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ゼロ:怪物の後日戦譚―Zero:Monster of initiative wars―  作者: 本城ユイト
一章 始まりの出会い
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No.24 追憶の夢②

 目を覚ましてみれば、状況は一変していた。


 まず、視覚が機能を取り戻す。

 多分、元はシーネルタ邸のだだっ広い、なんと本格的な森林まである庭の片隅にあった芝生の上に座り、辺り一面土煙で覆われた世界で、私はひとりぼっちだった。「なぜ?」とか「なにがあった?」よりもまず、名状しがたい孤独感に襲われる。


 と、続いて触覚が目覚める。

 ぴちゃり、と地面についた手のひらから生暖かい液体の感覚が伝わってくる。どうやら、私は水たまりか何かの上にいるらしい。


 続いて、嗅覚が活動し始めた。

 ツンと鼻をつく鉄臭いような匂いが立ち込めているのがわかった。なんていうか、以前お父様が剣を錆びさせてしまったときに嗅いだような、鉄本来の匂いだ。


 そして、お次は味覚。

 ふと口の中に溜まっていた不快感を吐き出してみれば、口元を押さえた手のひらに砂利が混じった赤い液体が口から零れた。む、おかしい、トマトジュースにしてはこれまた鉄の味がする。


 と、最後に聴覚が覚醒し――途端に。


『う、うわあぁぁぁぁ!?くるなっ、やめ――ぎゃあぁぁ!』


『この、このっ、死ねェッ!よくもっ……よくもやってくれたなァァ!?』


『は、ははは……もう、終わりだ……。あは、ははハ、はハはハハ?!』


 悲鳴、怒号、狂気。

 そんな今まで私が感じたこともない、絶望に満ち溢れた声がそこかしこから飛び込んできた。それだけではない。剣と剣がぶつかり合う音、何やら柔らかいものが切り裂かれる音、そして滴り落ちる雫の音。


 生々しい、生命が発する音がそこにはあった。


『……っ!?なに、これ……!?』


 反射的に耳を塞いでしまった私だが、そこではたと気づいた。先ほどまで両手をついていた水たまり、私の体の下に溜まる液体の正体に。


 手のひらにべったりとこびりついた、真っ赤な鮮血が視界に飛び込んだまさにその瞬間に、気づかされてしまった。自分が今、血溜まりの上にいることを。


『ひっ――!?』


 私の家はお父様やお母様、そしてお姉様が武闘派なので、もちろん模擬戦闘なんかやれば血を見る機会もあった。だが、こんな量は有り得ない。まず、人間ひとりの致死量を遥かに超えている。

 

 血溜まりというより、血の海だ。


 とっさに立ち上がってその海から抜け出そうとした私だが、数歩も行かないうちに何かにつまずいてしまう。つんのめって頭から血の海に倒れ込んだ私は、思わずその障害物をちらりと見た。


 おかしいな、芝生の上に障害物なんてあったっけ……?と自分の記憶を探りながら、私はその障害物へ視線を向け――そして、二重の意味で後悔した。


 障害物なんてモノ扱いしたこと。そして、それ自体を見てしまったことを。


 人が、居た。

 仰向けに横たわって。口を開けて。目を限界まで見開き。胸元に巨大な風穴をこさえて。執事服の正面を鮮血でべったりと汚した、壮年の男性が。


 その瞳と、私の視線が合った。

 濁って何も映していない虚ろな瞳が、一目で絶望と恐怖に染まった瞳が、私を無言で覗き込んでくる。まるで、咎めるように、責めるように、呪うように、私を睨んでいた。


 それは、シーネルタ邸に仕える執事の一人。私が家族同様に、それこそ生まれた頃から顔を合わせていた人だった。


 そして、その人の亡骸の向こう側に、積み重なって倒れる黒い影。よく見れば、それは……人、ひと、ヒト、人人ひとヒトひと人ヒト人人ひと人ヒトひとヒト――――まさしく死人の海だった。


『――――ッ!うぶ、ええっ……!』


 とっさに片手で口元を押さえられたのは、まったくの偶然だった。あと一秒遅れていたら、私は確実に喉をせり上がってくるこの奔流をとどめて置けなかっただろうから。


 と、ここで、込み上げてきたのは嘔吐感だけではなかった。恐らくその時のショックからか、不覚にも忘れてしまっていた記憶の扉が押し開かれたらしい。


 ――思い出す。

 そして、溢れ出す。


***********************


 あれは、初めての魔法体験の感動も冷めないまま、お父様やお母様、お姉様に囲まれてたわいもない会話をしながら屋敷へ向かっていた時だった。


 轟音とともに揺れる地面、その地面を揺らした巨大な爆炎がシーネルタ邸の正門を紙のように吹き飛ばしたこと。屋敷の敷地を覆うように付与された幾つもの結界は一瞬で機能を失い、元正門のあった場所から次々となだれ込んでくる紅い仮面に白いローブを纏った異装の集団。


