無個性の極みのような主人公たち ~ランキングを見ていて感じる『読者が【自己投影】するための主人公』について~
まず、本エッセイではランキング作品の主人公に対していろいろ言っているが、筆者自身、ランキングの作品は周回して読んでいる(主人公の顔と名前は全然出てこないが)一人であることを念頭に置いてもらいたい。『ざまぁ』は、まだまだ人々の『手軽なニーズ』に刺激を与える存在である。
無個性の極みのような主人公が乱立する昨今のランキング。
簡潔に言うと、これらの主人公を見ていても、『憧れ』を感じない。
フィクションのキャラの中には、『こんなキャラが気に入ってる』だとか、『こんな技を使ってみたい』という感情は、だれにもあるはず。
司波達也やアインズ・ウール・ゴウンなど、クールだけどどこか抜けている(特に後者)キャラに、憧れや愛着を抱いたり。
BLEACHの『卍解』など、『オシャレ』『多様性』『かっこよさ』というチート3点セットを持つそれを真似しようと思ったことがあるはず。
ただ、現在の無個性の極みのような主人公たちを見ていると、本当に中身がすっからかんである。
すべてがそうとは言わないが、多くの作品の主人公が、『君ってさ。物語が始まってからしか人生を過ごしてないんじゃない?』といった……なんというか、『その人物の過去からくる厚み』の部分がないのだ。
裏設定くらいもう少し考えてくれ。ということである。
これがない上に、展開が先にあるため、本当に『今日読んだら忘れるような作品』ばかりなのである。
追放理由はみんな同じ。主人公がどんなふうにチートを発揮するのかはタイトルに書いてる。ざまぁ対象へのざまぁ完結がしっかりしない間にランキングから落ちて『結局どうなってたっけ?まあいいか』となる作品もザラだ。
要するに『すぐに忘れられるような主人公ですね』ということだ。
これを読んでキレるのなら、他の人の作品を読んだ後、自分の作品のキャラとの『大きな相違点』を見つけてもらいたい。最初から差別化をきっちりしていれば、『俺はちゃんとやってるし!』と筆者にマウントをとれる。それだけのことだ。
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現状の理由の一つとして、『自己投影のために無個性化している』ということがあげられる。
実際に作者がそれを考えているのかは不明だが、無条件に美少女から褒められて、無条件にチートを発揮し、高い報酬を得る。
そんな主人公を無個性なキャラにすることで、自己投影を行いやすくしている。
……というか、何の努力もしてない主人公が、何も努力せずにチートを振りかざして美少女からちやほやされているのを見て『この主人公を好きになってくれ』とか無理だ。嫌悪感しかでてこない。まだ自己投影に使ってくれという方が、若干苦しいが建前は通る。
まあ、別にそれは戦略として間違っていない。異世界転生作品の多くが書籍化されたとき、『なんかみんなキリトみたいなデザインだな』と思ったことはよく覚えているし、それは読者も納得するだろう。
それが『等身大の読者』にとって、親しみやすく、異世界転生の需要に適していた形式というだけのことだ。このすばのカズマの髪がスーパーサイヤ人みたいだったり、リゼロのスバルの髪型が銀髪ロングだったらここまで人気になってない。話題性はあるかもしれないが、等身大のカズマやスバルと乖離している。
そして、この『自己投影のしやすさ』が、『無個性主人公にする免罪符』なわけだ。
そこで考えたいのが、本当に『自己投影して気持ちいい主人公になっているのか』ということだ。
まあ、誰だっていじめられるのは嫌だし、殴られたり蹴られたりするのは嫌なので、冒頭だけ感情移入、途中から自己投影に切り替える人がほとんどだろう。
ただ、筆者としては、あまり自己投影したいと思う主人公になっていないと考えている。
前提として、主人公の周囲がバカすぎる。で、主人公のメンタルが異常すぎる。
多くの人間にとって、真の意味でざまぁしたい対象が何なのか。それがちょっとあやふやになっている気がするのだ。
ではその対象は何なのか。
