143.いつまでも待ってる
それからすぐにアルフリードが皇族騎士団とかと調整をして、エル様ファンクラブが依頼しようとしていたコンサル業者は検挙されることとなった。
「いまやファンクラブは貴族から平民、10代の若者から老年のご婦人まであらゆる年代の女性が入会している、帝国内でもかなり大きな組織になっている」
ことの経緯を説明してくれる中でアルフリードはそんなことを漏らした。
「大貴族出身者もほとんど所属していて資金も潤沢だから、今後もいいカモにされる可能性はかなり高い。エミリア、ファンクラブの動向に注意して、またおかしな動きがあったら教えてくれるかい?」
まるでスパイにでもなった気分だけど、オリビア嬢達がその気になれば冗談のように思われたナディクス国を滅ぼすのに必要な諸経費を払う事だって、不可能ではなさそうだ。
「もちろんだよ! そんな事にさせる訳にはいかないもんね……」
私は真剣な表情で、アルフリードを見据えて何度も顔をうなずかせていた。
「エミリア様、大変お待たせ致しましたっ! 用意が整ったので始めさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
アルフリードと皇城内の廊下で話していると、そこに現れたのはエステティシャンのアリスだった。
アルフリードは皇太子様のお仕事に戻って行って、私はアリスと約束通りにリリーナ姫のために作られたエステルームに向かった。
「助かりました、いまアンバー様とスパにいるエステティシャン仲間たちと様々な肌タイプの方に合わせたトリートメントメニューを開発中なのですが、リリーナ姫様は乾燥肌のためオイリー肌のエミリア様でどうしても試してみたかったのです! さあ、こちらに横になって下さい」
仰向けになってベッドに横になっていると、顔にひんやりとしたコールドクリームが塗られ始めて、なんだか気持ちが良くなってきた。
私はけっこう汗っかきな上、ほっとくといつも鼻の頭とかがギトギトしてきて脂っぽい感じになってきてしまうのが若干の悩みで、実験体とはいえこの新しい試みに思わず期待を寄せていた。
「皇女様は混合肌ですので、今度、そちら向けの施術をさせて頂くことになったのですよ」
ふぇ~ 皇女様がエステして、さらに美しさに磨きが掛かったら、まさに敵なしだな。
皇女様のお話が出てきたところで、私は気を許しているアリスに早速、先日生じ始めた不安を吐露し始めていた。
「皇女様と王子様って帝国中の人気者なんだなって、つくづく感じちゃったよ……まさか、ファンクラブの人達がナディクスに行くのを止めようとしてたなんて、まだ信じられないよ」
エステティシャンとしての技術の高さは言うまでもなく、アリスはこうしてお客様との会話を楽しむ上でも接客のプロフェッショナルさをいつも感じさせてくれていた。
こんな愚痴めいた事を言っても穏やかに、軽やかに相づちを打って、話を気分のいい方に合わせてくれるのだ。
そして今回もいつもみたいに、私の感覚が間違ってないっていう安心感と自信を与えてくれる。
そう当たり前のように感じていたんだけど……
なぜか突然、顔をマッサージしているアリスの手が止まった。
ん? と思って閉じていた目を開くと、彼女は暗くて重い面持ちで下にうつむき、体をワナワナと震わしている……
「私も、ファンクラブの方々のお気持ちが、よぉ~く分かります……孤児だった私やスパの仲間たちに技術を仕込んで自活力を身に付けて下さったエルラルゴ様、そしてそうした福祉活動を促進してくださった皇女様が帝国をお出になられてしまうなんて、考えられません!!」
アリスは瞳に涙を蓄えさせて、ポタポタとその雫が私の頬に落ちてきた。
まさか、ここにも……隠された障害が姿を現したってこと!?
アリスは白衣でできたスカートのポッケに手を突っ込むとあるものを取り出した。
「これは先日、スパリゾートの仲間達から渡されたお名刺です。エルラルゴ様と皇女様をお引き止めする方法を一緒に考えてくれる方だそうで、今度みんなと話し合いに行くことに……」
私は顔がクリームまみれだっていうのも気にせずに、そこまで聞いた途端、ガバッと起き上がって、アリスが持ってた四角い小さい紙を奪っていた。
「うわ~! 私も本当は皇女様達には帝国から出て行って欲しくなかったの! 私もこの名刺に載ってる人へ連絡してみたいから、ちょっと借りさせてもらうね! また新しい情報が入ったらすぐに教えてね!!」
オリビア嬢達の時とほぼ同じ口実を使って、私は第2の隠された障害である孤児出身者達をアリスを通して監視することとなった。
「やっぱり……エミリア様も同じお考えだったのですね。なんとしてでも、一緒にお2人が旅立つのをお止めしましょう!」
アリスもまた、私がそんな事を考えてるとは思いもよらぬ素振りで、涙を手で振り払うと再び完璧な接客態度を取り戻して、オイリー肌用のトリートメントケアを再開した。
その日の帰り、ヘイゼル家の馬車に乗ってアルフリードと私はエスニョーラ邸へと向かった。
「さっきのアリスから聞き出したコンサル業者の件は皇族騎士団に手配を任せてきたよ。これだけ反発しそうな者がいるんだったら、エルラルゴもソフィアナもしばらくは帝国に留まって、様子を見ることになりそうだ」
はぁ……アルフリードの話を聞きながら、思わずため息が出てしまう。
様子を見ると言っても、一体いつまでこの身動きがつかない状況が続くんだろう。
エル様ファンクラブと孤児出身者達の動向は監視できたとしても、他にも反発勢力はいそうだし、水面下でコンサルタントを雇って色々計画が練られてるかもしれない。
平和を維持するための三国同盟は……これからどうなってしまうんだろう。
「エミリア、君がこの前、着てみたいって言ってたもの。仕立て屋に頼んでおいたから」
ふいに、アルフリードは全く違う話をし始めた。
私はキョトンとした表情で、彼の顔を見つめていた。
「着たい、もの……?」
思わずつぶやきながら、何だったか思い出していると、ヘイゼル邸の花園の中に佇んでいる白い衣装を身にまとっている自分の姿が突如として頭の中に浮かんできた。
え、えっと……それって、まさか……!!
