No.14 凡才の天才
ゴッ!と耳元で風の音がする。
頭の上を通り過ぎた鋼の刃が、茶色の髪を数本攫っていく。
宙に舞った茶髪と引き換えに一歩を踏み込んだクリストが、剣を振り抜いた体勢のゼラスの右肩を掴み、全体重をかけて下に引く。
「くっ……!?」
ぐらりと体が後ろに傾く。その頬に、その場で体を捻ったクリストの足裏が炸裂した。スパァン!と遠心力を伴った蹴りが派手な音を立てて体を吹き飛ばす。
「ふっ!」
「が、ふうっ!」
ゴロゴロと転がり、大の字で止まる。と、ふとその頭上に注がれていた魔晶灯の白い光が遮られた。見れば、跳躍したクリストの踵が鼻っ柱へと落下するところだった。
「――っ!」
咄嗟に横に転がって回避した次の瞬間、さっきまで頭があった場所へと、踵が容赦なく振り下ろされた。それを視界の端に捉えつつ、なんとか距離を取ったゼラスはゆらりと立ち上がる。
「……やはり、強いな。以前戦った時の経験から、剣術あたりは出来ると踏んでいたんだが……無手格闘まで習得しているとは」
「ふふん、自慢じゃないが俺の得意分野は近接戦闘全般でね。徒手空拳から剣術、槍術、マイナーなとこだと大鎌とか……まあ大体のことは出来るんだわ」
「全方位死角なし、と言ったところか。怪物め!」
吐き捨てるように叫ぶやいなや、ゼラスは剣を握って突貫する。そのまま走る勢いを殺さずに剣を振るうも、そのことごとくを見切られ、躱される。
「いやいやぁ、俺はかぎりなく凡才――言うならば、天からの才に選ばれなかった者だ。こうでもしなきゃ、とてもじゃないが本物の天才たちにはついてけないのさ」
その言葉は、背後から聞こえた。
とっさに背後へ剣を一閃するも、影のようにゼラスの死角に入り込み続けるクリストには当たらず、それは空を切るに留まる。
「お前はどうだ、ゼラス?見たところ大分正統派の剣を学んでるみたいだが……どうして強さを求める?」
「……決まっている。護るべきものを、護るためだ!」
またしても死角から飛んできた声に、反射的に横薙ぎの一撃を見舞う。すると今度はキンッ、と何かを砕いた手応えと音が伝わってきた。
見れば、剣が通過した後の空間には、真ん中で真っ二つに断ち切られた黒い小さなカプセルが浮いていて。
(なんだ、あれは……!?)
ゼラスがそう思ったとほぼ同時、そのカプセルが反応を示す。ボシュッ!という小さな破裂音と共に、辺りへと漆黒の黒煙を撒き散らしたのだ。
「ぬ、くそっ……!」
「俺が作った魔道具はどうだ?なかなか便利なモンだろ。ああ、間違っても魔術は使わないことだ。死にたくなけりゃーな」
視界が闇に包まれる中、方向感覚など一瞬で失われたゼラスは、その場で足を止め剣を下げる。使い物にならない視覚を放棄し、残る全てで敵を捉えるために目を閉じた。
だが、いくら待っても攻撃がくる気配など微塵もない。かわりに、静かな声が響いてくる。
「なあ、この際だ。一つ訊いてもいいか?」
「……なんだ?」
「お前らがやったことは全部調べさせてもらった。ここに至る経緯も、ソラミアの素性もな。だが、ソラミアだけが狙われる理由がどうしてもわかんねぇんだ」
「それだけの情報収集能力があるならば、理由など検討がついているのではないか?」
「あくまで検討はついてるさ。俺が言ってんのは、その考えの裏付けが欲しいっつー話だ」
もはや前後左右どこから聞こえるのかも分からない声に、ゼラスはしばし沈黙する。そして、ゆっくりと口を開いた。
「……貴様、『シーネルタの魔本』という都市伝説を知っているか?」
「もちろんだとも。つか、その都市伝説、リアスターで暮らすヤツならほとんど耳にしたことがあると思うぜ?」
「我々の狙いはそれだ」
会話しているうちに少しずつ薄れ始めた闇の中で、クリストが笑うような気配がなんとなく感じ取れた。
「……なーるほど。これで合点がいったぜ。ソラミアが所有者なんだな?」
「そうだ」
短く肯定を返すゼラス。
そうしているうちに視界を阻んでいた黒煙が晴れ、やっと周囲の風景が瞳に映り込んでくる。
と、そこで微かな違和感を感じた。
(……む?こんなに薄暗かっただろうか?)
