117.遮断された世界の中で
「アルフリードはマリアンヌ嬢の長い金髪に手を伸ばしそれをしばらくいじった後、おもむろに彼女の肩を抱き寄せ、今度はその口元に顔を近づけた……」
自室の机の上で、2年前にこの世界に来る直前まで読んでた小説をブツブツ呟きながら、紙に書いていた私だけど……
ダメだっ
この後の展開がどうなってたか思い出すのに時間がかかるし……
それに何より、アルフリードが恋仲になったご令嬢たちの中には、私の仲良しのご令嬢だっているし、その他もほとんどが舞踏会とかでお会いした事がある子達ばっかりだ。
彼と彼女達の甘い逢瀬や、まぁ色々やってる場面を書くって行為がなかなか私にとっては、思った以上にメンタル的なダメージがひどく、筆を進められないって事がしょっしゅう起こっていた。
王子様に渡した嘘の小説は、すっごく適当で内容も薄いものだったけど、今度のはアルフリードに私の真意を伝えるっていう超重要アイテムだ。
だから、一字一句おんなじように、どんなシーンも忠実に。
それくらいのつもりで、取り掛かってるっていうのにっ
そんな時は……
「それでね、この前ルランシアに会った時ヘイゼル邸のお酒を親戚の家に運んだら、キャルンの酒蔵に戻るって言ってたから手紙を出したのよ。それなのに! まだ返事が来ないのよ。あの人、飛んで歩くのが大好きだから、またどっか寄り道してるに違いないわ。ほら、どーお? エミリア、うちのパティシエのお菓子だって悪くないでしょ?」
お庭のバラ園の横にあるテーブルでお母様のマシンガントークとティータイムで気晴らしだ。
お母様とアルフリードの叔母様ルランシア様は仲良しだから、そんなやり取りもしてたんだなぁ、と確かに普通に美味しいマドレーヌみたいな焼き菓子を頬張りながら、とめどない話をひたすら聞いていると、
「リカルドがやっとあの変な貴族のマニアック本に読み疲れてお昼寝タイムになりましたから、お嬢様、筋トレしましょー!」
食べてたオヤツがお口から飛び出しそうになりながらも、頭の中をからっぽにするがごとく、兄嫁イリスに誘われて、トレーニングルームにて体を動かしまくる。
そんな事をしている間に、アルフリードと他のご令嬢との色々も頭から離れてリフレッシュできていたり、話の続きも思い出せていたりして、私はまた自室に戻って小説の続きを書くっていう毎日を送っていた。
その他にも、今でも毎朝の日課でお兄様がやってる弓矢の鍛錬に付き合ったり、ヘイゼル邸までとはいかないけど、そこそこの敷地面積をもつエスニョーラ邸の敷地内をお散歩したり……
引きこもって小説を書いている身としては、意外と隔離生活もそこまでツラいものでは今のところ無かった。
しかし、皇城にも、どこにも行けないっていう弊害はもちろんある訳で、その1番は外の状況を全く知ることができないってことだった。
帝国内の情勢や、リリーナ姫を狙ってるキャルン国やナディクス国がどうなってるか、皇女様がどうなさっているか。
そして……素行が悪くなったと皇太子様がブチ切れて私を排除するに至ってしまった、アルフリードが一体何をやっているのか。
お父様やお兄様は今回の件に懲りて食卓でも皇城の話は一切出そうとしないし、使用人さんも噂話は禁止されているようで私には何の情報も耳に入ってこない。
そして、以前ナディクスにいたエルラルゴ王子様の手紙のやりとりを内緒でやってくれたヤエリゼ君も、
「申し訳ありません。お嬢様の安全のために、外部の情報をお教えする訳にはいかないんです……」
同じことを繰り返すばかりだった。
原作でアルフリードが関わった女性は数十人。
その全ての色恋沙汰を思い出して、思い出して、思い出して……
今まで王子様への捏造小説くらいしか本を書いたことなんかない私は、来る日も来る日も机に向かい続けた。
そして、秋の味覚を狩りに行けるような時期を飛び越え、すっかり肌寒くなった時期になっても、まだ終わりは見えてこなかった。
そんなある日、
「エミリア様ーー!!」
何人かの声が重なって、私を呼ぶ声が聞こえた。
廊下に出て玄関の方が見える窓辺に立ってみると、そこには仲良しのご令嬢であるオリビア嬢とミゼット嬢に、マリアンヌ嬢が外套を着て立っているではないか!
