No.25 追憶の夢③
私が居た芝生――我が家の庭ながら正式名称を知らないので、仮に『芝生広場』とでも呼ぶが、そこから問題のお父様が居るであろう裏庭までは並大抵の道のりではたどり着けない。
なぜなら、その間には絶対の壁とも評すべき我がシーネルタ邸が建っているのだから。しかも、普段通りならいざ知らず、今回に限ってはあの流星群のように降り注いだ炎球の一撃、いや正しくは爆撃によって半壊しているのだ。
しかし、浅はかであると同時に考え無しの私が取った行動は、崩壊寸前どころかもはや崩壊している屋敷の中を一直線に突き抜けるという馬鹿げたものだった。
どうやら私も、あの武闘派たちと同じ「脳筋」という部類らしい。人のことをとやかく言えないなぁと思う反面、やはりなんだかんだ言ってもこういう共通点は家族らしいなぁとも思う。まあ、この事実に気付くのが崩壊寸前の屋敷に自ら飛び込むなんて愚行を犯した直後でなければさらに良かったのだけど。
『いっ……けぇぇぇぇッ!!』
精錬された魔法と言うよりは、ただ変換した魔力を解き放っただけの一撃だったが、それでも放射状に広がった紫電は狙い通りに瓦礫を吹き飛ばした。
粉々に砕け散った窓から土足で踏み込んだ私は、あちこちが崩壊してその残骸である瓦礫の転がる赤い絨毯の上を、一心不乱に駆けていく。
たびたび廊下を塞ぐ瓦礫の山を覚えたての魔法で吹き飛ばしつつ、逸る気持ちに急かされるまま足を動かす私――その眼前に、曲がり角から不意にふらりと白ローブの人間が現れた。
『……ッ!?《我・雷精との契約・履行す――』
『そこを――どいてッ!』
驚いた様子で何事かを口早に唱える白ローブへと、私は魔法を放つ。だが、いかんせん魔法歴およそ半日も立たない身、一撃で華麗に仕留めるなんてことが出来るはずもなく。
二閃、三閃と見当違いの方向へ飛んだ紫電だが、なんとか四閃目がローブ越しで正確なところはわからないが相手の左足の辺りを捉えた。
ズバチィ!と激しい音と共に崩れ落ちる白ローブの人。と、その糸切れた人形のように転がった姿を見た途端、私の胸中にあるひとつの感情が浮かび上がる。
それは、罪悪感。
自分の意思で他人を傷つけたという、言い逃れようのない確かな事実。そのショックが、私の胸に重くのしかかってきた。
『……ごめんなさい』
自己満足だと理解しつつも、私は頭を下げた。
たとえば、よく物語にいるような登場人物たちの中には、何も知らない状態で放り出されたとしても最初から躊躇なく他者の――あるいは他生物の命を奪ってたくましく生きていく人たちもいるけれど、どこにでも居るようなただの人間でしかない私にそこまでの度胸も覚悟もあるはずがない。
でも、だからこそ、傷つけてしまった命にはそれ相応の対応がある。償うことなど出来なくとも、精一杯の気持ちを込めて、その命と真摯に向き合うことが必要だと、私は思ったのだ。
そうして頭を下げていた時間は、本来なら十秒にも満たない、しかし体感にすれば数時間にも感じられた。そして、私は面を上げると再び絨毯の上を駆け出す。
『裏庭に行くルートは……この先を左!』
我がシーネルタ邸は腐っても貴族の屋敷というだけあってかなり広く、よくあの武闘派組が「え、雨降ってる?じゃあ廊下を走って足腰鍛えるか!」なんてノリで走り回ってるのをよく見かけたものだ。昔、お姉様とかくれんぼした時には屋敷の半分ほどを見て回るだけで半日が過ぎていたという笑い話もある。
ぶっちゃけた話、十六年間この屋敷で育っておきながら、私がまだ立ち入っていない場所もまだまだあるのだ。ある意味で、噂に聞く自然迷宮とやらに匹敵する迷宮度だ。
『ぬおっ!?《我・水精との契約・履行する――』
