優良物件は気づかない
「良太!これ見ろって!」
放課後、部活に行く支度をしていた優谷良太は同じクラスになってから席が隣で仲良くなった橘廉に話しかけられていた。
「相変わらずテンション高いな〜、急にどうした?」
「いいからこれ見ろよ!これ!」
そう言って廉は自分のスマホの画面に表示されたサイトを指でさす。
「津々浦高校裏サイト?」
「そう!略して津々浦裏!」
「略し方ダサっ」
「そこはどうでもいいんだよ!」
廉によるとこの津々浦高校裏サイトは、俺たちが通っている津々浦高校のいろんな噂や話題が掲載され、それを生徒が匿名でコメントをして楽しむという津々浦の生徒なら誰でも知っている超有名なサイトらしい。
「へ〜そんなサイトがあるのか。んで、それがどうかしたのか?」
「よくぞ聞いてくれた!」
廉はニヤニヤ顔を隠そうともせず、裏サイトで今一番話題になっている項目を開く。
「じゃ〜ん!津々浦高校男子イケメンランキング!!」
「う、うわ〜」
「まぁまぁ、そんな反応しないでくれよ」
いくら裏サイトといえど他人の顔面を比較するなんて悪趣味だと思う。
ランキングに入らない生徒の気持ちも考えてほしい。
べ、別にイケメンに嫉妬してるわけじゃないんだからね!!
まぁしかし、こういう話題がいつの時代も耐えないのもまた事実…
あぁ悲しきかな…
「それでこのランキングなんだけどさ〜」
そう言いながら廉がスマホを見せながらページをスクロールしていく。
すると良太はすぐにそのランキングに見知った名前を見つけた。
「ん?ちょい待って!」
「お?どうした?」
「お前あっさりスルーしようとしてたけど一位、翔なのかよ…」
そのランキングの一位には我が幼馴染である波木里 翔の名前が堂々と刻まれていた。
「そりゃイケメンで優男でサッカー部のエースときたら誰も勝てないでしょうよ」
「マジかよ…な、納得いかんっ!」
「え〜…」
あいつは確かにイケメンで、サッカーも上手くて、この前のテストも学年一位で、お人好しの面もあるが……
あれ?もう完璧人間じゃん?
だが!だがしかし!あいつは…
「嫉妬はよくないぞ良太…」
「ち、違うわい!」
「ほら見ろ。翔は裏サイトでもこの称賛の嵐だ」
第一位 波木里 翔
一位は万満場一致でこの男!
津々浦高校のプリンスこと波木里翔!
サッカー部のエースでありながらテストでも常に上位の完璧人間。
持ち前の誰にでも優しいその性格と笑顔が似合う甘いマスクで惚れた女は数知れず…
他校にも多くのファンクラブがあり知名度も抜群、彼女なしという点もポイントが高い。
果たして彼を攻略できる女性は現れるのか!?
「プ、プリンス…プリンス……ぶふっ!」
「プリンスにツボるなよ〜」
幼馴染が影でプリンスと呼ばれていてツボらないほうがおかしいと思う。
流石にセンスを疑うぜ。
「ちょっとスマホ借りるな」
「おうよ」
どれどれ〜二位は…イケメン生徒会長…
あー、あの生徒会長様ね。
確かに翔と同じくらいイケメンだわ。校長の100倍、いや200倍は話が面白いし。
うーん、だがしかしイケメン生徒会長というネーミングはありきたりで平凡すぎる。
津々浦高校のプリンスには遠く及ばないな…
それで三位は…テニス部期待の王子様か…
ふーん、丸パクリじゃん。
絶対、帽子かぶった低身長のお方でしょ。これ。
地味に気になるから今度テニス部見に行こうかな。
ネーミングに関しては面白いが…
プリンスと比べたらまだまだだね…
「おっ、良太もこのイケメンランキングには興味持ったか」
「まあ、案外面白いな。特にネーミングが」
「そっちね」
「それでこのイケメンランキングがどうした?」
「そうそう!それだよそれ!良太のせいですっかり忘れてた!」
スマホを渡すと急に上機嫌になった廉はすぐに一番下のページまで勢いよくスクロールさせた。
「良太ぁ、これ見て驚くなよ〜」
「ん?いいからはよ見せろ」
「もうちょっと焦らさせてくれよな~。まぁいいだろう…これを見やがれ!」
そして廉はドヤ顔で俺にスマホの画面を見せつける。
第十位 橘 廉
十位は生粋のポジティブ男で知られる橘廉。
一見チャラチャラした風貌に見えるが、実は常識人で情に厚いというギャップに惹かれる女子は少なくない。
落ち込んだとき、彼に相談したことで元気になったという声も多い。
持ち前の明るさと圧倒的コミュ力で初ランクイン!!
