【メモランダムⅢ】―苦悩と政治的独立:1960~―
ソ連は、東日本が豊かである理由を「経済一辺倒であるから」として批判した。というのも、戦後に日本を弱体化させる過程で、東日本は軍事力を放棄し、ソ連に防衛を任せていたのである。言い換えれば、防衛コストをソ連に負担させていたのである。
60年代に入ると、再軍備を強制される。
また、東日本の発展理由に「ブルジョワ階級が国内に残っているから」という言いがかりまでつけられた。「東日本のブルジョワ階級は一掃されなければならない」として、ソ連は大規模な内政干渉をし、当時の政治家や一定の富裕層を大弾圧した。これにより、政治・経済共に大混乱に陥る。
さらに、50年代後半、中国は大規模な食糧不足に陥っており、東日本では大量の搾取が行われた。これにより、東日本は大量の餓死者を出すことになる。
一連の過程から、東日本はますます中ソからの政治的独立を目指すようになる。60年代半ばには「日本型の社会主義」を掲げ、その自主路線を党大会で採択した。さらには、「日本型の社会主義」は革命を経ていない分、平和的であるとした。
激怒したのは、中国とソ連である。両国は軍事介入を開始。しかし、再軍備を求められ、それをクソ真面目にやっていた日本は(核武装も密かにしている)、中ソ軍を追い返してしまう。「成せば成ってしまった」のである。
その後、中ソも対立し、共産圏は中国・ソ連・東日本の三つ巴となる。(ちなみに、北朝鮮は「主体思想」という独自のイデオロギーを駆使しつつも、三国の間で揺られることになる)。