100.誤解のレッテル
その抱擁は、他の人にされた時みたいに全然寒気も鳥肌も立つことはなかったし、むしろ全身が軽くなるような、ものすごく心地良くて温かいものだった。
私の中には、自然とこんな言葉が浮かんできた。
大好き……アルフリード
……愛してる
だけれど、そのきつい抱擁は一瞬だけで、すぐに彼は私から体を離した。
「だけど……君がそんな人だったとは思わなかったよ」
??
「どういうこと……?」
私は思わず、ポカンとした表情で彼のことを見つめていた。
「兜だって、リリーナ姫の一件で他の男たちから顔を隠すために送ったという事は分かっていたよね? 婚約解消したばかりの美しくて大貴族の令嬢である君が、姿も隠さずにその辺を歩いていたら他の連中が放っておく訳ないだろ。それなのに、送り返してきた」
今まで見たこともない、冷たい猜疑心に満ちた表情に、低い声だった。
どうしたの……アルフリード……?
「僕と別れたのも本当は……もっと他の男たちと遊びたかったからなんじゃないのか」
何を……何を言っているの?
私の瞳には、涙が滲み出してきた。
私があなたとお別れしたのは、あなたを救うため、それ以外に理由なんかある訳ないのに……
必死に涙をこらえていると、それを見て一瞬、彼は引きつったような、やるせなさそうな表情をした。
そして勢いよくサッと踵を返すと、それ以上何も言うことは無いと言わんばかりに、この場から離れていなくなってしまった。
私はしばしの間、放心状態でそこから動くことができなかった。
どうして……どうして、そんなひどい事を言うの?
彼の前ではこらえようとしていた涙が、一気にポロポロと溢れ出した。
私はむしろ男の人たちから襲われて被害者なのに、そんな傷つくような事を言うなんて、胸が痛くて張り裂けそうだよ。
だけど……
私はもっと、彼にひどい事をしたんだ。
ずっとこの2年間、私だけの事を見つめて、大事に大事に扱ってくれていたアルフリード。
そんな彼からのプロポーズを容赦なく打ち捨てて、私は彼の前から去って行った。
きっと彼は、私の倍以上に傷ついている。
だから、彼からこんな事を言われたくらいで、私だけ1人で泣いているなんていうのは、ただの甘えだ。
耐えなきゃダメだ……
私はまるでゾンビゲームの中に入り込んだみたいに、襲いくる男の人がいないか周りを確認して、さっきのアルフリードとの出来事でショックから覚めない体を引きずりながら、皇女様の執務室へと戻った。
「……皇女様、ご相談したいことがあります」
軍服姿でカッコよく執務イスに足を組んで座りながら、お仕事をしている皇女様に、私はためらいがちに声を掛けた。
皇女様は作業をしたまま、少し間を置いて、
「ちょうど良かった。私からも話があったのだ」
そう言って、私に向き直った。
すると、ドンドン! と強くノックの音がして、皇女様が「どうした?」と声を掛けた。
「皇帝陛下が……陛下がお目覚めになられました!!」
ドアを開けて入ってきた家来の人の言葉を聞いて、皇女様は飛び上がるようにイスから立ち上がり、私も一緒に陛下が眠っていたお部屋へと駆け込んだ。
「う、う~~ん。よく寝たなー」
ちょうどお部屋に入ると、陛下はとてもスッキリとした顔をされながら、気持ちよさそうに伸びをしていた。
原作ではずっと眠ったままで目覚めるシーンは無かったけど、良かった。 ちゃんと意識が戻って下さったんだ!
これも、ルランシア様とキャルン産のイモ焼酎で作った薬膳酒を飲んでくれたおかげかな。
この場には、皇太子様に皇后様、お父様にお兄様もいる。
アルフリードは……なんと、公爵様も同じ頃に目覚めたという報告があり、ヘイゼル邸へ1人向かってここにはいないのだという。
「何? 2ヶ月も眠っていたというのか!? すぐに運動でもして体を目覚めさせねばならんな」
そう言って2ヶ月も倒れて寝込んでいたとは思えないほど、元気そうにして起き上がろうとする陛下を、皆してまだ病み上がりだからと抑え込みながら、この間にあった出来事をお伝えした。
「ほう、エリーナ姫は祖国へ帰ってしまったのか……それに、エルラルゴ王子は消息不明……しかしジョナスンとは皆、そのピアノで会話もできるようになったと。さらに、超人エスニョーラの2人も側近に入ったというのか!」
「はい、このおかげで当初はどうなることやらと思いましたが、今では公務も落ち着いております」
皇女様はそう陛下に語りかけた。
「だがなぁ……アルフリードとエミリア嬢は別れてしまったのだろう? 実に2人は似合いだったと思っていたのだが、若者の考えというのは分からんものだな」
と、突然、陛下の口からそんな話題が飛び出してきた。
どういうことだろう? 陛下が目覚めてから、まだ誰もその事については触れていないはずなのに……
「陛下、なぜその話をご存じで?」
同じことを思ったらしい皇女様が問いかけて下さった。
「うーむ、実はこの数日、体を動かすことはできなかったのだが、頭は覚醒している状態でな。使用人たちが私の世話をするついでに、この部屋でしていた噂話が耳に入ってきていたのだよ」
なんと。皇太子様や皇女様のお仕事の様子は全然ご存じなかったのに、むしろ家臣のプライベートという下世話な近況の方が、陛下は詳しくなってしまっているようだ。
「皇城の独身どもは皆、アルフリードのアプローチを超えるものでないと、エミリア嬢を落とせないとかで躍起になっているそうではないか。やはり、私もその現場を一目見ておきたかったものだ……」
陛下は、なんとも悔しそうに眉間にシワを寄せて下を向かれた。
そうだったの!? アルフリードのアプローチといえば、私が皇女様と間違えてエルラルゴ王子様に女騎士になりたい! と言ってしまった時、私のことを抱え上げて、連れ去って行ってしまった事を言っているのかな?
