白の色をしたものだったらいいな……
「さあ、目を開けて」
スルッと静かな衣擦れの音がして、アルフリードの穏やかで落ち着いた声がした。
これ以上を望むつもりなんか無かったのに、何を考えているんだろう私は。
浮かんでくる衣装を消し去って、頭の中を無にした私はゆっくりと目を開き始めた。
そこにまず飛び込んできた色は、さっきまで、まぶたの裏を占めていた煌めくような“白”だった。
そして、次に目に入ってきたのはエメラルドグリーンにも似た綺麗な青磁色をしたアクセントカラー。
すごく……すごく斬新!
とても洗練されていて、特別感が漂っていて、体全体から感動のようなものが湧き上がってくるのを感じた。
特に後ろでヒラヒラと舞っている純白の布が、その特別感を際立たせているし、何より胸元にあしらわれた帝国の紋章がめちゃくちゃカッコいい!!
……ん? カッコいい……?
「やっぱり、エミリアが着たいものといったら、これしか思い浮かばなくてさ」
黒いカバーを持ったままだったアルフリードは、それをパサッと床の上に落とすと、私から距離を置いて後ろの方に回り込んだ。
まるで、予想が完全に暴走してしまってたその目の前の衣装を私が思う存分、堪能できるように配慮してくれてるかのように……
「ア、ア、アルフリード……まさかこれって……」
私は一瞬、唖然としつつも、フルフルと顔を震わせながら、そんな彼の方を振り返った。
「そう、殿下が君を皇城から遠ざけて、結局キャンセルになってしまっていた極小サイズの皇族騎士団の制服だよ」
はあ~~!
皇女様が私のために発注して下さってたのに、いろいろな事があって仕上がるのが延期になってしまったりしてたブツがやっとお目見えしたという事ですか。このタイミングで……
「あれほどソフィアナの女騎士になる事を求めていた君だ。僕としては、その夢をなんとしても叶えさせてあげたいと思っている」
アルフリードはとても真剣だけれど、若干鋭い目つきで私の事を見つめている。
そ、そっか……
彼からプロポーズを受けた時に、それを拒絶した理由も皇女様の女騎士に専念したいからってことだったもんね。
「ア、アルフリード……こんなに素敵なプレゼントをありがとう。でも、どうしてこのお部屋で渡してくれたの?」
そう、さりげなく質問してみた私だけど……ここはヘイゼル家の次期公爵夫人が使用する居室なのだ。
これを言っては失礼千万だとは思うけど、私が勘違いするのも無理ない事だよね?
それとも、何か特別な理由でもあるのかな?
「喜んでもらえて光栄だよ。この部屋に運んだのは、エミリアの馴染みのある部屋で渡せればいいかな、と思っただけで特に大した理由はないよ。それにどうせ、この後はエスニョーラ邸に運んでしまうし」
理由はないんかい!!
あ、いけない、いけない……
こんなに真面目に対応してくれているアルフリードにツッコミを入れてしまったよ。
さっきまで私が勘違いしていたピュアな気持ちは、どこへ持って行けばいいんだろう……
しかしながら、ということは、
「明日から皇女様の女騎士……復帰ってこと??」
そう問いかけると、アルフリードは口の端を少し持ち上げて、1度うなずいた。
「明日から皇城へ着て行って構わないよ。でもその制服を用意した1番の理由は……エミリアには3国の国境で行われる“発表”に向かうソフィアナに同行する女騎士として馬車の先導をお願いしたいんだ」
「えーー!! 私も発表セレモニーに同行しちゃうの!!?」
想定外だった彼からのプレゼントをやっと受け入れられてきた所だったけど、さらなる想定外な展開に我を忘れて本音を丸出しにして叫んでいた。
皇女様たちが向かうその発表会は貴族家の当主は絶対参加だけど、厳重な警護が付くってこともあり、その夫人や令嬢までは危険なので参加しない事になっていた。
完全に皇女様たちの安全は帝国の騎士達に託して、すっかりその気になっていたのに、その役が自分にも回ってくるなんて思いもしなかったのだ。
「ソフィアナの女騎士として、これほどの晴れ舞台は無いんじゃないかって思ったんだ。なんで僕がここまでするか……その訳が分かる?」
とても大々的な事に巻き込まれる展開になってしまって、若干の恐怖すら感じていた私の方にアルフリードは少し近づいた。
なんで、ここまでするのか……さっき思い当たったことだろうか……
「わ、私があなたのことを拒んでまで皇女様の女騎士にこだわったから……?」
オズオズと彼を上目遣いに見ながら答えると、アルフリードは少しだけ目を伏せた後、まっすぐに私に目線を向けた。
「初めて僕の前に現れた時、君は間違えてエルラルゴに向けていたけど、本来ならソフィアナに向けて女騎士になりたいと言っていた時の、君の瞳だよ」
アルフリードが見つめる焦茶色の双眸には、私の顔が映っていて、さらにその中には2つの瞳が映っていた。
「とてつもない信念を持った、迷いを知らない力強い眼差しだった。僕はあの時のことを今でも鮮明に覚えている。だから、エミリア。僕が惹かれた君の瞳の奥にある、その願望を叶えさせてあげたいんだ」
奥深い彼の瞳に私の方が吸い込まれてしまうような感覚がした。
そうだったんだ……あの時は捨て身状態で世紀のビックリ事件を起こしてしまったけど、彼はその時の事をずっと覚えていて、この衣装と舞台を用意してくれようとしていたんだね。
本当は皇女様を馬車事故からお救いするためで、さらにそれは闇落ちするアルフリードを救うためだったから、もうそうする理由は私の中では消え失せてしまってるんだけど……もはやそんな事は言っていられない!
