116.悪女のレッテル
皇太子様はさらに重々しくメロディを奏で始めた。
「アルフが出勤していないと……? では、探しに行かねば……」
皇女様が慌てて返事を返そうとすると、それに被せてまた音が鳴った。
「そうですか、お兄様がもう迎えを出していると……しかし、それは今に始まったことではない? 職務中に急に姿を消したり、ともかく素行が非常に悪くなっていると」
そう訳してくれる皇女様の言葉に、今まで穏やかそうだった皇太子様もついに堪忍袋の緒が切れてしまったという事なのか?
それからまた今度は陰鬱で、若干激しめの曲調、それに少し長めにピアノが鳴り響いた。
すると、皇女様は青ざめたお顔をなさって、急にガタンッ! と、立ち上がった。
「お兄様、そんな……それは、酷すぎます!! エミリアはそのような娘では……」
取り乱した珍しい姿で皇女様が私を庇うような言葉を発すると、冷静な目つきをしながら、皇太子様は短くメロディを奏でた。
「わ、分かりました……訳します」
皇女様は目を伏せてソファに腰を落とし、淡々と皇太子様の通訳を再開した。
「彼がこうなったのは、全て君のせいなのだろう? 私がキャルンから帝国に帰還したとき、君はすでにソフィアナの女騎士として皇城に出入りをしていた。私は他の者達より君と接している時間も少なく、正直に言って君がどのような娘なのかもよく分からない。
女騎士に専念するために、彼を振った。そこまでは理解もできよう。しかし彼が倒れた後、あれほど専念したいと言っていた女騎士を放棄してまで、彼に尽くす態度を見せていたな? 客観的に見て、全く矛盾している」
た、確かにそうだ……
反論のしようがないよ。
「私には、君が何か別の目的を持って女騎士という口実を使い、ソフィアナに近づいているように感じられるのだ。
アルフリードはそれに関わったがために、このような目にあった。君は……」
そこまで言うと皇女様は目をキツくつぶってツラそうにしながら、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「君は……幼少よりここで教育を受け、素晴らしい才覚を持っていた帝国の宝である彼を精神的に追い詰め、ズタボロにした、帝国きっての……悪女だ」
あ……悪女……?
またメロディが鳴ったけれど……皇女様は頭を押さえて下を向いたまま、訳を続けようとなさらない。
そんな様子にまた違った音が鳴ると、皇女様は立ち上がり、何かを外にいる家来の人に告げに行った。
すると、やってきたのはユラリスさんだった。
「失礼いたします、皇太子殿下のピアノがわかるのは僕しか今いないのですが……」
前は皇太子様の話が私と一緒で分からなかったはずなのに……彼は政治が得意っていつかのお手紙でエルラルゴ王子様が語られていたけど、秀才系美少女な見た目のユラリスさんはいつの間にかピアノ語をマスターしていた。
皇女様に代わって彼は通訳を始めた。
「リリーナ姫も……キャルンでは悪女と呼ばれる振る舞いをしているが、それは幼い頃から他国に人質に出され甘やかされて育ったがため、まだ理解できる。
しかし君の場合、隠されていたエスニョーラ邸から脱出してまで、一体何をしにここまで来た? 納得できる説明が得られぬ限り、君のような不可解な存在を皇城に置くことはできない」
そうか……皇太子様は前にアルフリードが疑っていたように、私が女騎士を志願し続ける真の目的があることに勘づいていらっしゃる……
それを明らかにしていないから、”異質な存在”だなんて言うんだ。
「お兄様、エミリアは夢の中で読んだ小説に憧れて、私の女騎士になったのです。謹慎ならまだしも……追い出さなくとも良いではありませんか?」
皇女様は困惑した様子で、皇太子様をなだめようとしている。
私のために……時々厳しくもあるけど、優しくて部下思いな最高の上司だなって私の胸はジーンとした。
「帝国のため、私のためにエリーナが倒れた時から、私は帝国を守るためなら、どんなことでもすると心に誓ったのだ。近隣諸国が不安定な今、アルフリードをあのような目に合わせた得体の知れぬ者を、大事なソフィアナのそばに置くことなど断じて出来ない。これはお遊びじゃないんだ、もっとまともな理屈を述べられないのか」
ユラリスさんに通訳されているのは初めより激しい曲調のもので、皇太子様の心の内が怒りに満ちているのがダイレクトに伝わってきた……
