No.32 怪物の少年①
「ふはっ、あははははは!こりゃすげぇや!」
ミシミシと不安を掻き立てる音が漏れる氷の大樹の下で、無数の剣閃と血華が踊り狂う。その中心で止まることの無いステップを刻むふたりの剣士の姿を見て、いつの間にか観客席の一角に座っていた怪人物は笑い声を上げた。
全身をすっぽりと覆う黒のダボッとしたローブと同色のフード、それによっておよそ外見的特徴というものを排除したその人物が腰掛ける観客席の周囲には、どこから持ってきたのかいくつもの酒瓶が散乱している。
そのうちの一 本を掴んで豪快にラッパ飲みしながらも、その人物は舞台で繰り広げられる戦闘から一瞬たりとも目を逸らすことは無かった。
「あーあー、こっちの仕事も一段落してやる事ないとはいえ、他人同士の戦闘を見てるっつーのはどうにも面白くねぇ。……ここでオレが飛び入り参加したら、『共犯者』のヤツどんな顔するかな」
一瞬湧き上がった”自分も闘いたい”という欲求に酒の力添えもあって従いかけるも、予定外の行動を取ればあの『共犯者』はいい顔をしないだろうと踏みとどまる。
そう、おそらくいい顔はしない。
具体的に言うならば、『は?何やってくれてんのコイツ、今この場でぶった斬ってやろうか?』というニュアンスを含んだ顔をするに決まっているのだ。
その根拠は、過去に実際そういう顔をされた挙句にあの紅黒の片刃剣――それも峰打ちじゃなく刃の方でぶった斬られかけたからである。
辻斬りか暗殺者もかくやと言わんばかりに命だけを一直線に掠め取りに来るあの剣筋は、未だ忘れられないし、忘れ慣れない。ふとした瞬間に記憶の海から蘇り、その都度あの瞬間『共犯者』の瞳に宿っていたモノを思い出すのだ。
”使えるものは最大限使い回し、用途が無くなれば即座に捨てる”を行動指針にするあの人の姿をした怪物は、おそらく敵も仲間も区別していないのだろうと、時たまそう思うことがある。
さしずめ、”人類みな等しく兄弟”ならぬ”人類みな等しく手駒”と言ったところだろうか。同じ平等に扱いながら、そこにあるのは天と地――いや、それ以上の差だ。
あの怪物の瞳に時折チラつく影。人当たりの良い笑顔の裏、そこに隠れたイタズラ好きの小悪魔じみた仮面の、さらにその最奥に揺蕩う虚無のような深淵に気づく者は少ない。そして、まるで人を物のように――さながら盤上の駒のように捉え定める思考回路に理解を示す者は皆無だ。
大抵は恐れるか、それとも気味悪がるか。
だがしかし、気づいた者がどちらを選ぼうと大差はない。結局のところ、その領域まで踏み込んでしまった者に”引き返す”という選択肢はないのだから。
気づいていたつもりなら、甘すぎだ。
あの怪物を理解出来る者など存在しない。
怪物とは――誰にも理解されない常識の埒外に存在する異形を示す記号なのだから。
「やれやれ――”行きはよいよい帰りはこわい”とはよく言ったもんだぜ、あの怪物を喩えるのにこれ程相応しい言葉はねぇよ。ま、帰りは怖いどころか帰れねぇんだが」
帰れずに――取り込まれて、使い捨てられる。
あの『共犯者』と行動を共にする中で、そういった犠牲者を何人も見てきた。そして、今日もまた見るハメになる。
だがそれでも、フードの人物は笑う。幸運に恵まれた者を祝福するかのように。悪魔に魅入られた者へ同情するように。ただ、唇を歪めて笑う。
「運が悪かったと思って諦めろ。だが、それでも喜べ。あの怪物は”百害ありつつ百理あり”だぜ」
ちらり、とフードの下の視線が戦闘から初めて逸れる。その視線は、脇に無造作に放られた紙束の1番上、ゼラス・フリークという青年についてのあらゆる情報を書き連ねた用紙に書き殴られた文字列へと向けられていた。
その文字は、こう読めた。
――”収穫対象”と。
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たとえば、世界の全てを善悪だけで切り分けた場合としよう。
善の領域にはユグドラシルやルーナ、ソラミアといった正義を掲げる善人が。悪の領域にはクリストや『共犯者』、フリウスといった悪を標榜する悪人がいるとしよう。