最近のバスケ部での活躍も人気を後押しか!?
「は…?」
俺は衝撃を受けすぎてその場で固まってしまう。
「どうだ〜?ちょっとは俺を見直してもいいんだぜ〜!ってお〜い!聞いてるか〜」
う、嘘だろ?
廉はずっとモテない同盟を組んでいた仲間だと思っていたのに…
昨日も彼女なんて作るより、俺たちは部活だよなっていう話題で盛り上がったのに…
よくよく考えりゃこいつ女友達めっちゃ多かった気がする。
ていうかこの裏サイトに載ってる情報も意外と的確すぎて腹立ってきたぞ?
べ、別にイケメンに嫉妬してるわけじゃないんだからね!!
「こ、この裏切り者が〜〜〜!!」
「ふっふっ…ついにこの俺にも神が微笑んでくれたようだ」
「死ね!死ね!裏切り者!」
「悪口がストレートすぎる!!まぁ落ち着けって」
「落ち着いてられるか!ポジティブ廉!」
「芸名みたいに言うな!!」
「もう知らん!!」
俺はそう言って、カバンを持って勢いよく教室を出る。
「お、おい!良太待てってー!」
廉も慌てて教室を出るが、良太が止まる気配はない。
「お前の自慢話なんて聞いてられるか!俺は部活へ行く!」
「ちょっ、まだ話が…」
そう言いかけるも、良太の姿はすぐに見えなくなった。
「はぁ〜〜〜」
相変わらず人の話を最後まで聞かないあいつに、ため息が出る。
「ったくよ〜俺はこのサイト通りの常識人だぜ…わざわざランク外のやつに自慢するほど性根腐ってねーよ」
そう言いながら廉はスマホを見る。
第七位 優谷 良太
七位は優良物件こと優谷良太。
波木里翔の親友として彼を知る人も少なくはないだろう。
一見、長い前髪と波木里翔の存在により鳴りを潜めているが、彼に好意を寄せる女子は少なくないという噂…
家庭科部の部長であり、料理や裁縫が得意という完璧な女子力を備えている点もまさに文字通りの優良物件!
人気に拍車がかかるのも時間の問題か!?
「まぁ、これ見せたら確実にあいつ調子のるから逆によかったかも…」
廉は誰もいない教室で一人そう呟くのだった。
一方その頃、良太は被服室の扉の前にいた。
扉を少し開けて中を覗く。
「お〜、みんな真剣にやってるなぁ」
中では家庭科部の部員たちがミシンで、コンクールに出品する服を作っている最中だった。
期日が近いということもあり、皆やけにピリピリしている気がする。
あれ?これまずくないか?
良太は廉と話していて、すっかり部活に出るのが遅くなった。
このまま暢気に被服室にでも入れば、部長としての自覚が足りないとか言われて、間違いなくあの人に怒られる。
更には後輩たちからも白い目で見られるに違いない。
やべ〜、どうしよ…
でも待てよ。
よくよく考えりゃ、皆が真剣に取り組んでる今なら誰にも気づかれずに被服室に入れるんじゃないか?
ピンチはチャンスと言うしな!
あたかも最初からいましたよ的な雰囲気を醸し出せば……絶対イケる!!
俺は慎重に引き戸の取っ手に手をかける。
大丈夫だ…
俺は昔っから影が薄いほうだ。
そろーりといけば…
ガラガラガラッ
「あっ…」
「そんなところで何してるんですかね〜?部長」
無常にも勢いよく開かれる扉。
その音に反応して、一斉にこちらを見る部員たち。
冷たい笑みで俺を見る目の前の副部長、美紅ちゃん。
やめて!そんな目で俺を見ないで!
