123.花園の2人
確かに、リフォーム前のヘイゼル邸というのは、幽霊の1体や2体は普通にいてもおかしくないような所ではあったけど、クロウディア様はご自身のお子さんがそのうちの1体だと思っていたなんて……
それに、体内に10ヶ月は命を宿して、それを産み出す激痛を経験しているはずなのに、一切の記憶を忘れ去ってしまっているようにしか思えないけど……
そんなこと、あり得る???
こんな事が起こるなんて、意味が分からなすぎるよ。
分かった事といえば、彼女がアルフリードに対して冷たくて他所よそしい態度を取っていたというのは、愛情を持っていなかったというのとは少し違っていたのかな、ということくらいだ。
だとしても……自分のことを死人だと思い込んでいたって事をアルフリードが知ったとして、お母様の中庭に近づけないでいる彼の心が変わる事はないだろう。
私は開いていた日記をパタンと閉じた。
「クロウディア様、大事な日記を見せていただいてありがとうございます……」
そうして、それをクロウディア様にお返ししようとすると、
「まあ、そんなに暗い顔をして……お化けの出るお屋敷の話なんてして、気分の悪い思いをさせてしまったわね。それじゃあ……こっちにしましょう。先程よりはマシな気持ちになるはずよ」
クロウディア様は本棚に戻って、さっきの日記を元のところに戻すと、別の日記らしきものを取り出した。
そして、またパラパラとめくってあるページを開くと、私に手渡された。
『今日はリリアナといつもの花園へ花を摘みに行った。』
最初の一文にはそう書いてあった。
「これはね、わたくしが17歳頃のものよ。リリアナは、幼い頃から専属の召使いをしているから、わたくしの行く所にはどこへでも一緒にいるのですよ」
クロウディア様はそう解説して下さった。
そ、そうなんだ。グレイリーさんの奥さんであるはずのリリアナさんは、リューセリンヌ時代のクロウディア様の召使い、帝国風に言えばメイドさんだったんだ。
そして、今でもリリアナさんがずっとお仕えしていると彼女は思い込んでいる。
私はまたモヤモヤとした気持ちを抱えながらも、続きに目をやった。
『ここは王家の森の中にあるから城内の者以外が立ち入ることがないので安心していたのに、今日に限って花園の外の方から数人のバタバタとした足音が聞こえてきた。』
もしかして……この花園って、フローリアがまだ馬牧場で調教されてた時に、彼女に会いに行くたんびにアルフリードと立ち寄っては、お花を摘んできてヘイゼル邸のクロウディア様の庭に植え替えていた、あの花園のこと……?
『何事かと思って入り口の方を振り返ると、弓やら武器を手にした若い男の人たちがこちらに気づく様子もなく、右の方から左の方へと駆けていくのが見えた。何かしら? と不審に思いながら、しばらくそちらを見ていると、遅れてもう1人男の人が現れた。
その人は、他の人たちと違って花園の入り口のところで立ち止まると、こちらを振り向いた。
そして、お花を手に持ったまま立っている私とその人の視線が合わさった。
耳までかかる黒髪に、ワシのような鋭い目つき。
その方を見た瞬間、私の時が止まってしまったように感じたの。』
私は文章を読みながら、頭の中でその情景を浮かび上がらせた。
弓に武器を持った複数の若い男性。
黒髪に、ワシのような目つき……
『その人と見つめ合っていた時間は永遠のように感じられた。
“リチャード、何してるんだ”
離れた所からその声が聞こえるまで、私とその人はただただ見つめ合っていた。そして、その人が行ってしまうと、私は放心状態になって持っていたお花の束を地面に落とし、しばらくの間そこに立ち尽くしてしまっていた。リリアナが私の事をずっと呼んでいたというのも気付かないくらい。』
私は日記を持つ手をワナワナと震わせていた。
“リチャード”一般的なファーストネームではあるけれど、身近にそのお名前を持つ人物を私は知っていた。
