閑話2
点々と墓標が立ち並ぶ緩やかで広い丘。
そこに向かって摘んできた花が山ほど入った袋を片手に1つずつ持ちながら歩みを進める父上の後に、僕も一緒になって付いていく。
黒い喪服に、黒いベールのついた小さな帽子を被った女性に寄り添うようにして、支えているのは叔母上だった。
父上より前を行くその2人の女性は一際、立派な濃い灰色の石でできた墓標の前まで来ると、しばしの間そこに佇んでいた。
そして、黒い喪服を着た女性……母上は、その墓標の前で崩れるようにしゃがみ込んだ。
「おと……お父様……こんなに来るのが遅くなって、申し訳ありません……」
さめざめと顔を伏せて泣いているその人の背中を、叔母上は黙ってたださすり続けていた。
帝都の郊外に広がるこの場所は、帝国にまつわる歴史上の人物が眠る霊園となっていた。
リューセリンヌ国は帝国に敗れたとはいっても3,000年続いた歴史的に非常に貴重な国だった。
その最後の国王は、城で敗北の瞬間を悟ると、白旗をあげると同時に自害した……そう伝えられていた。
僕の祖父でもあるその亡骸は丁重にこの地に運ばれて葬られたのだという。
母上は涙を流しながら、心の中でここに眠っている人に語りかけているかのように、名前と一節の詩が刻まれた墓石の前にしゃがみこんだまま、ずっと動かないでいた。
そうして彼女が立ちあがろうとするのを父上が手を取って助ける様子を見届け、僕たちは持ってきた花達をその墓の周りに植え始めた。
「お父様、祖国の花を持ってきたからね。懐かしいでしょ? これでリューセリンヌの事をいつでも思い出せるわね」
叔母上は袋から手の中いっぱいに色とりどりの花を乗せて、語りかけながら作業を進めていた。
「リリアナ、手伝ってくれてありがとう。残っている花たちも徐々に移そうと思っているから、その時にはまた手を貸してちょうだいね」
母上が丁寧に花の根に土をかぶせながら、隣りにいる女性に話しかけた。
僕たちはここに来る前、母上とエミリアが幽閉されていたローランディスとグレイリー叔父上の邸宅へ寄っていた。
ガンブレッドと共に突き破ってしまった部屋のガラスは粉々に砕け散ったまま、床上に散乱としていた。
暖炉の中に母上が投げ捨てたリューセリンヌの禁書は、跡形もなく燃え尽きてしまっていた。
「この屋敷の持ち主は正確には帝都のホテルだからな。ヘイゼル家で修繕を出して、元に戻す手配をしておこう」
父上はその荒れ放題の部屋の様子を見ながら、ガラスのない窓から入り込んでくる眩しい太陽の光の方に顔を向けていた。
そして向かった先は、もともとはウチにあったけれど、ローランディスによってここに持ち運ばれたという花々で埋め尽くされた場所だった。
そこには治安維持部隊から母上やエミリアの誘拐の首謀者ではないと確認を受け、釈放されたリリアナさんが既にいて、中腰になりながら静かに花に手を触れていた。
母上の望み通りにその花の一部を摘んできて、僕らはそれをお祖父様の所に植え続けていた。
「そう……グレイリーは島流しに、ローランディスは危険人物として帝都監獄に目隠ししたまま拘束され続けるのね……」
帝国内の犯罪者の処罰には様々なものがあったが、死刑に拷問が廃止されている現代では、2人が受けることになったのは最も重い刑罰の1つにあたるものだった。
特にローランディス……彼は目線を合わせるだけで人を操る術を持っているのだというから、もしかしたら一生監獄から出ることは出来ないのかもしれない……
しかし、彼の生い立ちを考慮すると、その運命はあまりにも救いが無いようにも感じられた。
「一応、嘆願書は陛下に提出したが……犯罪を統括しているというコンサル業者どもが根こそぎ検挙されるか、認可が降りたとしてもある程度の年月はかかってしまうだろうな」
父上が言うように、僕たちヘイゼル一家と叔母上は、ローランディスの減刑の嘆願書を作成していた。
「なんにも無い、ひろーい農場でひたすらイモと酒造りに向き合って没頭してれば、素朴で真面目な生き方に目覚めるはずよ!」
……その嘆願書には、自らも誘拐されて半年間も死人のようにされていた叔母上による案も盛り込まれていた。
それはキャルンにある酒蔵で労働させ、更生させるというものだった。
「しかし、リリアナ……これから1人で大丈夫なの? リチャード様はわたくしの側付きとして、お屋敷で雇っても良いとおっしゃって下さっているのに……」
母上は心配そうに一緒に花を植えているリリアナさんに話しかけた。
「クロウディア様。そのお言葉、大変嬉しく存じます……ですが、グレイリー様がいつか戻られる日のために、カナンダラの港町でそのお帰りをお待ちしたいのです」
作業する手を止めずにいるリリアナさんの口調はとてもハッキリとしたものだった。
グレイリー叔父上が向かったのは、囚人たちが暮らす島だ。