「あはは。遅れちゃった♡」
「一応、理由聞いときますね♡」
「え〜っと、あっ!今日掃除当番だったんだよ!」
「今日簡単清掃の日ですよ?」
「あっ…えっと間違えた!そ、そうだ!俺日直だったんだよ」
「今日の日直は橘くんですよね。同じクラスなのに知らないとでも?」
「参りました。廉と話していたら遅れました」
「よろしい」
俺は美紅ちゃんに首根っこを掴まれ、被服室の一角に連行される。
華奢な体をしているのに、一体どこからそんな力を出せるのだろうか。
美紅ちゃんこと五十嵐 美紅は津々浦高校の清楚系委員長として名を馳せている。
きちんと手入れされた長い黒髪から覗く綺麗な顔立ちに、心を奪われる男子も少なくはない。
成績も翔と並んで申し分なく、生徒会からもお誘いが来てるとかなんとか…
しかし、俺は知っている。
美紅ちゃんはクラスでは天使のように振る舞うが、部活では可愛い仮面をかぶった鬼だ。
家庭科部の男子が俺しかいないことをいいことにその本性を表し、家庭科部を完全に掌握している。
なんの抵抗もできずに引きづられている哀れな今の俺の姿を見たら、きっとクラスの男たちはもう何も信じられなくなることだろう。
「にししっ。良ちゃん、また美紅に引きづられてる〜」
「聖!笑ってないで助けてくれー!」
「嫌だよ〜美紅に怒られたくないし、どう考えても良ちゃんが悪いんじゃん」
くそっ!普通に正論言われた!
俺の目の前でニコニコしながら綺麗に結ばれたポニーテールを元気よく揺らしている彼女は久賀 聖。
数少ない中学の頃からの同級生で中学時代、名だけの美術部で一緒にス○ブラやマ○カーをしていた悪友だ。
身長が低いのといつもニコニコしているため、津々浦高校ではニコちゃんとしてマスコットキャラクターのように扱われている。
家庭科部に入った時も、良ちゃんについてけば面白そうだからとか言って笑っていた。
まじで何を考えているかわからない…
まぁ、いつも楽しそうにしているからいいのか?
「はいはい。聖の相手もいいですけど、部長には次の調理実習で使う食材の確認や文化祭に飾る被服の選別、部活の紹介文など、沢山仕事がありますからね〜」
美紅ちゃんはそう言いながら笑顔でプリントの束を机に置く。
「お、俺はコンクールに出す作品がまだ…」
「いち早く終わらせましたよね。しかも先生たちが感嘆するような完璧な作品を作って」
「いやぁ、照れるなぁ」
「じゃあこれやってくれますよね?」
「で、でも俺には後輩の指導が…」
「麗奈さんに言いつけますよ」
「ちゃんとやりますので、姉貴だけは勘弁してください」
「はぁ〜、私も手伝いますから早く終わらせましょう」
「さすが美紅ちゃん!」
良太は元気を取り戻し、一番上のプリントから順にプリントに目を通していくのだった。
良太は姉に強く出れない。
良太の姉である優谷麗奈もまた前年度の家庭科部の部長であった。
実は入学当初の良太は部活に入る気など更々なかったが、麗奈の「家庭科部に入れば甘いお菓子を食べられる」という甘い誘惑に負けて、家庭科部に入ったという不純な経緯がある。
しかしお菓子は甘いが、現実は甘くなかった…
「姉貴…お菓子は?」
「良太。私のことは部長と呼びなさい。今は刺繍をする時間よ」
「部長…お菓子は?」
「綺麗に魚の三枚おろしができてないわ。もう一回やり直しなさい」
「部長…お菓子…」
「いいスモッキングを作ったわね。これならコンクールに出しても問題ないわ」
「お菓子…」
「審査員特別賞おめでとう。次は私のように最優秀賞を取れる作品を作りなさい」
「チョコ…クッキー…ポテチ…」
「次の部長は良太、副部長は美紅に任せる。美紅、良太のサポートお願いね。何かあったら私に言いなさい」
「はい!承知致しました!」
「オレ…。ブチョウ…。カフェオレ…?ぷっちょ…?」
うわぁ…嫌なこと思いだした…
姉貴が引退してからやっと気楽な部活ライフを送れるようになったというのに、姉貴を呼ばれてしまったら昔に逆戻りだ。
ん…?でもいろいろ言われるのが姉貴から美紅ちゃんに変わっただけで実質何も変わってなくね?