答えは単純で、【理不尽】という存在である。
もちろん、ざまぁ対象の知能指数を下げるのは構わない。
多くのざまぁ対象には、2種類存在する。
主人公が抜けたら、『戦闘すらできない』か、『戦闘くらいはできる』かのどちらかだ。
正直、主人公が抜けても戦闘ができる。要するに戦闘力を持っているのなら、主人公が縛られている理由はわかるのだ。戦闘力だけが高くても冒険はできないので、それでも十分ざまぁは書ける。
肉声言語がまともに通じないが、腕っぷしだけはやたら強い。こんなやつをまともに相手にできるほど、すべての人間が強いわけではない。
暴力というのはこの世で最も単純な正しさであり、理性が伴わなければ【理不尽】である。
ただ、主人公が抜けたら戦闘すらままならないくらい非力で、主人公がなぜ縛り付けられているのかに対してまともな理由の説明もない場合、
『自分よりも明らかな雑魚からひどい扱いを受けている。しかもそれを、幼馴染だからというだけで耐えている』
という、意味不明なことになっているのだ。
これを『主人公が能力を自覚していないから』という理由だけでその状態が続いているというのは、なおさら意味が分からない。
自分がやっていることが理解できないのはなろう主人公ではよくあることだが、正直、自覚症状のない『俺、なにかやっちゃいました?』は、使いどころを間違えると読者のイライラが募るだけである。
本当に、こんな主人公に自己投影できるのだろうか。
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異世界転生作品が書籍化、コミカライズ化された結果、YouTubeなどで『なろう系レビュー』を出す投稿者が登場した。
そんな中で耳にするのは、『本当で君たちって地球で教育を受けてたの?』という指摘だ。
極論、『転生要素を抜いて、現地主人公設定にした方がおもしろい』という意見すらあった。
要するに、もうそのような主人公に自己投影などできないから、現地で生まれた主人公として、感情移入に切り替えた方が楽しめる。ということである。
主人公に『常識』が求められている。ということでもある。
そして、『自己投影』するために無個性主人公を作るのであれば、異世界の現地主人公だろうと、現代日本人に感性を寄せたキャラにしなければならない。
それを考えたうえで、『自分よりも弱く、何の後ろ盾もない雑魚に使いつぶされながらもずっと黙って従ってる主人公』、
しかも『幼馴染だから』という理由だけで主人公が『そのチームに縋り付いてる』
どんだけ幼馴染好きなん?自己投影できる?筆者はできないよ?
筆者は冒頭で、ランキングを周回しているといったが、これは『ざまぁシーンだけ』を見ている。
そもそも主人公の感情や反応が薄くて、感情移入しようと思う前に主人公から感情が消えることがほとんどであり、今まで述べたように自己投影などできない。
※例:腹をけられ、火の玉が直撃して『うわっ!』てありえんだろ。新しいスキルを使えるようになって『おっ』とかありえてたまるか。
ただ、クラス転移が描かれたころからよくある『なろうの作者は恋愛は全然かけないけど苛めは苛烈に書ける』という闇っぽい部分があり、それが影響してざまぁシーンはそこそこしっかりしているパターンが多いので、そこだけ読んでいるのだ。
まあ、恋愛関しては、求められている『主人公にとってはアクシデントだが読者的には需要が高い』シーンをかけないから、いっそのこと、美少女を主人公アゲアゲキャラにした方が慣れれば書きやすい。というのが実情の一部だろう。
チョロインとアゲアゲマシンの違いは大きい。ここで解説するつもりはないが。
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無個性主人公というのは、現代日本人のような常識を持っているからこそ、読者の感情移入や自己投影に使えるのだ。
正直に言って、現在の追放ざまぁの『テンプレ』に、現代日本人らしい感性が備わっているとは思っていない。
テンプレに備わっていないままで、テンプレ分析をしていない作者が、そのまま書いていく。
