144.あの部屋の住人への贈り物
夏も終わってだいぶ涼しくなり出した頃。
ここ数日、私は四半期に1回やってくるエスニョーラ邸の3階にある貴族家マニュアルの更新作業をせっせらこと進めていた。
「エミリア、今日の朝なんでおじいちゃまの大好きなオーガニック野菜のジュースが出なかったか知ってる? キャルン国が野菜のきょーきゅーを止めちゃったからなんだよ」
私が机に向かって分厚い本のページを差し替えたりしている横の床の上では、もうすぐで2歳になる甥っ子のリカルドが、相変わらず毎日欠かさずに行っているマニュアル本の読み込みに精を出していた。
前は“エミ”としか言えなかったのに、ちゃんと私の名前も言えるようになって、2歳児では普通使わないだろう“供給”なんて言葉も使いこなそうとする成長ぶりを発揮している。
「うん、知ってるよ……ナディクス国の美容グッズも帝国に入ってこなくなっちゃって、おばあちゃまもリカルドのママもすっごく困ってるみたいだよ」
彼の言う通りここ数ヶ月の間に、キャルン国の特産品である農作物に、ナディクス国の美容グッズはどんどん輸入が停止されたり、関税がものすごく上がってしまっていて、貿易面での支障が顕著になってきていた。
それは3国間の王族達が婚姻するという同盟の条件がいつまで経っても履行されないため、本当に同盟を続ける気があるのか不信感を持った各国の経済担当の大臣や商人たちが、歯止めを効かせてしまっているからだった。
いわゆる“経済制裁”ってやつだ。
そして、私が今やってるマニュアル本の中にも、それと同じことをナディクス国やキャルン国にやろうとしてる貴族家の当主や、もっと強硬な手段に出るべきだと主張している人達というのが、目に見えて増えていた。
「リカルド、よく勉強してるな」
「ちちうえ!」
そんなこの国のことを憂いている甥っ子と彼からみたら叔母さんである私の空間に入ってきたのは、すっかりパパさんが板についてしまったお兄様だった。
彼は同じように少し伸びた髪の毛を後ろで縛っている男の子を持ち上げると、肩車をしてその場に座り込んだ。
「ちちうえ、僕考えたんだけど、王族の人達の行く場所を反対にすれば皆の不満も無くなるんじゃないの?」
父親の肩の上からさっきまで読んでたマニュアル本を見下ろしながら、リカルドが喋った。
確かにそういう事を言う人は他にもいたし、私もそういうふうに思っているうちの1人だった。
つまり、エルラルゴ王子様はナディクスに帰らず人質として暮らしてた帝国にとどまって、そのまま皇女様と結婚。
リリーナ姫とユラリスさんはキャルンでなくナディクスへ、皇太子様とエリーナさんは同じように帝国でなくキャルン国にとどまって結婚。
そうすれば、王子様と皇女様が出て行ってしまうのに反対して、今の状況を作ってるファンクラブや孤児出身者みたいな人達の不満も解消できる。
それに、リリーナ姫に帰ってきてもらいたくない上、エリーナさんを帝国に出したくないキャルン国を納得させることも出来る。
同盟の条件は“王族同士の結婚”なのだから、それに反することにはならない。
「そうだな。そうさせる方法があるにはあるが、そう簡単にできる話でも無いんだよな、これが……」
そんなふうに一緒にマニュアル本を眺め出したお兄様は息子からの問いかけに言葉を濁していた。
「エミリア様、この間の業者とは連絡がつかなくなってしまいましたの。もうこれで10件以上ですわ……そんなに廃業してしまうのが多い業界なのかしら? それで、また新しい所を見つけたから今度打ち合わせに……」
「わ~! さすがオリビア様ですわ! 私も色々聞いてみたい事があるから連絡先を控えさせて頂きますわね」
退会扱いになってたエル様ファンクラブにも再入会を無事果たし、この日はサルーシェ伯爵邸で開かれる定例ミーティングに参加していた。
コンサル業者を見つけてくる度に、すぐに私が皇城に連絡を取って検挙してもらってる事にオリビア嬢は幸いな事に全く気づいてないようだ。
連絡先をもらって、その足で皇城に赴く馬車の中、帝都の街中を通っていると窓からは大きな声が聞こえてきた。
「……これまでの輸出入を止めたということは、奴らは我々に宣戦布告をしているも同然だ! 先の大戦ではナディクスより迫害を受け、80年前にはキャルンより領土を奪われた。今こそ、その報復を取るべき時ではないのか!……」
それは人通りの多い市場の中で高い踏み台に乗って聴衆に向けられている、街頭演説だった。
帝都では連日、こんな風に人々を煽っているような場面にしょっちゅう出くわすようになっていた。
今はまだこれまで通りの生活を何とか保っているけど、それがいつ崩れてしまってもおかしくない……
そんな雰囲気を日々感じずにはいられなかった。
皇城に着くと、私は正門からお城の中へと入って行った。
もうエスニョーラ邸で隠された令嬢では無くなっていたので、堂々と表から皇城に出入りしても問題ないからだ。
お城の騎士の人にアルフリードの居場所を聞くと、重大な会議の真っ最中ということで、皇女様の所へと向かった。
「いくら検挙しても次から次へと湧いてくるのだな。そういえば、先日あった鎧が盗まれた事件。あれも、ああした輩が一枚噛んでいたようだ」
皇女様は私が渡したオリビア嬢から聞き出したコンサル業者の連絡先を皇族騎士の人に渡しながらそう言った。
