101.アルフリードの視点 その4
父上が目覚めた報せを受けてから2日。
陛下と共にエゲッフェルト山へ療養に行くということで、2人に付き添って施設まで見送りに行くことになった。
馬車で8時間はかかっただろうか。
澄んだ空気に、青くて山頂近くが雪に覆われている山々が連なっている。
初めてエミリアを帝都案内に連れ出した時に行った高台のレストランからも見えていた、この山脈の麓に到着した。
施設内の敷地に点在している隣り合った2棟のヴィラが、陛下と父上がここに滞在する間の住居になる。
僕も今日は父上とここに1泊することになった。
「アルフリード、エミリア嬢のことは残念であったな……」
その日の夜。
2ヶ月も目覚めなかったとは思えないほど、顔色も良く晴れやかな表情をした父上と、就寝前に向き合って会話している時だった。
父上はエミリアを実の娘のように可愛がっていたから、こんな事になったのを知ってきっと気落ちしているだろう。
「だが、お前はまだ若いんだ。今回は縁がなかったと思ってあまり気に病むことはない。愛情のない結婚ほどツラいものはないからな」
リルリルの毒から救ってくれた、叔母上が持ち込んだキャルン産の酒を薬代わりに、父上はそれを少量グラスに注いで一口で飲み干した。
「はい、父上……目覚めて早々、ご心配をお掛けしました」
父上を寝室に見送った後、眠れずにテーブルに残されたその酒をグラスに注いで飲み続けた。
「アルフリード、こんなに使用人はいらないぞ。一緒に連れて帰りなさい」
次の日、ヴィラを出発しようとしたところで父上に呼び止められた。
「いいんですよ。面倒を見る者が少ないと、僕の方が心配ですから。それじゃあ、ゴリックも父上の事をよろしく頼むよ」
しばらくの間は、ゴリックにも父上の世話を見てもらうようにお願いしていた。
彼は、屋敷にいる時と変わらずに、無表情のままで一礼した。
帝都へ向かう馬車の中、僕の脳裏には最後に見たエミリアの姿がずっと映し出されていた。
あんな泣き出しそうな顔をさせるなんて……
僕は愚か者だ。
ずっと、ずっと彼女がどうやったら笑ってくれるか、喜んでくれるか。
……どうしたら僕のことを好きになってくれるか。
それしか考えたことがなかったのに、彼女が傷つくような事を言ってしまう日が来るなんて。
あの夕暮れの日。
ソフィアナとの事を話せば、エミリアは絶対に信じてくれる。
そう思って、初めて彼女に口づけした母上の庭の見えるテラス。
あそこでサインをしてもらうつもりで、婚約証まで用意していた。
だけど、あんな事をしてまで、僕を遠ざけようとするなんて……
それでも、僕は君のことが大好きで、どこまででも、どこまででも追い続けていたい。
それが叶わないなら、君の幸せだけを願っていたい。
だから、君が皇城ではただの同僚でいたいと望むならと、そう振る舞おうとした。
だけど、他の男が君を見る目が変わるのを感じ取るたび、
君が他の男と一緒にいたと耳に入るたび、
嫉妬にこの身が焼き尽くされそうになった。
それに、君の方から男を誘っている、という噂を聞いてしまったら、そうとしか考えられなくなって……
ついにこの目でちょっかいを出されているのを見たら、もうこの感情を抑えることなんかできなかった。
でもそんな事をしても、僕がどれだけ足掻いても、君の考えはもう変わらないんだろう?
「坊っちゃま、お帰りなさいませ」
ずっと、ずっと同じことを考え続けている間に、邸宅へと辿り着いていた。
自室へ向かうため、以前は肖像画で埋め尽くされていたものの、今ではスッキリとした廊下を歩いていると、ある一室が目に止まった。
本当なら、2人のサインがされた婚約証を陛下に提出して、婚姻証が発行されたら、使うはずだった僕の部屋。
そして、そこと中扉でも繋がっている、エミリアが使うはずだった次期公爵夫人が代々使っていた部屋。
彼女にはその事を知らせていなかったから、リフォームするのに2人でイラストを描いたりして作業をしていた時には、完成した様子を見て、イメージ通りになったと喜んでいたのに……
もう、君と使うことはないんだな。
目頭が熱くなってくるのを抑えながら、自室に足を向けた。
「用がある時は呼ぶから、それ以外では声を掛けないでくれ」
荷物を運んできていた使用人にそう言って、ドアを閉めた。
朝早くに出たからまだ昼間だったが、北向きのこの部屋は、ほのかに白い光が窓から差し込む程度だ。
それでも眩しく感じて、深い緑色の厚手のカーテンを閉め、ベッドに腰を下ろした。
もう、どれくらいの時間が経ったんだろう。
体が重くて、ベッドから起きることができない。
もう皇城にも行かないといけないのに。
でも、あんな態度を取ってしまって、もう君とは普通に接することなんかできないよ。
何もかも忘れたい。
君のことも全て忘れて空っぽになりたい。
そうして手を伸ばして、その先にある瓶を掴んだ。
最初は、夜に晩酌するくらいだった。
体が軽くなって、君のこともあまり気にならなくなった。
だけど、だんだん同じ感覚がしなくなって、その量が増えていった。
今では……何を試しても、君の揺るぎない瞳が頭の中から離れることがない。
あの瞳さえ、あの瞳さえ知らなければ、こんな苦しい思いを知らずに済んだのに。
母上と同じように、君は僕を捨てて行ってしまうのか……
そうだ。僕の目が……僕の目が、あの瞳さえ見なければ、こんな事にはならなかったのに。
その時、視界に入ってきたのは、伸ばした手で掴んだ瓶の横に置いてあるナイフだった。