141.エミリアが着たいもの
姫とユラリスさんの安全を確保した上で、私たちは無事に皇城へと戻ってきた。
「おお……姫、可哀想に怖かったであろう。全く、アンバーはお主たちの専属騎士であっただろう。一体、どこにおるのじゃ?」
いくら思い出しても怖そうにしてた素振りなんて見たことないのに、エルラルゴ王子様たちのお祖父様は、リリーナ姫を痛々しそうに見下ろしながら、ツヤツヤ輝いてる髪の毛をヨシヨシと撫でていた。
「ふん、あんなブサオ知ったことじゃないわ! この視界の中に入ってこなくて、せいせいしてるんだからっ」
久々に聞くお名前だけど、アンバーさんはリリーナ姫が帝国にやってきた時に一緒に付いてきたナディクス国の白騎士さんだ。
すっかり彼の美容知識のスペックの高さに魅了されてしまったエステティシャンのアリスは、姫から離れてる時は彼を師と仰いで知識習得に励んでいた。
ちなみに、同じ顔にしか見えないのにナディクス族では好ましくない見た目のアンバーさんより数十倍の美しさを誇るという彼の部下の白騎士トリオは、スパリゾートの美容ショップ店員に転職したり、ナディクスの家庭料理を振る舞うお店を始めたりと、すでにそれぞれの道を歩み始めてしまっていた。
「はぁ、それでエミリアちゃんと姫が倒したのは、私とユラリスを襲った黒騎士集団にいた人だったんだ」
そう言うのは、何やら大きな白い布の端っこにいくつも糸をくくりつけている、エルラルゴ王子様だ。
「彼らの雇い主だったザルン家はローランディスが捕まった後すぐに検挙されて、あの黒騎士の傭兵団も解体されたんだ。彼らはもともとは姫の生活費を捻出するため、騎士団を維持できなくなった貴族家によって解雇されたキャルン国の騎士だったんだよ。だから相当、姫には恨みを持っているみたいだ」
アルフリードがそう説明を加えてくれた。
黒騎士集団が解体された事で、再び職を失ってしまった元キャルン国の騎士は数100人はいるそうだ……
という訳で、また姫がいつ狙われるか分からないので、明日予定されていたウェディングドレス試着会は言うまでもなく中止となった。
「こっちだって、あんな国で暮らすのなんかゴメンなのよ。こんな事態になってくれてむしろ好都合だわ〜」
なぜか自身のご祖国を毛嫌いしている姫は、他人事のような雰囲気で高笑いをしながら、ユラリスさんの手を引っ張りながら、どこかへ行ってしまった。
「ところで王子様、それは何を作っているんですか?」
一応、ここは王子様がワークショップの準備なんかに使ったりする皇城内のフリースペースなんだけど、さっきから王子様は大きな布端に糸をいくつも付けているのだ。
「これは、お祖父様がすっかりパラグライダーの事が気に入ってしまってさ。今作ってあげてるんだけど、これができたら帝国をお出になって僕が意図せずしてしまったみたいに遠くまで旅に出たいんだってさ」
ふーむ、なるほど。
それでこんなにでっかい布を広げてやってるっていうのか。
目の前にいらしゃる立派な風格のご老人は、あの閉鎖的で、すぐに毒だって盛られてしまうような国の長をずっとしていらっしゃったのだ。
一度、政務を離れた上にちゃんと後継者もいるんだったら、またやってやろう! っていうバイタリティも湧いて来なそうだな。
老後のお楽しみとしたら、空飛ぶ放浪生活なんてハードなようにも感じてしまうけど悠々自適な人生で素敵だな〜なんて思っていると、
「そういえば、リューセリンヌのクロウディア姫がワシと同じように生き返ったそうではないか。帝国を旅立つ前に一度また会いたいものよのぉ」
元国王様は急に意外なことを言い出したのだ。
1000年前にナディクス国からリューセリンヌ国に若返りの薬が送られたということだから、2国間に最近まで国交があったとしても不思議なことではないけれど。
「では今度、母上をこちらに連れて参りますので、よろしくお願いいたします」
アルフリードはそう返したのだった。
ザクッ ザクッ ザクッ
ここは、皇城の上の方にあるプライベート庭園が見渡せるテラス。
下の方を見下ろすと、庭園の一角に色々な作物が植わっている畑エリアがある。
そこには、東南アジア風の前開きの柔らかそうな白い綿シャツに、ゆったりとしたズボンを履いた男性が、せっせとクワを持って畑を耕していた。
初めて皇城の裏門でお会いした時に、その身分を疑ってしまうようなナチュラルテイスト漂う装いと同じ格好でいらっしゃるジョナスン皇太子様の姿だった。
あの畑は彼のフィアンセであるエリーナ姫がまだ元気に帝国にいらっしゃった頃、仲良く一緒に育てられていた彼らの思い出の場所。
「エリーナさん、元気になったかなぁ……」
最後に彼女をお見かけしたのは、完全にダウンしてしまった状態で毛布をグルグル巻きにさせられて、馬車でキャルンに行ってしまったのをお見送りした時だ。
