鎮圧命令
大陸歴1658年4月17日・帝国首都アリーグラード
翌日午後、皇帝イリアに呼び出され、謁見の間を訪問した。
中で待っていたのは、皇帝と退役軍人で今回のソローキン排除の作戦を立案したミハイル・イワノフだった。いつも居るはずのヴァーシャは、いなかった。
私は皇帝の前に歩み寄り、頭を下げた。
「ユルゲン・クリーガー、命により参上いたしました」。
皇帝は玉座に腰かけたまま口を開いた。
「ご苦労」。
皇帝は、肘掛けに肘をつき顎を置きながら話した。
「二週間ほど前、旧共和国の反乱分子がヴァイテステンの収容所を襲撃し、囚人を脱走させたようです」。
私は驚いて目を見開いて皇帝を見た。
ヴァイテステンと言えば旧共和国の一番南に位置する街だ。ヴァイテステンにも共和国派のシンパがいるのは知っていたが、収容所を襲撃できるほどの人数はいないはずだ。
皇帝は驚いている私の様子を見て言った。
「驚いていますね。想定していませんでしたか?」。
「はい」。
「その後、反乱分子は、ヴァイテステンからベルグブリッグまで移動していると報告が入っています。収容所を襲った者達は、収容されていた囚人たちやベルグブリッグまでにある途中の近隣の村などから仲間を次々に集つめて人数を増やし、そして、ついにベルグブリッグに到着。そして、そこの我が軍の駐屯地を襲撃し、我が軍を撃退しました。今では反乱分子は千人近い勢力になっているといいます。そして、この情報が他の都市に伝わると、それに勢い付けられた各都市の反乱分子の暴動が増える恐れがあります。ルツコイ、イェブツシェンコ、スミルノワの各旅団には、それを予防するため、それぞれの都市に戻るように命令を出して、すでに午前中に出発しています」。
皇帝は姿勢を正し言った。
「クリーガー。遊撃部隊は、ここから直接ベルグブリッグに向かい、反乱分子を討ちなさい。他の旅団は各都市の統治のためこれ以上兵士を割くことができません。今、ベルグブリッグに向かえるのは、あなたたちだけです」。
「しかし…」。
「どうかしましたか?」
「いえ、ご存知の通り、遊撃部隊の隊員は元共和国出身の者がほとんどです。それが共和国派を討つのは、かなりの抵抗があると思います」。
「それはわかっています。しかし、今も言った通りあなたたちの兵しか動かせないのです。部隊設立、傭兵部隊の頃から三年、“チューリン事件”や、今回のソローキンの排除の作戦でのあなた方は良くやってくれています。帝国への忠誠心は固いと信じています」。
皇帝は、そういうと少し微笑んで見せた。
「さらにあなたは“帝国の英雄”です。やってくれますね」。
「わかりました」。
「期待していますよ」。
私は了承し、頭を下げてからその場を立ち去った。
イワノフは終始無言で私を見つめていた。
謁見の間、待合室を出て、城の通路を進み自分の部屋まで向かう。
私は気になることがあり、考え事をしていた。
退役軍人のイワノフが私について何も言わないことだ。
昨年、私は身分を軍史研究家と偽って、イワノフに会いに行ったことがある。そこで二時間ばかり、“イグナユグ戦争”の時の戦略を中心に、現在の帝国軍内部の話を聞いた。これは、共和国派のホルツに頼まれて、帝国軍の状況を知るための情報収集のためであった。
昨日、イワノフは謁見の間で私に気付いただろう。気付いていて何も話さないとしたら、どういうことか。イワノフは私のことを忘れているのだろうか。いや、そんなことはないだろう。
私のことを覚えているのであれば、軍史研究家と偽ったことについて、怪しいと思っているに違いない。
イワノフは、皇帝にそのことを言ってあるのだろうか?
身分を偽っていたことを皇帝に話したとするなら、皇帝も私のことを疑っているかもしれない。その上で、共和国派を討伐させようとしているなら?
私が共和国派に寝返る可能性も考えているかもしれない。
もし、私が共和国派に付いたら、共和国派の勢力はさらに大きくなり、各都市の共和国派は勢いづくかもしれない。しかし、皇帝やイワノフがそれを見過ごしておくはずがない。
そうなると、イワノフが何か策を巡らせている可能性がある。これは、気を付けた方が良いと直感した。
帝国軍が本格的にベルグブリッグの共和国派を攻略しようとしたら、数の上では圧倒的に帝国軍の方が上だ。戦闘になったら、ひとたまりもないだろう。
夕方、遊撃部隊は出撃の準備を整えていた。
私も城の自室から出発する準備をしていた。
すべて準備が整い、ドアを開けたところ、そこに制服姿のヴァーシャが立っていた。ヴァーシャが話を切り出した。
「ちょうどよかった、お別れを言いたくて」。
「これからベルグブリッグに向けて出発します」。
「ポズナーノーチニク山脈を越えていかないといけないですね。だいたい六日かかると聞いています。少々険しい山道ですが、道中お気をつけて」。
「ありがとう」。
私はヴァーシャを抱き寄せ、しばらくそのままでいた。そして、体を離すとヴァーシャは何か言いたそうに私を見つめた。
私は、そのことが気になって尋ねた。
「どうかしましたか?」
「いえ…、では、ご武運を」。
私はヴァーシャの様子におかしいと感じた。いつも、はっきりとした物言いをするのに、今日はちょっと様子が違う感じがする。しかし、私はいつものように振る舞う。
「ありがとう。任務が終わったら、また」。
私は別れの言葉を言うと、彼女は少しの間、名残惜しそうに、私の手を握っていた。私は微笑んで改めて別れを告げると、その場を離れ部隊が待っている中庭に向かった。
中庭には、すでに遊撃部隊が出発の準備を整え、整列をしていた。
オットーとプロブストが馬上で待ち構えていた。
私も馬に乗り、部隊に号令を掛ける。
「新たな指令が出た。我々は、これより、ベルグブリッグに向けて出発する」。
私が馬を進めると、オットー、プロブスト、隊員達が後に続いた。