142.隠された障害
この日、私が訪れたのは500人くらいは収容できる皇城の中にある講堂だった。
この中は大学とかにありそうな、前の方に演台があって、その前方には後ろに行くに従って、徐々に座席の位置が高くなっていく聴講席が設置してある。
ここで今日、開催されてる演目は既に始まってるんだけど、黒っぽいローブを頭からすっぽり被った私は、わざと少しだけ遅れて行って、後方にある扉をそーっと開いた。
中を覗くと、可愛らしく綺麗に髪を整えたご令嬢方が座っている後ろ姿が、たくさん目に入った。
前の方の列には、もっと年配で素敵な広いツバの帽子を被ったご婦人方の後ろ姿も見えたりする。
そんな彼女たちに気付かれないように、これまたそーっと私は後ろの隅っこの方にある空いてる座席に腰掛けた。
そして、この講堂の1番前の演台に乗っかってお話しているのは……
「……えーっと、じゃあ久々のご挨拶はこの辺にして、まずは最初に舞い降りることになっちゃった国のことから始めたいと思います……」
演台の後ろにある壁に掲げられている、大きな布の中にある模様のついたパッチワークの1つを長い棒で差しながら説明を始めたのは、エルラルゴ王子様だった。
今日は30以上の国々を巡った王子様の体験談を聞ける会が催されていて、皇女様みたいに王子様の安否をすっごく心配していた、エル様ファンクラブの面々はほぼ全員参加している状態だ。
私も以前はファンクラブ会員だったけど、再びエスニョーラ邸に隠されて外部の情報を遮断されてから、月1に発行される会員広報誌も届かなくなってしまって、昨日までこんな催しが企画されてるなんて知らなかったんだけど、王子様から直々に教えてもらったので、急遽参加させてもらうことになったのだ。
そして、なんでこんなにコソコソしてるかっていうと、アルフリードとお別れしたり、復縁したり、またお別れしたり、また復々縁したり……完全に社交界のゴシップネタにされてることは請け合いだし、聞くところによれば、彼はここにいる何人ものご令嬢たちと婚約者候補を見つけ出すために食事に行ったり、舞踏会にも出席してたというではないか……
そんな彼女たちとお顔を合わせて、まともな状態でいられる自信もないし、この上ない気まずさから、数々の信じられないような冒険譚が茨の森付近で終わりを告げたって内容で王子様の口から締めくくられたところで、ローブのフードを深く被ると、私はそそくさと席を立って扉へと直行し始めた。
扉を開いて、足早に会場を後にしようとした所で……
「あなた、ちょっと待ってくださる? エミリア様ではありませんの!」
後ろから声を掛けられてしまったのだ。
でも、その声には聞き覚えがあって、それを無視するのもはばかられて、私は立ち止まって少しだけその子の方に向きを変えた。
「やっぱり! その香りはエミリア様だと思いましたの」
そうして、ちょっと駆け足で近づいてきたのは、縦巻きロールの長い髪の毛が特徴的な、エル様ファンクラブの会長であるサルーシェ伯爵家のオリビア嬢だった。
彼女の言葉に、私は思わずクンクンと自分の匂いを嗅いでしまった。
そ、そうだった……私の洋服ダンスにはクロウディア様お気に入りのアエモギの香水の芳香剤が入っているのだ。
そのため、私が身にまとうものには漏れなく、この香りがついてしまっているのだ。
ご令嬢たちにバレないようコソコソしてたのに、そんな事にまで気が回らなかったな。
「その格好は魔法使いの真似事でもしてますの? でも、良かったですわ……エスニョーラ家からエミリア様がいなくなったと探しに来られた時には心配で仕方ありませんでしたの。これからマリアンヌ様とミゼット様と我が家でお茶をすることになっているのですけれど、エミリア様もご一緒しませんこと?」
私が隠されてしまった時にも、会いにきてくれていた仲良しのご令嬢の3人だ。
そっか……さらわれてしまった知らせも受けてたのに、戻ってきた時に私から何の連絡もしてなくて申し訳なかったな……
私はオリビア嬢のお誘いを受けて、他のご令嬢と一緒にサルーシェ伯爵家へその足でお邪魔させてもらうことになった。
「エミリア様、そのような事お気になさらなくて大丈夫ですわよ」
私たち4人は伯爵家の手入れが行き届いていて、緑豊かな中庭の丸テーブルを囲んで、さっそく優雅にお茶を嗜んでいた。