『ち、生き残りか!《爆炎の衝撃もって・敵を穿――』
『どっ、どいてください――!』
相変わらず命中率は目も当てられないほどのレベルだが、それでも数撃てば当たる戦法で廊下の途中にいた白ローブの人たちを倒していく。その際、ちゃんとすれ違いざまに頭を下げるのも忘れない。
『ごめんなさいっ、本当に!』
どうにか慣れない戦闘をこなしつつ、私は廊下を駆け――すると、すぐに廊下の突き当り、丁字路に差し掛かる。そこに見えた窓へと、私は勢い落とさないままに突撃して――
ガッシャアアァン!!と、派手に体当たりでガラスを砕きながら、私は外へと転がり出た。割れた破片で多少肌が切れ、極めつけに間違っても安いとは言いにくい薄緑色のドレスの裾が布を裂く音を立てて破れたが、そこはあえて言及しないでおこう。
ともかく、ガラスを破った勢いのまま地面を二度三度と転がった私は、なんとか体勢を立て直して顔を上げる。そこで見たのは――一方的な蹂躙だった。
両手の指どころか手足含めてもまだ数倍以上の数を誇る光の豪雨。それは地にある全てを破壊し、その極光で焼き尽くす。――だが。
『ほいほい、ほいっと!』
そんなふざけた声とともに一瞬で描かれたいくつもの剣の軌道に沿って生まれた白風の刃が、その光の豪雨をひとつ残らず迎撃する。空中で2つはぶつかり合い、轟音を立てて相殺される。
お次は太陽の化身かと見間違えるほどの炎球。そこにあるだけで周囲を炎で埋め尽くすそれが、一直線に地へと落ちる。――しかし。
『はっはっは、カッコよく日焼けするのもやぶさかじゃねぇが……せっかくの一張羅を台無しにされんのは困るぜ?』
とんっ、と軽くつま先で地面を叩くと、たちまち暴風が吹き荒れ巨大な白風の竜巻が顕現する。それは正面から擬似太陽を受け止め、その勢いをもってものの数秒で跡形もなく消滅させてみせた。
そして、その攻撃も通じないと見るやいなや、間髪入れずに幾千もの電撃が四方八方から飛ぶ。それは互いに絡み合い太さを増していき、その雷撃の一本一本が近づいただけで感電死は免れない威力を秘めていた。――それでも。
『おおう、オレは雷が苦手なんだがなぁ。やだねぇ、嫌がらせってヤツかよ、ああ大人気ねぇぜまったくよ』
舐めているとしか思えない発言。しかし、直後に鈍色の刀身へと絡みつくように出現する竜巻。その竜巻を纏った剣をひょいと掲げると、途端に前後左右に四つ、壁のように出現した竜巻が電撃を受け止める。
いや、受け止めるだけではない。
その雷を吸収し、バチバチと帯電する竜巻。その4つに囲まれた中心で、無造作に指がパチンと鳴らされた。
『ほいよ、行ってきな』
その一言が契機となったように、竜巻はうねりながら動き始める。逃げ惑う人々を引き寄せ、空へと吹き飛ばし、蹂躙する。その竜巻に慈悲も意思もない、ゆえの圧倒的破壊。
それを命じた命令者は、ものの数秒で竜巻の蹂躙が終わり、代わりに訪れた静寂の中であっけからんとした笑みを浮かべていた。
『いやぁ、疲れた疲れた。最近魔法なんて使ってなかったからなぁ、すっかり腕も錆び付いてやがる。困ったもんだぜ』
『あの、お、お父様……?』
『……ん?んん?…………ソラミアじゃん!えっ、ちょなに、今までどこにいたんだ!?っておい、ケガしてるし!誰だ、誰にやられたんだコレ!お父さんに言ってみなさい、相手ぶっ殺すから!』
『いやあの、別に誰にやられたとかじゃないんだけど……』
一息に詰め寄ってきてなにやら物騒な台詞を吐いたその人物こそ――レイク・シーネルタその人だった。私が見た限り軽く見積もっても百……いや、二百人はいた大勢力を、たったひとりで壊滅させたのも、何を隠そうこの人だ。
