No.18 悪意の拍手④
つうっ……と、フリウスの頬を汗が伝う。
オオカミ男然とした姿から完全に人間へと戻ったフリウスは、平然を装いつつも失敗していた。
瞳は焦点が定まっていないし、体幹はどこか傾いていて頼りない。額には脂汗が浮かび、呼吸は荒れて苦しそう。たとえるならば、満身創痍の一歩手前といった様子だ。
「フリウス様……その、お体の方は……?」
「心配無用です……。それよりスミラス、この子を連れていきなさい。場所は分かっていますね?」
「は、了解しました」
スミラスと呼ばれた魔術師は、壊れ物でも受け取るような手つきでフリウスからソラミアの体を受け取ると、通路の奥へと消えていく。
「ユグド!」
「ああ!」
迷いは皆無、判断は一瞬。
迫るアンデッドの群れとフリウス・レイズの奥に小さくなっていく背中を見据え、二人は叫ぶ。
「「――行くぞ!」」
ゴアッ!と、灼熱の業火が通路を席巻する。
ユグドラシルはジリジリと肌を炙る熱量を放つ右手を広げ、その手のひらをアンデッドへと向け――解き放つ。
「……燃えてろ、死人共!」
既に死した身であるアンデッドたちにはまともな感覚というものは残されていないが、もし仮にあったとしても苦しみどころか痛みすら感じる暇もなかっただろう。それほどまでの、火力。
ざあ……っと真っ黒な塵となって空気に溶けていくアンデッドたちを掻き分け、ユグドラシルとルーナは障害物のなくなった通路をフリウス目掛けて駆け抜ける。
「ユグド……頼むよ!」
「ああ、短期決戦速攻あるのみだろわかってんぜ!」
その理由は簡単だ。
『蘇った死体』であるアンデッドには死という概念が存在しない。たとえ首を跳ねられようと心臓を貫かれようと、それこそ塵も残さず灰燼に帰されようと時間さえあれば再生する。
つまり、誰にも邪魔されずフリウスとの戦闘が可能なのは、アンデッドたちが再生を終えるまでの期間だけなのだ。
「く……あまり、この力は使いたくないんですがね……!」
そう言った直後、ビギギッとフリウスの腕が音を立てた。いや、内部から無理矢理膨張させられたようにその太さを変えたのだ。
一瞬後、そこに居たのは人間ではなかった。
獣耳を生やし、鋭い牙をカチカチと鳴らして、黄色く濁った瞳を爛々と輝かせる、一匹の獣。
「オオオォォァァァッッ!!」
「げっ!?また『獣化』しやがった!」
「わ、ケモミミだぁ!モフりたい超絶モフっていいよねぇ!?答えは聞いてないけど!」
「じゃあ訊くんじゃねぇよ!」
地を蹴って一息にフリウスの懐へと飛び込んだユグドラシルは、燃える拳を構えて殴りかかる。まさに必殺の射程、拳を振れば百発百中だ。
だが、それは相手が普通の人間だった場合。
ユグドラシルの拳が唸りを上げる直前、スッとフリウスの体が影に沈み込む。突如敵の姿を見失ったユグドラシルは、思わず動きを止めてしまい――直後。
ズドッ!と、ユグドラシルのみぞおちへ剛腕がめり込んだ。壁から出現したフリウスの攻撃に対処出来なかったユグドラシルの体が、通路の反対側の壁へと叩きつけられる。
「ガハッ――!?」
衝撃で肺の中の空気を余さず吐き出すユグドラシルに、フリウスが追撃をしようとその一歩を踏み出して――
「させると思ってんの!?」
突如、怒号と共に横から飛んできた無数の氷の槍に回避を余儀なくされたフリウスは、再び影へと逃げ込む。一瞬遅れて先ほどまでフリウスが立っていた位置を、氷の槍の雨が破壊し尽くした。
「ユグド、大丈夫!?」
「おっ、なんだなんだよオレのこと心配してくれてんのか!?意外と可愛いとこあるじゃ……」
「は?バカなの?なんでアタシがユグドの心配しなきゃなんないのよ。アタシが訊いてるのはフリウスを何とかできそうかってコト。頭大丈夫……って、ああ、バカは元からだったね」