黒煙に包まれる前の記憶と、微妙に食い違いがある。注意深く辺りに目を向けると、その理由はすぐにわかった。
四方の壁に取り付けられた十二個の魔晶灯、その明かりを放つ部分に使われている『白魔晶石』が忽然と消え失せているのだ。当然、そんなことをできた人間はこの場に一人しかいない。
そう、今もゼラスの背後に立つ少年しか。
「……貴様、どういうつもりだ?」
「うん?やだなぁ、さっきも言ったじゃないか。俺は基本的に凡才なんだ。周囲にあるものを最大限利用するのは当たり前だろ」
くるくる、と白い結晶石を弄びながら飄々と答えるクリスト。それを聞いたゼラスは、なるほどなと密かに納得する。黒煙の中で無防備を晒していた自分を襲わなかったのは、どうやら回収作業をしていたらしい。
「そうだ、知ってるかなぁ。この魔晶石っつーのは、高密度の魔力の結晶体なんだ。つまり、使い方次第じゃ――」
言いつつ、クリストは右手に持った結晶石をゼラスに向けて無造作に放り投げる。大した威力も込められていないその攻撃を、ゼラスは剣の腹で横へ軽く弾き飛ばして――
ドッ!と唐突に、弾かれて宙を舞う白魔晶石のど真ん中へ、飛来した棒状の何かが突き刺さった。ゼラスはその正体を知らなかったが、それは螺旋状の溝が掘られた魔道具制作用のヤスリだ。
「――人殺しの凶器になるんだぜ☆」
直後、白魔晶石が炸裂する。
パァン!と乾いた破裂音と衝撃を撒き散らす。それを至近距離からモロに浴びたゼラスの体が、ぐらりと傾く。
「ぐうっ……!」
「ま、所詮は純度25%レベルの白魔晶石だからな。殺傷能力なんて皆無だが、至近距離なら意外と効くだろ?」
ニヤリと悪どい笑みを浮かべるクリストの右手には、すでに三つもの白魔晶石が握られている。いくら致命的な攻撃でないとはいえ、あの数はさすがに不味い。
(弾いてもあの投擲技術ならば必ず当ててくる。ならば!こちらに届く前に撃ち落とすまで!)
そう一瞬で判断を下し、剣を持っていない左手を前方に突き出す。と同時、クリストが上手投げで放った魔晶石が、ゼラス目がけて迫り来る。
「《我・炎精との契約・履行する者》!」
その詠唱に応じ、ゼラスの周囲に五つの紅い光点が出現する。そのうちの一つに意識を集中させ、さらなる詠唱式を紡いでいく。
「《爆炎の衝撃持って・敵を穿て》」
そのたった二節の短い詠唱で放たれた炎の素因子が、飛んでくる魔晶石のうち真ん中のやつへと直撃する。そして、ズドンッ!と全身に響くような爆音と爆炎を放ち、他の魔晶石二つもまとめて無力化した。
「まだだ……!」
だが、あくまで飛んできたのを無力化しただけ。
未だに自分の敵は、あの爆炎の向こう側に二本の足で立っているだろう。それを倒すまでは終われない。
だから、残った他の素因子へ命令を出すために詠唱を開始しようと口を開きかけるも、それより早くボッ!と爆炎をかき分けるようにして、小柄な体が飛び出してくる。
「ふ――おおッ!」
トップスピードのまま地面を滑るように駆けたクリストは、自分の手足と徒手空拳を武器にゼラスへと襲いかかる。それを視認したゼラスも、詠唱を諦め迎撃しようとする。
だが、得意分野の剣をいくら振ろうと当たらないのは学んでいる。そこで、あえて剣を鞘に押し込み拳を握った。
「……来い」
「ハッ、わざわざ合わせてくれるたぁ嬉しいねぇ!」
その幼さが残る顔に獣のような獰猛な笑みを刻んだクリストと、静かに息を吐き構えを取るゼラスの体が重なる。そして、何か重いものを殴る音が連続した。
