122.お屋敷に棲みつく……
「まあ、エミリア。まだ朝食を食べ終えていなかったの? 民たちが汗水を流して育てた食糧です。しっかりお食べなさい」
アルフリードからお別れを告げられて、皇城も追い出されてしまった後、彼がどんなふうに過ごしていたのか。
お先真っ暗としか思えない話をローランディスさんによって突きつけられた私の耳には、クロウディア様の声が入ってきた。
ラウンジの入り口の方を見ると、お散歩からもう戻ってきてしまったらしい、その人がいた。
そして、その隣りにいるグレイリーさんは再び彼女の手を取ると、その甲に口づけして愛しそうに、でもどことなく寂しそうに見つめていた。
クロウディア様はそんな彼を眺めた後、長くてフサフサなまつ毛のついたまぶたを閉じて、一度顔を頷けた。
その様子は高貴なお姫様と、彼女に一途にお仕えする寡黙な騎士、そのものの情景だった。
「今日は戻ることは難しそうですから、また明日うかがいます」
ラウンジを後にするグレイリーさんを追って、私の前にいたローランディスさんも一緒に出て行ってしまった。
結局……私をどうやってエスニョーラ邸から連れ出したのか、昨日ここから逃げ出したのにどうやって戻したのか……それらを聞き出すことはできなかった。
「さあエミリア、早くお食べなさい」
こちらに歩いてきたクロウディア様は、私の朝食席の所まで来るとイスの背もたれに手を当てて、私の方をじーっと見ていらっしゃる。
何か分からないけど、早く言うことをお聞きしてお待たせさせてはいけない! という気にさせられた私は、すぐさまそこのイスに腰掛けて、冷めてしまっている朝食たちに手をつけ始めた。
クロウディア様はさっきまでお座りになっていた私の前の席に移動すると、とてもお行儀よく背筋を伸ばして、両手をお膝の上に置いた状態で、私が食している様子を眺めていらっしゃる。
は、早く食さなければ……何かものすごいプレッシャーを感じながらも、私は一目散にそれらを食道に押し込めたのだった。
「では、お皿を洗うのはリリアナにおまかせするとして……8時を過ぎてしまいましたから、朝のお祈りに参りますよ」
そう言うとクロウディア様はすっくと立ち上がり、またラウンジを出ていこうとなさった。
私も慌ててその後を付いていく。
すると辿り着いたのは、昨日も見かけた大きな風景画が飾られたお屋敷の中の一角で、その左端にある扉をクロウディア様はキィと押し開けた。
そこに現れたのは、以前ヘイゼル邸でも見かけた3月の花に囲まれたあのお庭だった。
クロウディア様は、その花園の中央あたりに足を踏み入れてヒザ立ちになり、手を胸の前で組んで目を瞑ると呟いた。
「戦地にいるお父様、戦士たちの無事を、そしてリューセリンヌの民たちに平穏が訪れますように…」
その光景はまるで天国みたいな花々の咲き誇る楽園で、1人祈りを捧げる女神様みたいだった。
けれど……クロウディア様は皆が彼女が亡くなったと思っていた7年前からずっと、ここでこうして滅んでしまったご祖国のために祈り続けているっていうの?
私はやるせなさと、フツフツと怒りを感じながらも、急に現実を突きつけてクロウディア様がおかしくでもなってしまったら大変だからと思い、彼女に合わせることにした。
彼女の横で私もヒザ立ちをして胸の前で手を組み、目を瞑った。
すると、意外と草やら土の微妙な凹凸がヒザに当たって、だんだん痛くなってきた。
……
「さあエミリア、3時間経ちましたから繕いものを始めますよ。ほら、立って」
そんなふうにして、クロウディア様はついさっきこの体勢になったばかりかのように軽やかに立ち上がると、激痛に変わったヒザの痛みに耐えかねて顔をしかめる老婆のような私を労わりながら、なんとか立ち上がるのを手伝ってくれた。
お祈りなんて前の世界でも、こっちの世界でもあんまりやった事なかったけど、なかなか過酷な行為なんだな……
クロウディア様がしきりに朝ごはんをちゃんと食べなさいと促されていた訳が分かったかも……
館の中に戻っていく思った以上に丈夫な足をしているクロウディア様に従いながら、その後もとっても正確な体内時計を持っている彼女にここでの過ごし方を教わったのだった。
「12時になりましたからお昼にしますよ」
「1時になりましたから午後のお散歩に出掛けますよ」
「2時になりましたから読書を始めますよ」
「3時になりましたからティータイムにしますよ」
「4時になりましたからお風呂に入りますよ」
「6時になりましたから夕飯にしますよ」
「7時になりましたから好きなようにお過ごしなさい」
こんなふうにして、クロウディア様はかなり時間通りに行動することをモットーとされているようだった。
これは妹さんであるルランシア様には絶対に見られることのなかった几帳面さである。
私の事を戦地からローランディスさんに救われてきた孤児だと思っているクロウディア様はそうして規則正しく過ごされる中、嫌な事を思い出せないようにしてくれているかのように、必要最低限のことは私に語られることはなかった。
私も今朝まではクロウディア様をヘイゼル邸にどうやって連れ戻すか、彼女はそこでの生活を覚えていらっしゃるのか……色々考えたり聞き出したいと思っていた。
けど、そんな事をしても彼女にとってはまた苦しい思いをさせる事になるかもしれないし、私がヘイゼル家のためにそんな事をする必要があるのか? という疑問まで湧いてきてしまったのだ。
もし彼女とこっから脱出できたとして、皇女様との婚約が決まったアルフリードから見たら私は邪魔者でしかないだろうし、そもそも愛情を向けなかったお母様との再会を彼が望んでいる可能性も低そうではないか。
それに、私がエスニョーラ邸に戻ったとして家族はきっと喜んでくれるとは思うけど、アルフリードのために頑張っていた事を思い出させる場所に帰っても私にとってはツラいだけのように思えてきた。
こんなにここから脱出することにメリットを見出せないんなら、私のことが忘れられなかったから連れ去ったというローランディスさんの側にいてもいいのかな……
そんなふうにさえ思えてしまっていた。
「うーん、好きにお過ごしなさいと言っても、何をすればいいか分からないでしょうね。私の部屋にいらっしゃい、いいものを見せてあげるから」
夕飯を食べていたラウンジから出ると、クロウディア様は火のついた燭台を持って、また地下のお部屋へと向かった。
お部屋が地下なのは、戦時下だと寝込みを襲われないために人目につかない場所で休むのが安全だからって事だろうか?