基本的には、そこに運ばれた者たちは一生をそこで過ごすものだが、場合によっては恩赦や素行の良し悪しで本土に戻ってくることもある。
それが一体いつになるかは分からないけれど……もう爵位も剥奪されて、寄り場のない叔父上のことをリリアナさんは船が戻ってくる港町で職を探し、ずっと待つのだという。
持ってきていた花は全部植え終わり、お祖父様の墓の周りは最初来た時の殺風景な緑の草に囲まれた様子から一変して、さまざまな色に満ち美しく佇んでいた。
「……ルランシア、お前はお父様にずっと付いていたのでしょう? 覚悟はできています、お父様の最期の時を、話してくれますか」
母上は少しの間、その美しくなった墓を見つめた後、叔母上の方を振り返ってその凛とした力強い眼差しと表情を向けた。
リューセリンヌ陥落と引き換えに祖国を滅ぼす契機を作ったことを憂いて、お祖父様は命を落としたと僕を含めた帝国民は聞かされていたけれど……その瞬間には叔母上が立ち会っていたというのか。
母上だけでなく、父上やリリアナさんも注目している中、困った様子で叔母上は話すのをためらっていたようだけど、一度深く息を吐いて口を開いた。
「そうね……やっぱり、お姉様には本当のことを話しておくべきよね」
-ルランシアの回想-
あの日、お姉様はリューセリンヌの王位継承者だからと、お部屋でグレイリーや他の騎士達に護られて隔離されていたけど、私はお母様の遺言通りにお父様が無茶しないようにって、ずっと一緒に付いていた。
……無茶しないようにって言ったって、度重なる天災でその復旧に国の財政が底をついちゃったのを支援しようとした帝国を鬱陶しがって、前皇帝といがみあって終には戦にまで発展するっていう、これ以上は考えられない無茶をしでかした後ではあったけど。
お父様の部屋からは、城に迫り来る大勢の帝国の騎士達の姿が見えていたわ。
さすがに、その光景を目の当たりにしたお父様は身震いをし始めて、やっと今がどういう状況に陥っているのか理解した訳。
『これは、いかん……! この小国に向かってあの軍勢をよこすとは……もう無理じゃ。白旗をあげよ、ワシは投降の支度をする』
戦で投降なんて私も初めての経験だったから、支度なんて何するのかと思ったら、お父様はいつも晩酌する時に部屋の戸棚に入れてあった、でっかい酒瓶を持ってきてそれをグビグビと飲み始めたの。
『ちょっと、お父様! 何やってんのよ!?』
『うるさい! こうでもして勢いをつけておかんと、あの生意気な帝国に頭を下げるなどという屈辱、耐えられるか!!』
私が止めるのも聞かずに、お父様はさらに一気に残りのお酒を飲み干したわ。
そうして真っ赤な顔をしながら、口から漏れてるお酒を手で拭うと、フラフラとした足取りで部屋から出ていったの。
私が慌てて、その後を追った時には……
もう遅かったの。
見た時にはお父様はちょうど、下の階に行く螺旋階段を降り始めていて、その一歩を踏み外しているところだった。
お父様は甲冑を着ていたから、そのままそれがぶつかり合うみたいな激しい音がして、仰向けのまま一気に階下まで滑り落ちていった。
『お父様!!! 大丈夫なの!!?』
私は階段を駆け降りていって倒れてるお父様をなんとか抱きかかえた。
『くっ……これを見たのはルランシア、お前だけだな? 3000年続いた王家の末裔がこのような最期を迎えたなど、言ってはならんぞ……ワシは国を憂いて自害した、そういうことにしといてくれ。それじゃ』
ーー
「……そう言って、お父様はパッタリと息を引き取ったの。多分、頭を強く打ったせいだと思うんだけど、幸い頭からは血が出ていなくて、あの頃の私は若かったしお父様の遺言を忠実に守らなくちゃって、最後に飲んだお酒に毒が入ってて自害したってことにしておいた。
お姉様……これが真実なのよ」
母上は、なんとも微妙な面持ちをして1度深いため息を吐いたきりで、後は恐ろしいくらいに口を閉ざしてしまっていた。
父上は今聞いたことはまるで無かった事かのように、持ってきた花が入っていた袋を拾い上げたりして、付いてきていた使用人に渡したりしていた。
そうか……伝え聞いていた歴史とはだいぶ違ったようだけど、そんな事よりも僕にはただただお酒の力というものの恐ろしさのみが深く刻み込まれていた。
もう酒を口にしようとすると、エミリアに口づけされる事しか思い浮かばなくなっていたけれど、あの治療を彼女がしてくれなかったら、僕はお祖父様みたいに何らかの形でお酒に頼ってこの世にいないかもしれない。
リリアナさんがカナンダラの港へ行く馬車に乗るのを見送りながら、僕達もウチの馬車に乗り込んでこの霊園から立ち去ろうとした。
少し後ろを振り返ると、綺麗な花々に囲まれた大きな石碑のような墓標が建っている。
僕もお祖父様に会ってみたかった気がするけれど、また皆で花を植えにきますから。
遠ざかっていくその景色を窓から覗きながら、再会の約束をした。