閑話1
チクチクチク
「ロージー、うまくできてきたじゃないか。今度はいつお前のボーイフレンドは遊びに来るんだい?」
「おばあちゃん、ヤエリゼ様はとっても忙しいの。次のお休みは早くても3ヶ月後って言ってたし、急な出張でたまたまこっちの地方に御用が無ければ、当分お会いすることはできないの……」
「ふーん、騎士のボーイフレンドっていうのも大変だねぇ。あたしゃ、爺さんとは同じ職場だったからいつだってその辺ですぐ××できたもんだけどねぇ……」
「おばあちゃん!! ヤエリゼ様はそんなふしだらなお方じゃないの! もうっ」
ママと入れ違いでおばあちゃんの所に帰ってきてから半年以上。
こうして次にヤエリゼ様にお会いした時に渡そうと思って作ってるお洋服も、長い時間作業できるようになってきた。
「まったく、男なんて皆おんなじようなもんなんだよ……あれ! 大事に食べてた帝都のおやつコレクションが、ついに底をついちまったよ! マグレッタに送ってもらうように頼んどかないと。ロージー、あんまりこん詰めてやると体を壊すからね。少し休むんだよ」
そういっておばあちゃんは、ママに早速手紙を書くためかレターセットを探しに行っちゃった。
確かに、縫い物ってずっとやってると目が痛くなってくるんだよね。
針を布に刺してテーブルの上に置いて、お茶のカップを持ち上げながら口に付けて、目を瞑った時……
『うああああぁぁぁ!!』
あの薄暗い部屋の中で見た光景が目の前にパッと広がって、私はすぐに目を見開いて、慌てて持ってたカップをソーサーの上にガチャガチャ! っと音を立てながら戻したのだった。
ダメだ……まだ忘れられない……
坊っちゃまがあのお屋敷で働く私たち使用人みたいな生気のない顔をして……エミリア様も気が狂ってしまったみたいだった。
どうして、あんなに仲良しだったお2人がこんなことになっちゃったんだろう……
いくら、いくら考えても私にはいまだによく分からなかった。
キィー パタン
うつむいて、座ってる自分の足を覆ってるスカートを見ていると、外の方から木戸が開いて、閉まる音が聞こえた。
誰か来たみたいだ。
「ロージー! お前、忘れてたんじゃないかい? さっき話してたボーイフレンドが来たんだよ!」
え?
おばあちゃんが慌てながらまたこっちの部屋に戻ってきた。
ウソ!? と思って表に出てみると、ベージュ色の騎士服にエンジ色をしたマントを羽織った方が確かにうちの庭のところにいらっしゃる!
「ヤエリゼ様、どうしたんですか? 昨日届いたお手紙には今日くるなんて書いてなかったのに……」
「お嬢様が……エミリアお嬢様がいなくなったんです! もしかして、ロージーの所に来てないかと思って……」
私がこっちに帰ってきてからすぐ、エミリア様は2年前のように外には出れない生活をするようになってしまったって、教えてもらってた。
もうお会いすることもないのかな、と思ってたのに、どうしてしまったというの?
