【メモランダムⅡ】―東日本の成功:1950年代半ば~1960―
50年代半ばになると、東日本は豊かな国として語られるようになる。発展の理由として、当時の東日本の食料自給率が高かった(?)ことや、そもそも工業化の下地が整っていたことが挙げられる。しかし、それらは「共産主義の成功」とされた。反論があるとすれば、東日本の一人当たりの生活水準が、共産主義国家の総本山であるソ連のそれより高かったことであろう。
もちろん、西日本も発展していくのだが、戦後の復興などは「全体主義国家」である東日本の方が迅速であった。したがって、西日本の発展は、池田勇人の登場を待つことになる(※1)。
そんなわけで、70年代までは資本主義よりも共産主義の方が優れているという「神話」が語られ、西日本では共産化を求める運動や学生運動が盛り上がることになる。ゆえに、西日本にとっては、いかに共産化の波を止めるかということが課題であった。
50年代後半からは、東日本は共産圏の中で異質な存在となっていく。
そもそも、雇用環境からして、日本は伝統的に資本家=労働者であり、ブルジョワは打倒すべきものというよりかは、むしろ同じ労働者であった。つまり、日本には社会主義のいうところの階級闘争は存在しないどころか、革命を経ずして理想的な社会がそこにはあったのである。
実際、ソ連の最後の書記長であるゴルバチョフはこんな言葉を残している。「日本は世界で最も成功した社会主義国だ」(※2)
また、異質な存在となっていくのは、1956年の「スターリン批判」以降であろう。これにより、共産主義国におけるリーダーたちの正統性が揺らぐことになるのだが、日本はその限りではなかった。なぜなら、強力なリーダーシップをとれる人間がいなかったことから「個人崇拝を禁止しろ」といわれても、そもそも個人崇拝などしていなかったのである。
そうして、ソ連や中国とは異なった社会主義国として国際社会へ躍り出ていく東日本であったが、共産主義国家のなかからは、まさに「出る杭」であった。
(※1)池田勇人:広島生まれの政治家。史実では1960年に首相に就任し、所得倍増計画に着手した。これを機に、日本は高度経済成長期に入っていく。
(※2)史実。