119.隠された貴婦人
じゃ、じゃあ花泥棒は、あの花園の中にいるクロウディア様のいとこで、元リューセリンヌの騎士長、そして……
「綺麗な庭園でしょう? ここの花は全て父の祖国に自生していたものなのですよ」
背後から声がして私はバッとそちらを振り返った。
そこには、扉を出たところに立っているローランディスさんの姿があった。
「ア、アルフリードはどこにいるんですか? 早く……彼に会わせて下さい!」
私は慌てながら叫ぶように詰め寄っていた。
日が暮れてどんどん暗くなっていく、美しいけれどなんとも奇妙なこの庭園の中で、ローランディスさんはそんな私を穏やかに見つめていた。
「申し訳ありません。彼のことを探したのですが、どうやらこの邸宅から出て行ってしまったようなのです。今日はもう遅いですから、こちらに泊まって行ってください」
そう言いながら庭の方に背を向けると、彼は扉の中へ戻って行った。
まるで、そこにいる彼のお父様グレイリーさんを1人にしてあげて欲しいと言わんばかりに……
私もその後をついて行きながら、これからどうすればいいのか、頭の中をなんとかフル回転させようとした。
ローランディスさんはエスニョーラ邸にやってきた時から、今に至るまでとても落ち着いていて、紳士的なように見える。
だけど、私はあのエスニョーラ邸から難なく連れ出され、5時間もの間、一切の記憶が無くなっていたのだ。
これはそう……クロウディア様が亡くなってすぐに、ヘイゼル邸のお花が無くなっていた時、使用人さん達みんなの記憶が無くなっていたというマグレッタさんのお話と似通っていると思うのだ。
アルフリードとも仲が良さげで、ルランシア様にも可愛がられている様子だったこの方を疑うなんて、したくないけど……
これを怪しまずにいられるだろうか?
私の脳みそが出した司令はこうだった。
“こいつらヤバい気がするから、なんとかこっから脱出しろ”
本当にアルフリードと会わせるつもりだったのか、何なのか分からないけど、ここはあまり刺激させないようにしつつ上手くお屋敷の出口に誘導させて、逃げ出すしかないかな……
「う、うわ~! こんなに素敵なお屋敷に泊めて頂けるんですか!? こちらに来た時に最初に入ったエントランスもとっても凝った作りで、また見てみたくなっちゃいました! もう一度、案内をお願いしてもいいですか!?」
逃げ出したい気持ちを抑えようとするあまり、逆に私の言い回しは妙にハイテンションなものになってしまっていた。
これじゃあ、怪しまれても仕方ない……
自分の演技力の無さに呆れてモノが言えないよ。
「本当ですか? こちらの屋敷は帝国に僕らの一族が帰属した際に譲り受けたものですが、帝国古来の建築様式で作られた歴史あるものだそうですよ。お気に召されたのなら、ぜひご案内いたします」
そう言って、以前のアルフリードとダブりそうになるニコやかな笑みを彼は私に向けた。
い、意外と私の脳みそ司令を遂行するのは、すんなり行きそうな感じだろうか……?
ローランディスさんは廊下の一角の棚に置かれていた燭台のロウソクに火を灯して、すっかり暗くなってしまった邸宅内を私を引き連れて再び歩き始めた。
「そ、そういえば、ルランシア様がお酒をこちらに運びに来ませんでしたか? 彼女にもまたお会いしたいな~」
物静かな様子のローランディスさんとの沈黙に耐えかね、私はそんな話を切り出していた。
アルフリードを凶暴にさせるトリガーとなってしまった、あのキャルン産の焼酎なんかも、この邸宅にきっとあるんだろうな……
前を歩いているローランディスさんは、ふっと私の方を振り返り、ほんの少しジッと見つめると口を開いた。
「ああ、それでしたら本邸の方に置いてありますよ。そうそう、叔母上が帝都に滞在する時によく使っている古くからあるホテルをご存知ですか? あそこもここの邸宅と同じ様式が用いられているのですよ」
ルランシア様が使っているホテルといえば、帝都屈指の老舗&高級ホテルだ。
私も何回かあそこのカフェや、リリーナ姫の女騎士だった時にレストランに行った事があるけど、確かにここと雰囲気が似ている。
……けど、その話の前にお酒達は”本邸”にあるって言ってたよね?
ってことは、ここは彼らの所有しているまた別のお屋敷ってこと……?
「さあ、着きましたよ」
そんな事を思っていると、やっと見覚えのあるエントランスに到着した。
両開きの四角い重厚な玄関ドア。
私はそちらに足を進めた。
「うっわ~! この繊細で歴史ある木工職人さんの魂を感じさせる植物のツタが描かれてる彫り! それに、真鍮でできてるドアノブ!! おしゃれで頑丈そうで、でも回し心地は意外と軽めで滑らかなんですね~」
私は相変わらずハイテンションなおかしな挙動で、そこまで珍しい感じではない玄関ドアを褒め称えながら、さりげなくドアを開けようとした。
さすがにもう夜だし、カギがかかってるだろうな……そう思ったけど……
カチャリ
!!
