118.半年ぶりのお出掛け
私の目の前で爽やかな笑みを浮かべている、アルフリードにどことなく似ている人。
センター分けした耳までかかる濃いめの金髪は違っているけれど、焦茶色の瞳に、背も高くてとても綺麗な容貌をしている。
ローランディス•リュースさんは、アルフリードの母方の”はとこ”にあたる。
彼のお祖父様は元リューセリンヌ国王の弟君だったので元々の名字もリューセリンヌだったけれど、帝国に帰属した際に”リュース”という家門を名乗るようになっていた。
この方は懐かしいリリーナ姫のパートナー選考会で独身貴族が集められた会場にいらっしゃり、アルフリードと親しげにお話をしていた。
ルランシア様みたいに気心が知れている親族で、さらに歳近ければ、邸宅に遊びに行くことがあってもオカシくはないだろう。
そんなアルフリードが……私に会いたがってる!?
皇女様と婚約した、なんて情報を目にしてしまったのは気になるところではあるけど、
それなら考えるまでも無く、もちろん……
「はい、行きます!! ただ……持って行きたいものがあるので、少し待っていて下さい!」
玄関の外からの光を体の周りに帯びているローランディスさんに向かってそう告げて、書き終えた原作小説を部屋から取ってこようと、階段の方を振り返った。
すると突然……
私は夢から醒めたような感覚がして、なぜか開いていたはずの瞳が閉じていることに気づいた。
耳からは、ガタゴトと音が聞こえる。
そして音がする度に体が揺れる。
夢?
……かとも思ったけど、その感覚はものすごくリアルだった。
私はそっと瞳を開いた。
ここは……馬車の中?
窓からは穏やかな青空と見たことのない丘陵地帯の風景が、馬車の動きに合わせて流れている。
そして目の前には、さっきまでエスニョーラ邸の玄関に立っていたはずのローランディスさんが、私の方に品のある控えめな微笑を向けて座っていた。
「あ、あの、ここは一体どこですか……?」
「ここはうちの馬車の中です。もう邸宅のあるデュボン地域に入りましたから、まもなく到着しますよ」
デュ、デュボン地域といったら、帝都から馬車で5時間くらいは掛かるはず。
それまで私は全く気づかずに、この中にいたっていうの……?
それに……
座席に腰掛けながら慌てて辺りを見渡した。
「私がここに乗り込んだ時に、何か荷物を持っていませんでしたか?」
「いいえ。覚えていないのですか? 何も持たずに、僕の後を付いていらっしゃったではありませんか」
目の前の彼は、偽りを言っているとは思えないような爽やかな笑みを私に放った。
この不可思議な状況に、片手で自分の頭を押さえていた。
やっぱり……ローランディスさんが邸宅に来て、半年かけて書き切ったアルフリードへの超重要アイテムである小説を、部屋に取りに行こうとして……
その後の出来事が全く思い出せないのだ。
あれほど大事に書き溜めたものを、このビッグチャンスに持ってきてないっていうの……!?
何やってるんだよぉ、私!
「馬車に乗り込んだ途端よく眠っていらしたから、まだ頭がボンヤリしているのかもしれませんね。あっ、どうやら到着しましたよ」
そうローランディスさんが言うと、確かに馬車は止まって扉が開いた。
そういえば、小説をどう渡すかってことと、アルフリードと皇女様のことで頭がいっぱいで、ずいぶん前から寝付けないでいたんだった。
睡眠不足だったから、記憶を失ってしまうくらい一気に寝込んでしまったのかな……?
確かに眠気や体のだるさは取れている感じがする。
彼は先に馬車を降りると、私が降りるのをその手を取ってエスコートしてくれた。
そこは、エスニョーラ邸の本館と同じくらいの大きさの、所々が黒くなった石造りの落ち着いた雰囲気の館だった。
周りは木立に覆われていて、他には何も建っていない。
町や村からも離れているようで、鳥のさえずりくらいしか聞こえてこない静寂の中、ローランディスさんに導かれて、その邸宅の中へと入っていった。
ここに……アルフリードがいるんだ。
ずっと救おうとしていたのに、救うどころか地獄のどん底に突き落とすような目に遭わせてしまった。
そして、そんな私を遠ざけようとさえするようになってしまった、あの人が……
「彼を呼んできますから、ここに掛けてお待ちください」
案内されたのは小さな応接室で、その中央に置かれたテーブルとソファセットの1つに、言われた通り腰掛けた。
ローランディスさんが出て行くと、一気にわたしの体は緊張に包まれた。
ここにアルフリードが入ってきたら……何て言えばいいんだろう。
この半年間、私のこれまでの行動原理である、あの小説を渡して読んでもらえさえできたら、それでいい。
そう思ってた。
でも、そのアイテムを持ち合わせていない状態で、彼と対面できる機会が得られるんだったら、その内容を口頭で直接伝えればいい、そういう事だよね?
