126.アルフリードの視点 その5の2
あの邸宅が見える場所につい足を運びそうになってしまうのがふとした瞬間に訪れる中、帝国は僕とソフィアナとの婚約を彼女の同意を得ないまま発表した。
三国同盟によるエルラルゴとの婚約がなければ、国外に彼女を嫁がせる気がなかった皇家としたら、建国してからの忠臣であるウチの家門なら第1候補として手堅いという事だ。
最も一緒にいたい人がこの世に存在しないも同然になってしまった僕にとっては、相手は誰でも同じことだったから、黙ってその決定に従った。
そんな中、皇城にはある訴えが相次いで報告されるようになっていた。
「支払済みの商品が納品されない?」
市民からの苦情を取り扱う相談窓口の部署の担当者から詳しく話を聞いてみると、
「あの大人気のキャルン産のイモ焼酎のオーナーが姿をくらましてしまって、騙されたと憤っている者達が山ほど出てきてしまっているのです!!」
昨年の20歳の誕生会で叔母上が持ってきた、あのイモ焼酎。
僕自身もあれに溺れて酷い目にあったが、彼女の営業活動が功を奏して、商店や愛好家によっては前払いしてまで何ヶ月も先の分を予約して抑えておく程の人気ぶりだった。
その前払い分をオーナーである叔母上が持ち逃げしたと……もっぱら騒ぎになっていた。
そういえば、以前は1、2ヶ月に1度はどこにいても手紙を送ってきていたのに、それも途絶えていた。
「確かにルランシアは自由奔放ではあるが、そのような無責任な事をするとは思えん……アルフリード、この騒ぎであるし、彼女は我が家門の関係者だ。皇城の事は私に任せて、行方を探しなさい」
父上からの命により、思い当たる場所に当たりを付けて叔母上を探すことになった。
キャルンの酒蔵にはずっと戻っていないと、そこで働く従業員達からは連絡を受けていた。
彼女と最後に会ったのは、うちに保管していた酒の山をデュポン地域にあるリュース邸に運ぶと言っていた時だ。
その時はまだ中毒が完全には抜けきっていなくて、彼女と会った事もあまり覚えてはいないのだが……
まずは、そこへ行くことにした。
「ブヒヒン!」
厩へ行ってガンブレッドを連れ出そうとすると、彼は若干の抵抗を見せた。
その視線の先には、立ったままジッとしている芦毛色のフローリアの姿があった。
医者の見立ててではそろそろお腹の赤ん坊が産まれる頃だという。
「悪いなガンブレッド、デュポン地域へ行ったら他には寄らないで一旦また帝都にすぐ戻るから。我慢していてくれ」
そう言ってなだめてやって、屋敷を出発した。
フローリアだけでもエミリアに返したいと何度考えたか分からないが、ガンブレッドから引き離すのも忍びなく結局、彼女はずっとヘイゼル邸に留まり続けていた。
時折、彼女は大きな黒い瞳をエスニョーラ邸の方に向けて、主人が迎えに来るのを待っているような素振りを見せていた。
デュポン地域は帝都から5時間ほどの場所であるが、小さいながらも大抵のものは何でも揃うような店が街には並んでいる。
以前行った乳母だったステアのいるローダリアン地方は農村部だったので、そこよりは栄えている印象だ。
その街から程近いところに、この辺りでは一際大きな邸宅があり、そこが母方の親類が住むリュース邸だった。
「アルフリードじゃないか! こんな所までどうしたっていうんだい?」
執事に案内されて応接間で掛けて待っていると、リリーナ姫のパートナー選考会で会った以来の、はとこであるローランディスが顔を出した。
「確かに叔母上は半年前にここに酒瓶を大量に置いて行ったけど、すぐに発ってしまったよ。ちなみに、その間に在庫が切れたって取りに来た業者が何人も来て渡してしまったから、もう酒類は残ってないんだよ」
幼い頃から明るく気さくな彼はそう説明した。
