106.ヘイゼル家にはこんな人達もいた
私めがけて振り下ろされる、割れた酒瓶という凶器。
自分の体に走るだろう感覚に、きつく目をつむって、顔を背けた。
その時、
ピーーーーーー!!
耳をつんざく甲高い、笛のような音があたりに響き渡った。
その耳鳴りみたいな大きな音に、とっさに両耳を強く押さえていた。
そうしてガタガタと震えながら、覚悟していた痛みに怯えていたけど、何も起こらないでいる。
恐る恐る閉じていた目を開いてみると……
そこには、瓶を持った片方の手を高く上げた格好のままのアルフリードが、おそらくお酒の禁断症状による、おっかない顔をした状態で、後ろから誰かに羽交締めにされて動きを封じられている。
さっきまで持っていた火の灯ったランプは、私の手から床に落ちて転がっていたので、それを再び持ち上げて、彼の方に近づけてみた。
「くっ……」
ツラそうに声を漏らしているアルフリードの後ろには、肩のあたりから膝にかけてヒラヒラと翻っているものが見える。
これは……マント?
マント、といえば……
「坊っちゃま! 暴れないでください! ああっ、まさかあの合図が坊っちゃまに使われる日が来るとは……」
どこからいらっしゃったのか分からないけど、アルフリードの後ろからチラ見えしている、腕や足に纏われている服。
この格好は、これまでご登場の機会がなかった、帝国の貴族家の中で最大級の武力を誇るという集団。
ヘイゼル騎士団の騎士さんのものだ!
そうだよね……こんな危険な状態で活躍してもらうと言ったら、本来、この邸宅をお護りするのが生業の騎士さんにお任せするのが妥当だよね。
だけど、これまでアルフリードも公爵様も、ソードマスターという強さの象徴を持った人物たちだったから、周りに騎士さんを置くことはなく、私もここのお宅ではそれが当然だと思っていたから、この方々の存在を感じることなく今までずっと過ごしていたよ。
ピーー ピーー ピーー
すると、またさっきと同じ笛の音が3回聞こえた。
私の後ろの方から聞こえてくるその音の方を振り返ってみると、尻もちをついていた使用人さん達が一斉に立ち上がって、このお酒の貯蔵庫から逃げるように立ち去っていく。
え……そんな! これじゃあ、アルフリードのことをもう見捨ててしまっているようなものじゃない……
そりゃあ、もう我を忘れてしまってお酒のために危害を加えてくる彼は、もはや人間のようにもお仕えする主人のようにも見えないかもしれないけど、かの掟のために感情すら殺すことができる公爵家の使用人さん達が、そんな振る舞いをするのは信じられなかった。
そして、そんな使用人さん達が逃げて行く中、1人こちらを向いて、ホイッスルをくわえているのはマグレッタさん。
その様は、執事頭ゴリックさんに代わる、第2の使用人のドンだ。
「さあ! 今のマグレッタの合図は“主人を置いて逃げろ”の意味ですから、坊っちゃまの元婚約者様も早くお逃げください! っと、だから暴れないでください……坊っちゃま、坊っちゃま!」
アルフリードを羽交締めにしている騎士さんは、必死に彼を抑えようとしているけれど、相当手こずっているようだ。
なんとか……なんとか、できないか……
彼を大人しくさせて、さっき私の隣で静かに寝ていた状態に戻さないと、いくら騎士さんでも力に限界がきてしまいそうだ。
そういえば……これと、似たような緊迫感を伴っていた時があったような、なかったような……
いや、あったんじゃないかな。
あれは、私がとある方の女騎士をやっていた頃のことだ。
目覚めて欲しくないシチュエーションで、目覚めかけてしまったその方を、とある技が救ってくれた。
私は、体の動きを封じられてプルプルと震えているアルフリードの方へ歩み寄ると、片手を彼の頬に添えて、その唇にキスをした。
そして、もう片方の手を彼の頭の後ろに回して、親指で首と頭の境目ら辺を強く押した。
すると、彼の体の震えは収まって、私が唇を離した頃には、瞳を閉じて、ガクンと体を騎士さんが支えるままに力無くうなだれていた。
「ごめんね、アルフリード。静かに眠っていてね」
私が思い出した、人を眠りにつかせる技。
それは、リリーナ姫がスパ滞在時の初めてのエステタイムで眠っている間に、色々やりたい事をやりに行っていた私が、その制限時間に間に合わなくなった時、姫のお付きの白騎士アンバーさんが披露してくれたツボ押しの術だった。
コツン……ゴロ ゴロ ゴロ
アルフリードが持っていた危険に尖っている酒瓶は、床に落っこちて、その上を転がっていった。
私は彼の穏やかに戻った寝顔を眺めながら、その力の抜けた体をそっと抱きしめた。
「ほう、こんな便利な術があるとは……やはり閉鎖的な神秘の国ナディクス。お見それした」
次の日。
アルフリードは、昨夜の衝撃的な事件により二日酔いになってしまったようで、青ざめた気持ちの悪そうな顔をして、朝食にも手をつけずに寝込んでいた。
彼の横っちょでその手を握りながら、私はそれでも欠かさずに10分おきに彼にチューすることを忘れずに過ごしていた。
そして、彼の眠るベッドの脇に立って、私が昨日披露した技を関心しながら体得しているのは、ヘイゼル騎士団の団長ギャザウェルさんだった。
「私は奥様がご存命の際は専属騎士をしておりましたが、現在はお強い旦那様からのご要望で邸宅内に騎士を溢れさせておりませんでした」
つまり、彼はクロウディア様がいらっしゃった頃は専属メイドのマグレッタさんとタッグを組んで、この本館でもご活躍されていたらしい。
お2人の昨夜の連携プレイは、その頃培われたものだそうだ。
「また坊っちゃまがあのようになられれば一大事ですから。何かあればその笛でご指示くださいませ。就寝後はお部屋から出そうであれば我々が止めますから安心してお眠りください」
そして私の首には昨夜マグレッタさんが吹いてた銀色の筒状の笛がぶら下がっていた。
使用人経典のように、騎士団にも色々な掟があるらしいのだが、通常はいかなる事があろうとお護りすべき主人に手を荒げる事はしちゃダメだけど、この笛による指示だけは例外だそうだ。
しかし、使用人さん達は私と普通に会話できないけど、騎士さんはお喋りしてOKなのかな?