会長であるオリビア嬢の邸宅ということもあり、ここはエル様ファンクラブの事務所にもなっている。私も彼女のご友人として、これまでにも何回か訪れたことがある場所でもあった。
「で、でも、社交界でも何度も騒ぎを起こしてしまっているし、表舞台にはもう出ないようにした方がいいと思ってますの……」
私はさっき講堂でコソコソしてた理由を彼女たちに説明していた。
「先日、私たちのアイコンであるリリーナ王女様の命をお救いした件を聞いて、帝国中のご令嬢はエミリア様のことをお慕いしていますのよ。それまでは確かに、快くない思いをしていた者もおりましたけれど、名誉は挽回されたも同然ですわ」
社交界の情報をいち早くキャッチしてしまう彼女たちだ。
私が回し蹴りしてリリーナ姫が襲われるのを防いだ件も掌握済みらしい。
最後のトドメは姫のハイヒールのかかとで踏んづけられた、っていうのは知ってるのか謎だけど、その事を聞いて私は少し胸を撫で下ろした。
「それにしても困ったものですわね。リリーナ王女様がキャルン国にお戻りになれないのでは、それまでの間に同盟に穴が開くようなことがあっては恐ろしいですもの……」
ミゼット嬢はそう言いながらティーカップを持ってシュンとした表情をした。
「そうなんですの……それに、皇太子様もエリーナ姫を帝国に呼び戻されることが困難になってしまって、条件通りに王位継承者の元へ向かうことができるのは王子様と皇女様のごカップルだけ、という状況ですのよね」
ご令嬢言葉を駆使しながら、私は彼女たちと不安な気持ちを共有しあっていた。
せめて、王子様と皇女様がこのまま何の障害もなく婚姻して、それが三国同盟が決裂するなんて最悪な事態を防ぐ良い方向に作用しないものか……
考えれば考えるほど、難しすぎてドツボにハマってしまいそうだけど、ウーンと頭をひねって考えていると、何だか異様な視線を感じ始めて顔を上げてみた。
すると……
さっきまで朗らかに談笑していたはずの、オリビア嬢にマリアンヌ嬢、ミゼット嬢がカップを口元に当てながら、じとーっとした目つきで私の事を見ている……
「み、みなさま? どうかなさいましたの……?」
私は冷や汗を額の横から垂らしながら、彼女たちに問いかけていた。
「実はわたくし達……本当は随分前からエル様と皇女様がナディクスへ行かれてしまうのには反対でしたの」
……え?
急に何を言い出したのかよく分からなくて、私は一瞬お茶を飲む動きを止めてしまっていた。
「そ、それはどういう事ですの?」
「わたくし達、もっともっとエル様から沢山の知識や技術を吸収したいと思っていますの。前回、国王様の喪中でナディクスへ帰られてしまった時、ワークショップの内容を通信講座で補おうとしましたけれど、やはりエル様から直に教えていただくモノには遠く及ばず……帝国でワークショップをずっと続けて頂きたいんですの」
ええっ……その気持ちも分からなくはないけど、国同士で決めた事の邪魔だてをすることになるよね? そんなの帝国令嬢たちのただのワガママだよ……
思わず眉をひそめて、理解しがたい表情になってしまっていると、オリビア嬢がさらに続けた。
「それにナディクスは国王様が2代に渡って死んでしまいそうになったくらい、毒が盛られる恐ろしい国ですわ。そんな危険なところへ皇女様を送り出すなんて、お可哀想でなりませんわ!」
それは……私も初めてナディクスがそんな国だっていうのを聞いた時は、同じ事を思ったんだった。
「皇女様の女騎士をされていたエミリア様だって、皇女様が危険な目に晒されてしまうのは、我慢なりませんでしょう?」
うっ……
悲痛な表情で訴える彼女達に、反論しようとしても言葉に詰まってしまう……
お2人を引き止める事ができるなら、帝国で今まで通りお会いしていた日々をずーっと過ごしていたいよ。
それが毎日、命の危険を案じる日々に変わってしまうのは、確かに心苦しい。
「そうですわ、オリビア様! 例のお話、エミリア様のご意見も伺ってみたらいかがかしら?」
私が何も言えずにうなだれていると、ミゼット嬢が思い出したように明るい表情をした。
それを聞くとオリビア嬢は、そうですわね! と賛同の声を発すると、ふところから小さな四角い紙を取り出して、私に渡してきた。
これは名刺だろうか?