俺は目の前で大量のプリントを効率よく捌いている美紅ちゃんに目を向ける。
すると、ちょうどタイミングよく顔を上げた美紅ちゃんと目が合った。
「っ!」
「ん?部長どうかしましたか?」
「あっ…いや、別に」
「何かあるならちゃんと言ってください」
ど、どうしよう…
「あっ、えっと…そ、そう!美紅ちゃんあれ知ってるかな〜と思って!」
「あれ?」
「うん!津々浦高校裏サイト!!」
バサッバサッ
「……………」
「……………」
突然、時が止まったかと思うほどの静寂。
一瞬にして後輩たちの話し声もミシンの音も聞こえなくなった。
あ、あれ…皆、固まってどうしちゃったの…?
俺まずいこと言ったのかな…?
あっ、でも聖だけ笑いこらえてる。
と、とりあえず美紅ちゃんの落としたプリント拾おうかな…
俺が下に落ちたプリントを拾おうとした時、我に返った美紅ちゃんが俺の制服の襟を勢いよく掴む。
「ぶ、部長!なっ、なな、なぜそれを!!」
「ちょっ!?顔近っ!い、いや今日、廉に教えてもらって!」
こんなに取り乱してる美紅ちゃんを見るのは初めてだ。
とりあえず、制服の襟を掴みながら俺のこと思いっきり揺らすのやめてくれないかな…うん。
「あのクソチャラ男!ランキングに載ったからって調子乗りやがって…」
あれ…なんか今すごい怖いこと言わなかった?
気のせい?
「ち、ちなみになんですけど、私その裏サイトなどというものは今初めて聞きましたけど、全然詳しくないのですけど、そ、それがどうかしましたか?」
「え、えっと…その津々浦高校裏サイトのイケメンランキングとかいうやつを見せてもらったんだよ」
「ぐはっっ!!」
「いや〜1位が翔だなんて驚いたね!俺は納得いってないよ!だってあいつは…ってあれ?」
気づいたら美紅ちゃんは立ったまま気絶していた。
「え、えぇ…」
助けを求めようと周りを見渡せば、何やら神妙に話し合う後輩たちに、腹を抱えて笑う聖がいた。
「ついに優谷部長にバレちゃったか…美紅先輩もピンチだね…」
「あぁ…自己評価が低い部長も好きだったんだけどなぁ」
「そんなこと言ってる場合?モテることを自覚してしまった今の優谷部長はほぼ無敵状態…これがきっかけで前髪なんて切り出したら…」
「「「戦争が始まる…」」」
どういう状況ですかね?コレ?
五十嵐美紅が家庭科部に入部したのは、ほんの偶然からだった。
中学では吹奏楽部をしていた私は高校でも吹奏楽部に入ろうと思っていた。
しかし、たまたま友達に誘われて体験入部をした家庭科部で私は麗奈さんに出会った。
「家庭科部部長の2年B組優谷麗奈です。体験入部の方はこちらへ」
ひと目見て、とても綺麗な人だと思った。
うっすらと茶色がかった長い髪に、透き通るような白い肌。
制服からでもわかるスタイルの良さ、洗練された無駄のない動き、落ち着いた大人の雰囲気。
まさに女性の理想を体現したような人だ。
私とは住む世界が違うとすら感じる。
後に広まった麗奈さんの異名である『優麗』もいい得て妙だった。
「あなた、とても手先が器用ね」
「え?」
今でもしっかり覚えている。
麗奈さんに初めて話しかけられた時のことを。
「あなた名前は?」
「い、五十嵐美紅です!」
私は突然話しかけられたことにより、思わず声が上ずってしまう。
「美紅ちゃんね。中学では何か部活を?」
「一応、吹奏楽部に…」
「そうなのね。実は私も中学では吹奏楽部だったの」
「そうなんですかっ!で、では、なぜ家庭科部に?」
「うふふ。特に理由なんてないわよ。うーん、でも、まぁそうね…一つだけ理由をあげるとするなら…」
「あげるとするなら?」
「甘いお菓子が食べたかったから」
麗奈さんは屈託のない笑みを浮かべてそう言った。
「1年C組の五十嵐美紅です。よろしくお願いします」
私は家庭科部に入部した。
理由は単純明快。
私も麗奈さんのような美しい女性になりたい、そう思ったからだ。
家庭科部に入部したばかりの当時の私は誰よりも張り切っていたと思う。
そんな矢先に彼と出会ったのだ。
「1年A組の優谷良太です。えーと…頑張りま〜す」
ボサボサな前髪に、心ここにあらずという様子の彼。
私とは対照的でやる気のなさそうな麗奈さんの弟、良太くんに…
「どうしたの〜?そんな訝しげな顔して」
家庭科部に入ってまだ日も浅い頃、私は隣にいた同じ新入部員の女の子に声をかけられた。
「えっと…あなたは確か…」
「1年E組の久賀聖だよ〜!気軽に聖って呼んでね!にししっ」
む、無駄にテンションが高い…
「聖さん、あなたはどう思います?」
「ん?なにが〜?」
「良太くんについてですよ。彼は本当に麗奈部長の弟なのでしょうか?あまりにもやる気が感じられません!前髪が長すぎるから表情もよく読み取れないし…」
「良ちゃんのことか〜、みんな最初はそう思うよね〜」
「良ちゃん?知り合いなんですか?」
「うん。同じ中学だったからね。麗奈ちゃんも」
「れ、麗奈ちゃん!?」
麗奈部長をちゃん付け!!羨ましい…って違う違う!