「エミリア様、キャンドルの点灯式の時期になりましたから、昨年みたいにキャンドル作りをしましょうよ!」
「エミリア様いるのでしょう? お会いしたいですわ、一緒に行きましょう!」
み、みんな……!
キャンドルの点灯式といったら、あのアルフリードと観光ツアーでも行ったレストランを登る坂道に沿って、キャンドルを並べて夜の景色を楽しむ、帝都の冬の風物詩だ。
昨年はまだエルラルゴ王子様もいて、ヘイゼル邸でキャンドル作りを教えてくれたし、アルフリードも一緒に点灯式に参加したんだった。
あの頃はこんな事になるなんて、思いもしてなかったな……
私は今すぐ階段を駆け降りて、みんなの前に飛び出したい気持ちでいっぱいになった。
だけど……
「エミリア様にはどなたもお通し出来ません。お帰りください」
現れたうちの執事さんに、彼女たちは門前払いをされてしまった。
あえなく、こちらに背を向けて乗ってきた馬車に向かって行ったけど、
「世間ではアルフリード様のご縁談の話で持ちきりですけれど……わたくし達は、人前でも口付けして治療に専念していたエミリア様を捨てるような男とは、親から言われても願い下げですわ!」
「ずっと待っていますからねーー!」
そう口々に叫びながら、乗り込んだ馬車は門の方へ行ってしまったけど……
アルフリードの縁談……?
みんな、私の事を心配してくれているのは嬉しいんだけど、とても気になる事を言って去っていってしまった。
『もう僕の前に現れないでくれ』
結局、彼からの言葉はあれが最後になってしまった訳だけど……
もう本当に彼の中で、私は”終わった人”って事なのかな……
胸が張り裂けそうに痛かった。
もう何回も同じことをしたけれど、部屋に戻るとベッドに向かって私は泣き崩れた。
そして、さらに月日が経ち。
「アルフリードは皇女ソフィアナの元へ向かうため、自らその人生に幕を下ろしたのであった……」
ついに、400ページを超える大作『皇女様の面影を追って』が完成する日が来たのだった。
やったーー!!
そしたら、次はこれをアルフリードに渡すんだけど……
その渡す術というものが、私には皆目検討もつかなかったのだ。
まず外出できないから、直接渡しに行くってのはまず無理だ。
郵送するにも郵便局にも行けないし。
さらに、エスニョーラ邸にいる家族も使用人さんも、騎士さんにも、この内容を他の人に知られる訳にはいかないから、頼むっていうのも無理だ。
そしたら、後は……?