皇太子様とアルフリードが不仲にならないように頑張ってきたつもりだったけど、結局のところ、素行を悪くさせて彼らを不仲にさせてしまったんだ。
私がやってきた事が全て裏目に出てしまっている。
そして、そのせいで皇女様のそばでお護りするっていう目的まで失おうとしている。
こ、これを阻止するためには、真実をお話するしかないのかな……
でも、それこそふざけてるのか? って言われちゃいそうだけど……
私は目を閉じて小さく深呼吸すると意を決して、口を開いたーー
「結局こうなるのだったら……エミリア、やはりお前は外に出るべきでは無かったのだ」
その日の晩餐。
家族が集まった食卓の席は、重い雰囲気に包まれていた。
「向こうからエミリアの教育も女騎士として雇い入れる事も申し出てきたっていうのに、今度は突き返してくるとは……勝手な連中だな!」
お兄様はいきり立ってテーブルの上を拳でドンッと叩いた。
皇女様が来年くらいに馬車事故に遭う可能性があることを、私は正直に皇城で皇太子様にお話した。
それを阻止したいから、皇女様の女騎士にさせてもらったのだと。
皇太子様は、その根拠は? と問いただされたけど……やっぱり私が読んだ小説にそう書いてあった、と説明するしかなく……
納得してもらうことは、終に叶わなかった。
『すまないエミリア……私はそなたの後ろ盾であったつもりだが、皇位継承者であるお兄様の意向には逆らう事は出来ないのだ』
皇城への出入りを禁ずる命とともに、皇太子様がお部屋を後にし私が皇族騎士の人達に連れ出されようとする中、皇女様はそう声を掛けられた。
『そなたの事は妹のように思っているし、私はさっきの話を信じるよ。だから、お兄様のお許しが出てまたいつか会える日まで……元気でいるのだぞ』
私は皇女様をアルフリードと同じ目に遭わせるかもしれない危険な悪女であり、さらに根拠のない馬車事故が起こるなど不審な事を言うからと、皇女様に接近することも禁止されてしまったのだ……
少し涙目になっている感じがする皇女様は一度だけ、私のことをハグしてくれた。
皇城に乗ってきたお馬さんに乗り、数名の皇族騎士の監視とともに2年間通い続けた皇城を後にしてエスニョーラ邸へ向かう中、反対側から1台の見慣れた馬車が駆けてきた。
すれ違った時、その窓にはカーテンが掛けられていて中は見えなかったけど、それは紛れもなくヘイゼル邸のものだった。
結局、こんな事になるなら、当初のようにエスニョーラ邸で隠されたままになってた方が良かったのか……
まさか私の目的を達成するための最大の壁が、あの温厚そうな皇太子様だったとは思いも寄らなかったよ。
「エミリア、もう分かっただろう? 1番安全なのは、このエスニョーラ邸の中だけであり、信頼できるのは我々家族だけなのだ」
腕組みをしながら食卓のお誕生日席で、お父様はため息混じりにそう言った。
こうして……隠された令嬢として外の世界から隔離された私の生活が、再び到来したのだった。
そして、エミリアの大冒険は失敗に終わりつつも、末永く家族と仲良く暮らしたのだとさ。
……
ちがーーーーう!!
まだ終わらない!!!
私にはまだ、やり残していることがあった。
「大丈夫よ、エミリア。お母様もあなたと一緒に隔離生活を楽しむからね♡」
「良かったじゃないですか、お嬢様。大好きなリカルドとずっと遊んでられますよ!」
「エミ、いっしょ! リカ、うれちい!」
重い雰囲気を和らげようとしているのか、本心なのか分からないけど、母・兄嫁・甥っ子からのお気楽な歓迎の言葉を受けながら、自室に戻った私は窓際のテーブルに紙をセットして腰掛けた。
部屋の外と窓の下にも見張りのエスニョーラ騎士が付いていて、もうどこからも脱出は困難な状態になってしまっている。
そんな中、紙にペンを走らせて書き始めたのは、皇女様の女騎士を志願する理由となった小説だ。
エルラルゴ王子様に渡した捏造小説の方じゃなくって、前の世界で私が読んでいた本物の方だ。
皇女様が亡くなり、アルフリードが女漁りに没頭し、それでも心の中を埋める事ができずに、命を絶ったってヤツの方だ。
これをどうにか私の記憶を総動員して書き上げ、どうにかしてアルフリードに渡す。
この内容を信じきっていたがゆえに、アルフリードをあんな目に合わせてしまった……
それだけでも、彼に知ってもらいたかった。
それを彼がどう受け取るかは分からない。
だけど、このままでは彼に真実を告げないまま、一生お別れになってしまう。
それだけが……この世界にいる私にとって唯一の心残りだった。