「……そうですか。もし何か分かったら、この近辺に常駐してるうちの騎士の所に知らせを送ってください」
そうしてすぐにヤエリゼ様は馬に乗って、ウチから出発してしまった。
もう少しご一緒したかったけど……お仕えするご主人様の一大事だもの。
そうして彼に渡すつもりでいる縫い物のところに戻って、またいつ会えるのか分からないまま、再びチクチク始めたんだけど……
その日の夕暮れ過ぎ。
おばあちゃんと煮込みスープを一緒に作ってると、うちのドアが開いた。
「お義母さん、ロージー。今晩、お屋敷の方に急な泊まり客がくる事になって駆り出されたから、明日まで行ってくるよ」
それはパパで、お勤めに行ってる領主様のお屋敷にまた戻って行った。
「なんだろうね……普段なら屋敷に泊まり込みの使用人達で間に合うはずなのに。相当、丁重にもてなす必要があるお客なのかね」
おばあちゃんはそう言って、スープの味見をしてた。
「ふう~ 美味しかった! パパも食べていけば良かったのに……」
夕飯もお腹いっぱい食べてテーブルの所でくつろいでたんだけど、ふと昼間のエミリア様がいなくなったって事が気になり始めてしまっていた。
あの時のご様子のまま、もし立ち直れていなかったら、何を考えてしまってるか分からない……
なんだかソワソワするな、と思ってると、
ドンドン ドンドン
叩かれた音のするドアの方を、スープの入ってた木皿を片付け始めたおばあちゃんとジーッと見ちゃっていた。
おばあちゃんと2人きりの時に、こんな夜ふけの時間に怖いなぁと思いながら、ドアの方に寄ってくと、
「僕です! 昼間きたヤエリゼです!」
ヤエリゼ様からことの次第を聞いた私とおばあちゃんは、近所の農家さんにお願いして荷馬車を出してもらって、彼と一緒に馬を走らせた。
目指すはパパが働いてるローダリアン伯爵様のお屋敷。
「あ、彼はエスニョーラ騎士団長のご子息ですから、お通ししてください……これはステア様に、ロージーも!」
お屋敷の玄関の近くにいた大きくて、顔が見える兜に鎧を着てる、顔見知りの騎士様が私達を中に通してくださった。
そして、重厚な感じのがっしりとしたニスの塗られた木製の壁や赤い絨毯が敷かれている廊下を進んで、すごく立派なお部屋の扉が開かれるとそこには……
「エミリア様……エミリア様!!」
半年ぶりに見る、亜麻色の豊かなウェーブの髪の毛をした小柄な女の子!
あの日以来、もうお会いすることはないのかなって思ってたけど、隠し部屋の騎士服コレクションが見つかっちゃった時や、ヤエリゼ様とカフェ・シガロで初めて引き合わせてくれた事、色んなことが一気にその姿を見ると思い起こされてきた。
それに、あのお洋服は!!
初めてお会いした時に、奥様のお部屋から持ってきた新品だったお部屋着だ!
私はそんな事を思いながら、驚いて薄茶色の透明な瞳を見開いてこっちを見てる彼女に抱きついていた。
「ロ、ロージーちゃん!? どうしてここにいるの!?」
「エミリア様がいなくなったってヤエリゼ様から聞いて……でも見つかってこちらに公爵様と坊っちゃまと一緒に滞在することになったって聞いたから、飛んできたんです!」
「え……もうここに着いた時は真っ暗でどこだか分からなかったんだけど……もしかして、ロージーちゃんのお家の近く?」
相変わらず、ちょっとボーッとした感じのエミリア様だけど、その横から背の高い男の人が私たちの間に初めて入ってきた。
「デュポン地域から帝都に行くにはローダリアン地方を通っていくからね。だから父上はこちらの領主様のお屋敷で一泊することにしたんだよ」
「ぼ、坊っちゃま……?」
「ロージー、心配を掛けさせてしまったみたいだね。前みたいな事にはもうならないから。また気が向いたら、うちで働いてくれ」
あの日、エミリア様にぐったり寄っかかってベッドの上に倒れて行ったのを見て以来だったけど、このご様子は元気を取り戻されたんだ……
「ロージーちゃん、私のせいであなたまでツラい思いをさせてしまって本当にごめんなさい……また良かったら一緒にお話したいな」
ちょっと歯にかみながらエミリア様は私に笑みを向けていた。
涙が瞳に溜まってるのを感じながら、私はお2人のことを見比べて笑みを返していた。
「もちろんですよ! 私はずーっと、ずーーっとエミリア様の友人ですから!! それに、ヘイゼル邸にも私、明日一緒について行ってそのまま復帰しますから!」