……うーん、さすがに一方的すぎてちょっと可哀想かも。あれでお父様もだいぶ適当に――もとい手加減してたからね。『元騎士団最強剣士の片割れ』の称号は伊達ではないのだった。
『ああ、それよりお母様とお姉様は?一緒じゃないの?』
『む……それがな。あの時、空間を跳んだ直後にあの流星群みてぇな攻撃が落ちただろ?その影響で空間が不安定になって、オレたちがバラバラに弾き出されたみたいなんだわ』
『えっと……つまり、居場所がわからないってこと?』
『ああ、そうなるな!探しに行こうとしたんだけど、先に白ローブ連中に喧嘩売られてさ……ま、返り討ちにしたけどな!?ワーッハッハッハ!』
『ウン、スゴイスゴイネー』
適当に棒読みのまま反応を返すと、さらに鼻高々と笑うお父様。煽てられれば木に登るどころか馬鹿笑いのしすぎで最終的に天に昇りかねないのがお父様の悪いクセだ。なので、娘としては早々に止めなければ。まだ死なれたくはない。
『さて!あの白いローブの人たちが何者なのかとか気になるけど、まずはお母様とお姉様を探しましょう?あと、みんなを逃がさなきゃ……!』
『うん、まあそれが妥当か。……さてさて、そうと決まれば早速おっぱじめるか』
お父様は別段なんでもないような調子で呟いたが、それに伴う現象は看過出来るようなものではなかった。ゴアッ!と攻撃の時よりは幾分威力は弱いものの、指向性をもった小さな竜巻が私たちの周囲を囲む。
そして、その竜巻の中にあって長剣を腰の鞘へと落とし込んだお父様が、不意に私の腰へと手を回した。そのまま、得意げな笑みを消さないままに声を掛けてくる。
『しっかり掴まってるんだぜ?』
『え、ちょなにを――!?』
言われるがまま私がお父様の首へ手を回したと同時、竜巻が爆発したように威力を増す。その暴風は私たちの体を攫い、はるか上空へと軽々吹き飛ばした。
『いぃ――やっふうぅあああああァッ!!』
『うっそでしょおおおぉぉぉ!?』
あっという間にシーネルタ邸の屋根を越え、その高度は留まるところを知らずに伸びていく。空を悠々と流れる白い雲がみるみるうちに迫り、突き抜ける冷気が肌を刺す。はっきり言って、ものすごく怖い。
だが、体感的には数十秒ほどの上昇感が収まり、私に目を開く余裕が出来ると、その恐怖は感嘆に変わった。
『う、わぁ……!!』
真下に見える屋敷、その前後に広がる広大な庭。遠くには隣国との国境線でありリアスター王国が誇る魔境"龍巣山脈"の威容がそびえ立つ。さらに視線を動かせばいくつもの村々が点在し、中には城壁に囲まれた都市――シーネルタ領にある"学術都市"の姿も見えた。
切迫した状況だというのも頭から吹き飛び、私はただただ目の前に広がる光景に目を奪われていた。まさしく「世界は広い」という言葉を身をもって体験した瞬間だった。
『すごい!本当に、凄いよこれ――!』
『ふっふっふ、そうだろう!いつかソラミアにも見せたいと思ってた景色だからな。……まあ、まさかこんなタイミングになるたぁ思ってもみなかったが』
満足そうにお父様も目を細める。それほどまでの圧巻の光景だったが、脳裏に現在の状況がチラつく。惜しい、状況が状況でなければ、一日中この光景を眺めていたいくらいだったのに。
泣く泣くその魅力的すぎる選択肢を諦め、私はくいくいとお父様の服の裾を引っ張る。それに気づいたお父様は、私の表情から言いたいことを察したらしい。こういう時だけは勘がいいんだよな、この人。
『っと、そうだな。早いとこ探して合流しねぇと……。つってもこの高度からじゃ見つけるなんて不可能か、少し下りた方が良さそうだな』