「あ、あの、倉庫に置いてある大量のお酒。アルフリードのためにあれをどこかへやってしまいたいんです。でも、一応あれらはルランシア様のものなので、彼女に撤去してもらいたくて……今どちらにいるか探してもらえるでしょうか?」
ルランシア様は2ヶ月ほど前にあったアルフリードのお誕生日会を後に、彼が依存することになってしまったナガジャガイモ焼酎の取引先拡大のため、帝国中の飲食店なんかの営業回りに旅立ってしまっていた。
彼女自身も大量に在庫を連れ回しているから、無くなったらここに取りにきそうだけど、それはいつになるか分からない……
「了解いたしました、部下に探させるようにしておきましょう」
そうこうしてるうちに10分経ってしまったので、再びアルフリードにチューをしてると、団長さんはその間にどこかに消えてしまった。
昨夜もどこからともなく現れたけど、まるで忍者のようだ。
もしかして、普段は天井裏に隠れてて、お屋敷の様子を見てたりして?
“見られていますからね”
寝る前にやり取りしてたマグレッタさんのメモにあった、この奇妙な言葉。
けっこうお話しやすい雰囲気の団長さんなので、またお呼び出しさせてもらってお聞きしてみよう。
アルフリードの禁断症状が思った以上の凶暴さを発揮してしまったので、またお医者様を呼んでみてもらい、やっとそれから数日して二日酔いも回復した彼と皇城へ行ける日がやってきた。
早速、皇太子様の執務室に行くと、なんだか久々に聞く綺麗なメロディの音が聞こえて、
「殿下の言う通りだよ、アルフリード君。完璧な人間など、どこにもいないから……」
私はまだ、皇太子様が奏でるピアノによる暗号を解読できずにいた。
そんな、何を言ったのか分からない私を置いて、会話をされてるのは皇族騎士の団長さんだった。
『皇城への送り迎えには同行できますが、国家の機密情報を扱う場に一介の家門の騎士は行けませんので、坊っちゃまがまた暴れ出した時のために、皇族騎士団に代わりを申し入れておきました』
お屋敷を出発する時に、ヘイゼル騎士団の団長さんがお話してくれた内容だ。
やはり、陛下と公爵様が仲良しのように、双方の所有騎士団の団長さんも色々と融通がきくようになっているようだ。
そして、ありがたい事にアルフリードの皇城での護衛ならぬ監視役になったこの団長様は、皇太子様のピアノ会話を理解できる数少ない人物の1人でもあった。
一通り、皇太子様へのアルフリード復帰のご挨拶ができたら、今度は皇女様の執務室に伺うことになった。
お部屋に入るとそこには……
「おお、アルフにエミリア。ちょうど良かった、エミリアに頼んでおいた品が届いた所だったのだ」
執務机の前に座って私達に呼びかけられた皇女様のその横には、黒い布がかけられた背の高いものが置いてある。
「大変お待たせしております。こちらの品がやっと完成しました」
そこにいる、もう1人の人物。
彼は帝都の高級ブティックの店長さんで、本来の私の職務である皇女様の女騎士用に着る、XSサイズの皇族騎士の制服を仕立てて下さっていた。
色んな事があって発注からかれこれ4ヶ月くらいになるけど、ついに、ついに待ちに待ってたカッコいい騎士服に袖を通せる日が来たという訳だ……!
そして、ブティックの店長さんがバサッ! と掛けてある黒い布を取り払った時、そこに現れたのは私の予想を完全に裏切る、さらに皇城の風紀を乱してしまいそうな、あるものだった。
※
・リリーナ姫を眠らせる話「75.ツボ押しの名手」
・XSサイズの皇族騎士服の登場話
「63.騎士の宣誓」「72.皇女様のイライラと姫の犠牲者」