なんて怖いもの知らずなのこの子は!
「にししっ。まぁいずれわかるよ。良ちゃんほど面白い人は滅多にいないから」
その時の私には聖の言葉の意味がよく理解できなかった。
でも今ならその言葉の意味がよくわかる。
その意味に気づいたのは、ほんの些細なことからだった。
あれ?良太くん前より、りんごの皮むき上手くなってる…
たまたま同じグループでフルーツの盛り合わせの作業に取り掛かっていたとき、私はふと隣でやる気がなさそうにりんごの皮むきをしていた良太くんの変化に気づく。
「ん?」
すると私の視線に気づいたのか、良太くんが不思議そうな顔で私を見つめる。
「あっ、えーと良太くん、りんごの皮むきすごく上手くなったね…」
「わかる!?」
「えっ…う、うん」
そのことを告げると、良太くんはどこか嬉しそうにりんごの皮をむく。
意外と感情豊かな子なのかな…?
「いや〜、結構前にりんごの皮むきあったじゃん?あれ全然上手く出来なかったからさ、姉貴…あっ、じゃなくて部長に怒られたんだよね〜。それが悔しくて今まで毎日練習してたからさ」
「へ、へぇー…」
私は生き生きと喋り始める彼に、驚きを隠せない。
こ、これがギャップ萌というやつなのか!
というか今、さり気なくすごいこと言わなかった!?
「えっ!?あの日から毎日練習してたの!?」
「うん。そうだけど」
良太くんは平然と答えるが、りんごの皮むきをしたのはおおよそ一ヶ月前の話だ。
それに、良太くんがそこまでりんごの皮むきが下手だったという印象もない。
というか、りんごの芯しか残ってなかった聖の印象が強すぎた。
私は聖の言っていた言葉を思い出す。
「良ちゃんほど面白い人は滅多にいないから」
少しずつ彼に興味が湧いてくる。
「りょ、良太くんはなんで家庭科部に入部したの?」
私はふと麗奈部長にした質問を良太くんにもぶつけてみたくなった。
「うーん…部長に誘われたっていうのもあるけど…そうだなぁ、一番の理由は…」
まさか…
「甘いお菓子が食べたかったから」
その瞬間、開いた窓から春の風が吹き、良太くんの長い前髪がふわりとあがる。
いつもは前髪に隠れてよくわからなかったその表情も、今ならはっきりと見える。
良太くんは屈託のない笑みを浮かべていた。
あぁ、やっぱり姉弟なんだ。
その良太くんの笑みが私にはあの時の麗奈さんの笑みと重なって見えた。
良太くんはその後も裁縫や調理の腕を磨き続け、一年生の秋に行われたお弁当コンクールでは佳作、冬に行われた衣服作品コンクールでは審査員特別賞を受賞するまでへと成長を遂げていた。
それらの成績は生まれ持った才能やまぐれなどではなく、彼の努力の賜物であることを家庭科部の全員が知っている。
指に多く巻かれた絆創膏、ボロボロになった裁縫箱、遅くまで残っての作業…
彼の才能は偏に努力の才能だ。
熱中したものには納得がいくまで追求する。
聖も中学時代、ゲームに熱中した彼に100戦無敗のゲームで初めて負けたそうだ。
それにも関わらず、彼はそんな努力を表に出そうとせず、その才能にすら気づいてない節がある。
前髪も小さい頃に、女みたいな顔だと言われてからあまり人に見られないように、長くしているらしい。
麗奈さんに似て綺麗な顔で私はいいと思うけどなぁ〜…
まぁ本人には言わないけど。
聖の言うとおり、良太くんはとても面白い人だ。
いつかは彼の背中を越してみたい…
そんな成長し続ける彼の背中を見ながら1年間、私は必死に努力した。
だからなのかもしれない…
気づいたら私はそんな彼に惹かれていたんだ。
「次の部長は良太、副部長は美紅に任せる。美紅、良太のサポートお願いね。何かあったら私に言いなさい」
「はい!承知致しました!」
この日、三年生の引退とともに新しい部長、副部長が発表された。
私は副部長として皆を引っ張っていかねばならない存在になるのだ。
気を引き締めて、頑張らなくちゃ。
そんな決意を新たにした私に対し、隣の部長になる彼はどこか上の空だ。
大丈夫かな…?