「……やっぱ可愛くねぇわ、お前」
本気のトーンで言われて即座に意見を翻すユグドラシルは、数秒ほどルーナの言葉に傷ついた後に立ち直ってから言う。
「ま、なんとなくは掴めたぜ。アレだろ、ほら、自然迷宮のちょい深いとこにいるあの妙に強いオオカミ……」
「……?ああ、シャドウウルフ?なるほどね、透明化とか、瞬間移動とか、時間停止とか色々考えてたけど……影に潜ってたのかぁ」
なるほどとばかりに手を叩くルーナ。
「ま、オレに任せとけよ。アシスト頼むぜ?」
「うん、任されたよ」
力強くサムズアップしてみせるルーナにニヤリと犬歯を剥き、ユグドラシルはそっと全神経を集中させる。敵が影の中を移動しているなら自分の得意分野である臭いはおろか音さえも発生しないだろうが……しかし、敵の位置を掴むチャンスは確実にある。
目を閉じ、必要のない視覚を封じる。残った四つの感覚を総動員して、その好機を待ち――そして。
完全に不意打ちで頬に鈍い衝撃が走った瞬間、ユグドラシルはまさしく電光石火と言わんばかりのスピードで動いた。
衝撃で体がぐらりとよろめくのも放って、自分の頬へ打撃を喰らわせてきた何かを両手で掴みとる。そして、くわっ!と目を見開き、全力を振り絞って床へと叩きつけにいく。
「取っ……たぞおらあぁぁぁァッ!」
「……グウッ!?」
どうやらユグドラシルが掴んでいたのはフリウスの左手だったらしく、思い切り振り回されたフリウスはぎゅるんと一回転して頭から床へと落ちた。相当な衝撃だったのだろう、バキンと牙が一本、根元からへし折れて飛んで行く。
追撃を恐れ咄嗟に影に逃げようとするフリウスだが、ユグドラシルはそれを許さない。うつ伏せに倒れるフリウスの体の下へと足を入れ、思い切り蹴り飛ばす。
「おらぁ、ぶっ飛べ!」
フリウスの体が再び宙を舞う。だが、そんな中でもフリウスの思考はあくまで冷静だった。たとえ『影潜り』の能力に気づかれようと、今度は死角から一撃で仕留めればいいだけなのだから。
獣化して普段よりも格段に上がっている身体能力にものを言わせ、強引に空中で体勢を立て直す。そのまま足から着地すると同時に影に潜れるよう、イメージを頭の中に描いて――
「甘いわね、フリウス!」
そんな声が、フリウスの思考を引き裂いた。ジャララッ!と連続する金属が擦れるような音と共に四方八方から伸びてきた透明な鎖が、フリウスの体を空中に縫い止める。
「――ッ!?ガルッ……!」
「どう?アタシの魔法は。結構便利でしょ?馬鹿の一つ覚えみたいに槍を作るだけが能じゃないんだよ」
自慢げにヒュンッと杖を回しつつ、ルーナはその鎖――氷で作られた特製の鎖をさらに増やし、フリウスの手足や胴へと絡めていく。
「はっはぁ!さっすがルーナ!お前はやるときゃやるヤツだと前から思ってたぜ!」
「ふっふ〜ん!そうでしょそうでしょ!ほら、アタシの凄さを褒めてくれてもいいんだよ〜?」
「おう!ルーナさんマジ最強だぜ!」
わしゃわしゃ〜っ!とドヤ顔のルーナの髪を雑に撫で回して杖でどつかれるユグドラシル。そんな仲のいい光景を目の当たりにしつつ、フリウスはそっとため息をつき――バキン!と、いとも簡単に鎖を引きちぎる。
当然だ。いくら魔法で作られた氷が魔力を多分に含んで通常より硬いとはいえ、フリウス・レイズの魔法は水や氷を操る水属性。ルーナの魔法自体はレベルが違いすぎてフリウスが手を出すことなど到底不可能だが、一部分だけ強度を弱めることくらいならなんとか出来る。
そして、その事実を知らなかったユグドラシルはともかく、ルーナはそれを知っていたはずなのだ。何故なら、路地裏で助けられた時に見ているのだから。
