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還り道


「死んだ世界より、貴方に伝えたい事がある。

どうせ、定形の答えなどはなく今自らが持ち合わせるものでは足りないのが現状だろう。経験も共感も或いは歴史すら強烈に甘くこれでいいとこれが正しいと私達を誘ってくるけれどそれを律し続けるのは到底不可能だろう。

どうせ、人間が作り出した倫理観などは都合の詰め合わせだろう。食事には尊びを損失には思い出したかのような祈りを。いったい誰に届いているというのだろう。なぜ善意だからと言わんばかりに理解されていることが前提にあるのだろう。

どうせ、繰り返してしまうだろう。この先どれだけ時代が進もうとも私達は奪い合い蔑み合いその過程で争って、一回りしたところでまるで悔いているのかのように綺麗な言葉をツラツラと飾り付けていくのだろう。

どうせ、考え続けることなどできなくて

どうせ、惨たらしく失わななければ気がつく事すら出来ず

どうせ、何度目を閉じても朧げにしか思い出せないだろう。


ねえどうせ、いつかは死んでしまうのだろう。


それでも私は貴方に伝えたい事がある、そう思ったのだ」



―――






気が付けば私は草原と海の水平線を同時にみていた。



横向きに寝そべっていた。身体は不思議と軽く、空は夕方に終わりを告げるように深い藍色と赤黒い朱色に染まりながらチラホラと星を浮かべ始めていた。

―ん

思えばいつ振りのまともな呼吸だろうか。思い返すのも吐気がする。

―ここは?

今さら自分がしてしまったことに対して後悔する事もないけれど、まさかこのような事態になるとも思っても見なかった。

見渡す。その限り草原と海が広がっていた。私はちょうど波打ち際にいた。少しばかり染み出した水が頬や手の甲を濡らしていた。

砂浜というものはなく、草原は海中にも続いており途切れる気配はなかった。

と言っても日も暮れる直前であったので海の中は既に暗く、それほど奥を見れたわけではなかった。

―どうしよう

日も沈み始め辺りは暗く、日の暖かさも風と共に徐々に夜の冷たさに書き換えられていた。

このままでは死ぬ事はなくても日が昇るまで小さく凍え続ける事だろう。

だが、行く当てもない。

―歩こう

私は歩き出した。


暗闇に目が慣れたのか星達が暗闇を照らしているのかわからないが、歩くには不自由のないほどの暗さだった。

―いくらほど歩いたのか

余りにも鮮明な星々を見上げるだけで時間は過ぎるのに寒さを凌ぐ場所を探して歩いているのだから時間や距離などの尺度は意識せずに麻痺していた。

だから波打ち際にポツンとあるコンクリートが剥き出しの建物に気がつかなかったのだ、気がつくと1キロもない所にあった。

暖が取れるとも思えないが、風除けくらいにはなるだろうと建物に近づくと風化していたのか扉はなく部屋の中が剥き出しになっていた。

しかし少し見てみると驚く事に部屋の中には一通りの家具があった。ベットやカーペット、机やテレビまであった。ただその部屋は何処からか影を引いたようにえぐり取られ途切れていた。

幸運な事に無事な壁は海側に向かっており、風を丁度防げるようになっていたのでここに留まることにした。

他人のベットを拝借するのを躊躇してしまい、布団だけ借りて床に包まって横になった。


ぬくぬくと布団の中で暖まりつつも時折吹く夜風が髪を撫でて気持ちがいい。やがて天井のないところから夜空を見上げているうちに眠りについてしまったようだ。


「―――、―――――?」


「なあ…お前さん」


「おぉ、そろそろおきてくれないか?」


意識だけの覚醒…

―?

違和感からくる疑問…

では何がおかしいのか、一つ、また一つと要素を積み上げていく

昨日の出来事、目にしたもの、確証ない確かな実感。

知らない声…ああ、室内にしては風を感じ肌寒い。


―ありえない!