最愛の人がここまで私の事を考え抜いてくれているんだ。
エミリア、これはもう覚悟を決めて立ち上がるしかないよ!!!
私はアルフリードの瞳を強く見つめ返すと、唇を引き締めて、ニッコリと微笑んだ。
「ありがとう、アルフリード! 私、皇女様の女騎士、やり遂げてみせるよ!」
そう意気込んだ私のことをアルフリードは頼もしげな表情で見つめて私の手を握った。
「前に伝えたように、僕は君のそばにずっといるよ。会場に向かう時も、フローリアにまたがった君の横でガンブレッドと一緒に隣りにいて見守っているから、君はただ堂々としていればいい」
それは私の覚悟をさらに後押ししてくれる言葉だった。
皇族騎士の制服は、基調は白で、肩当てとか膝当て部分には青磁色が使われている、どの騎士団のものよりも洗練されてて、騎士達の憧れのユニフォームなんだそうだ。
そんな騎士服に私は次の日の朝、早速腕を通した。
「ミュミュちゃん、よくお食べなさいね」
エスニョーラ邸から馬車に乗ってヘイゼル邸の厩に向かった私は、その一角の部屋の前にかがんでボリボリとニンジンを仔馬に食べさせている女性がいるのに気づいた。
「あら……? エミリアなの?」
それはリュース邸で過ごしていたように、規則正しく朝の5時半から起き出して、毎日ご自身の愛馬と化しつつあるミュミュちゃんのお世話をしているクロウディア様だった。
彼女は時間を見つけては、この子と一緒に過ごしているのだ。
「こんなに光り輝いて……それにしても、これはまさか近衛兵の服装ではないの? 一体、どうしたというの?」
クロウディア様が驚くのも無理ないかもしれない。
今朝、鏡に映った自分を見た時にも、白くてピカピカと光っていて、なんだか着てるもののオーラに飲まれてしまってるような、落ち着かない気分がしたものだった。
私がなんでこんな格好をしているのか分からないクロウディア様にことの経緯を説明すると、
「ミュミュも乳離れをしてだいぶ経つし、フローリアは力が有り余ってしまってそこら中を駆け回っているから、お仕事に復帰できるならきっと喜んでいるでしょうね」
そう言って骨格も以前よりすっかりシッカリしてきたミュミュの栗毛色のツヤツヤの毛を撫でながら、彼女は穏やかにお話した。
「エミリア、先にこっちに来てたんだ。発表の日取りが決まるまでは、ソフィアナの護衛というよりは騎士鍛錬がメインになると思うけど、皇城に行こうか」
声がして見ると、そこには手綱を持ってガンブレッドを引いていているアルフリードの姿があった。
すっかりヘイゼル邸の住人となってしまったフローリアをここから連れ出して、この皇族騎士の格好をして今日から皇城へ通う事になるのだ。
私も大切な相棒を部屋から引っ張ってくると、鞍を乗せて颯爽とまたがった。
無事に国境の塔まで皇女様に同行するミッションをクリアし、万事うまく行った暁には今度こそ、私とアルフリードは……
久々にフローリアとヘイゼル邸の外を歩きながら、私はトクトクと緊張にも似た鼓動が高鳴っていくのを感じていた。