 そして、その先頭に立つ、それぞれ色の違う表紙の本を小脇に抱えたリーダー格とおぼしき三人のうち、水色の表紙の本を持った青年――かなり遠くから見た私にはそれくらいの特徴しか分からなかったが、その彼が何かしらの異能を使ったのか屋敷中に響き渡る声で言い放った。


 ――一分以内に《封印》を差し出せ。

 断れば、命は無い。


 予め決められていた文章を淡々と読み上げるような、平坦な声だった。六十から徐々に減っていくカウントダウンと共に放たれたのは、確かそんな要求だった気がする。


 無知な私とて、その《封印》という単語が何を指すかくらいはすぐに検討がついた。我が御先祖様であるローズ・シーネルタ様が、昔の戦争で使ったと言われる二十一冊の魔道書(グリモア)、その代表格である《封印》の魔道書グリモアだ。


 だが、あの魔道書(グリモア)は戦争が終わると同時に軒並み紛失したと聞いていた上に、その戦争に関する物語を読んで知っていたので、私は驚きつつも首を傾げた。


 ――が。

 いつも笑っている印象しかないお父様が、その時顔を青ざめさせて拳を握りしめたところを見るに、何かしらの思い当たる節があるらしいと察した。


『……あなた、どうするの?』


『お父様……?』


『っ、く……!』


 お母様の真摯な眼差しと、お姉様や私の視線に板挟みにあったお父様は、しばらく思い悩む素振りを見せた。減っていくカウントダウンが焦りを加速させる中、私には内容を知るよしもないが、お父様がその集団へと言葉を返そうとした――まさにその瞬間だった。


『時間だ』


 六十秒の経過。あまりにも短過ぎる猶予を迎え、カウントダウンの終了を告げる声に続いて、ただ一言だけ短い宣言があった。


『――これより、最優先事項《封印》の回収、および()()()()()()()シーネルタ邸の破壊、関係者の殲滅任務を開始する』


 そんな、言葉を伴って。

 シーネルタ邸の空に無数の数の炎球が打ち上げられ――直後、その炎球はシーネルタ邸の敷地へと隕石、いや流星群のごとく降り注ぐ。


『マズイ!アリシア、今すぐ跳ばせッ!』


『わかったわ、行くわよ――』


 顔を引きつらせてお母様の名を叫んだお父様に、即座に反応したお母様が魔法を発動する。お母様の魔法は第二階梯(レベルツー)――私にはレベルがどうとか言われてもいまいちピンとこないが、とにかく凄い魔法らしい。厳密には違うらしいが、わかりやすくメジャーな所で言えば、『テレポート』のようなものだ。


 周囲に鮮やかな白の極光が溢れ、不意にぐにゃりと空間が歪む。そして、火雨が降り注ぐ中、私を含めた四人の体が、その歪んだ空間の向こうへと投げ出される――


***********************


『そっか……それで私、ここにいるんだ……』


 過去――とは言え恐らく数時間も立ってはいないだろうが、蘇った記憶の旅から我に返った私は、今更ながらに未だ血の海の中に佇んでいることに気づいた。


 衛生的にも、そして心持ち的にも血溜まりの中というのはあまり良いものでは無い。とりあえずここを抜け出そうか……と前後左右見渡すも、目に映るのは赤い地面と濃い土煙だけだ。


 一応、左側には薄ぼんやりと我が家であるシーネルタ邸の影が見えなくもないが、その方向にはひっきりなしに爆音が響いている。とりあえず誰かしらは居るだろうが、だからと言ってじゃあそっちに一直線で向かおうかというのもいささか危険で考えなしというものだろう。


『まぁ……とにかく、まずはお父様たちと合流しなきゃ。無事だといいんだけど……』


 状況から察するに、お母様の魔法でバラバラに空間を跳ばされたらしいし。きっと、お父様たちも屋敷の敷地内で戦っている、もしくは隠れて――はいないか。むしろ、あの三人は率先して前線に繰り出していくタイプだもの。


 まあ、それ故に見つけるのはさほど苦労しないだろう。何せ、前線にさえたどり着けば、必然的にそこで戦うお父様たちとの合流も叶うだろうから。


『よし、そうと決まれば行動あるのみ!とにかく敵――と言っていいのかな?に見つからないようにしなきゃね』


 仮にではあるが今後の方針を決め、いざ動き出そうとその一歩を踏み出す――直前で。ぴちゃり、と私の背後で水音が鳴った。この世界は、私が最初の一歩を踏み出すのがそんなに嫌なんだろうか。思い返せば邪魔ばかり入る気がするのだが。


