134.笑顔の行方
おそらく、アルフリードと初めてとなるクロウディア様とのハグを終えた頃、公爵様の元へギャザウェル騎士団長が近づいていった。
「旦那様、我々もそろそろ帝都へ戻りましょう」
まだ、部屋の周りでは治安部隊の騎士さん達が忙しそうにしていたけど、私たちはひとまず帝都へと戻ることになった。
「私もお姉様の事が心配だから、しばらく帝都に滞在することにするわ」
そう言ったのはルランシア様だ。
「あ、そういえば。帝都では叔母上が焼酎の前払い分を持ち逃げしたと大騒ぎになっているんです。在庫の手配はキャルンの酒蔵に手配済ですが、帰ったら取引き先への謝罪回りをお願いできますか?」
アルフリードが思い出したように言ったけど、それで彼はルランシア様の事を探してここまで来てたんだ!
そんな事態になってるのは私は知らなかったのだ。
「はぁー!? 私は自分の意思に関係なく、ここに寝かされてたのよ! こっちは被害者なんだからね……ローランディスめ、とんだことしてくれたわね。もし戻ってくることがあったら、仕返しに酒蔵で働かしてやるわ」
仮死状態なんて恐ろしい事をされていたのに……やはり親類の子として可愛いのだろうか、彼がシャバに戻れる日なんか来るのか定かでないけど、ローランディスさんに対してそんな悪態をルランシア様はつき始めた。
すると、彼女の方にツカツカとクロウディア様が向かわれて行った。
そのお顔はさっきまでの泣き顔が嘘みたいに、とてもキリッとしていて真剣な表情だった。
どうしたんだろう、と見ているとルランシア様が持っていた、分厚い本をサッと取り上げたのだ。
「お姉様?」
突然そんな事をされてルランシア様はキョトンとしていたけど、クロウディア様は構わずにそのリューセリンヌの秘伝書を持ったままこの部屋の壁際に向かって行った。
そして、パチパチと火が燃えている暖炉の中になんと……その秘伝書を真ん中あたりで開いた状態で、パッと投げ込んだのだ。
クロウディア様は、その本のページに火が移って端から黒い灰に変わっていくのを眺めながら、おっしゃった。
「このような外道の術が記されたものは、この世に残しておいてはなりません。これが……リューセリンヌの末裔として果たすべき、責務なのです」
この場にいる人達の中で、それに異論を唱える者はいなかった。
またグレイリーさんのように、ほんの出来心でこの本を使ってしまった人がいたとしたら……
公爵様、アルフリードが長年に渡って苦しめられてきた悲劇が繰り返されないように。
グレイリーさんの最初の奥さんや、この中の術を使いまくってしまった第2のローランディスさんを生み出さないためにも……
少し日が傾き始めた中、私たちは外に出た。
公爵様を一瞬、若返らせた薬も外道の一種ではあるので、どっかに葬り去るべきなんだけど、その辺に撒いたりして長生きする植物とかが出てきたり、生態系が崩れるといけないので、持ち帰ってナディクス国とどうするか相談することになった。
ルランシア様はグレイリーさんが置いて行った彼の馬に、クロウディア様は公爵様と一緒に愛馬のジャグレッドに乗って、皆ここを離れる準備をし始めた。
「エミリア、こっちを向いて」
私は久しぶりに会うガンブレッドのそばに行ってその首筋をナデナデしていた。
そして、久しぶりに聞く優しい声の方を振り向いた。
すると、私の両脇に手が差し込まれて、フワッと体が浮き始めたのだ。
これは、よくガンブレッドに大好きな人と一緒に乗っかる前にしてもらっていた、懐かしい感覚だ。
かなり高い目線まで上昇した私の体は、そっと鞍の上に横向きに置かれた。
そして、すぐにその横に軽やかにまたがる人の気配がした。
その人が手綱を握った手を見ると、そこには黒い革製の手袋がされている。
これは!!
彼と半年前、最後に会った日。帝都の2回目の観光ツアーに行った時だ。
初めて彼に乗馬グッズのお店でプレゼントしたおそろいのグローブ。
ずっと持っててくれたんだ……
ジーンと胸が震えて、目元が熱くなってくるのを感じずには、いられなかった。
すると、腰にがっしりとした腕が巻かれる感触がして、グッとそちらの方に引き寄せられた。
ちょっと弾力があって硬い胸板に体を預けるとともに、私もそれに腕を巻いて強く抱きしめていた。
ずっと、こうしたくて恋しくて、恋しくてたまらなかったその人の温もりが、今ここにあるんだ。
歩き出して少し揺れ始めたガンブレッドの上で、その胸に顔を埋ずめるようにしながら、それでもこれが現実なのか不安でたまらなくて私は尋ねていた。
「アルフリード。私の事を……許してくれるの?」
彼は私を抱く腕に力をこめた。
「許すとか、許さないとか……もうそんなものは飛び越えてしまったよ」
不思議な言い回しだけど、どうしてだろう。私にも彼の言いたいことが、よく分かる。
「君の方こそ、僕のことを許してくれるのか?」
静かに、でも胸がキュッと締め付けられるような声が頭上から聞こえてきた。
「私もあなたと同じだよ。あなたが、ここにいてくれるだけでいいの……」
少し顔を見上げると、長いまつ毛に綺麗な焦茶色の瞳。
切なそうなとても整ったその顔が目の前にあった。
そして、その顔が目を瞑りながら降りてくると、優しく私の唇に触れたのだ。
私はさらに彼に強く抱きついた。
林の中を通り抜けて、夕暮れの丘陵地帯をガンブレッドに乗っかりながら歩いている中、しばらく沈黙してお互いの存在を確かめ合っていた。
「アルフリード。帝都に戻ったら、あなたに渡したいものがあるの」
もうこれ以上、彼に隠し事なんかしたくない。
きっと、彼なら……彼なら私がここに来た理由を信じてくれる。
「うん……分かった」
そう声がして、再び私は顔を見上げた。
目を伏せて頷いた彼だったけど、瞳を開くとまっすぐに進んでいる先の方に目線を向けた。
その表情は、原作のような憂いにも哀愁にも満ちたものでは無かったけど、いうなればクロウディア様がグレイリーさんに向けていたみたいな薔薇の棘を彷彿とさせる綺麗な真顔だった。
そうして私は悟ったのだった。
もう彼に笑顔が戻ってくることは、無いんだってことを。
それでも、彼が私のそばにいてくれる、離れ離れになってしまった期間を考えたらこれでもう十分満たされているのだから。
自分にそう言い聞かせると、私は彼の胸の中でそっと目を閉じたのだった。
第4部 完
次話より第5部(最終部)です。
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いつもお読み頂きありがとうございます!
まだ、まだ続くのか……という感じですが、取りこぼしていることや、主人公たち的にもうひと救いしないといけないため、もう少しの間お付き合い頂けると幸いです。
(状況的には深刻ですが、第5部は雰囲気的には最初の頃に戻るようなイメージになりそうです)
引き続きよろしくお願いいたします^^