よく見てみると、そこには、
“あなたのその想い、実現するお手伝いをさせていただけませんか? 有能なコンサルタントがあなたの夢を叶えちゃいます!”
というキャッチフレーズとともに、連絡先が書いてある。
な、なんだこれは……
コンサルタント。
コンサルタントといえばコンサル業を営んでる人。
コンサル業といえば、ローランディスさんにザルン家。
……はぁ?
「先日、街でお買い物を楽しんでましたら、こちらを頂きましたの。どのようにエル様と皇女様をお引き止めするか、今度話し合う事になってますのよ」
そんなふうに彼女達はニコニコとしながら教えてくれたんだけど……
もちろんローランディスさん達はもう捕まってしまってるけど、同じ仕事をしている人は世の中には五万といると言っていた。
じゃあ、彼女達はコンサル業者を使って、お2人がナディクスで婚礼を挙げるのを阻止しようとしてるってこと!?
ま、待て待て。
同じ業者だって、ローランディスさんみたいに犯罪がらみの危険な事に手を染めてる人ばかりとは限らないよね。
「まあ、このようなお話があるんですのね……これまでに、この方から具体的なご提案は頂いているのかしら?」
ちょっと控え目に聞いてみると、オリビア嬢は瞳をランランと輝かせて勢いよく喋り出した。
「やはり、エミリア様も興味をお持ちですのね! 例えば、ナディクスで暴動を起こして、さらに危険な国という印象を強めて、陛下のお気持ちを動かすとか……他には何があったかしら、マリアンヌ様?」
暴動……いきなり野蛮なワードが飛び出したけど、バトンタッチされたマリアンヌ嬢が思い出す素振りをした。
「お2人が旅立たれる時に、馬車をお襲いして、無理矢理にでも帝国に留めさせるとか、ナディクスのお城を爆破して物理的に行けなくさせてしまうとか」
ええ……
「むしろ、ナディクス国を滅ぼしてしまえば良い、というご提案も頂きましてよ」
もうヤバい業者というのは十分理解できたところに、さらにミゼット嬢も口を挟んできた。
彼女達は純粋すぎるがゆえに、目的を達成するためなら理性的な判断すらぶっ飛ばしてしまったのだろうか……
まだ話し合いをしてる段階のところで、何とか止めさせなければと、私は直接この人に話を聞いてみたいって口実を使って名刺を奪うことに成功した。
実際にはアルフリードや皇女様に共有して、すぐにでも逮捕してもらうつもりだけど。
そんな事を私が考えてるなんて思ってもいない様子で、伯爵邸からお見送りしてくれるオリビア嬢に手を振りながら、私はショックを感じざるを得なかった。
王子様に皇女様は帝国内の”超”がつく人気者なのだ。
ファンクラブの面々みたいに、お2人がナディクスに行ってしまうのを快く思っていない反対勢力というのは、実は結構いるんじゃないか……
こんなに身近なところで、今までベールに隠されてた障害が私の前に姿を現してしまった。