なるほど、ここに保管しておいた分が底をついてしまったから、最近になって商品が手に入らないと騒ぎになり出したのか。
「叔母上と連絡が取れないなんて心配だな……僕も何か分かったら連絡するよ」
結局、この地では叔母上に関して何の手がかりも掴むこともなく、帝都へと戻ることとなった。
それから数日の間は、ナガジャガイモの焼酎の取引先相手に話を聞いて回っていた。
そんな中、取引先の1つである叔母上が帝都に滞在する際には毎回使っている、老舗ホテルの支配人に話を聞きに行った時のこと。
「ルランシア様は半年前こちらにお泊まりになられて以来、1度もおいでになられていません。これは非常に心配ですね……」
支配人はアゴに手をやってしばらく考えた後、何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば……公爵子息様はリューセリンヌの血筋の方ですから、お話しても差し支えないでしょう。私どもの宿は古くより、リューセリンヌの王族の方々が帝都に滞在する際に御用達いただいておりました。その関係で、ルランシア様はいつもこちらをご利用下さっているのです」
常に前を見ているような性格の叔母上は昔の事をあまり語らないし、母上が生きていた頃はグレイリー叔父上もたまに家に来ていたが彼は無口だから僕とはほとんど話をしなかった。
だからリューセリンヌ国が存続していた頃の事はよく知らない。
「ご祖国が無くなり、王族の方々が帝国に帰属した際、私の父であり1代前の支配人は我々が所有する離れの1つをお譲りしたと聞いています」
詳しく聞くと、そこは先日訪れたリュース邸と同じ、デュポン地域の郊外にあるのだという。
通常なら貴族家が新しく屋敷を所持したら皇城への届け出が必要だが、そこは記録上はホテル所有のままになっており、リュース家に貸し出しをしているような扱いになっているようだった。
叔母上が納品前に支払金を持ち逃げしていたとしたら、それは犯罪行為であるから、この件は皇族騎士団の捜査部門も動き出していた。
しかし記録上、叔母上とは関係ないように見える邸宅であれば彼らも捜索範囲には含めていないだろう。
ローランディスも叔母上はすぐにデュポン地域からは旅立ったと言っていたのに、往復10時間も掛けて確認に行くべき場所なのか……
迷っている間に父上との話し合いにより僕は泊まりがけで、ある場所を訪ねる事になった。
「そりゃ大変じゃなあ! あそこん酒蔵には、うちのイモをたくさん使うてもろうちょっで、わてらにも手伝わせてくれ」
キャルン国のイモ協会会長は、快くこちらの申し出を承諾した。
叔母上の酒蔵で製造できている焼酎を、とりあえず未納になっている帝都の顧客へ回してもらう手筈を整える事になった。
それは恐ろしいほどの量であるから、以前、皇太子殿下とエリーナ姫が帝都にやってきた時に大量のイモを贈呈できるほどの運搬力を持っていた、この老人の手を借りることになったのだ。
次の日の朝。
高い建物のない見渡す限りのイモ畑にポツンと建っている酒蔵の前に列をなしているホロ馬車に、ビンの入った木箱が搬入されていくのを見届けながら、キャルン国を後にした。
あの酒ビンを見ると、以前はあれを体内に取り込みたくて仕方が無かったものだった。
でも今では、あれを見るだけで僕の首に正面から腕を回して引き下げながら、顔を近づけてくるエミリアの事しか思い浮かばなくなってしまっていた。
キャルン国から帝都までは、馬に乗って丸1日はかかる。
途中で昼を挟みながらガンブレッドを走らせていると、つい先日、見かけたばかりの風景が視界に入ってきた。
デュポン地域だ。
昨日の朝、帝都を発ってキャルン国へ向かう時に、ここを通り過ぎた時にも頭に浮かんでいたが、老舗ホテル所有でリュース家に譲ったという邸宅……少しだけ、そこに寄ってみることにした。
