No.2 少年の夢
少年は夢を見る。
遥か遠くに失ってしまった、たったひとつの記憶、その断片を。
夢の中で、少年は花畑の中に立っていた。色とりどりの花々が咲き誇る大地、その中心で。少年は、鮮血に濡れた二振りの片刃剣を手にして立っていた。
黒髪を風になびかせ、深紅の瞳で一点を見つめる。その視線の先にあるのは、ひとりの少女だった。純白の背表紙が眩しい本を片手に携え、柔らかな笑みを浮かべている。
太陽の光を反射して輝く黄金色の長髪が、キラキラと煌めく。
不意に風が吹き、ざあ……っと花弁を舞いあげる中、目の前の少女はそっと口を開いた。その可憐な唇が、確かな意志を感じさせる声音で発した。
『きみは……どうして戦うの?』
少年は言い返す。
『それは――』
そこから先はもう、覚えていない。
夢の中ですら、見ることは叶わない――
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「ふ、ふぇ、ふえっくし!」
口元を押さえて小さなくしゃみをひとつ。それがきっかけになったように、ただでさえボロボロな床がギイッと不気味に軋んだ。
「うえ、ホコリ臭っ……。そりゃあ廃墟だから仕方ねぇのかもしれねぇけどよ、もうちょいなんとかなんねぇのかな……」
そっと誰ともなく愚痴をこぼす少年。それからギシギシと鳴る床板を確かめるように踏みしめながら歩き出す。
少年の名はクリスト。目にかかるような茶髪に同色の瞳、小柄な体格。そこにあどけなさの残る顔立ちも相まってまさしく「少年」と呼ぶに相応しいだろう。
「ったく、こんな仕事はさっさ片付けて、家でゆっくりするに限るよ」
ぶつぶつと言いながらクリストは、廊下の突き当たりまで進むと、外れかかった扉を開けようとする。だが扉が変な風に歪んでしまっているせいか、ピクリともしない。
結局何度か押したり引いたりを繰り返した後、強引に蹴り開けることとなった。
「いよ〜う、片付いてっか?」
「もっちろん!この通り完璧だよ」
廃墟になる以前は客室として使われていたであろう部屋、その中央。ちょこんと置かれた小さなテーブルの上に腰かけたエルフの少女が、右手で丸を作りながらウィンクする。
その少女の背後の床には、手足を縛られ微動だにしない男達が無造作に転がされていた。
クリストはそれを一瞥すると、数をかぞえていく。
「1、2、3、4……ん?一人足りなくねぇか?確か依頼は13人だったはずなんだが……」
「あっ、それならユグドが追いかけていったよ。たしか二階まで走ってったかな?」
「……マジで?アイツが追ってった?もはや不安要素しかねーじゃんか」
最悪だ、と言わんばかりに顔を歪めて舌打ちしたクリストに苦笑しながら、身軽にテーブルから床に足をつけた少女――ルーナが「まあね」と同意した、まさにその時。
ドタドタッ!と上で何かが暴れるような音がしたかと思うと、バキバキべキィ!!という派手な破砕音を立てて、天井の一部が大量の埃と共に部屋の隅へと落下した。
「わぶっ!?ケホケホッ、ホコリがっ……!」
「まったく、派手にぶっ壊しやがって……何考えてやがんだ?」
口を手で覆って咳き込むルーナと、呆れたような笑みを浮かべるクリストが見つめる中、徐々に晴れていく煙幕の中に見えたのは、二つの人影だった。
上の階から叩き落とされ床に倒れ伏す人影と、その傍らに立って倒れた人影を見下ろす人影。すると立っている方の人影が、不意にガッツポーズを決めると嬉しそうに吼えた。
「いよっしゃあ!ははっ、十三人目撃破ァ!どーよ、見たかこのオレの強さを!」
「いや見てねぇし。つーかよくも派手に壊してくれやがったなぁ、ユグド……」
「うげっ、団長……」
ユグドと呼ばれた青年――ユグドラシルは、幾分トーンを落としたクリストの声に顔を引き攣らせて後ずさった。破顔した笑みが一瞬で青ざめるのが分かる。
ツンツンと逆立った赤髪の青年に鋭い眼差しを向けると、クリストはユグドの足元に倒れる人影を指さす。
「つーかソイツ、死んでねぇだろうな?」
「あん?問題ねぇよ、見ての通りピンピンしてんだろが」
「見ての通りピンピンしてねぇから訊いてんだよ。顔面を盛大に鼻血で汚してぶっ倒れてる人間のどこがピンピンしてんだってーの!」
そう、床に倒れる人間は鼻血を流しながら白目を剥いて気絶していた。どこの誰がどっからどうみても、無事とは呼べない状態である。
「はあ……まあいいや。依頼は『十三人の危険思想家を生きたまま騎士団に引き渡すこと』だったしな。これで依頼達成だ」
嘆息して額に手を当てつつも、そこらにあった縄で手足を器用に拘束していくクリスト。そして瞬く間に縛り上げると、懐から懐中時計を取り出してパチンと開く。
「開始から十五分、そろそろ騎士団が来る頃だ。見つかる前にずらかるぞ」
「ほいよ」
「は〜い♪」
足早にその場を後にする三人。廃屋の外へと出ると、クリストは手帳を取り出しページを開く。パラパラとめくれていく無数のページの中からお目当てのもの――今日の予定を探し当て、目を通す。
「さてと、今日は忙しくなりそうだな。早速新しい仕事が入ってんぞ?」
「ハッ、丁度いい。まだまだ暴れ足りねぇと思ってたとこだからな!」
「でも珍しいね、今までは一日一件って感じだったのに。それってどんな内容なの?」
可愛らしく首を傾げるルーナ、パンッ!と拳を打ち合わせるユグドラシル。そんな二人を横目に見ながら、クリストは手帳を閉じて苦笑混じりに呟いた。
「決まってんだろ、いつも通りのクソ面倒なお仕事だよ。――《執行部》向けの、な」
そう、彼らこそが《執行部》。
正規の魔導騎士団から外れた王直属の非正規組織であり、人知れず裏の世界を駆け王国内の秩序を維持する仕事人たちだ。