そんなときに、麗奈さんから声がかかる。
「美紅、話したいことがあるからこの後時間とれる?」
「わ、私は全然構いませんけど」
麗奈さんから私に用事?
一体何のことだろう…
私は少しの不安をいだきながら麗奈さんのもとへ向かう。
しかし、そんな私の心配は杞憂に終わった。
「はいこれ」
「家庭科部ノート…ですか?」
麗奈さんから渡されたのは一冊のノートだった。
ノートを開くと、そこには後輩への指導方針や家庭科部の心得、計画表などが綿密に書かれている。
「うちの部活は顧問が滅多にこないから代々、部長にこのノートを渡す風習になってるの。でも良太にあげるとなくしそうだから」
「あ、ありがとうございます」
「あとノートの1ページ目を見ればわかるけど家庭科部、部内恋愛禁止だから」
ギクッ
「今年度は男子が良太だけだったから言ってなかったけど、来年度はわからないからね。一応みんなにも伝えといて」
「は、はい…」
ふぅ〜…私の気持ちがバレてるのかと思った…
「あ、それとあと一つ」
そう言うと麗奈さんはクスッと笑って、私の耳元で囁いた。
「良太と美紅はお似合いだと思うわよ」
私の顔が赤くなったのは言うまでもない。
「部長。お忙しい所すいません。どうしてもここが上手くいかなくて…」
「あ~わかる!俺も同じようなことで悩んだことあるよ!ここは巻縫いが……」
「ゆ、優谷部長…ぐすんっ、また失敗してしまいました…もう一回やり直したほうがいいでしょうか?期限近いのに…うぅ」
「これくらいの失敗なんて全然大丈夫だって!ほら貸してごらん。ここをこうやれば…」
「部長!なんか知らないけど服が真っ二つに裂けた!」
「あ~俺も昔そんな失敗…したことねーよ!逆に凄いよ!俺がなんとかしてやるから待ってろ!」
そんなこんなで部長は今日も忙しそうに、でも楽しそうに後輩の指導にあたっている。
もうすぐ、私達は三年生になる。三年生になったら家庭科部はすぐに引退だ。
引退したら部長…いいえ、良太に告白しよう。
私はそう決めている。
ただ、気がかりが二つある…
一つは少し恥ずかしいけど、単純に良太が私の告白をOKしてくれるのかということ。
そしてもう一つ。
それは最近になって開設された津々浦高校裏サイトに関してのことだ。
本人にはまだ知られていないが、実はその裏サイトで密かに良太は優良物件として話題になっている。
後輩たちに初めて見せてもらったときは思わず気絶してしまった。
この情報が良太に知られるのも最悪だけど、恋のライバルが増えて引退前に先を越されたら元も子もない。
いっそ、もう告白しようかな…
いいや、それはダメだろ!!どっちみち家庭科部から追放される!!
麗奈さんに良太をサポートするよう言われているのに、私が告白なんかして家庭科部内をかき乱してどうする!!
ていうか告白する勇気まだないし…
あーもう!!私、一体どうすればいいの〜〜!!