私がテラスの手すりに両手を添えて、皇太子様を遠目に見ながらその時のことを思い出していると、その手にさらに別の手が乗せられてきた。
その手の中指と人差し指の付け根あたりには、赤くなって擦れたような傷ができている。
「アルフリード! どうしたの、これ!? さっき元黒騎士の人を押さえた時にできたの?」
私はビックリして、彼の手を取るとマジマジとその傷を見てしまった。
「ああ、咄嗟のことでつい手を上げてしまってたけど、大した事ないよ……」
皇太子様に合わせて休憩中だったアルフリードは、そんな風に言っているけど、私に手を取られたまま、特に抵抗する様子もなくされるがままになっていた。
確かに傷は全然深そうには見えないけど、このまま放置している訳にはいかない。
私は救急箱を借りて持ってくると、テラスのところに置いてあるテーブルセットに彼を座らせて、ちょっと骨張ってるけど、指が長くて綺麗な手を手当てし始めた。
「この間、キャルンに行った時にイモ協会会長にエリーナ姫の事を聞いてみたんだ。そうしたらもう、国民たちの前にも出れるくらい体の具合も良くなってきたそうだよ」
アルフリードは手当を受けながら、おもむろにそう言った。
「そ、それじゃあ、帝国にも戻ってこれそうってこと?」
リリーナ姫とユラリスさんは、キャルン国で婚礼するのが難しい事態になってるけど、皇太子様とエリーナさんはこのままなら順調だよね。
「いや……殿下は何度もエリーナ姫に帝国に戻ってこれそうかと手紙を送られている。ところが、国民や家臣たちは彼女の心身をボロボロにしたといって、帝国に引き渡すのを拒んでいるそうなんだ。もし強行的に彼女が帝国に来ることがあれば、彼らは何をしでかすか分からない……だから、お2人はまたいつ会うことができるか、分からない状態なんだ」
アルフリードは陰りのある表情で、少し険しく眉をひそめた。
そ、そんな……皇太子様とエリーナさんのカップルにも障害が立ちはだかってしまっているなんて……
考えてもみれば、エリーナさんはキャルン国では”聖女”と呼ばれるくらい、誰からも慕われている王女様なのだ。(彼女のお姉様は別として)
もし、そんな方がお嫁に入るはずだった国で体を壊して、その上送り返されてきてしまったとしたら……
私だったら、キャルン国の人々と同じ心境になってしまうかも。
そのことを皇太子様はひどく後悔していて、だからこそ、エリーナさんが犠牲を敷いて守ろうとした帝国のために、誤解だとは認められたものの一時は私を危険分子として皇城から排除したのだ。
彼女との思い出の畑を健気に耕している姿は、公爵様がクロウディア様のお庭をずっと守っていた姿にも重なってきて、なんともいえない想いが込み上げてくるのだった。
「エミリア、今日は気に入ったドレスはあった?」
ふいに、今考えていたのとは全然違った話を振られて、ハッとして私は顔を上げた。
そこには、さっきまで皇太子様とエリーナさんの話をしていた時の険しい表情では無くなって、綺麗な真顔でこちらを見ているアルフリードだった。
ちょうど手当が終わったところだったので、救急箱に使ったものをしまったりしながら、彼に聞かれたことについて考えた。
あ、そっか。元黒騎士の襲撃騒動で頭からすっ飛んじゃってたけど、今日はリリーナ姫のウェディングドレス試着会だったんだ。
私の脳裏には50着以上の姫が着てた色とりどりに、豪華なフリルやレースがあしらわれたドレスの数々がよぎっていった。
だけど……こ、この質問の意味って!?
「え、えっと……どれも素敵だったよ! 姫にどれかを選ぶなんて、難しいよね……」
「そうじゃなくて、君が着たいと思ったのは無いの?」
はっきりと言わずに濁しながら答えていると、私の手を掴んでアルフリードはずいっと、上半身を私の方に近づけた。
その態度にドキっとしながら、私の中にはある1つのイメージが思い起こされてきた。
『幸せいっぱいな花嫁さんだからね、アルフリードの母上のお庭で花に囲まれて佇んでる姿がよく似合うようなデザインがいいんじゃないかな』
エルラルゴ王子様のお父様がイモの毒に倒れて、彼がナディクスへ行ってしまった時。
私と王子様は何度も手紙のやり取りをしていた。
そしてこの1文は、何もなければアルフリードとの結婚が目前となっていた時、王子様から届いた最後のお手紙に書かれていたものだ。
もし……もし、アルフリードとそのセレモニーを執り行うことがあったとするならば、王子様にデザインしてもらった、その衣装を……
「今日見た中には、なかったの。でも、着ることができたらいいな……と思っているものは、あるの」
私はそう答えて、切ない気持ちを抱えたまま、彼に向かってニッコリと微笑んだ。
アルフリードはそんな私のことを少しだけ目を見開いて、小首を傾けながら見つめているのだった。