その中において、ゼラス・フリークはどちらかと言えば善人に分類されるような人間である。他人を傷つけることは多々あれど、その根底にあるのは常に自分ではなく他人なのだ。
そんな事実を、クリストは知っていた。
『共犯者』に調べてもらった資料に目を通すよりもずっと前から、それこそゼラス本人が気付く以前からそれを知っていた。
だからこそ選んだのだ。
他人のためにどこまでも自分を犠牲にしてしまうゼラスを、その在り方を。与し易しと、その正義を利用しようと思い至ったのだ。
正義は厄介であると同時に上手く使えば便利だと、クリストがそう学んだのはいつ頃だっただろうか。あるいは、学ぶ以前から知っていたのかもしれない。”自分に成る前の自分”が、そう知っていたのかもしれなかった。
自分の知らない自分――それは、とても興味深くてなおかつ怖い。まるで得体の知れない怪物のような、自分というモノを揺さぶる根源的な何か。
多分、記憶を失ったクリストが全ての知識を求めたのも、『知らない』ことに嫌悪や恐怖を感じたからなのだろう。そして、数多の知識を手中に収めたクリストが導き出したのは、目的への最適解。
――”自分を犠牲に全てを掴む”。
使い間違えば死んでしまう厄介な手駒と違って、意外と不死身な自分なら、安心していくらでも犠牲にできる。使い捨てられるし、間違えれる。
さながら、その在り方は盤上の駒。それも他の駒とは違って、何度でも替えのきく便利な駒。露店の食べ物にお金を払うのと同じ感覚で、自分の命を簡単に見切り捨てて、進む。
クリストという少年は、そうして歩んできた。
その、常人には理解できない思考回路――まさしく常識の埒外にあるその在り方を”怪物”と言われながら、それでもなお、歩みが止まることはなく。
その剣に科した咎を背負いながら、少年は”定めた目的”だけを瞳に映して、止まることなく――留まることもなく進み続けていた。
少年の名はクリスト。
あの《異界間戦争》の終戦と時を同じくして記憶を失った『誰か』の中に形成された人格。八百年という永劫にも等しい時の中、全てを得るために自分自身を殺し続け、その果てに痛みすら失った、天性の怪物だ。
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ガイィン!と激しい衝撃とともに生じた火花が、ゼラスの肌を焼いた。それと同時にやけど特有の痛みが走るが、それに意識を割く暇も余裕もない。
「ふっ――!」
一歩。鋭くこちらの間合いへ踏み込んできた相手が繰り出す連続の剣閃を正確に叩き落としながら、ゼラスは心中で歯噛みした。
(この剣戟――いささか私が不利か)
勝てない、とは言わない。
だがしかし、勝つのが難しいとは言わせてもらうくらいなら、問題は無いだろう。
その原因は、純粋な能力の差。
いくら魔術という魔法に変わる手札を持つゼラスといえど、その実態は単なる第零階梯。まともな魔導士たちと違って異能を外部に頼っている魔術師は、”魔力活性化による身体能力強化の恩恵”には与れない。
つまり、魔導士と魔術師では身体能力にかなりの開きがある。それを埋めない限り、この剣戟に勝ち目はない。今こうして斬り合えているのは、ひとえにゼラス・フリークという剣士の技量によるものだ。
だからこそ、ゼラスは最優先その差を埋めに行く――切り札である、魔術を惜しみなく前面に押し出して。
「《我・光精との契や――」
「おおっと!させるか!」
詠唱を断ち切るように、もしくはゼラスの体ごと断ち切るようにして、大上段から刃が振り下ろされる。それを相手の狙いに乗るのは癪だと舌打ちしつつも、魔術よりも慣れ親しんだ剣で受け止め、鍔迫り合いへと持ち込んだ。
ギギギッ、と人によっては不快感すら感じる嫌な音を立てて力が釣り合う地点で剣同士が噛み合い、止まる。全体重を掛けてくる相手に抗っていると、二本の剣越しに声が飛んできた。
「魔術なんて付け焼き刃に頼ってんじゃねーよ、剣士さん?もっとシンプルで単純にさぁ、楽しく素敵に踊ろうぜ!」
「……そうか。だったら望み通りにしてやる!」
