No.10 あなたの為に
クリストとユグドラシルが魔術師を迎え撃っている頃、ソラミアとルーナの女性陣はそこから少し離れた路地の奥にいた。
おんぶしていたソラミアの体を、傷に響かないようそっと下ろしながら、ルーナは後方を振り返って一人呟く。
「……ふう、ここまで来れば大丈夫かな」
「なんだか結構離れてしまいましたね……」
路地の壁に体を預け、包帯の巻かれた足をそっと撫でるソラミア。その視線が向くのは、今まさにクリストとユグドラシルが戦闘を繰り広げている方向だ。
心配そうな瞳でじっと建物の隙間から僅かに覗く空を見上げるソラミア。それを見たルーナは、普通の人間よりもとがった妖精族特有の耳をそっと澄ませた。
途端にザアッ!と大量の音が瀑布のようになだれ込む。
ただでさえ街中、それも王都トライス西区は王国屈指の人口密集地域である。優に万を超える音源が存在する中、ルーナは慣れた様子で目的の音を探し出していく。
人が歩く音、人の呼吸音、風が建物に吹き付ける音、猫の鳴く声、水滴が落ちる音、人が話す声、金属同士が激突する音、破砕音――
「――見つけた!団長だ!」
「……ええっ!?」
唐突に大声を上げたルーナへと足の痛みも忘れて駆け寄ろうとするソラミア。だが、何歩も歩かないうちにその体がガクンと斜めにかしずく。
「おっと!無理しちゃダメだよ!」
「ご、ごめんなさい……。それで、団長さんたちは!?」
「……うん、心配ないよ。ユグドの方は別空間にいるみたいだから分からないけど、団長は善戦してるみたい。まあ、団長の実力ならそう負けはしないけどね」
「そ、そうですか、よかった……」
安堵のため息を吐いて寄りかかってくるソラミア。その華奢な体を支えながら、ルーナは思わず笑みを漏らした。気分としては、可愛い妹を持った気分だ。
「でも噂に違わず凄いですね、妖精族の聴力って。ここから何十メートルも離れた場所の音を拾えるなんて!」
「あはは、まあ確かに便利だね。この耳のおかげで奇襲とかも事前に察知できるし。――こんな風に」
え?と首を傾げるソラミアに対し、ルーナはクルリと反転して後ろを向くと、その場で虚空に向かって声を投げかけた。
「さっきから隠れてるのは分かってるよ?男らしく素直に出てきたらどうかなぁ!……あ、性別までは分かんないけど、全員男で合ってるよね?」
「えっ……!?」
ギョッとするソラミアが辺りへ目を凝らす中、ある一点を見つめるルーナ。数秒間の沈黙の後、ルーナの聴覚が捉えたのは返答の声ではなく――
バチイッ!という凶悪な音。どこからともなく飛んできた一閃の雷撃が、ルーナの足元へと着弾する。
「――っ!ルーナさん……!」
「大丈夫だよ、ソラミア。そこで安心して見てて?」
慌てた声を出すソラミアにニッコリと微笑み、ルーナはコートの懐へと手を入れる。そして再度引っ張り出されたその手の中には、紅い小さな宝石。
「――《喚装》」
その声に呼応して、宝石が眩い光を放つ。
宝石はその光の中心で姿を変え、収まった頃には一本の捻くれた杖へと変化していた。
「ふふん、団長から『霊装』の使用許可が出てるからね。悪いけど手加減は出来ないよ!団長にいいとこ見せるチャンスだもの!」
フォン!と杖を手の中で回転させると、ルーナの全身から白い冷気が周囲に流れ出す。その冷気は見る見るうちに壁と地面といわず霜で多い尽くしていく。
「さあ、特別大サービスだよ。アタシの『魔法』で、めいっぱいおもてなししてア・ゲ・ル♪」
蠱惑的にウィンクしつつそう宣言したルーナの周囲で、ビキピキッと空気が凍る音が連続する。空気中の水分を瞬時に変換した大粒の氷たちは、まるでルーナに付き従うように浮かび上がる。
そして。
ルーナが計八本にも及ぶ氷の槍を解放したのと、全方位の上空から無数の雷閃が殺到したのは同時だった。
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そして、現在。
真っ白に染まる世界の中心に立つルーナは、魔法を操る腕を止めないままに唇を噛む。
「いやぁ、ちょーっと多いかもなぁ……!」
全方位から飛んでくる雷撃やら炎やらを、自身の周囲へ半球状に展開した氷の盾で防ぐ。ドドドッ!と連続した衝突音が響き、盾が削られていく。
反撃とばかりにルーナが杖を一振すると、ジャキッ!と半透明の盾から無数の突起物が形成される。それらはまるで弓から放たれた矢の如く空を駆け、何人もの魔術師へと突き刺さった。
「があっ……!?」
その中の一人、肩を撃たれた魔術師がぐらりと前へつんのめった。氷の矢が突き刺さった肩から鮮血が吹き出し、その体が屋根の上から落下して地面へ叩きつけられる。
「あっ……!」
「ダメ、ソラミア!動かないで!」
それに反応したのは、同じく半球の盾で身を守るソラミア。反射的に駆け出そうとするソラミアに、ルーナは思わず叫んだ。