「はぁ…疲れた…」
俺はすっかり日が暮れた帰り道を一人トボトボと歩いている。
今日は散々だった。
イケメンランキングには心を抉られ、部活に行けば溜まりに溜まった仕事をやらされ、その後訳もわからず美紅ちゃんは気絶するし、聖は爆笑しているし、後輩たちは何やら深刻な顔で話し合っている、まさに混沌とした状況。
けれど、そんな混沌な状況もすぐに終わりを告げた。
「イケメンランキングに俺も載りてえなぁ〜とか言ったら、みんな一瞬で真顔になるしよ…」
そう。あの後、俺が美紅ちゃんが気絶したことで慌てふためいてたら、空気の読めない聖が笑いながらイケメンランキングを見た感想を聞いてきたのだ。
聞かれたから俺はただ純粋に、
ちょっとしか見てないけど自分もイケメンランキングに入りたかったなぁ
と言っただけだ。
なのに部員全員、えっ?こいつマジで言ってる?みたいな顔しやがって…
あの美紅ちゃんでさえも一瞬にして意識を取り戻していた。
俺そんなに人としてダメですかね?もう残りライフ0なんですけど!!
くそっ!思い出しただけで腹が立つ!もう一生、裏サイトの話なんてするもんか!!
そんなことを誓いながら、家の近くの曲がり角に差し掛かったときだった。
「おーい!良太〜っ」
「げっ!翔!」
後ろを振り返ると、そこにいたのは手を振りながらイケメンスマイルで俺のもとへと走ってくる翔の姿だった。
最悪だ…
最後の最後にまさかの津々浦高校のプリンスが降臨。
裏サイトのことなんて忘れたい、今の俺にとっては一番会いたくない幼馴染だ。
「やっと追いついた。良太も部活終わるの遅かったんだね」
「う、うん、あぁ…」
「どうしたの?元気ないじゃん」
「まあ色々あって…でも大丈夫」
「そう?何かあったらいつでもいいなよ」
人の小さな変化にでもすぐに気づく翔に、流石としか言いようがない。
伊達にイケメンランキング一位じゃねえ。
そういえば、翔はあのサイトのことを知っているのだろうか…
「あのさ、翔」
「ん?」
「津々浦高校裏サイトって知ってる?」
「あ〜、今日マネージャーたちがその話で盛り上がってるのを見かけたよ。俺にとってはどうでもいいけど」
「だよな〜お前は他人の恋愛話とかも興味ないよな」
「うん」
昔からそうだった。
翔は人の噂や悪口などが大嫌いなタイプだ。
あまり周りからいい噂を聞かない子にも、気にせずに話しかけるいい奴なんだ。
「じゃあ…まだ女子からの告白とかも断り続けてんの?」
「そりゃあね…俺には心に決めた相手がいるから」
だからこそわからないんだ。
そんな翔の心に決めた相手が――だってこと。
「でもお前…全然振り向いてもらえないじゃんかよ…」
「完璧な男になったら考えるって言われてるからさ。まだまだ頑張らないとね」
「いや、お前もう完璧だと思うけど」
「ううん…まだまだなんだ」
幼馴染の波木里翔は確かにイケメンで、サッカーも上手くて、この前のテストも学年一位で、お人好しの面もある完璧人間だ。
だが、だがしかし、俺は知っている。
あいつは…
俺の姉である優谷麗奈のことが好きなんだ。
「じゃあここで」
「おう!また明日な!良太」
「おう」
「あっ、良太待って!1つ言いたいことあった」
「ん?」
帰りかけた俺が翔の方を見ると、翔はいつにもなく真剣な顔をしていた。
「良太…俺いつか、お前のこと越してみせるから」
「はぁ?何の話だよ?」
「そんじゃあな〜」
「お、おい!何のことだよ!」
翔は俺の返事にそれ以上なにも答えることなく、背中越しに手を振りながら暗がりの道へと消えていく。
俺のことを越す?なに言ってんだ?
あいつ死ぬほどモテすぎて、逆に俺のことが羨ましくなったのかな…
あぁ…きっとそれだ。
妙に納得した俺は、いつものように今日の夕飯を予想しながら家のドアの鍵を開けたのだった。
優良物件は気づかない。
密かに想いを寄せる女性が彼の周囲にいることを。
優良物件は気づかない。
ブラコンである姉の麗奈が波木里を振った時のセリフは「完璧な男になったら考える」ではなく「私の弟よりもいい男になったら考える」であることを。
優良物件は気づかない。
津々浦高校裏サイトを運営している人物はすぐ近くにいることに…
「にししっ」
読んで下さりありがとうございました。