また廊下の奥の広めの部屋に向かうと、燭台を扉の脇のテーブルに置いて、クロウディア様は置いてあるクローゼットの下の段にある引き出しから小さな箱を取り出した。
「とても綺麗な指輪なのよ。リューセリンヌのお城にあった王家の宝石類は持ってくることはできなかったけれど、前に匿われていたお屋敷で頂いたもののようなの」
そう言って箱のフタを開けると、その中には大きな赤いルビーにその周りを白銀の小さなダイヤがいくつも一周するように、ぐるりと配置されていて、さらにリングに沿って3つずつほど小さな緑色のエメラルドが並べられた指輪が現れた。
とても豪華で綺麗なものだった。
だけど、前の匿われてたお屋敷って……ヘイゼル邸のこと?
「とっても綺麗な指輪ですね! あ、あの……その以前のお屋敷のことを覚えていらっしゃるのですか?」
「そうでしょう? これを見ていると、なぜかしら。とても心が満たされて、大事にしなくてはいけない気がしてくるの。だけど、前にいたお屋敷というのがなんだか恐ろしい所でね……そうだわ、あの頃の日記に残しているはずだから、ご覧なさい」
クロウディア様は指輪の入った箱ごと私に託すと、昨日初めてこのお部屋に入った時に私が眺めてた本棚に向かって行った。
日記といえば、彼女が眠っていると思われていたヘイゼル家の霊廟に行った時、専属メイドだったマグレッタさんがお花根こそぎ紛失事件の時に一緒に消えてしまったという日記のことだろうか?
同じような3センチくらいの厚さの本が数冊並んでる中の一冊をクロウディア様は取り出すと、パラパラとめくりながら私の方へ戻ってきた。
「例えばここを読んでみてごらんなさい」
私の持ってた指輪の箱を受け取りながら交換するみたいに、ページが開かれたままの状態でその日記を渡された。
『白と黒以外の色彩を失ったような薄気味が悪く、どこもかしこも古びれたこの邸宅に滞在してから、どれくらいの時間が経ったのかしら。
ここには一応、何人も召使いがいるようだけれど、生きているのか死んでいるのか分からないほど、彼らの顔からは生気が抜けていて、動きも妙にキビキビとしていて人間とは思えないほど冷たい態度をしているわ』
これは……完全に、私が初めてヘイゼル家に行った頃の幽霊屋敷と呼ばれていたお屋敷と使用人さん達の描写そのものだ……!!
『リューセリンヌは危険だからと、お父様と懇意にしている国外のお知り合いの邸宅に置いて頂いているのですから悪く言うのは失礼とは分かっているけれど、ちょっとこれは酷すぎるわ』
ふーむ……クロウディア様はヘイゼル邸にいた時は、そういう状況だと思い込まされていたのか……
『そして今日もまた、夕刻を過ぎた頃に姿を現したの。あの少年が』
あの、少年……?
『可哀想に。古くからありそうなこのお屋敷には様々な歴史が刻まれていそうだけれど、きっとあの子はこの世に未練を残したまま、ここに留まり続けているに違いないわ』
これはまさか……ほ、本物の幽霊をクロウディア様は見てしまったってこと!?
「その少年はね、昼間はいないのに夕飯時になると現れるのよ。でもそういった者は自分の意識が反映するとも言われているからかしら。たまにその姿をハッキリと見てしまうと、その子はリューセリンヌの王族特有の顔立ちをしていたわ。とても可愛かったけど……そういった者には視線を向けてはいけないし、その存在自体も気づいていることを悟られてはいけないから、いつも何も感じないように振る舞っていたのよ」
私が日記を読んで固まっていると、クロウディア様はそんな解説をして下さった。
……これって、まさか……
ア、アルフリードの事なの……?
以前、彼は子供の頃はほとんど皇城にいて、家にはご飯を食べるか寝に行くくらいしかして無かったって言ってたけど……
クロウディア様は彼のことをヘイゼル邸に棲みつく幽霊だって思ってたってこと!!?