この前、リリーナ姫が襲われたウェディングドレス試着会の後、怪我した彼を手当てしてる時に聞かれた質問の事を思い出していた。
でもあの時、私はちゃんと答えてなかったと思うんだけど、もしかして彼なりに理想とするものがあって、用意してくれてるとか……?
「ただ、これから世の中がどうなるか分からないから国策のために仕立て屋も忙しくて、完成には数ヶ月かかってしまうみたいなんだ。それまで、待っててくれるかな……?」
アルフリードは表情は乏しくも、整った顔立ちで上目遣いで私の方に視線を向けた。
「もちろんだよ、私はいつまででも、いつまででも待ってるよ……」
私は照れ臭くなってしまって、少しうつむいて彼から視線を外してしまった。
少し沈黙があって、なんだか気まずさを感じて、私は別の話をし始めた。
「あの、さっき言ってた仕立て屋さんが国策で忙しくなるっていうのは、どういうこと?」
「ああ、帝都中の仕立て屋に伝令があって、各騎士団用の予備の制服なんかを作ってもらっているよ……もし戦になったら、彼らには替えの服が大量に必要になるからね」
!!
戦……? 帝国ではもう、今の状況からゆくゆくはそうなる事を見越して準備を開始しているというの?
「そんな……戦争なんて、イヤだよ!」
私は思わず静かに湧き上がってきた不安にあおられて、アルフリードに向かって叫んでいた。
「まだ、そうなると決まった訳じゃないんだ。ただ、準備だけはしておかないと、何かが始まった後で慌てるのでは遅すぎる。他にも、食料の備蓄も開始してるし、場合によっては領民を守るために貴族家は邸宅の敷地内に彼らを避難させる準備も必要だ」
話でしか聞いたことはないけど、エスニョーラ邸にもヘイゼル邸にも大きな地下室があって、前回の戦の頃もそこに帝都住民を避難させて、敵からの攻撃を守ったりしていたそうだ。それが帝国内の貴族家の義務だからと。
「だけど、エミリア。もしどんな事があっても、僕はずっと君のそばにいる。絶対に離れないから」
アルフリードは真剣な瞳で、じっと私のことを見つめた。
私は心臓が震えるのを感じながら、うっすらと涙を浮かべて唇を噛み締めながら、彼に向かって強くうなづいた。
そんな私の手を取ると、彼はその甲に口付けをした。
エスニョーラ邸に到着して玄関に入ると、何やらフローラルないい香りが立ち込めてきた。
その香りに釣られて私とアルフリードが進んでいくと、そこはティールームでワチャワチャとした賑やかな話し声が聞こえてきた。
「あら、エミリアちゃんにアル! 私達もさっき着いたばかりなのよ」
そこで立ちながら大きい手振りで何かを喋っていたのは、リュース家の別邸から戻ってからしばらく帝都に滞在しているルランシア様だった。
その前で腰掛けてお茶を飲んでいるのは、私のお母様とそして……
「母上、今日は叔母上とエスニョーラ夫人とお出掛けをなさっていたのですね」
アルフリードが声を掛けたのは、ティーカップを前にとてもお行儀よく両手をスカートの上にそろえて、椅子に腰掛けているクロウディア様だった。
そして、そのティーカップの横には、いくつか小さなビンが置いてある。
「ええ、マルヴェナはこちらに来てから初めて出来たお友達ですわ。帝都の香水ショップへ行って、いくつか頂いて参りましたの」
なんだかうちにクロウディア様がいらっしゃるなんて不思議な気分だけど、さっきからしてるフローラルな香りはあのビンの中に入ってる香水だったんだ!
「そうそう、今度うちの庭に咲いてるバラでエミリアが得意な手作り香水を作ろうと思うの。あなたもご一緒にいかがかしら?」
「まあ、それは是非お願いしたいですわ。リチャード様から頂いたアエモギの香水もエミリアが作ったのですってね。とても楽しみね」
徐々に、徐々に、クロウディア様も帝都の生活に馴染み始めているみたいだ。
それからうちではバラ園で香水作りをしたり、あんまり代わり映えのしない日々を過ごしていた。
そうして、皇女様も王子様も引き続き皇城に留まり続け、半年近くの歳月が流れて行った。