その後、肖像画でしか見たことがなかった公爵様の奥様のご登場に、おばあちゃんが心臓発作を起こしそうになったりして一時騒然としたものの、夜も深まってローダリアン邸はやっと静かになった。
「坊っちゃまがお元気になったのは嬉しいけど……まだ、なんだか以前に比べて朗らかな感じが戻ってきてないように感じるんですよね……」
私はエミリアお嬢様と坊っちゃまがいる来客用の談話室の前で護衛してるヤエリゼ様に、おやすみのご挨拶をするとこだったけど、つい話し込んじゃっていた。
「僕だって、背が小さかった時から色々変わったりもしてるんで、公爵子息だって大人になって色々変わったんじゃないかな」
前髪をツンツン引っ張りながら、とっても背の高くなったヤエリゼ様はそんな事を言ってる。
「そっかぁ……私は朗らかなのは坊っちゃまのトレードマークだと思ってたんだけど、ちょっと寂しいなぁ」
自分で言っててシュンとなってしまってると、
「おっかしいなぁ……もうローダリアン伯爵一家も寝室に引き上げたし公爵夫妻も客間に行ったから、すぐ出てくると思ったのに、お嬢様まだ出てこないや……」
ヤエリゼ様は談話室の扉の方を怪訝そうに見ている。
「も、もしかして、またいなくなってたり!?」
またソワソワしてきた私はそこの扉を覗こうとした。
「わっ、ダメだよダメダメ! 今、公爵子息とお嬢様は2人っきりでこの中にいるんだよっ」
慌ててヤエリゼ様はドアを開けようとした私の手を止めた。
「いい? 2人は半年も離れ離れになってたんだ。さっきの公爵子息の様子じゃお嬢様にはやっぱりベタ惚れみたいだし、そんな相手と2人っきりのシチュエーションを迎えちゃったら、男だったら絶対に我慢できなくなるって」
そうして彼は意味深な表情を浮かべたんだけど、じゃ、じゃあお2人はまさか、この中で……そんな!
やっぱり、おばあちゃんが言ってた通り、男なんて皆おんなじで、すぐその辺で××しちゃうっていうの!!?
「ちなみに僕は本当なら1週間だって我慢できないのをなんとか耐えて……」
ヤエリゼ様が何か言ってるけど、こんなにふしだらな発想が当たり前って思ってるなんて。
私の理想の騎士様像が現実に直面して、見事に崩れ去っちゃったけど……
「だ、だけど今、坊っちゃまは皇女様と婚約状態なんですよね? この状況で、他家門のお屋敷の寝室でもない談話室で、そんな事態になってるのがもし表に出ちゃったら……ヘイゼル家とエスニョーラ家は社交界から追放されちゃうかも」
「た、確かに……皇家を敵に回すって事だもんな。よし……ロージー、ここは僕たちで何とかお2人の暴走を止めるんだ」
そうして私とヤエリゼ様は見つめあって、固く決意を交わした。
そしていざ、扉に手を掛けて、ほんのちょっと開けて2人して覗き込んでみる。
するとそこには、ピアノやハープに、チェス盤とかが置いてある広い談話室の中央あたりに大きなソファがあって……
そこに重なり合って若い男女がね、寝そべってる……!
私は心のどこかで、そんな事ある訳ないって思ってたのに、そんな事なかったってショックで顔が青ざめてきて、思わずヤエリゼ様の腕に抱きついていた。
「ダメだな……ここからじゃ、よく見えない」
もう、諦めて辞めた方がいいって思ったのに、ヤエリゼ様はそこは騎士様らしく変な勇気があるみたいで、扉をもっと開けてそろり、そろりとソファの方に近づいて行った。
私も恐る恐る、一緒になって近づいてみると……
「クー……」
「グー……フローリア~」
奥様のお洋服を着たまんまで横たわってるエミリア様を後ろから抱きしめて、坊っちゃまも一緒になって眠っていらしている。
「お2人とも相当疲れ切った顔してるな~。このままにしておいてあげたいけど……」
何があったのか分からないけど本当にグッスリ眠っているお2人は、私とヤエリゼ様の肩に腕を回して、なんとか夢うつつの状態のところをそれぞれ客間に運んだのだった。
そして、次の日。
「それじゃあね、気をつけて行っておいで。帝都に着いたらすぐに、お菓子の詰め合わせを送るんだよ」
おばあちゃんからのお見送りを受けた私は、ヤエリゼ様と一緒に馬に乗り込んだ。
公爵様とビックリするくらいお美しい奥様、坊っちゃまとエミリア様、ルランシア様にギャザウェル騎士団長、それにヤエリゼ様と私。
目指すは帝都だった。