105.治療失敗?
皇女様とお父様とお医者様が帰ってから、早速、10分経ったらアルフリードにお酒に対する中毒を私に移行させるための、治療行為を実践していた。
「さあ、アルフリード! またキス時間になったから、行くよー。1、2の……3!」
彼は相変わらず、やる気のない無表情で、ベッドの上でぼーっとしている事が多く、そんな私への関心さのカケラも感じられないテンションの低さを打ち破ろうと、私は1人空回り気味なのは承知の上で、治療行為を行なっていた。
そして、夕飯時になると、こんな状態になってからはいつもしているように、彼の分はベッドの上に、私の分はベッドサイドに用意してもらって、一緒にお食事を取った。
そんでもって、夜の就寝タイムに突入した訳だけど……
『彼の禁断症状がいつ消滅するか分からない今、その治療薬とも言えるエミリア嬢がダウンしてしまっては、これから彼が復帰する帝国の中枢機関の業務にも支障が出てしまいますので、夜はちゃんと寝て休んでくださいね』
という事で、さすがにこの時間帯は、10分に1度のアレは一時休止となる。
それに……
『エミリア、これまでは彼の意識は混濁状態ということで、夜もそばにいる事は許したが……お前は現状、彼とは婚約も何もしていないサラの状態になってしまっているのだ。だから寝るときは……ちゃんと別室を使うようにするのだぞ』
青ざめた表情のお父様から釘を刺されていた。
それでも、エスニョーラ邸に帰らずに、ヘイゼル邸にお泊まりすることを許してくれるのは、アルフリードにとって私が必要不可欠な存在であることを認めてくれているからという事のようだ。
だけど……お父様ごめんなさい。
私はアルフリードの隣りの部屋で、お風呂に入り、ずっと返しそびれていた部屋着と同じように、クロウディア様が生前に使わなかった、新品のネグリジェにお着替えさせてもらいながら、ある決意を固めていた。
もし、彼の意識を私に集中させることで、アルコールを断つことに繋がるのだとしたら最悪……私はこの身を捧げてもいいと思っている。
彼のためなら……何だってできるし、彼が望むなら何だってしてあげたい。
寝る準備万端で、私の使ってる部屋で色々お手伝いしてくれていたメイドちゃんが退散していくと、私はアルフリードの部屋に繋がっている中扉の方へ向かった。
そこには、アルフリードにお布団を掛けてあげて、火の灯った燭台を手に部屋を出て行こうとしている、マグレッタさんがいた。
「マ、マグレッタさん……私、やっぱり夜もアルフリードのことが心配なので、一緒に寝ようと思うんです。だけど、このことは、公爵様や、私のお父様や皇女様がまたここに来た時には内緒にしておいてもらえませんか?」
マグレッタさんは、燭台を持ったまま、ロウソクの光が当たったお顔を私の方にジッと向けてみていたけど、そばにあったサイドテーブルに燭台を置いて、メモを取り出して何かを書き出した。
『それほど、坊っちゃまのことを想っていらっしゃるのですね。坊っちゃまにそのような方ができて、昔を知る私にとっては大変喜ばしいことです。分かりました、エミリア様のお好きなようにしてくださいませ』
彼女が再び燭台を持って、私の方に近づいてきて渡されたメモにはこう書かれていた。
昔、というのは……アルフリードが子どもの頃、まだ彼のお母様が生きていた頃のことなのかな?
アルフリードからは、皇城で過ごしていた頃の話はこの間、詳しく聞ことはできたけど、このお屋敷での様子はあまり思い出がない、とかで聞いたことがなかった。
マグレッタさんから、当時のことを聞いてみたいけど、このお屋敷の中では、こうしたちょっとした私的な会話でもメモを使うのを徹底しているようだった。
「はい……彼がこうなってしまったのは、完全に私の責任ですから……理解していただいて、ありがとうございます。あ、あの、ところで……今はアルフリードももう眠っているようなので、例の掟どおりではなく、少しくらいなら直接お話しても大丈夫じゃないですか?」
私もリリーナ姫の女騎士だった時に、私語厳禁という掟を課せられていたけど、姫の見てない所とかでは、ちょびっとだけ決まりを破ったりしていた。
だから、と思って聞いてみたんだけど……
マグレッタさんは、再び燭台を置いてメモを取り出して、
『それは、いけませんよ。見られていますからね』
再度、彼女から渡されたメモには、なんとも奇妙なことが書かれていた……
ど、どういうことだろう……
なんだか、以前のリフォームをする前の、ゴースト屋敷と呼ばれていたこの邸宅のことを嫌でも思い出させられる内容のように感じてしまう。
「あ……そ、そうなんですね! 壁に耳あり、障子に目あり、どこで誰に見られちゃってるか分からないですもんね!!」
ずっと人形のように表情のないお顔で、ロウソクの火の明かりに照らされてるマグレッタさんの姿にもだんだんゾクゾクしてきて、動揺した私は、こっちの世界では使われていない、以前の世界のことわざを無意識のうちに出して、この空気から逃れようとしていた。
「それでは、おやすみなさいませ」
業務的な言葉だったら声を出してOKなので、マグレッタさんはそう言うと、部屋を出て行った。
“見られていますからね”
シーンとしている広い部屋の中で、さっきのその言葉が私の頭の中にコダマしてきた。
久々に感じる、このお屋敷での感覚に、私は身を捧げるとか何とかってことに若干ドキドキしていた事もそっちのけで、アルフリードのいるベッドの中へ駆け込んだ。
アルフリードはベッドの中央で仰向けに横たわっていたけど、私が入っていくと、なんとも迷惑そうにモゾモゾと寝返りを打って、私の方に背中を向けてしまった。
その壁みたいな広い背中に頬を寄せて、その腰に自分の手を回した。
温もりがじんわりと体に伝わってきて、彼はどう感じているか分からないけど、私にはものすごく安心感が伝わってきた。
彼の落ち着いた寝息とかすかに上下する背中を感じていると、徐々に眠気が生じてきて、私は彼を抱きしめたまま、眠りに落ちていった。
ボーン
時計の鐘の音がして、私の目は覚めた。
この部屋を出た所の廊下、以前は肖像画でひしめいていた廊下には、大きな振り子時計がある。1時間、時を刻むごとに鳴るその低い鐘の音だ。
まぶたを開けてみた所、あたりはまだ真っ暗だ。
それならと、まぶたをまた閉じて眠ろうとした時、違和感があって私はムクッと上半身を起こした。
あ、あれ……?