無言まま、勢いのまま起き上がってしまった。

結果、声の主を仰け反らせる事となったようだ。


「イデデ…お前さんな…」


「あ…え…」

声が出てこない


「しょ…んーまぁともかくな」


こちらを一見し、額や頬に触れてくる老人に対し


「わ…ちょ…」

私はうろたえることしか出来なかった。


「とりあえず、大事はないようだな」


「お前さん…立てるか?できればここから移動したいのだが…」


ゆっくりとした口調で話しを進める


「ここらはもうすぐ呑まれてしまうが、すぐそこに折角飯を用意していたのだ…二人分にはいささか物足りないが無いよりは良いだろう」


老人は周りを見渡し

「うむ、まだ時間はあるだろうが、善は急げ?と言うものだしな」


「どうだ?歩けそうか?」


未だ唖然と黙っている私に対して老人は一方的に喋りかけてきたが、その語口には強制力はなく要点を伝えつつも私の様子がまず第一に知りたいというのは窺う事ができた。


老人は大柄で明らかに日本人ではなかったが違和感を感じない日本語を喋っていた。

服装は皮のものが多くリュックやポーチに至るまで革物で作られていた。その中には何が入っているのか?とにかく大きくまた装備品も多かった。


「もしかして喋れないのか?」


立ち上がろうとしている私に問いかける老人に対して


「いや…大丈夫です」


声が出た。何故だろうか?

いや私はきっと今まで喋りたくもなかっただけ、呼吸さえも頭の中の幾つかの線がぐちゃぐちゃと音を立てて吐き気を促していた、ただそれだけなのだ


「そうか、此処に来る人々には度々喋れないものがいてな…さあともかく行こう、話は飯を食いながらでもいいだろう」



一晩留まった部屋から出ると辺りはとても晴れていた。

透き通った晴というやつだ。日陰にいれば涼しく日向にいても熱くはないが徐々に頭皮と髪の間に太陽の光による熱気を帯びてくる。そう言った日は決まって雨上がりの後の澄んだ晴だった


眩しさに目が慣れる頃には老人は少し先へ立ち此方を見ていた。


「こっちだ!問題なく歩けそうかー?」


何も遮る物が無いというのに老人は大きく分かりやすい声で呼びかけてくれた。


「は、はい」


久しぶりにこんなにも大きな声が出たものだと自分で思いつつも老人の方へ少し足を急がせた。

すると何かに気が付いたように老人は此方に戻ってくるのだ。


「お前さん、靴を履いて無いではないか?」


「あ…え」

そうだ、靴は置いてきたのだった。

なんて事もなくただ、それらしいと思ったから

さらに理由を付け加えるのであれば重石としてちょうど良かった。


「少し待て布を縛れば少しの間なら代用できるだろう。」


「その間にこれで脚を拭いていなさい、ここらを随分と歩いたのだろう?草野の色が今にも染みついてしまいそうだ」



老人から布の切れ端を受け取り、脚を見たがなかなかの汚れ具合だった。


「ありがとう…ございます」


そしてまた老人がバックの奥から取り出した布はまだ使われてない綺麗な布だったのだ。

まだ海からはさほど離れてはいなかったので波打ち際でいくらか落としてから拭こうと布を縛っている老人を片目に波打ち際まで向かった。


「お前さん何をしている!止まれ!」


老人は今までの温厚な声から一変怒鳴るように私を制止させた。


「その水に触れてはいかん!此方にきなさい!」


理解より先に身体が動いたのは幸いで、水に触れずには済んだものの

何故触れていはいけないのかは瞬間的には理解が出来ず、呆然と立ち尽くす結果となった。


「此方だ!早く!」


多少強引に腕を掴まれ2メートルほど引っ張られた。


突然の事に言葉の意味を瞬間的には飲み込めなかったが


「いや、ここにきたばかりだったな…なら無理もない

      とにかくここらの水には触れていけないんだ」


なぜ?と思うのもつかの間


「だがしかしお前さん、昨日の夕方にこちらに来たのだろう?日も沈みかけていたとはいえこの水際歩いたにしては触れずにいたのは不幸中の幸いだった」


きっと私は一目でわかるほどポカンとした顔をしていたのだろう、実際何もかも追い付いてはいない

「ああ…そうだな今は足を何とかしよう、急いではいないが飯も冷めてしまう。」


水に注意しつつ徐ろに足を吹き始めたと同時に老人も靴の代用となる布の準備を始めた


「うむ。まあその場凌ぎだ。後で水を使ってよく洗うといい…さて少し足を前へ出してくれないか?」


座ったまま徐ろに足を出すと老人は用意していた少し厚手の布を足に当て縛り始めた。


「…確か…ここは右側を上にして…」


老人は何やら不安げに自分の気を記憶を確認していたが、見ている側としてはみるみると布が靴らしくなっていった。


「ハサミを使う、じっとしていなさい」


確認しながらも老人は夢中のようで布と足だけを見つめていた。


ものの3、4分で右足が終わり、更に左足に取り掛かろうとしていた

すると慣れてきたのか老人は作業しながらも

「ところで、お前さん事はなんと呼べばいいかな?」


「……」


「ああ、その前には私の事は〝ヨト“と呼んでくれ、お前さんも名乗り辛いのであれば何かしらの愛称の様なものはないのだろうか?」


愛称?