つまりのところ、完全なる油断。
「「……あ」」
そんなマヌケた声と共に、うっかりさん二人組がフリウスがいる方へと視線を向ける。そこには、氷の縛から解き放たれ、今にも飛びかかりそうな体勢のフリウスが。
「……いっけない、フリウスの魔法が水属性なの忘れてた!てへっ♪」
「んな可愛く言ってもダメだからな!?」
もはや影に潜るよりもこのまま駆けた方が早いと判断したフリウスは、その人間離れした脚力をもって一瞬でその距離を縮めようとする。そして、そのための一歩を踏み出した――途端に。
ドスッ、と。唐突に、前触れもなく飛んできた何かが、フリウスの右肩へと突き刺さる。見れば、その螺旋状の溝を持つ棒には、なにやら白い結晶石が刺さっていて――
「――ッ!?」
フリウスがその正体に気づくと同時、ビキッ!と致命的に亀裂が入ったその結晶石が爆裂する。辺りに撒き散らされた爆風は、フリウスの体を木の葉のように吹き飛ばし、床を転がす。
「ガ……!?っ、ぐはぁ……ッ!」
びちゃ、と口から血の塊が零れ落ちる。しゅうぅ……と煙を上げて元の姿に戻っていくフリウスの耳に、聞き覚えのある声が届く。
「まーったく、お前らいつもツメが甘いんだよ。も少し気をつけろよなぁ……」
そんな愚痴にも似た言葉を零し、ユグドラシルたちの背後からゆったりとした歩みで現れたのは、黒コートを纏った一人の少年。誰であろう、クリストだ。
「だ、団長!無事だったのか……っておい、なんか全身赤くね?」
「うわっ、これ血じゃない!ちょっと団長、何があったの!?」
「え?あ〜、これはその、アレだよ……そう、返り血だ!」
「ああ、また油断してやられたのね……」
「返り血だっつってんだよ!」
強引にそれで押し通し、クリストは改めてフリウスを見る。ぽたぽたと瞳から血の涙を流し、何度も咳き込んでは血を吐くフリウスは、誰の目にも戦えないことは明らかだ。
「短時間で二回も獣化したんだろ?だとしたらもう限界のハズだ。大人しく降参した方が身のためだと思うけどな?」
「……ふ、ふふ。降参なんて……ゲホッ、しません。僕はね、勝てない勝負はしない主義なんですよ」
「……なら、戦うか?今のお前なら俺でも勝てるぜ。……わかってんだろ、戦うにしろ降参するにしろ、待ってんのは負ける運命しかないんだよ」
最後通牒を突きつけるように、クリストはそう言い切る。それを聞いたフリウスは、そっと懐へ手を入れると、何かを取り出した。
「これを見ても……ゴホッ、同じことが言えますか……?」
開かれたフリウスの手のひらに乗っていたのは、小さな紅色の結晶石。ところどころに亀裂が入ったそれを、クリストは訝しげな視線で眺めていたが、突如顔を青ざめさせる。
「おい、ちょっと待てよ、それって――!」
「ええ、見ての通り……。最後の切り札というやつです。ゲホッ、本当なら……使わずに済めば、それが良かったのですが……。仕方ありませんよね……」
キンッ、とフリウスがその結晶石を指で弾く。くるくると回りながら天井近くまで飛んだ結晶石を見上げ、クリストは即座に反転して駆け出した。
「ユグド、すまん!……前言撤回、やっぱ感謝しろ!」
「は?なにをって……おわぁ!?」
なんの説明もなしにとりあえず手近にいたユグドラシルをルーナへと突き飛ばし、重なった二人のコートをむんずと掴む。その瞬間、クリストの懐から一枚の札が飛び出す。
その青い紙に複雑怪奇な紋様が描かれた札を掴み取り、クリストは何事かを叫ぶ。と同時に、フリウスが投げた結晶石が床へ落下し細かな破片となって砕け――
「――――ッ!」
その瞬間。
通路を極大の閃光が蹂躙し、一切の音が消えた。