 そんな不満を抱えつつ、素早く体を反転させて右手を突き出してみれば――そこに居たのは、仮面を外しているものの、あの白ローブを纏った見覚えのない男性だった。


 目立つ銀髪の下に憮然とした表情を浮かべるその人は、腰に帯剣をしていた。まず、まともな人間ではないのだろう。


『……貴様、ソラミア・シーネルタだな?』


 その、低い声を聞いた瞬間、私の脳裏でバチッと火花が散った。なんだろう、私、この人を知っているような……?


『あなた、何者ですか?』


 こういうとっさの場面だろうと、意外にも物怖じしない度胸だけは私唯一の特技と言えるのではないだろうか。ともかく、震えそうな声を意志の力で正し、私はそう問いかけた。


『私は《魔道教団(オラリアル)》所属、ゼラス・フリークというものだ。要するに君の敵だな、ソラミア・シーネルタ』


 ゼラス・フリークと名乗った青年から目を離さず、しかし私の思考は既に彼を認識してはいなかった。《魔道教団(オラリアル)》という名は、かなり世俗に疎い私ですら知っているような、犯罪組織の名称ではないか。


 そんな大物組織が一貴族でしかないようなシーネルタ邸になんの用かと思いつつも、実際襲撃を受けた以上、その大物組織が腰をあげるほどの「何か」があるのだと、私は半ば直感的に確信した。


 ――それが、《封印》なのだろうか。


『お父様たちがどこに居るか、知っていますか?』


『……ああ、知っているとも。そもそも本来の計画では、事前のカウントダウンなんて馬鹿げたことをせずに、()()()()()()()()()()()()()()ことが目的だったのだからな。当然、居場所を正確に把握する術は持ち合わせているさ』


 意外にも饒舌に語るゼラス。だが、私はその話の中でいくつか興味深いことを発見した。


 「そもそもの計画」という点から、本来の計画とはズレが生じている可能性。異能方面には明るくないが、あのお父様を出し抜いて居場所を把握する異能が存在すること。そして、なにより――


『お父様を、殺すつもりだった……!?』


『ああ。とは言え、ただ殺すのではない。《封印》の在処を履いてもらい、最終的には結果として死んでもらうだけだ』


『それって、結局殺すってことでしょう!なんで、お父様が何をしたって言うんですか!?』


 こんな時でも、初対面の相手には敬語を外せない自分を歯痒く思いながら、私は右の手のひらをゼラスに突き付けた。その手にバチバチと紫電が通い、私の感情に合わせて荒れ狂っていく。


 それを余裕のある冷ややかな目で見ながら、ゼラスは不意にすっとシーネルタ邸とは真逆の――深い森林がある方へ指を向けた。そして、その表情にいかなる感情も浮かべずに言う。


『――逃げろ』


『え。なにを……?』


『逃げろと言ったのだ。すでに、貴様とあの戦闘狂三人組以外は退避を終えている。あの先の隠し通路から、安全に逃走することが出来るからな』


『なんで、そんな事知っているんです……?というか、信じると思ってるんですか?』


 さすがに私もはいそうですかと応じるほどに馬鹿ではない、と思いたい。罠を疑い警戒心マックスで応じる私に、ゼラスは逡巡した様子を見せると、やがて重い口を開くように、


『それは――』


 そこから先は、聞けなかった。


 ドオンッ!という腹に響く衝撃音と、一拍遅れて土煙立ち込める空へと舞い上がった、元は地面や建物、そして人だったであろう無数の残骸を見て、私は本能で叫んだ。


『お父様!?』


 全てを巻き上げる竜巻の魔法――見間違いではない、あれはお父様がことある事に自慢していた元『騎士団最強の魔法』である風属性の魔法だろう。確か、名は《暴風の破壊者(テンペストブレイカー)》とか言ったか。やはり、第二階梯(レベルツー)らしい。


 シーネルタ邸の向こう側から上がったそれは、私の中からゼラス・フリークの存在や脱出経路などをまさしく暴風のように吹き飛ばした。惹かれるように血の海を駆け出す私は、ついぞ気づかなかった。


 その場にひとり取り残され、深いため息を吐き出したゼラス・フリークの瞳に宿る、柔らかな光に。


『自分の安全よりも家族の安全を……か。アリシア、やはりお前の娘は、お前に似てとんだじゃじゃ馬だな。全く、なんともお前らしく育てたものだ』


 そう呟いたことに、私は気づけなかった。

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