私にそんなものあったのだろうか…あったとしてもそれは蔑称だったに違いない

名乗りたくないと言うわけではないのだが、不思議と考えてしまった


―なにか響きのいい呼び方などはあるだろうか?


「では…センカとお願い…します」


「わかった、ではセンカ…どうだろうか?履き心地は?指など痛まないか?」


お互いの呼び方が決まったところで簡易の布で作った靴のようなものは完成していた

皮生地が厚く硬いので足底を守りつつ、老人が悩みながら縛ったそれは指先にかけては緩やかにかかとから足の甲にかけて固定して縛っていたので、安定しながら余裕を持っていた。


「うむ…まぁ歩きながら話そう…靴の具合もそのうちわかるだろう…」


「はい…」


返事を聞くと老人は波打際と反対に歩き始めていた…

ここで気が付いたことなのだが、この波打際は何故か小高い丘の上にあったようで少し遠くを見通せば見下ろすような景色が広がっていた。

――ザザー

ふと、波の音がして振り返ると昨日の夜にはない違和感がした。

静けさの奥…何もかも飲み込んでしまいそうな藍色はまるでその意思があるかのように脅して波の音を立てていた。

それは夜の暗闇よりも確かな悪意を持って、静寂が耳鳴りに変わる瞬間を奪い去るのを待っているような…

――ザザー

ふと波の中を見ると海の底には一本の線がこちらに向かって伸びている事に気がついた。

それは海が終わろうともずっと向こうにのびいていて遠くに行くたびに何本もの枝に分かれていた。

――ザザー




「さぁ!こちらだ!」


気がつくと老人は20メートルは先にいた。

見下ろせばその先には焚き火で上がったであろう煙がある。恐らく老人の言っていた食事を用意した場所なのだろう…

さらにその先を遠く見渡すと幾つかの雲にも届きそうな塔とそれの半分はあるだろう木々、その下のいくつかには村のような集落群があった。


それぞれに影をつくり、それぞれの隙間には光の零れみが差し込んでいた。

あまりの光景に私は思わず息を呑んだ…

そう…息を呑んだのである。


改めて私は今の状況への理解もこの光景の異様も後回しにしてこの様に、そう他人行儀に言葉を頭の中に並べた。


―ああ

―所詮はきっかけがあるかないかという話でしかなかったんだ

―だとしたらそれまでの事をどの様に受け止めたらいいのだろう…


私はもう一度息を呑んで

少し小走りで老人の元へと急いだ。



焚き火は絶え絶えになっていたが、老人は焦る事なく鍋の蓋を取った。

もうここで火を使う必要がないのだろう。


中には、ベーコンのような肉と焼かれた卵に添えるように野菜があった。

徐ろに料理を分けながら老人は


「そこに座りたまえ…さて、一体なにから話したら伝わるものか…」

「うん…そうだな…まずここはどこだとセンカは思っているのかな?」


ちょうど分け終わった料理を皿ごと差し出しながら老人は問い掛けた

聞き終えると同時に私の中にまた埃が差し込むように息が詰まった。

私はその質問に沈黙を持って答える事しかできないのだ。


「ああ、今の質問は無かったことにしてくれ」


「そもそもセンカのように落ち着いているのが珍しいのかもしれない」

老人は目線を逸らして考え、そして続けた。

「いや私もな実のところ人に説明出来るほどではなくてな、今後必要な時に必要な事を言う事にしよう」


「さぁ!冷めないうちに食べてしまおう」


いい終わるうちに老人は自らの分も鍋から取り終えていた


「いただきます」

手を合わせて呟くと老人は丸くしてこちらを見ていた


私は思わず目振りで疑問を投げかけたが


「いや、なんでもないよ…私も、いただきます」


大柄な西洋人の重厚さを感じる手はもはや、静けさすら重んじる域に達しておりその祈りは余りにも日本的で日本人の常を超えていた。


「どうした?目を丸くして」


私は説明する言葉が思い付かず

「いえ、なんでもないです」と答えるだけだった。

皿の中の一つを口に入れるとまだ肉の中心には暖かさが残っていた。


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