ま、まぁ確かに、あれは忘れることのできない、なかなか衝撃的なアプローチ手法ではあったよね……
でも、これで少し皇城の男の人たちの過剰なまでの積極的さの謎が解けたかもしれない。
ちなみに、陛下は私との初対面の時にもおっしゃっていたけど、ご用を足しに席を離れていたため、アルフリードのそれは目撃できなかったそうだ。
「それで、陛下はいつ頃から公務に入れそうだろうか」
一緒に来ていたお医者様に皇女様が問いかけた時だった。
「グォッフォッ! グォッフォン!」
突然、それまで元気そうにお喋りしていた陛下が、ものすごく激しく咳き込み始めた。
「陛下!?」
周りの面々は驚いて心配そうに陛下を呼びかけた。
「うっ……やはり、まだ本調子になるには時間がかかりそうだ。公務はジョナスンとソフィアナがうまくやってくれているというし、私と公爵はエリーナ姫のように療養先として有名なエゲッフェルト山で回復するまでの時間を過ごしたいと思う」
……ここにいる誰もがずっと眠っていた陛下は、現実逃避をしたいんじゃないか。そんな疑惑を持っていたけど、病み上がりなので無理やりお仕事に復帰させてまた具合が悪くなったらそれこそ大変なので、陛下の願いはすぐに聞き入れられることとなった。
そして改めて、皇女様の執務室へ、お父様とお兄様も共に戻ったとき、私はそこで思ってもみなかったお話を聞かされることになる。
「き、謹慎ですか……?」
執務室のソファに向かい合っている皇女様に、私は思わず聞き返した。
「陛下も話されていたように、そなたが様々な男とここ最近、この皇城内で抱き合うなどしている所を何人もが目撃しているそうなのだ」
「違うんです……! 男の人たちが、私が嫌がるのも構わずに、しつこくしてくるんです! だから、謹慎になんてしないで下さい!」
表情を崩さずに冷静沈着な様子でお話される皇女様に、必死になって私は誤解を解こうとした。
「目撃した者や実際にそなたと一緒にいた男の話では、そなたの方から誘ってきていると、皆、口をそろえて言うのだよ。それに、その誘いを断ると暴力を振るわれたと、皆、怪我をしている」
私は開いた口が塞がらなくなってしまった。
わ、私の方から誘ってる……?
しかも、明らかに自分の方から誘ってる人たちが、抜け抜けとそんな嘘をつくなんて!
「皇女様、お願いです! 信じてください……私は絶対にそんなことしないです!」
私は半泣き状態で訴えた。
「私もエミリアがそんな事をするとは考えてはおらぬが……どうやら、アルフが付いていないと、そなたは皇城内の風紀を乱す存在になってしまうようなのだ。だから、私がいいというまでは、自宅待機を命じる」
皇女様は、もう何を言ってもその判断をくつがえすつもりは無い、というお顔をされてしまっている。
部屋の端っこで私と皇女様のやり取りを見ていたお父様とお兄様は、言わんこっちゃない、といった様子で顔をしかめて左右に振っている。
まさか、アルフリードと婚約破棄することで、こんな弊害が生まれるなんて。
原作通りならまだ1年くらいの猶予はあるけど、馬車事故から守るために皇女様の女騎士はずっと続けていかなきゃいけないのに……
それに、リフォーム計画やフローリアにかかったお代の返済もあるから、働けなくなってしまったら、そのお金も稼ぐことができなくなってしまう。
これらを解決する唯一の方法……それは、アルフリードに私のバックに付いてもらって男の人たちが寄ってくるのを防いで、皇城の風紀を保つようにすること。
彼にバックに付いてもらうとしたら、やっぱり……
婚約し直して、復縁しろってことですか!?