脱出するしかないけど、私が移動する所にはいつだって騎士の見張りが付いているし、敷地の周りにも警備が重点的に置かれてしまっていた。
せっかくモノは完成しているのに、ここから先が全くの手詰まり状態に陥ってしまっていた。
そんな、ある日のこと。
「あれ……リカルド? リカルドがいません! さっきまでここで寝てたのに……」
気晴らしにイリスと筋トレをしていると、そこで寝ているはずのリカルドがいなくなっていた。
生まれてから1年と少したった彼は、もう1人で立ってヨチヨチ歩きができるようになっていた。
私もイリスも、見張りの騎士さんも一緒になって探したけれど、同じ階にはいなかった。
一応、ゆっくりではあるけど彼は階段も登れるので2階へ上がって探す中、まさかと思って私は3階へ上がってみた。
彼はさすがエスニョーラの血を引いているというか、あの貴族家マニュアルの分厚い本達が大のお気に入りだった。
ちなみに私は外部の情報に触れて、また家を抜け出して危険な目にあったら大変だと、3階のマニュアル部屋に入ることも禁じられていた。
それでも甥っ子が心配なので行ってみると、案の定……
その部屋のドアが少しだけ開いている。
中に入ってみると、床に置いて開いている一冊の本を腹ばいになってニコニコしながら小さい男の子が眺めているではないか。
「リカルド、ママが心配してたよ? それに寝る子は育つって言うから、ちゃんとお昼寝もしよう、ね?」
私が彼を抱き上げようとすると、
「エミ、アール! アル!」
彼は私に向かって何かを言いながら、指で開いていた本を指差した。
何かと思ってその先を見てみると、そこには、
“アルフリード・ヴァン・ヘイゼル”
と書いてある。
つまり……これは貴族家マニュアルのアルフリードのページだ。
そして、そのまま私の目は勝手にそのページに書かれている文字を追ってしまっていた。
そこには、昨年の8月に私が彼に婚約破棄したことや、翌月にはヨリが戻りそうになったのに、彼の方から別れを切り出したこと。
さらに……仲良しのご令嬢が言ってたように、やっぱり彼は新しい婚約相手を探すために……私が書いてた原作小説でも見覚えのあるご令嬢と、何人も会っている内容が記してある。
だけど、彼女たちはどれも短期間で名前が消えてしまっていた。
怖い、読んだらいけないと思うのに、そんな意思とは裏腹に、どんどん目の中に先の方の文字が入っていってしまう。
今のところ、家に来た3人の名前は出てこないけど、最新の情報の列に入って飛び込んできたのは、
“婚約”
の2文字。そして、そこに記されていた名前は、
“皇女ソフィアナ・バランティア”
……??
まさか、まさかの信じられない人物の名前だった。
私が皇城を後にしてから、かれこれ半年が経っていた。
その間に一体、何が……
何があったというの!!?
「あーー、いた!! カギを掛け忘れてたのかな……リカルドだめでしょ」
イリスの声が聞こえて、私は読んでいた本をバタンッ! と勢いよく閉じていた。
ここ何晩も、どうやって小説を渡そう……そればかりを考えていた私は、ずっと寝付くことができなかった。
それに加えて、アルフリードが婚約?
し、しかも相手はあの皇女様……?
この夜もさらに私は眠れぬ夜を過ごす事になった。
そして迎えた次の日。
とても静かな昼前の時間だった。
私は偶然にも、もうすっかり自分の所有物と化していたクロウディア様の部屋着を身に付けていた。
タンスの中にはいつも、彼女が愛用していたアエモギの花の香水で作った芳香剤が入っているから、部屋着からも同じ匂いが漂っている。
いつも10月頃、ヘイゼル邸の庭にはあのオレンジ色の花が咲き乱れているのに、昨年は見ることはできなかった。
ちゃんと咲いてたかな……
そう思いながら、2階の自室から1階の居間スペースに向かうところだった。
「あの、エミリア・エスニョーラさんですか?」
階段を降りて玄関前を通ろうとした時、その声がした。
振り向くと、そこにはどこかで見覚えのある人が立っている。
「は、はい。そうですが?」
そう答えた時、私は一瞬ドキリとした。
その人の笑みは、私がずっと会いたくて仕方なかったものにそっくりだったからだ。
「突然、申し訳ありません。僕はローランディス・リュース。実は……アルフリードが今、僕の邸宅に来ていまして、あなたに会いたがっているのです。今から一緒に来ていただく事はできますか?」
あの小説が渡せるかもしれない……
また、彼に会えるかもしれない……!
この日、まさかの思わぬ出来事が、私の身に訪れたのだった。
※
・キャンドル点灯式の話「58.リニューアルな気持ち」