そりゃ、自己投影できんわ。感情移入?いや、君の感情薄すぎるわ。どうやって移入すんの?ってなる。
なぜこんな状態の作品がいまだにランキングを独占するのか。
理由は簡単。筆者が考えるあたりでは2通りあるが、まず1つ目。
『現代日本人らしい感性を、ランキングの無個性主人公がもっていない』ということに、
『多くの読者が気が付いていないから』である。
気付きや真実というのは、一度味わってしまうと、次からは萎えの原因になったり、気持ち悪さを感じるようになる。
おそらくそれがないため、現在のランキングの主人公に対して、『気持ち悪さ』を抱かないのだ。
気持ち悪いと思わないということは、すなわち『自己投影できる』ということである。
……一応言っておくが、別にランキングにのるような主人公を見て異常を感じない人間を貶す意図はない。人間というのは、特定の環境に入り込む際、頭の中で自然と意識を変えられる。小説家になろうのページを開いた瞬間、頭の中で『チャンネルを切り替えられる』ので、なろうを読んでないときは普通である。
単純に、筆者がなろう主人公に対して、ある種の『気づき』を得てしまったからこんなエッセイを書いているだけだ。
さて、2通りあるといったので、もう1つ。
単純な意味で、『すでに慣れた』というもの。
人間というのは、納得する速度はバラバラだが、慣れる速度は以上に速い。
最初は妙に思っても、読んでいるうちに毒されて、次第に慣れる。
そして、現在の『日本人らしい感性を持っていない主人公』が、その『慣れの範囲内』でほぼブレずにいくつもの作品が投稿されているため、その『慣れ』のままで現在の環境が続いている。
そんなところだろう。
で、この2の『慣れた』がもたらす影響はめっちゃ大きい。
なぜなら、その1である『気づいていない』という状況から脱却した読者であっても、慣れている人は数分後にはハイファンランキングで周回するからだ。
感性は人それぞれなので、もしかしたら本当に読まなくなる人だっているかもしれない。
……が、『ランキング批判のエッセイ』を読んだことがある者に聞きたい。
たぶん次の日以内には、ハイファンランキングの作品を読んでるんじゃないか?
そう、これが『慣れ』の恐ろしさだ。
しかも、追放ざまぁはまだまだ様々な付き合い方がある最強デッキであり、きっとあの手この手で続くだろう。多少流行が変わっても、それが追放ざまぁを起源とするものであることは十分考えられる。
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いろいろ述べたが、筆者がランキングの主人公に対して憧れないのは徹頭徹尾変わらない。
カッコいい技名を叫ばないし、『君ならそういうよね』といえるフレーズを口にしない。
だから筆者は、今のランキングの主人公のことが、全然頭に残っていない。
まあ、それはそういう文化なので仕方がないとは思う。
本エッセイで思うところがある方は、魅力的な主人公の構築をぜひ頑張ってもらいたい。
……ちなみに、『主人公が魅力的になっても、追放ざまぁから逃れられないのなら行きつくところは同じじゃね?』という感想を抱く方がいそうなので、『現在の流行を変えたい』と思っている投稿者のため、アドバイスを送ろう。
その新しい流行の切り口にする作品を、絶対に長文タイトルにすることだ。
あらすじを書くのが苦手なら、タイトルに全部ぶち込まないと読んでもらえない。読んでもらえなかったら、ポイントは入らない。ポイントが入らなかったら、ランキングに載らない。ランキングに乘らなかったら、流行は変えられない。
そういうことである。
さて、ただ新しい切り口といっても漠然としているので……まあまずは、現在のテンプレの要素を分析して、それをいじることをお勧めする。
以下は参考例。
【「成果を出せ!」で一点張りの貴族出身の老害管理職が、傲慢貴族の黄金世代と組むために財産持ち出したけど、俺は覚醒スキルで最強チームに改造する!現場知らずの貴族どもが悲鳴を上げてるので、それを肴に宴会だ!】
『追放ざまぁ』ならぬ、『持ち逃げざまぁ』だ。
これくらいの弄りセンスがないと独創性は語れないので、頑張ってもらいたい。