No.3 追われる者①
リアスター王国の中枢、王都トライス。
正円を描く外壁に囲まれたこの都市は、五つの区域からなる城塞都市だ。
王城を中心とした《中央区》、王国の施設が立ち並ぶ《北区》、商業が盛んで国内外からありとあらゆる物品が揃う《東区》、大多数の王都民が暮らす《西区》、自然公園や王立ギルド、自然迷宮を有する《南区》。
それぞれ違う特色を持った街には、様々な人種が行き交う。筋骨隆々の地精族が鍛冶屋を営み、耳のとがった妖精族が売り子をして、通りかかった人間が楽しげに会話する。
道端にある酒場では、朝焼けを見ながら猫耳をピクピクさせる猫人族の少年と、体が透き通った幽霊族の少女がテラスで仲睦まじく飲んでいる。
そんな、平和を絵に書いたような光景。
だが、たとえどれだけ理想郷であろうと人間がいる限り闇は生まれる。もちろん、この街にさえも――
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曲がりくねった路地を走る。
タッタッと自分が立てる足音が周りの建物の壁に反射して狭い路地に響き渡る。お世辞にも綺麗とは言えない場所を必死の形相で駆け抜けるのは、一人の少女――名をソラミアという。
限界をとうに超えて酷使した足が悲鳴をあげる中、ソラミアは長い金髪を振り乱して転ぶように駆ける。肩越しに振り返って後ろを確認し、誰も追ってきていないことを注意深く確認して立ち止まる。
「ハッ、ハッ――誰も……追って来ない……。撒いたかしら……?」
荒い息を吐いて壁にもたれかかる少女は、透き通るような碧眼で周囲を見渡す。建物の影、左右に伸びる路地、頭上を覆う屋根上――
「追っ手なし、ね。ふぅ……」
そう判断し長く深い深呼吸を一つ。未だ跳ね回る心臓をなんとか落ち着かせながら、改めて自分の身なりを確認する。
かつて一級品だった空色のドレスは無残にあちこちが裂け、足元まであった裾は膝下で破れてしまっていた。そして華奢な肢体に刻まれた無数の擦り傷や切り傷が、じわじわと痛みを訴えかけてくる。
そんな己の現状を再確認し表情を苦いものにするソラミアは、グッと唇を噛み締め拳を握り――直後、ソラミアの耳が音を捉えた。
「《我・炎精との契約・履行する者》」
その音の正体は、人の声。
しかも、悪意と敵意を等分に含んだ、敵の声。
「ど、どこから――!?」
即座に警戒態勢に入り忙しなく周囲を見回すソラミアを余所に、その声は淡々と言葉を紡ぐ。
「《爆炎の衝撃もって・敵を穿て》」
その声がそう締めくくった直後――ドッ!と頭上の屋根が朱色の爆炎と共に爆ぜた。重力に従い落下してくる破片、さらにそれを追うように燃え盛る炎の塊が何個も地面へ降り注ぐ。
「――ッ!」
息を呑むのも忘れ、弾かれたように全力で横に跳ぶ。宙を舞った体が地面に触れる寸前、屋根の破片と炎球が落下し、爆風を撒き散らす。
「――きゃああっ!!」
いとも簡単に煽られ地面を二度三度とバウンドする。そのまま近くの壁に叩きつけられ、ソラミアはうつ伏せに崩れ落ちた。
霞む視界をなんとか持ち直し、目の前でボロボロの廃墟が爆風の影響で墜ちていくのを見届けていると――不意に、ソラミアの視界に地面に突き刺さった残骸をバックにして立つ数人の白いローブを纏った男たちの姿が目に入る。
「あ……ああ……ッ!」
それを見たソラミアの瞳が恐怖に震える。男たちは何事かを交わすと、ソラミア向けて一直線に歩み寄ってくる。その姿が、ソラミアの目には化物のように見えて。
気づけば、叫んでいた。
「い、嫌……来ないで……私から、奪わないで!」
カッ!と見開いた目に、明確な意思が宿る。それと同時に、体の中に満たされていた『力』が左手に集中していくのが分かった。
それを感じたソラミアは、満身創痍の体に鞭を打って左手を動かす。男たちに突きつけるように、手のひらを向けて。そこに集まった『力』を解放した。
「はあっ――!」
ズバチィッ!!と凶悪な音を立てて手のひらから紫電が迸った。それは路地の石畳を跳ね回りながら男たちへと直撃、大の大人を文字通り吹き飛ばした。
「があっ……!」
悲鳴をあげて膝から倒れ込んだ男たちの姿に一抹の罪悪感を抱きつつ、ソラミアは立ち上がる。ダメージでガクガクと膝が震え、壁に手をつきながらもゆっくりと歩みを進める。
そして、よろめきながらも狭い路地から少し開けた場所へと辿り着いたソラミア。だが、再びソラミアの耳があの声を捉える。
「《我・風精との契約・履行する者》《真空の斬撃もって・敵を穿て》」
今度は反応すら出来なかった。全身を苛む激痛が感覚を鈍らせ、ヨロヨロとよろめくソラミアは格好の的。
ぶしゅ、という音の後、がくりと膝が折れる。致命的に、確実に、体を奮い立たせていた気力が根本から打ち砕かれていく。
「く、ああっ……!?」
新たに増した激痛を耐えながらソラミアが痛みの発端を見ると、太ももの辺りから流れ出る鮮血。刃で斬り裂いたような一条の傷が、灼熱にも似た痛みを放つ。
次の瞬間にも意識を手放してしまってもおかしくない激痛の中、ソラミア眼前に男が舞い降りた。腰に携えた剣が、カチャッと小さく音を立てた。
切れ長の瞳に銀色の短髪、笑顔でも浮かべればそれなりに映えるであろうその表情は、一貫して無表情を貫いていた。その男は感情の読めない瞳でソラミアを見下ろすと、平坦な口調で告げる。
「貴様には手を焼いたが、これで終いだ。共に来てもらうぞ?言っておくが、妙な抵抗はしない方がいい」
「……」
抵抗どころか指一本動かせない。そう言い返そうとしたが、どうやら唇を動かすことすら出来なくなっているらしい。『詰み』という言葉が脳裏を掠める。
自分の力だけでは無理だ。
ただ、それでも。無駄だと分かっていても。
願わずには、いられなかった。
――誰か。お願い、助けて、と。
そんな少女のささやかな願いは、零れ落ちた一雫の涙を伴って世界に聞き入れられた。
声が、した。
「おいおい、その辺にしといてくんねぇか?その女の子を連れていかれると、俺が依頼主に怒られちまうからよ」
長い茶髪の下から覗く揺るがない瞳でこちらを見据え、黒いロングコートの裾を風になびかせて。その『誰か』は、そこに立つ。
それは、一人の少年だった。
「なんだ、貴様は――」
「別に、ただの助っ人だよ。多勢に無勢で女の子を襲うのは不公平ってモンだろ?」
男の問いに適当にそう返し、その少年――クリストは、飄々と笑ってみせた。