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魔晶灯の明かりが消え、天井に空いた穴から断続的に射し込む爆音を伴った光だけが頼りの部屋。
その部屋の中央、元は天井のさらに上から落ちてきた瓦礫の1つに腰掛けて、クリストはふぅと大きく息を漏らした。その視線が向けられる先、薄暗い闇がある床には、何か大きな物が横たわっていた。
その『何か』が、もぞりと動いた。
「う……あ、ぐうっ……」
「……おお、ゼラス。気がついたか。悪い、俺もテンション上がってついやり過ぎちまったわ。許せよ」
そう言ってクリストは、壁から強引に取り外してきた台座に残っていた白魔晶石の一つをはめ込む。すると、さあっ……と鮮やかな光が闇を取り払っていった。
そして、明かりに照らされたその先に、あちこち生傷にまみれ息も絶え絶えになっているゼラスが仰向けに倒れていた。
「うん、うん。全身異常なーし。骨も折れちゃいねーし、脈も正常だな。おい、生きてっか?」
「……うるさい。こんな場所で……死ねるわけ……ないだろ……」
「そこまで喋れんなら大丈夫だわな」
震える唇の端から血を流しつつ答えたゼラスに、クリストは苦笑いを返す。あの後、確実に意識を断つレベルの攻撃を全身に叩き込んだわけだが、ゼラスはこうして目を覚ましている。
(さてさて、こいつはただゼラスが頑丈なのか、俺の技術不足か。……いや、この場合どっちもだな)
一応念の為にゼラスの腰から鞘ごと剣帯を外し、自分に巻き付ける。本来クリストは剣帯も鞘も使わないのだが、慣れない装備でも問題なく動けた。
「その傷じゃ二日や三日はマトモに動けねぇよ。と言っても回復系の魔法なり魔術なりを使えば話は別だが、お前のお仲間もすぐ来てくれるわけじゃねぇだろ?」
「……ああ。貴様を追うのも、止めるのも……このザマでは無理だろうな」
「分かってるようで何より。あんま無理すんじゃねぇぞ〜?次のリベンジマッチは全部終わって暇な時にでも受けてやるからよ」
そう言い残したクリストは、天井に空く穴の下まで行くと、白魔晶石を床に落として踏み割る。その瞬間、足裏で弾けた爆風が、クリストの身体を真上へと吹き飛ばした。
「じゃ、またな!」
穴の中腹にある壁からでた突起のひとつにぶら下がり、クリストは片手を上げた。そして、重力を感じさせない身軽さでひょいひょいと突起物に足をかけて駆け上っていく。
「……ふふ、げぼっ!……適わんな、まったく」
咳き込んだ拍子に喉元まで込み上げてきた血の塊を吐き出し、ゼラスはクリストとの戦闘を思い出していた。
全身を手酷くやられ、もはや指一本すら動かない体たらく。しかもその上、相手はほぼ無傷と来た。さすがに自尊心とかいろんな場所に刺さるものがある。
だが、それよりも印象深いのはクリストの言葉。
――凡才。天からの才に選ばれなかった者。
「ふっ、まったく……ごほっ、ふざけている。アレが凡才などとほざくとはな」
そう、あの戦闘でクリストが無傷だったのは守りが硬いからじゃない。根本的に当たらなかったからだ。いくら拳を振るい、魔術まで使おうと、まるで数秒後の未来でも見ているかのように、こちらの攻撃を避け、いなし、反撃を返してくる。
そう、クリストは決して『凡才』などではない。いや、かつては凡才であったのかもしれないが、今の彼を評するならば、そう――
「『凡才の天才』。普通の技術を天才の領域まで押し上げた者、といったところだろうな」
その呟きを聞くものは誰もいない。
だが、もしその場に第三者がいたのならば、こう思っただろう。
――なんて、なんて晴れやかな顔で笑うのだろう、と。