もし、その人物とここに書かれている人物が同一人物だとしたら……
これまで考えていたことが全て、誤解ということになってしまう……
『お城に戻った後、聞いた話によれば、昨日から帝国では3年に一度開かれる狩猟祭が開催されているらしい。その場所は毎回変わるらしいけど、今回はここから程近くにある黒大熊の住処の山が会場なんだとか。きっと昼に見たのは、道に迷ったかして花園の方に来てしまった帝国の若者たちに違いないでしょう。』
“黒大熊”
その名前にも聞き覚えがあった。
あれは、2年半前。アルフリードとの婚約証と、お父様の手元に届いた私の出生届を皇帝陛下に提出しに行った時のことだ。
その場にいた公爵様とお父様に向かって、陛下はこう言った。
『さすがは、あの黒大熊の名コンビなだけはある』って。
アルフリード達が参加した現代は動物愛護団体の反対により、狩りでは果物や木の実しか獲れないけど、お父様達の時代は実際の動物をまだ狩っていたらしい。
「あ、あの、この黒大熊とは何ですか?」
クロウディア様に尋ねてみた。
「ええ、それはね。その名の通り、大きくて巨大な黒い熊のことよ。昔から生息している山の主です」
やっぱり……つまり、私が言いたいのは。
クロウディア様の日記に書かれてる狩猟祭に、若かりし日の公爵様と私のお父様は参加してたんじゃないかってこと。
そして、彼女が永遠の時のように見つめ合っていたヘイゼル家特有の黒髪でワシみたいな目をした人物は……公爵様なんじゃないかってこと。
なぜなら公爵様のフルネームは、リチャード・ヴァン・ヘイゼルなのだ。
「わたくしはね、あの時お会いした方に一瞬で心を奪われてしまったの」
クロウディア様はそうおっしゃりながら手を伸ばすと、私が読んでいた文章の上に細くて繊細な指を乗せた。
そのお顔はとてもうっとりとしていて、まるで夢の中にいるかのようだった。
「でも、リチャード様は帝国側のお人でしょうから、もうお会いする事はないでしょうね……」
そう言うと、クロウディア様は切なそうに整った眉を下げた。
公爵様は以前、全く同じことをおっしゃっていたのだ。
あの花園でクロウディア様を初めて見た時に心を奪われてしまったのだと。
それじゃあ、お2人は相思相愛……!?
だけど、今朝方ローランディスさんはクロウディア様はグレイリーさんと愛し合ってるのに、引き離す必要があるのか? そう言って私がヘイゼル邸へ彼女を戻してと懇願するのに反論していた。
「クロウディア様は、リチャード様のことを心に秘めていらっしゃるのですね……今朝、お散歩されていたグレイリー様のことは、どのように想われているのでしょう……?」
そんな私の問いにクロウディア様はスッと顔を上げると、朝もしていたバラの棘を連想させる綺麗な無表情になった。
「グレイリーは幼い頃から定められていた許嫁です。戦が終われば、わたくしは彼と婚姻するでしょう。そして、ゆくゆくはわたくしがリューセリンヌの女王となった時に、その政治を支える配偶者となる、そのような相手です」
それはまるで、定められた筋書きを淡々となぞって読んでいるような答え方だった。
クロウディア様の言うことが本当のお心であるなら、彼女は公爵様の事を好いているはず……
それなのに、ヘイゼル邸にいた時はそんな素振りを見せる事もなかったという。
正気であったなら愛すべきその人との間に産まれたアルフリードのことは幽霊としか思ってなかった。
そして、祖国と帝国の戦いが終わっていないと思っている。
クロウディア様はそう意図的に仕組まれているのではないか……
私をここに連れてきた花泥棒の人達によって。
彼らは明日、またここに戻ってくるって言ってた。
今度こそ……一体何がどうなってるのか、暴いてみせる……!
※
・公爵様がクロウディア様を初めて見た時の話
「44.そんな未来」
・黒大熊の話「22.再び鏡の前へ」