確か、ここに大きなものが寝っ転がっていて、私はそれをずっと抱きしめてたと思ったんだけど……
私の横には何もないし、寝る前には確かに感じていた体の温もりが無くなってしまっている。
「誰かー!! アルフリードがいないんです! 一緒に探してください!!」
部屋に置いてあったランプに火をつけて、一通り部屋の中を探した後、真っ暗で人気のない廊下に出て、私はひたすら大声で叫んだ。
すると、ゴゴゴゴッと音がして、廊下の使用人さんたちの居住スペースとの隠し通路が出現して、何人もの使用人さんたちが姿を現してくれた。
アルフリードは、昼間、皇女様たちの前で酒を欲する言葉を最後に、その後は一言も発することもなく、またお酒を探しに行くような様子も見られなかった。
それに、倒れて目覚めた後は、とっても大人しくて、単独行動も取らなかったから、お部屋に見張りをつけて監視するような真似もしていなかった。
この広すぎる邸宅で、彼を探すのは至難の技のように感じてしまうけど、このタイミングでいなくなったっていうのは、あの禁断症状が出ちゃったってことだよね……?
「多分、アルフリードはお酒の貯蔵庫にいると思います! もしそこにいてお酒を奪おうとしていたら、皆さんも一緒に彼を止めてください!」
そうして私は何も言わずとも頷いてくれている使用人さん達と一緒に、ルランシア様が置いていったお酒たちを保管している倉庫へ行ってみた。
そこは半地下になっていて、戦争時に籠城するような状況に直面した時に、食糧を大量に保管しておくためのとてつもなく大きい、このお屋敷の倉庫の1つだった。
一応、そこには大きな錠前がしてあって、鍵がなければ中には入れない。
しかし、倉庫の入り口である木製の両開きの門は、無惨にも爆撃を受けたようなボロボロの姿の2枚の板が、錠前がついたまま倉庫の内側にバタンと倒れてしまっていた。
そして、
カチンッ
中から、小さな金属音が聞こえて、中へ進みながらランプの明かりを照らしてみると、
い、いた!
大量の木箱が積み重なっている中に、アルフリードが地べたに座りこんで……
手にした酒瓶をラッパ飲みしているではないか……
そして、あっという間にその1本を飲み干すと、フタの開いてる木箱からもう1本を取り出して、飲み口に親指を当てて、さっきもしていたカチンッという音をさせながら、器用に栓を飛ばした。
一体、いつからここにいるのか分からないし、こんな状態で意味をなすのか分からないけど……
「ア、アルフリード。ごめんね、ちゃんと夜もキスしてあげなかったから、お酒が欲しくなっちゃったんだよね? 今、してあげるから、もうそれを飲むのはやめにしよう?」
また、子どもに話しかけるみたいにして、彼のそばに私も座り込むと、彼の肩を両手で包むようにして、そのお酒臭のものすごく漂う口元に、自分の顔を近づけた。
だけど、しようとしていた目的を達成する前に、彼は急に立ち上がって、私から離れていって別の木箱をこじ開けようとした。
それを、一緒に付いてきていた数名の男の使用人さんが、止めようとしてくれた。
ガチャンッ!!
だけれど突然、ガラスが割れるような大きな音が薄暗い倉庫中に響き渡った。
見ると、さっきアルフリードを止めようとしてくれていた、使用人さんが尻もちを付いて、ガタガタと震えながら後退していっている。
その視線の先には、先端が割れてギザギザになってる酒瓶を持ち……今にもその使用人さんに襲い掛かりそうな、アルフリードの姿だった。
これは……私がイメージしていたのは、剣を振り回している姿ではあったけど、この状況は凶暴で闇落ちしてしまっているのと、なんら変わりなかった。
私は使用人さんたちを守るように前に立ちはだかった。
「アルフリード、落ち着いて! 私、何でもするから。あなたのためだったら、どんな事でもするから、その手に持ってる瓶を下ろして? お願い!」
そんな懇願する私の姿には目もくれず、目の据わった無表情のまま瓶を持っていない方の手で私をどかすと、彼はその瓶を肩のあたりまで振り上げて、そのギザギザとして鋭い割れた断面を、使用人さんに振り下ろそうとした。
どうしよう……このままじゃ、このままじゃ、アルフリードが人を怪我させるか、下手すれば殺人者になってしまう……
でも、そうさせた発端は、私なわけだ……
私はさっきまで彼の温もりを感じていた体すら、もうどうなってもいい、という心境で再び使用人さんの前、つまりアルフリードが振り下ろした鋭い酒瓶の前に飛び出した。