ちゃ、ちゃんと開いた!
後の事はもう考えなくていい。
私は後ろにいるローランディスさんの方を振り返ることもなく、扉を開け放つと一目散に玄関の外に飛び出した。
アルフリードのために書き溜めた小説を持ってきてなくとも……普通に考えたら、お出掛けするならお財布と身分証明書を入れたバッグくらい携帯してるはずなのに、それも持ち合わせてない状態だ。
このまま、どう夜を明かすか、どうやって帝都まで戻るか……
考え出せばキリがないけど、アルフリードを口実に何の目的があって私を連れ去ったのか分からない人達のいる邸宅で一夜を過ごすよりは、まだマシだと思うのだ。
必死に駆け抜けているのは、脱出した邸宅を取り囲んでいる木立の中だ。
フクロウの”ホウホウ”という鳴き声らしき音がするけど、それ以外は全くの静寂と暗闇だ。
それでもともかく、夜中もぶっ通しの100キロマラソンのごとく、いつまででも走り続ける勢いで、私はひたすら駆けまくった。
しかし……
また突然。
夢から醒めるような感覚に襲われたのだ。
今さっきまで、ずっと走っていたのは暗闇の中だったから目の前の様子は変わらないけど、開いていたはずの私のまぶたは確かに閉じてしまっている。
本当は……
ローランディスさんと会った時から、夢を見ていたんじゃないのかな?
目を開いたら、ちゃんといつものエスニョーラ邸の自室にいるはず。
そう祈るような気持ちでゆっくりと、まぶたを開いた。
そこに現れたのは、黒っぽいベッドの天蓋だった。
それを見て私は愕然とした。
私の部屋のベッドの天蓋は白いのだ。
いくら部屋の中が暗くても、うっすらと白っぽく見えるから分かるものだ。
私は呆然としながらも、体を起こした。
そこはまあまあ広めの部屋のようで、ベッドから降りると、閉じられている黒っぽいカーテンの方へ向かってみた。
それを少しだけ開けてみると、窓から少し離れた位置には、高い塀があり、視界は遮られてしまっている。
だけど、上の方を見上げてみると、星が一面に光っている夜空が顔を出していた。
ここは……地下なんだろうか?
ふと窓から振り返って部屋の中を見渡すと、ベッドの横のサイドテーブルに、マッチ箱と真新しいロウソクが刺さっている燭台が置いてあった。
そして、その燭台は……
さっき私を玄関まで案内していたローランディスさんが持っていた燭台と、瓜二つだったのだ。
燭台なんて、どれも似通ったデザインのように見えるけど、一つ一つ手作りで前の世界みたいに大量生産できないこの世界では、異なる邸宅で同じデザインを見かける方が稀だった。
ヘイゼル邸とエスニョーラ邸でも、燭台にしろ食器なんかにしても同じものを見た記憶っていうのは無かったりする。
と言う事で……これが夢じゃないんだとしたら、私は必死に逃げ出そうとしていたリュース邸に逆戻りした。
そ、そういうこと??
一体どうなってるの!?
どうしてこんなに奇妙な事に巻き込まれてるのか、訳がわからないけど、そこに置かれている燭台にマッチを灯して火を点けて持ち上げた。
そして、この部屋の出口らしきドアを開けると、そこには一直線に伸びた廊下が現れた。
これからどうする……
また、脱出を試みるか? それか、この意味の分からない現象をローランディスさんを探して問いただしてみるか……
私には皇女様に仕込んでもらった女騎士としての武芸があるんだ。イリスからは護身術だって教わってるし。
大丈夫、怖いことなんてない……!
その廊下に並んでるドアを片っ端から開いて、人がいないか見て回ることにした。
私をここに連れてきた張本人に確かめるしかない!!
そうして、いくつか扉を開いて中を確かめているうち、廊下の行き止まりに辿り着いた。
その1番奥にある部屋のドアを開いて、同じように中に足を踏み入れた。
その部屋は、それまで入ったものよりも倍くらいの広さがあるように感じられた。
それに、ランプの明かりらしき光が奥の方から差し込んでいたり、ドアのすぐ横にあるベッドにはヒザ掛けのようなものが畳んで置いてあったりする。
なんというか……他の部屋と違って明らかに生活感があるように見えるのだ。
もう少し部屋の奥へ進んでいって、壁に備え付けられている棚に並んでいる本なんかに目を取られていると、
「まあ、新しい召使いの子?」
後ろから穏やかな女の人の声がして、私はゆっくりと振り返った。
持っていた燭台を少し持ち上げると、その人の容貌が明かりに照らされて、はっきりと姿を現した。
肩下まで伸びたゆるやかなウェーブの焦茶色の髪の毛。
それと同じ色をした大きな瞳に、その周りをけぶっている長いまつ毛。
品のある形の整った眉や鼻に口元、それに綺麗な顔の輪郭。
それはヘイゼル邸に飾られている、公爵様が立っている横でアエモギのお花をヒザの上に乗せて腰掛けている、貴婦人の肖像。
この世にいるはずの無い人物。
まさに……その人の生写しだったのだ。