皇女様の言ってる事件とは、元リューセリンヌのお城に残されたままだった黒い大量の鎧を、これから起こるかもしれない戦で有効活用するため帝都に運び出す時に起こった。
鎧のいくつかは帝都に届いたけど、その多くが途中で行方不明になってしまったのだ。
運搬に携わってた下請け業者の仕業という所までは分かったものの、いまだにそれらはどこにあるのか分からない状態だった。
皇女様と私はプライベート庭園へ移動して、木になっている秋の果物を収穫したりすることにした。
そして、しばらく経った頃、向こうの方からアルフリードが駆け寄ってきた。
「終わったか、議論は決着したのか?」
木の枝で可愛らしく作られたカゴを手に持ちながら皇女様はアルフリードにお聞きになった。
ちなみに、王子様が戻ってきてから皇女様は軍服姿をやめて、なぜかどれもゴージャスに見えてしまう普通のドレスを着るようになっていた。
「ともかく白熱して今日中に決まらないかと思ったけど、例の件について陛下や皇太子殿下の強い説得で、各部の大臣達もやっと納得してくれたよ。これがうまくいけば万事解決の方向に向かうはずだ」
例の件……実は、リカルドにお兄様が言ってたみたいに、皆を納得させて今の混乱を乗り切る方法というのが、この半年の間に見出されたのだ。
これを実行するには、婚姻関係にある王族6人がとある”発表”をする必要があるんだけど、それを帝国内で権力を持つ各部署の大臣である貴族家の当主に承認してもらわなければならなかった。
しかしながら、そのほとんどは最新の貴族家マニュアルに載ってたみたいな、経済制裁やら、もっと過激な事をした方がいいっていう考えの人や、街頭演説で聞いたみたいに長年の歴史でやられた事に対する報復をすべきだ、というような意見を持っていた人々だ。
最大の難関と思われていたその人達を納得させることができて、例の”発表”をすることができたのなら……!
私がこの世界にやってきた頃みたいな、平穏で豊かな生活が戻ってくるのも夢じゃない!!
「それでソフィアナ、今回決まった内容をエルラルゴ、ユラリス殿下、そしてリリーナ姫にも伝える必要があるから、一緒に来てくれ。それからエミリア、今日は何時に終わるか分からないから先に戻っていて。明日、話したいことがあるからエスニョーラ邸へ僕から行くよ」
そうアルフリードは忙しそうに言うと、皇女様と一緒にまた来た方へ戻って行った。
次の日、アルフリードは約束通り、ウチまで来てくれてこれから何が起こるのか説明をしてくれた。
「帝国でこの件について承認が降りたことはキャルンとナディクスへも使者を出したよ。2国もこれに同意したら、3国の国境地点で6人の王族たちは発表をすることになる」
3国の国境地点……前にアルフリードが子供時代の事を話してくれた時に言っていた、エルラルゴ王子様たちが人質交換をするのに使われた場所だ。
そこにはその日のために作られた土色をした塔が建っているのだという。
「でも、発表なら皇女様とアルフリードが婚約の知らせを出した時みたいに、帝国中にある掲示板に貼り出すのではダメなの? それに、こんなに混沌としているのに、王族の人達が外へ移動したり集結するのは危なくない?」
私は高級ブティックの前でリリーナ姫が暴漢に襲われそうになった事を思い出していた。
極力、要人である彼らを外出させるのは控えさせるべきなんじゃないのかな……
「6人が勢揃いしている状態で多くの人々のいる前で発信しなければ意味がないんだよ。エリーナ姫はキャルンにいるから帝国でやる訳にはいかないし、やはりその舞台となるのは、あの塔以外には考えられないんだ」
そうか……おそらく、歴史を覆すほどの重大な発表になることは間違いないのだ。
うう、だけど……
「ソフィアナたちが移動する馬車には、皇族騎士団が何重にも周囲を取り巻くから心配しなくて大丈夫だ。それに、18年前と同じように帝国の貴族家の騎士団も全て動員されることになっている」
私の心配を見越してアルフリードは言うように、それだけの騎士が皇女様たちの事をお護りしてくれるなら、私がこれ以上案じても仕方がないかな。
私が1人、皇女様が馬車事故に遭うことを知っていて、女騎士としてお側に就こうとしていた時とは状況が違うのだ。
ローランディスさんが捕まった事を発端に、各国の要人はいつ、どこで狙われるか分からないという事が周知されて、警備が強化されたことで私はもう皇女様の女騎士からは撤収してしまっている。
ここは、騎士団の方々に全てをお任せするしかないだろう。
「それでエミリア。君に渡したいものがあるんだ。ちょうど先日、ウチに届いたところだから一緒に来てほしい」
そうして訪れたヘイゼル邸で向かった先は、彼がアル中で倒れてしまった時に一生懸命に介護しながら、寝泊まりしていた彼の部屋と中扉で繋がっている、あの部屋だった。
そこの一角には黒いカバーで覆われた背の高いものが置いてある。
「これは……?」
それの目の前に立たせられた私は、なんだかソワソワしてアルフリードに尋ねていた。
「前にエミリアが着たい、と言っていたものだよ。仕立て屋に頼んでから、随分時間が経って待たせてしまったけど……どうか受け取ってほしいんだ」
私の横に立っている彼の声は、とても落ち着いたものだった。
元気になったロージーちゃんが教えてくれた所によれば、ここは代々、次期公爵夫人が使っている部屋なのだという。
その部屋で渡す私への洋服のプレゼントといったら……
やっぱり、あの一生に一度のセレモニーで着る……ドレスのこと?