まさか、こんな日が来てくれるとは思いもしなかったけど……
それに、皇太子様の時みたいに、ただそういう小説を読んだってだけじゃなくて、
私が別の世界から来て、そこで読んでたってこと。
その事も、伝えないといけないだろうな……
『君は何かを隠してるよね?』
『僕は何もかも伝えたつもりだ。それなのに、君は僕のことを信じてはくれないんだな……』
彼が子供時代の回想を語ってくれた時に、私もちゃんと彼と向き合って話をしていたら……こんな事にはならなかったのかな?
今さら、もう手遅れなのかもしれないけど、彼の方から私に会おうとしてくれているなら、きっと……きっと、また前みたいな関係に戻ることだって出来るはず……!
この部屋の扉を開いて彼が入ってくるのを待つ間、心の中で彼にどういう風に伝えればいいかシミュレーションを繰り返していた。
しかし……
もう30分くらいになるかな?
ずいぶん待たされているけど誰も入ってこない。
この部屋には時計がないから、どれくらい経ったか分からないけど、いくら待ってもやっぱり扉が開く気配が無い。
そして部屋から見える窓には、日が陰り出してオレンジ色をした空が映し出されていた。
一体、なんなんだろう?
アルフリードは直前になって、私と会うのが嫌になってしまったの……?
『やっぱり、やーめた』
ヘイゼル邸で看病していた時に、私の気をもたせるような態度をして、それを無惨にも打ち砕く彼のセリフが頭の中をよぎっていく。
ダ、ダメだ……今度はそんな事にはさせないから……!!
私はソファから降りると、外に出ようと部屋のドアを開いた。
ベルベットにワインレッド色をした絨毯が一面に敷かれた廊下はシーンとしている。
「誰か……誰かいませんか?」
声を出しても、誰も姿を現さない。
私は廊下に足を踏み入れると、ドアを静かに閉めた。
そっちから来ないんだったら……こっちから行ってやる!
長い廊下の突き当たりを左に曲がると、ラウンジのようにソファや椅子がたくさん並んでいる、くつろぎスペースらしき場所が現れた。
やっぱりそこにも人の気配は無くって、ひっそりとしている。
私はともかく、この初めてきた邸宅を探検するかのごとく、色々な方向へ行ってみた。
こんなに、使用人さんすら人がいないなんて……
何か、おかしい感じがしないだろうか。
エスニョーラの邸宅でローランディスさんが現れてから、ここに来るまでの記憶が飛んでるのも変だけど……
考えてみたら、私が外へ出ないように厳重に警備を敷いていたエスニョーラ邸から、私を連れ出せてしまっていること。
それがそもそも、おかしいんじゃないだろうか?
胸の中に、ジワジワと不安が広がっていくのを感じながら、また廊下の突き当たりを曲がった時、その目に飛び込んできたものに思わず息を呑んだ。
そこは大きな風景画が飾られていて、左横のところに外に出れる扉がついていた。
その開け放たれている扉から見えるのは……
けぶるような色とりどりの咲き乱れる花達。
その見たことのある光景に、自然と私の足は向かって行った。
扉を出るとそこは一面に……ヘイゼル邸と同じ、また、元リューセリンヌの土地にあったのと同じ花園が広がっていた。
そして、その中央には跪いて立てたヒザに腕を置いている1人の男性。
アルフリードでも、ローランディスさんでもない、中年の男性だ。
私も一度お会いしたことがあるその方の呟きが、夕暮れに包まれながら耳に届いてきた。
「クロウディア……私のクロウディア……」
その時、ぼんやりと浮かんでいた謎の輪郭が、私の中でハッキリと姿を現した。
ヘイゼル邸から根こそぎ無くなっていたお花達。
クロウディア様の元婚約者。
そして、初めて会った時にマグレッタさんが私に向けて言っていた言葉……
『どうか花泥棒にはご注意ください』