駆けていたガンブレッドのスピードを落として方向を変えようとすると、
「ブヒヒーン!!」
彼は激しくいななくと、両前足を高く上げて僕の指示に抗議した。
「ほらガンブレッド! フローリアが心配だっていうのは分かるけどさ……ほんの少しだけだから、頼むよ」
そうなだめて、首筋をポンポン叩いてやりながら、ホテルの支配人に教えてもらっていた邸宅の場所に向かった。
そこは、街からほど近いリュース邸がある方向とは全然違っていて、なだらかな景色のいい丘陵地帯が続き、次第にいくつも木立が生える林へと変わっていった。
一応、舗装はされているものの、細い小道を進んでいくと急に林が無くなり拓けた場所が現れた。
広い草原のような場所だったが、奥の方にも林が広がっているのが見えた。
そして、その奥の林の手前に黒っぽい石造りらしい一軒の屋敷が建っている。
そこにガンブレッドに乗ったまま近づいていくと、両開きの玄関ドアの前まで来た。
とても静かだ。
こんなに人目につかない行きづらい所にあるにも関わらず、近くに自分達の邸宅があるのでは、リュース家の面々もあまりここには来ないのでは無いだろうか?
ガンブレッドに乗ったまま、この屋敷の周りの様子だけ確認して帰ることにした。
玄関から右手に周り、しばらく屋敷に沿って進んでいた時だった。
ドンッ!
何かがぶつかるような音がした。
辺りを見渡すとちょうど斜め横あたりにあった大きなガラス窓の中で動くものが見える。
そこに少し近づいて中を見ると……
壁を背にした女性と、それに向き合うようにした男性がいるじゃないか。
女性は両腕を掴まれて上に上げられている。
それをしている背の高い男性は……ローランディス?
彼だって僕と同じ歳であり、そういう相手がいてもおかしくない。
あんな少し乱暴にも思える事をするタイプだっていうのは知らなかったけど、この邸宅も相手と過ごすためなら利用価値はあるのかもしれない。
邪魔したらいけないな、そう思いガンブレッドの方向を変えてそこから背を向けようとした。
けれど、その時たまたま目に入った女性の着ている服に何か見覚えがある気がした。
薄ピンク色に胸元には可憐なレースがついている。
あれは、彼女に初めて会った時に、着ていた騎士服の代わりにメイドのロージーに頼んで着させた母上の部屋着……
まさか……まさか、そんなはず……
こんな所に、エミリアがいる訳ないじゃないか。
しかし……よく見ればあの長い髪だって、ウェーブのかかった亜麻色をしている。
そして、涙をしたたらせているその顔は……
この半年間、ずっと、ずっと会いたいと願っていた、その人以外に考えられなかった。
彼女は絶望的な表情を浮かべてローランディスの事を見つめていたが、彼が何かを言うと諦めたように顔から力を抜いて、その薄茶色の瞳を閉じた。
泣き腫らした目元や唇が真っ赤になってしまっている。
どうして……そんな顔をしているんだよ……?
一体、何をしようとしているんだ……?
ローランディスの表情は、こちらからは斜め後ろしか見えないので、よく分からない。
彼は無抵抗の彼女の頬に手を添えると、その唇に、顔を寄せ始めた。
体中の血液が逆流するような錯覚を覚えて、どこか中へ入れそうな場所を探していると、ガンブレッドが突然その大きな窓から離れた位置に移動し、再びその方を向いて後ろ足で土を蹴り始めた。
相当、気が立っているようだ。それは僕とて同じだ。
彼女にもらった黒いグローブを手首側から引っ張ってハメ直すと、手綱を握りしめた。
「頼むぞ、ガンブレッド……」
その横腹をかかとで叩くと、彼はすぐに猛ダッシュを始めた。
前かがみになりながら、できる限り低い体勢を取る。
ガッシャーーーーーーン!!!
飛び込んだのは、目の前に迫る大きな窓ガラスの中だった。