『下りるって……自由落下にでも身を任せるの?というかそれ以前に落ちたら死ぬんじゃない?』
『チッチッチッ、甘いなソラミア。今のオレたちは完全に魔法の制御下にある。ほら、ちゃんと息もできるし寒さも死ぬほどじゃないだろ?それになりより落ちてない』
『……言われてみれば、確かに』
目の前の光景に気を取られていて気づかなかったが、よく考えればさっきから私たちの体は全く下がっていない。寒いといえば寒いが隙の多いドレス姿でも我慢できないほどではないし、息も会話もできていた。
よーく目を凝らしてみれば、私たちの周りをほとんど透明に近い風の膜のようなものが被っているのがわかる。まず間違いなくお父様の魔法だろう。
『それじゃあ、早く下りましょう?』
『ああ、そうだな。それじゃ行く――ぜ、ぶっ?』
不意に、ごぽっという水音と共にお父様の声が途切れる。それと同時に私の頬へ生暖かい液体が飛んでくる。その液体を手の甲で拭ってみれば――そこには、生命の証とも言うべき深紅の液体がべっとりと付着していた。
ここで、初めて私は気づいた。
その液体が何を意味するのか、その答えに。
『お、お父様――ッ!?』
ナイフが生えていた。
胸の中央、私の知識が正しければ心臓より少し逸れた辺り――そこに、音もなくいつの間にか大振りの凶悪なナイフが生えていた。背中側にある柄が限界まで体内へねじ込まれ、命の脈動を断ち切りにかかる。
ごぽり、と水音が連続する。赤黒い血液の塊が口元から本人の意思とは無関係に零れていく。ぐらり、とお父様の体が揺らぐ。いや、体だけじゃない。意識が低下しているのか、周囲に展開された風の膜も揺らぎ始め――そして。
ガクン!と、お父様の体から力が抜けた途端、その風の膜が完全に崩壊した。当然私の力で何かが出来るわけでもなく、ただ無情に襲いくる重力に逆らえず地面へと向かっていく。
全身を叩く冷たい烈風の中。必死でぐったりしたお父様の体を掴んで。何も出来ない自分の不甲斐なさを呪って。焼き切れそうなほどの自分への怒りに身を焦がして。
どこまでも。
落ちて、堕ちて、墜ちていく――
***********************
「あ、ああ、あああ……あああああああああアアアアアアアアアアッッ!!!」
ビギンッ!と、頭が割れるように痛む。
何も無い真っ暗な場所で、ソラミアは喉が裂けるほどに咆哮した。
たった今見せられた記憶、それをまぶたの裏に刻みながら、後悔と絶望が入り交じったどす黒い感情を宿して。まるで駄々をこねる子供のように、確定した過去へと否定をわめく。
「違う、違う、違う……あんなの、違う!私は、何も……何も知らない!見てない!聞いてない!私に、私が、私は、あんな記憶は持ってないッ!!」
未だ記憶の再生は途中。いや、むしろここからが本番と言うべきであろうか。
だがしかし、その記憶をソラミアは持ち合わせていない。あまりにも辛い記憶などは、心が勝手に封印してしまうと言うが、まさしくその症状が発現しているのだ。心的外傷、それは簡単に乗り越えられるようなものでは無い。
だからこそ、ソラミア・シーネルタは目を背ける。否定して、逃げる。いつの日かこの記憶に立ち向かえると、向き合えるのだと、そう自分に言い聞かせるように念じながら。
心に仕舞われた記憶の封印が解かれるその日まで、繰り返される追憶の夢を、ソラミア・シーネルタは歩み続ける。
「……知らない。今の私は、知らない。だから明日の、明後日の、未来の私。どうか今の私の罪を裁いて……この夢を、終わらせて」
少女は救いを求める。
未来の可能性へ、あても無い願いを託して。
――繰り返す残酷な追憶の夢は一旦終わり。
現実という残酷な物語の世界が始まる――