そういうが早いか、ゼラスは受け止めていた剣を、受け流す方向に切り替えた。今まで掛けていた体重を乗せた剣を滑らされたことで、相手の体勢がぐらりと揺れる。
「――うおっと!?」
さすがの相手も、勢いのまま剣を地面へ叩きつけるなんて刀身にも剣士の面子にも優しくはない事態だけはギリギリで回避してみせたが、それでも一瞬、その胴体は無防備に晒され――
「……悪く思うな」
そこへ、ゼラスは己の剣の刀身をあてがい、そのまま押し込んだ。ずぶっ、と人を斬る時特有の嫌な感触が柄越しに伝わってきて、思わずゼラスは顔を歪めてしまう。
だが、その感触を意識的に無視して、剣を振り切った。ガツン、と硬いもの――おそらく背骨だろうなとゼラスは判断したが、それすらもまとめて。
――人体を一刀両断。
どちゃり、と湿った音を立てて上半身が床へと落ちた。遅れて、下半身も痙攣しながら血の海へと沈む。
「――すまない」
人を殺した。
互いに殺す気だった――少なくとも、相手の剣に迷いは見えなかったとはいえ、どちらかの死が許容範囲内のふざけた戦闘だったともいえ、ゼラスの罪は軽くはならない。
他の誰が軽く見ても、ゼラスだけは認めない。
だからこそ、ゼラスはそう謝罪の言葉を口にして――不意に、カチンと小さな機械音を聞いた気がした。
「――ふはっ」
今度は笑い声が聞こえた。
それは間違いなく、気の所為ではない。
「ははっ――はははっ――はははははぁ!!」
何が可笑しいのか、笑っている。先ほど確かにゼラスが一刀両断にしてみせた、文字通り剣の錆となった相手が――あの、少年が。
その体から噴き上がった白煙の下で、その無残な死体が瞬く間に最初から傷など無かったように五体満足な体へと戻っていく。纏う黒のコートすら、ほつれも無く新品も同然だ。
「あははっ、ははは――いやぁ、期待以上だ!流石はフリークの血を引くだけはある!」
元通りに戻った少年は紅黒の片刃剣を片手に立ち上がると、「まさしく予定通りの想定外だよ」と心底可笑しそうに笑った。
「一体、何の話をしている?」
「――”戻り捻れる輪廻”」
ゼラスの問いかけをまるきり無視して、少年は言葉を紡ぐ。その聞きなれない固有名詞に、ゼラスが怪訝な顔をすると、
「名称は気にしなくていい――どうせリィンのヤツが勝手に呼んでるのを拝借しただけだからね。重要なのは、この体質が”一定時間経過ごとに俺の体を初期化する”という能力だということの方さ」
「……なんだと?」
「まあ、要するに――俺は意外と不死身だと、そういうことを言いたいわけだ。つまりはデモンストレーションだよ、わかってもらえたかな?」
もはや、ゼラスの脳内で”戦闘”という2文字は少年の言葉に上書きされてしまっていた。おそらくは最大限理解しやすいよう噛み砕いて説明されたそれは、少年の顔を見るに真実なのだろうが――しかし、疑問は残る。
根本的な、見過ごせない疑問が。
「何故、敵である私にその話をする?」
「うーん、まあ、強いて言うなら誠意かな。君に誠意を表して、こちらの手札を明かすって意味。あとはサービスだよ」
答えているようで答えになっていない返答に、ゼラスがより一層怪訝な顔をしてみせると、少年はトンと剣を持たない左手の人差し指でゼラスの左胸、ちょうど心臓の真上あたりを突いて続ける。
「それに、俺はお前の敵じゃない――かといって味方でもない。俺はあくまで助っ人、言ってみれば物語の読者みたいなモンだよ。俺自身は、この件に関しては他人事、特定の肩入れはしない」
「…………」
「だけど、目的はある。その”俺自身の目的”と”この件の行き着く先”が一致しないだけで、愉快犯って訳じゃあないさ」
「――では、お前の目的とは何だ?」
すると、その少年は微笑んだ――今まで見せたどの笑みとも異なる、異質な笑みを。
「俺の目的は、ゼラス、君自身だ」
「私……だと?」
「ああ。ゼラス・フリーク、魔術師の真祖たる家系の末裔よ――この私という怪物と、大切な物を守るための取引をする気が、君にあるかい?」
本当の怪物は、自然な笑みを浮かべて忍び寄ってくるのだと――ゼラスは、見ただけで根幹から揺さぶられるような薄ら寒い笑みを湛えた少年に思い知らされたのだった。