ビクッ!と叱られた子供のように体を震わせたソラミアに、ルーナは言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「ダメ、絶対に動かないで。こうしている間にも団長たちは命を削ってるかもしれないの。――ソラミア、あなたのためにね」
「私の、ため……」
「そう、だからこんな所でその命を無駄になんかしたらダメ。ソラミアの命はもう、一人だけのものじゃないんだから」
その言葉に、ソラミアは俯く。
人の命を背負う重み、それがソラミアの心へとのしかかって行く。
「ズルい言い方なのは分かってるよ。でもこれだけは聞いて?アタシは、誰かの命が消えるのを見たくない。たとえそれが味方でも……敵でも。誰だって命だけは平等だから」
そう言って杖を持たない左手で指さした先には、先程の魔術師の姿。だが、その口元には白いもやが漂っていた。吐き出した空気が周囲の気温で凍っているのだ。
撃たれた傷口もそれと同様。溢れ出ていた鮮血はすっかり凍り、止血されている。すなわち、その魔術師の命は未だそこに残っている。
「敵を……助けて……?」
「当然だよ。アタシは誰一人殺したくない。そして誰一人殺させない。……そう決めたの」
有り得ないものでも見たようなソラミアの表情に、ルーナは己の意志を返す。それはまるで、自分自身に言い聞かせているようだった。
だが――如何せん数が多い。多すぎる。
一度の攻撃で倒す人数よりも、殺到する攻撃の数の方が勝っている。このままではジリ貧は確定だ。
(どうにかして切り抜けないと――!)
ルーナが扱う魔法の大前提として、『空間リソースの限界』というものがある。周囲の水分を操作するため、そもそもの操作する対象が枯渇してしまえば魔法が使えない、というものだ。
そして、氷の盾から飛び散った破片は巻き起こる爆炎の中で水蒸気と化して消えてしまう。つまり、このまま防御しているだけではいずれ攻撃を喰らってしまう――
と、その時。その音は唐突に響いた。
ビシイッ!という乾いた無情な断末魔。
見れば、氷の盾の一部に亀裂が入っている。
さらに、ここぞとばかりに長剣片手に四人の魔術師が四方向から同時に襲いかかる。
「マズッ……!」
咄嗟に盾の形状を変化させようと杖を振るが、屋根から重力を受けて飛び降りてくる魔術師たちの方が圧倒的に早い。
判断は一瞬、杖を片手に隣にいたソラミアを押し倒すと、その上から覆い被さる。そして、その背中へと4本の刃が踊りかかり――ザシュッ、と鮮血が舞った。
「が……はっ……!」
同じようなうめき声――それが4つ。
そして、氷の盾へと飛来した何かが激突し、赤い尾を引きながらズルズルと地面へ落ちていく。
それは、見事に胴体部分へと裂傷を刻まれた元魔術師たちの体。
「ひっ……!」
「一体何が……?もしかして、団長たち……いや、あの二人に遠距離からこうも綺麗な切り口を作る攻撃なんてないハズ……?と、とにかく止血を……!」
冷静に目の前の事態を見極めようとする思考を一旦どかし、ルーナは盾越しに空気中の水分を操作する。ピキバキッと傷口が凍結し、雑ながらも応急処置を施していく――そこへ。
カツン、カツン。そんな音がルーナの耳へと届いた。
音の出処へと顔を向けると、ルーナの生み出した冷気の霧を肩で切りながら何者かが進み出てくる。
「……っ!?」
「止まって!そこから一歩でも動いたら氷の槍で串刺しにするよっ!」
「……そんな警戒しなくても大丈夫ですよ。僕はあなたがたの味方です」
漂う霧のせいで姿の見えないその人物は、スッと右手を前に突き出して囁く。
「こんな魔術師たちは掃除しなくては。王国の平和を保つためには必要事項ですよね?」
その言葉が告げられた途端、その人物の手のひらへと何かが集束していく。それは、辺りを漂っていた霧だ。
「さあ、綺麗に消えなさい」
謎の人物の手のひらにあった直径五センチほどの水滴が、文字通り爆散した。それは無数の弾丸となって魔術師たちを襲った。
「くっ、退避だ退避ー!」
まるで蜘蛛の子を散らすように四方八方へと消えていく魔術師たち。それを見届けたルーナは、氷の盾を解除した。
と同時に、今まで漂っていた霧が全て消え去る。
霧が晴れたそこに立っていたのは、一人の青年だった。
金色のなで髪にすらりとした身長、そして、纏っているのはルーナとまったく同じコート。しかし、色は黒ではなく深い藍色。
「……!あのコートは……正規の……」
「あの、助けて頂いてありがとうございます!もしよろしければお名前を教えてくださいませんか?」
表情を固いものにするルーナとは対照的に、ソラミアはその場で腰を折って礼を告げる。名を聞かれた青年は、優しく微笑んで名乗る。
「僕の名前はフリウス・レイズ。こう見えて、王国魔導騎士団・王都西区域副団長を務めているものです。以後お見知り置きを」
そう言って、邪悪はにこりと微笑んだ。




